第40話 VSリオン(5)

 ドラゴシュは旋回しながら戦場に舞い降りていく。その背に座るバルドルは、酸鼻な様相を呈する戦場を目にして胸を痛めた。


(僕がもっと早く到着していれば……)

 

 いや、それ以前にディアナと離れていなければ、ここまで凄惨な状態にはならなかったのではないか。そう思い、バルドルの胸中に自責の念がよぎる。だが、今はそういう感情に押し潰されている場合ではないだろう。

 

 バルドルの心境とは裏腹にランカスター兵たちは、まるで勝利の神でも仰ぐかのように、バルドルと竜を歓喜の眼差しで眺めている。彼らは、もともとバルドルがディアナ王女と逃亡していたことを知っており、王子が助けにきたとすぐに理解したのだ。

 

 ランカスター兵たちは、剣で盾を打ちならしたりしながら、ワーッと歓声をあげている。その兵たちの中にいるはずの彼女の姿をバルドルは探した。

 

 そして、見つけた。

 

 負傷している様子はない彼女を見て、バルドルの胸に安堵の波が打ち寄せた。


(……ディアナ)

 

 彼女のもとに戻るつもりはなかったはずだった。彼女のことを諦めようと思ったはずだった。現実から目を背けようとしたはずだった。

 

 だが、そうしなかった。なぜ? 答えは簡単。

 

 別段、バルドルの中ですさまじい葛藤があったり、複雑な思考を経たわけではなかった。結局、バルドルはただディアナのことが――。

 


 

 ドラゴシュはディアナの斜め前に降りようとしている。兵士たちが馬を走らせ、場所を空けた。

 

 ディアナの目にはバルドルの顔がすでにはっきりと映っていた。その顔を見てディアナはあらためてわかった。アウグストではなく、バルドルである、と。

 

 バルドルが着ているのは鎧ではなく、チュニックと薄手のコートだったが、剣は身につけている。

 

 ドラゴシュが着地し、ディアナとバルドルは互いに見つめ合った。あの喧嘩別れ以来であり、複雑な思いがディアナの心を駆け抜けた。が、それは一瞬だった。あんな別れ方をしても、バルドルは舞い戻ってくれた。今、ディアナの心の奥深くから熱い感情が奔流のごとくあふれ出ている。その感情の名は――。

 

 ……と、そういう思いにばかり浸っていられる状況ではなかった。予想外の展開で、全員、戦いの手を止めているが、戦闘の場である。

 

 ディアナの前方にはリオンもいるのだ。彼が全速力で動けば、バルドルが止める間もなく、ディアナは斬られるかもしれない。一応彼女も軽い鎧を身にまとい、剣を佩いているが、リオンの前では丸裸も同然だろう。ディアナはリオンに視線を向け、身構えた。

 

 が、リオンは微動だにしていなかった。

 

 彼だけは、バルドルとドラゴシュの到来にまるっきり動じていない。冷静すぎる目でバルドルと竜を観察している。その表情だけ切り取れば、まるで部外者のよう。

 

 やがてリオンはゆったりと歩いてバルドルの前に進み出た。

 

 ここにきて、初めてリオンが口を開いた。


「バルドル王子だな。正義の味方のご登場か」

 

 バルドルとリオンの視線がこすれ合う。なぜか不可思議な作用が生じたようにディアナは感じた。


「俺はリオンという者だ」


「……はじめまして」


「どうも」

 

 およそ戦場には似つかわしくない言葉のやりとりに、ディアナと兵たちは唖然とした。

 

 リオンという不思議な雰囲気の人間と、バルドルというこれまた普通とは異なる性質の人間が相まみえたゆえ、一風変わった空気が流れているのか。これが凄惨な戦いの最中でなければ、兵たちの口から笑声がもれていたかもしれない。

 

 が、この状況で笑っている者はむろんいなかった。二人の会話がどう展開されていくのか、みな固唾をのんで注視している。

 

 相変わらずの無表情でリオンが淡々とした声音で言う。


「バルドル王子、ディアナ王女を助けにきたのだろう? だったら、貴公に提案がある」


「提案?」


「俺と貴公の一騎討ちで、かたをつけないか」

 

 一騎討ち。全員の表情に驚愕が走った。


「このままお互い総力戦で戦えば、こちらも何十人、何百人死ぬかわかったものではない。だが俺と貴公だけで戦えば、損害もないし、手っ取り早い」

 

 どうやらリオンは衝動的に言っているわけではないようだった。精鋭といえど五百でしかない兵数を考慮して提案しているのだ。ドラゴシュが現れなければ、部隊同士の戦いを続行していたに違いないが。


「一騎討ちといっても、そちらはその竜に乗って構わない。騎竜したバルドル王子と俺の戦いだ」


「……もし、僕が勝てば、本当に退いてくれるのか」


「内戦そのものはともかく、この場は退こう。どのみち俺が死ねば退散せざるをえないだろう」

 

 今回、リオンにしては異例なほど長台詞を放っている。ディアナと王弟の兵たちは驚いていた。この人、一応ちゃんと喋れるんだ、と。


「だが、そちらも約束してもらおうか。俺が勝てば、一切抵抗せず捕らわれると」

 

 これはバルドルにではなく、ディアナに視線を向けてリオンは言った。リオンに対して怒りは微塵も冷めていないが、それを抑えてディアナは言葉を返した。


「そもそも誰も戦わないという選択肢は……ないのね」


「ない」

 

 リオンは即答した。この答えはわかっていたことだ。

 

 ディアナは頭をかかえた。もしバルドルが負けた場合、それは畢竟ひっきょう、彼の死を意味するかもしれない。ディアナにとって耐えられるはずがない。だが、これ以上ランカスター兵たちを犠牲にしたくない。

 

 一騎討ちの場合、バルドルが勝てる見込みはあるが、やはり自分が大人しく捕まれば、誰も死なずに済むのでは……。そんなことを思いながら、ディアナはドラゴシュのほうへ馬を寄せ、バルドルを見上げた。

 

 ディアナは目を見張った。怯えていると思っていたバルドルに、動揺の色が見えないからだ。アウグストではなくバルドルのはずだが、その眼差しに、その表情に、頼りなさはなかった。


「ディアナ」

 

 バルドルは落ち着いてディアナを見つめている。


「ロアン王子との過去のこと、償いをさせてほしい」

 

 アウグストがやったことではあっても、やはりバルドルは罪の意識を覚えていたのだ。


「……戦ってくれるの?」

 

 バルドルは深くうなずいた。その瞳には、光彩を発しているかのごとき決意が宿っていた。

 

 ディアナの迷いも消え去っていた。


「お願いするわ、バルドル」

 

 ディアナにうなずいたのち、再びバルドルはリオンに向き直った。


「一騎討ち、受けて立とう」

 

 それを聞くと、リオンにしては実に珍しく、彼は口もとに微笑をただよわせた。


「ではバルドル王子、いざ空中戦としゃれこもうか」

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