第9話

 エリアス神殿の外観は至って普通だ。普通に見えるのに普通じゃない。怖いのだろうか。怖いのかもしれない。怖くないとは口が裂けても言えない。神殿の扉を開錠するロイマンの手は小刻みに震えている。シスは誰にも気づかれないくらいの小ささで、深呼吸をした。


 少しは心が落ち着いてくれただろうか。


 神殿の扉を開ける。両開きの扉だが、片方だけ開けて中へ入った。神殿内の造りは基本的にどこも同じだ。だから、礼拝堂へは迷うことなく向かえる。廊下に設置された光水晶によって、神殿内は明るく保たれていた。明るいのに酷く不気味に感じられるのは床が汚いからか。


「誰かが、遺体を運んだ時に汚したのでしょう………」


 土やら泥で汚れた神殿の廊下に目を落としていたシスに気付いて、ロイマンが説明するような口振りで言う。廊下の汚れは礼拝堂まで続いている。


 シスとロイマンは礼拝堂へ足を踏み入れた。ドーム状の礼拝堂に遺体はない。遺体が置かれていたであろう場所は床の汚れで分かる。遺体の数は全部で十六体。四体ずつ二列に並べられていた。その配置も、百年前と全く同じだ。


「密閉空間だからでしょうか。数日経っていますが、死臭が落ちません」

「壁や床に付着した死臭は改装しない限り、落ちるものではありませんよ」


 礼拝堂正面にはエリアスの神画が奉られている。


「燃やしたものと思われます。神への冒涜です」


 神画は真っ黒になっていた。なぞってみると指先を黒く染めた。炭に触れたらこうなるだろう。指先をこすって汚れを落としている最中、ドンっと礼拝堂の扉が閉まった。


 ロイマンは「うぁっ!?」と盛大に驚声を上げた。シスもこすっていた指先を思わす胸元へ引き寄せた。心音が鼓膜を打ち、胸元にあてた手を通じて速くなった鼓動を感じる。扉が閉まった時の驚きはもうない。今は恐怖に負けないよう必死に自分を奮い立たせる。


「か……風で、風でしまったのでしょうか………?」

「そうだと、いいですね……」


 神殿には窓は少ない。中へ入る際に扉も閉めている。外で風が吹いていても、神殿内に吹き込んでくることはない。絶対にあり得ないのだ。ロイマンはそのことを分かった上で言ったのだろうか。シスは分かった上で、同意するしかなかった。


「地下へ、行きましょう」


 礼拝堂にあった遺体は神殿地下の安置所に移動させられている。礼拝堂を出て右の個室に地下へ続く階段はある。無機質で冷たく、薄暗い階段は恐怖を掻き立てる。降りた先に扉はない。安置所がすぐ広がっている。階段同様に安置所も薄暗い。最小限の明かりしか灯っていない。


「まっ待ってください………!?」


 ロイマンがシスの肩を掴んで止めた。強く掴まれ、シスは止まらざる負えなかった。それにロイマンの声が震えていた。信じられないものでも見たかのように目を瞠り、両肩を震わせている。


「あ、あれは、ち、違います……全部、寝かせていたはずです………」


 ロイマンが指を差す方向には当然ながら遺体がある。ただ、その配置には違和感を感じる。遺体は床に寝かされている。だが、一体だけ壁近くの出っ張り部分に腰を掛けているのだ。まるで座っているかのように。


 座っている遺体は布で全身を覆われている、その遺体の足元はやはり露出している。でもそれは腰掛けている遺体だけじゃない。安置所の床に寝かされる遺体全てに共通する。


「ここにある遺体は全て燃やします」

「い、今すぐに、ですか……?」

「出来るならそうしたいですが」


 十六もの遺体を神殿の外へ運び出すことは出来ない。幸いなことに神殿地下の安置所には焼却設備が設けられている。ただ、今すぐには無理だろう。準備が必要だし、人手だって足りない。


 結局、遺体の検分は出来なかった。しなかったと言う方が正しいか。あの安置所に足を踏み入れる勇気をシスは持てなかったから。


「あれは一体、どういうこと何です………」

「常識の通用しない事象は存在します。そういうものだと受け入れるしかありません。ロイマンさんは不用意に関わることはしないでください」

「は、はい……」


 神殿の戸締まりを確認し、ロイマンはギルドへの帰路についた。シスは神殿の向かい側にある路地へ向かう。そこにはクリスがいた。


「どうでしたか?」

「聞き及んでいた通りでした。遺体に関しては明日、燃やして処分します」

「百年前もそうでしたね。遺体を燃やす。その意味を教えて頂いても?」

「動くからです」

「動く……?死者が動くと?」

「はい。遺体の向きが変わっていたり、移動していたりします。原因は不明です。遺体が動くところを見た者はいませんが、確実に動いています」


 遺体が動くだけではなく、ひとりでに扉が閉まるような奇怪な現象も。常識や理屈、魔法でも説明がつかない事象が、百年前の調査では多発した。それでいて調査は一向に進展しなかった。


「………そういうことですか。分かりました」


 何やら一人で納得して見せるクリスは形のいい顎をさすった。


「これは教義の根幹に関わる事象です。教会が秘匿し続けるわけですね」

「教義の根幹?」

「ええ、はい。死者の魂は神の下で身罷られる。死した者が動くなど、教会の教えに反します。本当に死者が動くのであれば、何かしらの論理ロジックが存在するはずです。真っ先に思い付くのは遺物レリックでしょうか」


 遺物レリック。常識や理屈、魔法で説明がつかない事象を引き起こす物質の総称だ。遺物レリックの力は人智を凌駕するものばかりであり、原因不明の事象を遺物レリックの一言で片づけてしまうのは少々お粗末ではある。


「百年前もその線で調査しましたが、結果は何一つ得られませんでした」


 死者を動かす遺物レリックが存在すると仮定したところで、その遺物レリックを見つけることが出来なければ、仮定の域を出ることはない。


「私たちも調査に動いてみます。情報は共有しましょう」

「そうですね」


 いつまでも人気のない路地裏でコソコソ話していても仕方ない。シスはクリスに連れられる形で宿へ向かった。

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