第13話 目覚め


「はあぁ……」


 窓辺からすずめたちの囀りと朝陽が入り込む自室にて、気づけば特大の溜め息が漏れる。


 目覚めたあとで洗面所の鏡を見てみれば、白髪が以前より増えた気がする。仕事するのはもう嫌だな。行きたくないって頭髪も訴えている。


 努力すればするほど、認められたいと思えば思うほど、人生は上手くいかないんだと否応にも気付かされたからな。


 それでも、俺は頭や胃の痛みを感じながらも出勤していた。


 というか、俺はここ最近ずっと仕事を休んでいた気がするんだが、気のせいだろうか?


 そう思ってカレンダーを確認したところ、ここ最近はちゃんと赤丸が続いてて、ほぼ毎日出勤しているのがわかる。


 そうか、やっぱり気のせいか。そうだよな。俺はとにかく人目を気にするタイプだから、休もうと思っても結局休めないし、きついと思ってもきついという言葉が言えないんだ。


 なんだか、とても楽しい夢のようなものを見ていたような。


 ただ、その内容っていうのがどうしても思い出せない。


 ……まあいや。遅れないように会社へ行くとするか。苦手な同僚や上司の顔が浮かんできて胸が疼き始めるが、負けたくなかった。


 とはいえ、俺は精神力についてはともかく、そこに体が伴っているわけじゃなかった。


 昔から体調が優れないことが多くて、学校へ行くのもしんどかったから。


 それでも、いつか楽になるんじゃないかって、今まで無理を押して頑張ってきたけど、もうそろそろ限界なのかもな。


 満員電車での通勤、心も体もボロボロなサラリーマン生活。昼夜働きづめの毎日。同僚からは嫌味を言われ、上司からは事あるごとに怒鳴られ、平謝り。


「おい、お前、ちゃんと聞いてるのか⁉」


 ん、あれ……自宅にいたはずなのに、上司が目の前にいる。いつの間に俺は会社へ着いたんだ?


「まったく、何度言ったらわかるんだ。これ以上しくじったら、お前はもうスライドだからな!」


「は、はい、申し訳ありません……」


 ……いや、ちょっと待て。……?


 そこは、クビじゃなくて?


 というか、スライドって言葉、なんか凄く聞き覚えがあるんだよな。


 雨で屋外の野球の試合が中止になって、その日に登板予定だった先発投手が後日スライド登板するとか、プレゼンテーションや会議でお馴染みのスライドショーとか。

 

 それ以外にも沢山聞いた覚えがあるが、なんだろう? まあいいや。


 それにしても、さっきから何か色々とおかしい。


 会社をしばらく休んでいると勘違いしたり、自宅にいたはずが気が付くと会社にいたり。


 それに加え、微かにだが自分を呼び掛けてるような声が聞こえてくる気がするんだ。


 心身の不調が悪化して、幻聴まで聞こえてきたんだろうか? こりゃいよいよ重症だな……。


「……スラン……」


 いや、やっぱり聞こえてくるぞ……って、スランって誰だ? いや、スランっていうのは、まさか……。


「はっ……」


 目覚めると、俺は小屋の中にいた。ここは……そうか、俺は今まで転生前、すなわち現実世界にいた頃の夢を見ていたのか……。


「スラン、よかった!」


「坊ちゃま……」


「……」


 モコが涙目で抱き着いてきて、その隣ではモラッドも跪いて目頭を押さえていた。


「坊ちゃまの働き、本当にご立派でしたぞ。領主様が健在だったら、どんなに喜ばれたことか……」


「それでも、爺とモコには迷惑をかけたな……。それで、俺はどれくらい眠ってたんだ……?」


「坊ちゃまは5日間も眠りっぱなしだったのでございます……」


「5日だって? そんなにか……。爺、あれからどうなったか教えてくれ」


「はっ。坊ちゃまの【スライド】スキルのおかげで、完成した防壁が領境まで移動した結果、やつらはこっちに入ってこられなくなりましたぞ」


「おぉ、そりゃよかった……」


 これでグレゴリス家が完全に諦めるとは思えないが、しばらくの間は大丈夫そうだ。


「ただ、その一方で海のモンスターが不気味な動きをしております。海上の泡立ち具合から察するに、半魚人かと」


「そうか。半魚人の群れがこっちの様子を窺ってるっぽいな」


「おそらく。それと、少し離れた海上のほうに大きな影が見えたのです」


「大きな影ってことは、そっちのほうはただのモンスターじゃなさそうだな。多分あいつだ」


「はっ、おそらくはクラーケンかと」


「ああ。厄介だな……」


 クラーケンは海のモンスターの中でも、ボスと呼べるほどの強敵だ。やつは半魚人の大群を指揮して、この領地を何度も狙ってきた。


 そのたびに【魔法剣・大】スキルを持つ父が追い払ってくれたが、それでもクラーケンだけはタフなのもあってどうしても仕留めることができなかったんだ。


 モンスターの中でも、ボスは特に知能が高い水準にあるとされ、痛い目に遭ったあとはしばらく迂闊に近寄ってこない傾向にある。


 しかし、父が追い払ってから大分経つので、そろそろ襲ってきてもおかしくない。


「こうしちゃいられない。俺がなんとかしないと……」


「おやめください、坊ちゃま!」


「そうだよ、スラン。無理しちゃダメ!」


 起き上がろうとする俺を止めるモラッドとモコ。


「いや、もう大丈夫だから……」


「病み上がりですので、今はどうか無理はなさらぬように」


「そうだよ。スランが死んじゃったら……わたし、お嫁に行けなくなっちゃうんだからね……」


「……」


 やや過保護な気もするが、俺は大人しく二人の言うことを聞くことにした。ああやって無理をしたっていう負い目もあるしな。


 だが、ゆっくりもしていられない。モラッドやモコ、領地を守るためにも、しばらく休んだら動き出さないと。


「あ、そうだ! あのね、スラン。孵化器に入れておいたドラゴンの卵が動いたんだよ!」


「……お、いよいよ竜が誕生しそうなんだな」


「うん! 名前はね、ドラコにしようって思うんだけど、どう?」


「ドラコか。いいんじゃないかな」


「でしょー。楽しみっ!」


 モコが声を弾ませる。ドラゴンともなれば、鶏の雛と違って孵化するにはまだまだ時間がかかりそうだが、俺もドラコの誕生は本当に楽しみだと思う。

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