古墳1
ぼくの住んでいるF市は、海に面した中堅都市だ。
背後になだらかな山地があって、三角形をした街の真ん中を一級河川が流れ、東西に新幹線が通っている。
中央駅の北側の山すそに、ぼくの通っている高校がある。
学力はまあまあ。敷地がバカみたいに広くて、設備だけは充実してる。
休憩時間になると校舎のあちこちで、スカートが短めの一軍女子がSNSにアップするダンスの練習をしたり、男子が悪ノリしてふざけてたりする。ようするに、にぎやかなのと生徒数が自慢の、ごく普通の高校だ。
晴れた日には、海に浮かぶ猪野島が遠くに見える。ぼくは校舎から眺めるその景色がわりと好きだった。
夜中に大きな地震があったとき、ぼくは、資源ごみで出す雑誌や古い教科書なんかを紐で縛ってまとめていた。
はじめのガタガタとした揺れで作業の手を止めて、地震かと思った。
ぼくらの地域では、大きな地震はめったに起きない。
ドスンと地面がもち上がるような縦揺れがあって、下で妹の叫ぶ声が聞こえたのと同時に、部屋の灯りがフッと消えた。
家全体がギシギシと不気味な音を立てて横に動いた。
本棚が傾いて壁に当たって、このまま潰れるんじゃないかと思ったほどだ。
スマホの緊急アラームが鳴って、ぼくは地震がおさまるのを待っていた。
1分か2分。ようやく揺れがおさまったときには、窓の外は真っ暗になっていた。
どの家も灯りが消えて、市内全域が停電していた。
ぼくはスマホを握りしめて真っ暗な家の中を階段を降りた。家族の無事を確認して、安全のために玄関を開けて外に出た。
緊急地震速報を見たら、震源地はぼくらの街だった。
翌朝、登校すると、どの教室も窓ガラスがきれいに割れていた。
1階から4階、一枚残らずすべてだ。
おかげで教室の風通しは抜群になっていた。
みんな足元に気をつけながら「昨日のはヤバかったよな」とか「マジで死ぬかと思った」と口々にいっていた。
HRでササキ先生が、生徒全員の無事が確認されたことと、校舎は厳しい耐震基準をクリアしているのでヒビ一つ入っていないことを報告した。
その日の授業は中止となり、散乱したガラスの後片づけと掃除をすることになった。
軍手とダンボール箱が支給され、ぼくらのクラスは、自分たちの教室と美術室を担当することになった。
なんせ職員室や保健室、教室に廊下の窓ガラスが粉々に割れているのだ。ダントツでひどいのは化学室で、あらゆる実験器具が壊れた。ロッカーが倒れて折り重なってるところもあるし、業者を入れて片付けるとなると、時間もお金もかなりかかる。ようするにテイのいい労働力だ。
半数の男子と女子が美術室に出陣した。
残った男子が率先して机と椅子を廊下に運び出して、大きなガラスは軍手をして拾って、細かい物は女子がホウキを使って集めた。
ぼくの役割は、ガラス片の入ったダンボール箱を、駐車場わきの臨時のゴミ捨て場まで運ぶことだ。
ゴミ捨て場には、ダンボール箱や壊れた備品がトラック4~5台分は山積みになっていた。
ダンボール箱を重そうに抱えた女子が歩いてきて、ぼくは運ぶのを手伝った。
いま思えば、あれが沙織だったわけだ。
受け取ったダンボール箱を積み上げるのを、立ち止まって見ていた。
今年は開花が遅れて、桜の花がまだ半分残っていて、地面にはピンクの紙吹雪みたいな花びらがたくさん落ちていた。
そのときのぼくは、入学したばかりの1年生かなと思った。
というのも、見かけない顔だったし、ブレザーと赤いネクタイの制服が見るからに新品で、肩のところなんかサイズがあってないみたいにブカブカだった。そのせいでよけいに繊細そうに見えた。
耳元の髪に指をやり、「ありがとう」と、沙織はあごをしゃくるようにしていった。
子供みたいな目でぼくを見て。
「ねえ……」となにかをいいかけた。
ぼくは「新入生?」とたずねた。
ナチュラルな眉がピクリと動いて、急に不機嫌そうにぼくのことをにらんだ。
ほかの生徒がいなければ、いきなりビンタされるんじゃないかと、それぐらい迫力があった。
ぼくは(なんか悪いこといったかな)と思ったほどだ。
沙織はくるっと向きを変えて、小走りで校舎のほうにもどっていった。
様子を見ていたヨシオがやってきて「おい、なんかあったのか」といった。
「いまのコ、3組の転校生だろ」
「ああ。2年だったのか」
「ノンキだな。隣の教室に見物にいかなかったのか」
「横顔をチラっとだけ」
「特上の美少女だよな。男子は大騒ぎだぜ。だれが最初にアタックかけるか」
「なんか性格きつそうだ」
そのときはそれで終わりだった。
なんといっても隣のクラスの話だし、顔を合わせて話す機会もない。ぼくには関係のない話だと思っていた。
◇ ◇ ◇
1時間目の授業が終わってすぐに、小田桐ヒナが4組の教室に駆けこんできた。
ぼくの席まできて「沙織となんかあったの?」と食い気味にきいてきた。
ぼくは「なにも」と返事をした。
「なにもないわけないでしょ。朝から沙織の機嫌が悪いから、てっきりヨシオくんがやらかしたのかと思ったら、楠くんとケンカしたってきいて二度びっくりしたわ。あのあと、なにがあったの? 帰ったんじゃないの?? 正直に話しなさいよ」
ぼくは(あれもケンカのうちに入るのかな)と思った。
売り言葉に買い言葉で、言い合いになっただけだ。
「書店で会って注意したよ、軽く」
「注意?」
「ヨシオの動画をつまらないとか、やたら突っかかってくるし。とにかく生意気だよ、あいつ。いきなり本を買ってほしいだの」
「めずらしい」
「銀河の写真がなんとかいってた」
「楠くんがだれかと言い争いするなんてはじめてじゃない。いつも他人に無関心でしょ」
ぼくは、そっちかよって思った。
「去年の文化祭も、クラスで演劇やるって決まったら道具係を買って出たし」
「あのなー、道具係のどこが無関心なんだよ」
「逆によ。役をやらないように先手を打ったでしょ。せこいって思ったわ」
「人前に立って話すのが苦手なんだよ。はずいし。小田桐だって脚本やってたじゃんか」
「悪いこといわないわ。すぐにあやまったほうがいいわよ」
「どうして、ぼくが」
「沙織はああいう性格でしょ。まちがっても自分から頭を下げるなんてことしないと思うの。このままだと卒業までどころか、一生口を聞いてもらえないわよ。1億円賭けてもいい」
「まるで小学生みたいだな。いいよ、ほっとけば」といいかけたところで、あのことが頭をよぎった。
ぼくには、沙織にたずねなければいけないことがあった。絶対に、なるべく早く。
それは【暗い洞窟の夢】についてだ。
転校生の沙織が、どうして暗い洞窟の夢のことを知っていたのか。その晩、ぼくが暗い洞窟の夢を見ることを言い当てることができたのか。
理由があるはずだ。
(こういう場合、ぼくがあやまらないといけないのか)
ぼくは、うんざりとした気持ちになった。
子供の頃は、たまにケンカはしてたけど、相手は男だったし、中学になってからは殴り合うようなケンカはしていない。それに、そういうのは2~3日してたら、むこうも忘れていることがほとんどだった。ようするに男子のケンカはネチネチしてない。
小田桐ヒナの忠告は(ヨシオにしたように)いつも正しい。
釈然としないけど、たしかにぼくも言いすぎたところがあった。
「悪いけど、ぼくがあやまってたって早川さんに伝えてもらえるかな」
ぼくにとって、それがギリギリの妥協点だった。
小田桐ヒナはうれしそうな顔をした。
彼女が引き合わせたところあるし、自分の友人同士がケンカするのはやはり辛いものがあるだろう。
「わかった。楠くんが泣きながら謝罪会見をしてたって伝えてあげる」といって、小田桐ヒナは教室を出て行った。
3時間目の休憩時間。
ぼくは自分の席で、スマホを使って地元のサッカーチームの試合結果を見ていた。
だれかがぼくの机に手をついた。
顔をあげると沙織が立っていた。ムッとした顔で。
「英語の教科書を貸して。まちがえてまえの学校のを持ってきたの」
教室がザワついてた。
クラスメイトがこちらを見ているのを感じる。
ぼくはスクールバッグの中から、英語の教科書を取り出して渡した。
沙織はそれを手に、さっさと教室を出て行った。
「ありがとう」もいわずに。
(英語の教科書を忘れたなんてウソだよな)
それぐらいは鈍感なぼくでもわかる。
ぼくはヨシオのことが気になった。
沙織がぼくのところに来たのを、こころよく思わないのではないかと。
「あれぐらいしょっちゅだ。まえにデートでジュースをぶっかけられたの比べたらかわいいもんさ。話が合わない感じだったし、夏休みまでにべつの子を狙うよ」
と夜の電話で話していた。
ぼくが、ジュースをぶっかけた女はだれだって問い詰めたら、H女子高の1つ年上だっていってた。失恋の相談に乗るっていう口実で会って、彼女をかばうつもりで元カレの悪口をいったら急にキレたらしい。まあ、下心を出しすぎて地雷を踏んだわけだ。
たしかにそういうことはよくあるような気がする。
ヨシオは、ぼくの席にきて「フラれたらおしえろよ。俺がグチを聞いてやるからな」ってニヤニヤしてた。
昼休憩に、こんどはぼくが3組の教室に行くはめになった。
いつまでたっても、沙織が英語の教科書を返しに来る気配がなかったからだ。
沙織は机を挟んで小田桐ヒナとしゃべっていた。
春のやわらかな日差しが差し込む教室で、窓からは気持ちのいい風が吹いていて、そこだけ微笑ましい学園ドラマがあるみたいに見えた。
「教科書」
とぼくは、沙織の席までいって話しかけた。
小田桐ヒナは、ぼくが突然あらわれたんでおどろいていた。
沙織は、黙って机の中から英語の教科書を取り出して置いた。
ぼくを一瞥もせずに。
まだ許したわけじゃない、というオーラがヒシヒシと伝わる。
ともかくこれで用はすんだわけだ。
ぼくは回れ右をして3組の教室を退出した。
英語の教科書を叩くように机に置いて、ぼくは自分の席に座った。
窓に寄り掛かって、ぼくは(なんなんだ、あの態度は)と腹を立てていた。
結局、「どうも」の一言もなかった。
(ああいうところがお嬢だよなあ)
と思って、ぼくは沙織にお礼をいってほしいんだと気が付いた。
それってつまりは、仲直りがしたいってことだ。
仲直りしたいけど、うまく言葉に出せなくて自分ではなく相手のせいにしている。
ぼくもぼくで、すごい子供だ。
5時間目の授業がはじまり、教科書の英語の教科書を開く。
ページの端がところどころ折ってあることに気が付いた。
そのうちの一つを開く。
ちいかわのキャラクターが怒ってるイラストがあり、その下に《That was the first time I've ever been spoken to so horribly》と書いてあった。
授業中にイラストを描いたのだろうか、とぼくは思った。
きれいな字をイメージしてたけど、沙織の字は男子とあまり変わらない。なんならヨシオのほうがきれいかもしれない。
つぎのページには《I've been frustrated thinking about you since yesterday》と書いてある。
《If I apologize and admit I was wrong, will you forgive me?》
さらにつぎのページを開いた。
鉛筆で塗りつぶしたような黒い門みたいなイラストがあり《Did you dream about a dark cave?》と書いてあった。
【暗い洞窟の夢を見ましたか?】
メッセージアプリのIDがあり、その下に『かならず連絡するように』と強い筆圧による濃い波線付きで書いてあった。
ぼくは、教壇の先生にバレないようにスマホをこっそり取り出すと、IDを入力してフレンド登録を申請した。
しばらくして登録が承認された。
沙織は、柴犬のアイコンだった。たぶん飼っているペットなのだろう。ゴールデンレトリーバーやトイプードルじゃないのが意外だ。
すかさず『教科書にラクガキ』と送った。
2、3分して『授業中』と返事がきた。
うちの学校は緩いほうだが、授業中にスマホを使っているのが見つかれば没収される。あとで職員室に呼び出されて反省文を提出することになる。
先生が黒板に書いているタイミングがチャンスだ。
ぼくは、優等生の沙織が見つからないようにスマホを触っている姿を想像して面白くなった。
仕返しの気持ちもすこしあった。
『字が男みたい』
『失礼。イラストは上手』
『なんの授業』
『数学2。英語、成績悪い?』
『なんで?』
『18P』
ぼくは18ページを開いた。
《Not only ( ) pass her exams, but she also received a scholarship for her outstanding 》
という問題で、ぼくは『she had』って書いてたけど、そこに二重線を引いて『did she』って訂正してあった。
ぼくはとにかく英語が苦手なのだ。
数学や物理、歴史などの暗記系は比較的得意で、現代文は勉強しなくても模試で偏差値60は取れるのだが、英語に関してだけは話がべつで、とても優秀な劣等生だ。地平線のような赤点を取ってしまう。
『暗い洞窟の夢をなんで知ってる?』
その質問に対して沙織からの返事はなかった。
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