誰が殺したサルタヒコ

芦原瑞祥

第1話 運命

「吾が御子の行く道にいる、いましは誰ぞ」

 岬に立つ大男に、ウズメは呼びかけた。


 ウズメは最高神アマテラスの命で、その孫・ニニギが高天原たかまがはらから地上へ降臨するともとなり、日向ひむかを目指していた。その途中に、境界に居て、上は高天原たかまがはらを下は葦原中つ国を照らす神がいるとの報告があった。敵か味方かわからないこの神の正体を探る役に、五人の伴の中からウズメが指名されたのだ。


 大男が振り返る。彼に敵意も危険もないことを確認すると、ウズメは歩み寄りながら衣の前をはだけ、淡雪のように白い胸乳をちらりと見せた。男の視線がこちらに釘付けになったところで、ころもを肩からすべりおとし、諸肌脱ぎになって、張りのある乳房を露わにする。

 ウズメは神前で舞う巫女であり、色気によって相手の男神の警戒を解き、籠絡する役目も担っていた。


 神も人も、体の中を「気」が巡っている。交合することで、お互いの気の一部が相手の体に入り込む。ウズメは、入り込ませた自らの気を使って相手を操ることに長けていた。

 ウズメが指名されたのは、相手の男を色仕掛けで落として味方に引き入れろ、という意味なのだ。


のたぐいか。その必要はない。衣を着ろ」

 大男が、ウズメの目をまっすぐに見て言う。彼の隣にある篝火かがりびの炎が揺れ、男の高い鼻の影ができる。


 裸体を見せた途端に鼻の下をのばす男たちのことを、ウズメは軽蔑しているが、興味なさげにいなされるのも癪に障る。ウズメは衣の襟を正し、再び誰何すいかした。

 大男が短く答える。

「吾は、サダヒコ。この岬を守る神だ」


 ヒコというからには、それなりの地位の神であろう。ウズメは相手の虚栄心をくすぐるよう、深々と頭を下げた。

「失礼をした。吾は、アマテラス大御神の孫であるニニギのみことが、葦原中つ国へ下られる伴をしている者だ」


 ニニギと他の伴は、少し離れた船の上で待っている。高天原に報告されていた「鼻の長さ七つか、目が照り輝く大男」が危険な者かもしれないからだ。ウズメも警戒していたが、サダヒコは異形ではないし、篝火を焚いて海峡を行く船を導く、話のわかりそうな神だ。岬のことを「鼻」と呼ぶ慣わしがあるから、長く突き出た岬と大男の鼻を、篝火と男の目を混同しただけのようだ。


 サダヒコが畏まってウズメに礼を返す。

「アマテラス……女の日神を祀る一族の噂を聞いたことがある。先ごろ、出雲の一族を平定した、と」

「話が早い。この国は、我らが治めることとなった。ついては、この海域に詳しいいましに案内をして欲しい」


 サダヒコは返事をしかねているようだった。

「どうした。岬を留守にしては民が困るからか。それとも……」

「民はいない。吾だけだ」

 篝火に薪をくべ、サダヒコは目を伏せた。


 この岬は海流が混じり合うので、異国からの来訪者も多かった。この地では育たない芋や果実、船を造る技術、多くのものが手に入った。しかし、喜ばしくないものも入ってきた。疫病えやみだ。病はあっという間に広まり、村落を死に絶えさせた。

 サダヒコは、誰もいない岬に毎日篝火を焚き、防塞神として疫病が入ってこないよう見張っているのだという。いずれ、民が再びこの地に住む日のために。


「我々は、この葦原中つ国を、稲穂が豊かに実り、民が心やすく暮らせる国にすると約束する。どうか、案内役をお願いできないだろうか」

 色仕掛けなら手っ取り早いのに。そう思いながらもウズメは、サダヒコには軽々しく触れてはならない気高さを感じていた。たとえるなら、アマテラスと同じような絶対的霊性。もしかしたらサダヒコは、地上の国の日神なのかもしれない。


いましは」

 サダヒコがウズメの全身を一瞥してから向き直る。彼の眼差しは、頑健な体つきとは裏腹に憂いを含んでいる。

「それなりに位の高い神のようだが、いつも敵対する者たちを自らの体を使って思い通りにしているのか。その役目に疑いを持ったことはないのか」


 何を感傷的なことを言っているのだ、この男は。ウズメは吐き捨てるように答えた。

「別に、疑いなど持ったことはない。いましはあるのか」

「ある」

 サダヒコの答えはすぐに返ってきた。

「吾だけが、防塞神としてこの岬に留めおかれている。もう人が死に絶えてどれくらい経ったかもわからない。目が覚めて日が昇っても、誰の声も聞こえず、波の音が響くだけだ。いつか来る誰かのために、毎日篝火を焚いて、突き出た岬の位置を知らせる。いつまでこのような日々が続くのかと思うと、おかしくなりそうだ」


 なんだ、寂しいのか。

 それならば、とウズメは声音と口調をやわらかくし、彼の艱難をすべて理解しているかのように語りかける。

「つらかったのね……。篝火を絶やすことなく、たった一人で、本当によくがんばったわ」

 慈愛のこもった笑みを浮かべ、ウズメはサダヒコの目を見つめる。

「でも、いましがこの岬に留め置かれたのには意味があるの。それは、天孫である吾が御子の御前みさきとなって、この潮流の激しい海峡を渡りきれるよう案内すること」

 サダヒコの瞳に、ゆらめく篝火が映る。「意味」と、その唇がかすかに動く。


「待たせてしまったわね。……我々こそが、いましの運命。ともに行きましょう」

 ウズメはサダヒコの大きな手をそっと握った。

 「気」は、交合しなくても触れればある程度入り込ませられる。皮膚が分厚くて傷だらけのサダヒコの手を、ウズメはいたわるように両手で包み込み、ほほえんだ。

 サダヒコの目が揺れる。もう一息だ。


 サダヒコが、おそるおそる手を握り返してくる。了承の印だ。


 落ちた。


 ウズメは満面の笑みを浮かべて、サダヒコの手を引き、ニニギ一行が待つ船へと導いた。

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