#34 撮り鉄と高原列車

「寒っ……!」

 ホームに降りるなり、隼人がそう叫んだ。慌ててマフラーを巻き始める。

「甲府の時点でもそこそこ寒かったけど、急に気温下がったね」

「まあ、標高が上がったからね……」

 そう言いながら、佑ノ介もマフラーを巻いて、手袋を付けた。

「撮影地、ここから歩いて二十分か。寒いけど頑張ろ」

跨線橋を渡って、駅舎に向かった。改札で18きっぷを見せ、外に出る。駅舎は小ぢんまりとしたコンクリート造で、特に面白味はなかった。


駅舎を出て何度か道を曲がり、そのうちに線路沿いの道に出た。

「いいね~。天気もいいし、景色もいいし。なんだかピクニックみたいだな」

 快志が呑気にそう言う。

「そうだけど、ちょっと寒すぎるなあ……」

 隼人はポケットに手を突っ込んで温めながら言った。日頃の仕草を見てなんとなく感じてはいたが、彼は相当寒がりらしい。

「そう? おれは平気だな」

 駅を出て最初のうちは、僕はそんなふうに平気だった。しかし、歩いていくうちに寒さがじわじわと押し寄せてきた。耐えられなくなってきたので、まず手袋をして、ついでにネックウォーマーを付けた。

「下半身めっちゃ寒い……。ズボン割と薄いの履いてきちゃったから……」

 上半身は防寒具のおかげで暖かいが、下半身はガクブルだ。

「だめだよ。こっちは寒いんだから」

 利府くんが言った。改めて見てみると、彼はちゃんと分厚いズボンを履いてきている。よく長野に来ているだけあって、準備が行き届いているようだ。


 しばらく歩くと踏切があった。その踏切を渡り、再び線路沿いの道を七、八分ほど歩くと、撮影地らしきところに着いた。

「この辺だと思うけど……」

 佑ノ介が地図と周りの景色を見ながら言った。彼は事前に地図を印刷し、撮影場所に印を付けておいたらしいのだ。

「とりあえず、構図作ってみるね」

 そう言って佑ノ介は三脚を広げ、撮影の準備を始めた。右手に線路が通っていて、僕達から見て右のほうに緩くカーブしている。その奥には八ヶ岳がそびえていて、中央本線らしい迫力のある写真が撮れそうだ。

「OK。いい感じに撮れそう」

 佑ノ介がそう言うと、快志も撮影の準備を始めた。二人以外は三脚を持っていないので、手持ちで撮ることにした。

「何が来るんだっけ?」

 僕は聞いた。

「まず『あずさ』が来て、そのあとに普通が来る」

「じゃあ一通り撮れるってことか」

 ここにいられるのは二十分ほど。その間に二本も撮れるというのだから、なかなか効率がいい。


「もうそろそろ来るな」

 佑ノ介は僕達三人に構図のアドバイスなどをしていたが、そう言うとカメラの前に戻った。

 そのすぐあと、線路の奥側からヘッドライトが見えだした。ジョイント音が近づいてくる。


「カシャシャ……」

 ほぼ一斉にシャッター音が響いた。佑ノ介とほぼ同じタイミングだったので、大丈夫だろうと安心する。佑ノ介が振り向いて、手でグッドを作った。その横を、E257系が軽やかに通過していった。

「次は普通か」

「スカ色と長野色、どっちが来てほしい?」

「おれはスカ色かな」

 僕が聞くと、佑ノ介はそう答える。

「おれは長野色のほうが好き。爽やかで。スカ色は房総のほうとかでも見られるしね」

 利府くんはそう言った。ちなみに僕も、長野色派だ。


「これいる?」

 次の列車が来るのを待っていると、快志が袋に何個か入った小さな菓子パンを差し出した。いつも何かとねだりがちな快志が、物を恵んでくれるのは珍しい。ちょうど小腹が減ってきたところなので、一つもらうことにした。

「佑ノ介は?」

「いいや。まだお腹空いてないから」

 そういえば、佑ノ介はいつも、僕よりも弁当が少なめだ。どうやら彼は食が細いらしい。


「あ……」

 少しして佑ノ介が呟くと、後ろから列車の音が近づいてきた。振り向くと、『スーパーあずさ』が接近してきていた。これは撮りたい! と思ったので、パンをくわえたままファインダーを覗く。さっき佑ノ介に注意したのと、同じ行為をしてしまっているのだから情けない。パシャリ……。まあそれなりには撮れただろう。


 数分後、今度は奥のほうから、「プワァン!」と警笛が聞こえた。快志が「お、来た来た」と少し嬉しそうに言う。

 来たのは長野色の115系だった。僕の好きなほうで良かったな、なんて思いながら、シャッターを切る。

「うん。いい感じだと思う」

 佑ノ介はカメラを片付けながら言った。

「スカ色だったら完璧だったんだけどな」

 少し残念そうにそう続けた。片付けが終わった後は、あまり時間がなかったので、速めに歩いて、駅へ戻った。ホームに着くと列車がやってきたところで、車両はまた長野色の115系だった。


 小淵沢で小海線に乗り換える。小淵沢の一番線、中央本線下りホームの発車メロディーは、我孫子と同じ『Sunrise』だ。せっかく山梨県の端まで来たのに、我孫子に強制送還されたような気分になる。

「なあ、提案があるんだけど」

 列車を降りたところで、快志が言った。

「うん?」

「野辺山から清里の間に、JRの最高地点があるじゃん」

「そうだねえ」

「小淵沢で駅弁買ってさ、そこで食べない?」

「冬のピクニックってわけか」

 隼人が言った。

「野辺山で店に入って、なんか美味しいもの食べるつもりだったけど、それも案外良さそうだな」

「やってみようか」


 僕達は駅舎の中にある駅弁売り場に向かった。お昼時ということもあり、陳列棚にはいろいろな種類の駅弁が並べられていた。

「迷うな……、これ……」

「小海線の発車までそんな時間ないから、あんま悩めないしね……」

「まず鶏めしは間違いないだろ」

 そんなことを言っていると、隼人は早速鶏めしに決めたようだ。店員に弁当を渡し、すぐに会計を済ませた。

「確かに鶏めしはうまいよな」

 僕も鶏めしに決めた。

「おれはこれにするわ」

 次に、快志が指をさしたのは『信州名物山賊焼弁当』だった。続いて利府くんが『高原野菜とカツの弁当』に決め、最後まで悩んでいた佑ノ介も、利府くんにつられたのかカツサンドを買った。


 それぞれ駅弁を持って、車内に入った。先に乗っていた乗客は多く、すでに立ち客が出ていた。鉄道ファンらしき人もいたが、スキー用品などを持っている人も多い。スキー客に関しては、清里や野辺山で降りるのだろう。


 発車メロディーが流れ、列車は小淵沢を発車した。高原列車の旅の始まりだ。

 まず中央本線と分かれると、線路は大きく右へカーブし、一八〇度進行方向を変える。わざわざそうするのだったら、最初から線路を逆向きに伸ばせばよかったのではと思うが、きっと用地や配線の関係で、それはできなかったのだろう。


 列車は甲斐小泉、甲斐大泉と、八ヶ岳の裾野を標高を上げながら進んでいく。左手には八ヶ岳が迫るようにそびえ、右手にも山があるのが見える。この時はなんの山なのか分からなかったが、後で調べたら、金剛山だと分かった。

「やっぱりすごいな~。小海線からの景色は」

 佑ノ介がいつものように写真を撮りながら言った。

「どの山も雪を被ってるのがいいよね。冬って感じで」

「この景色は夏に来たんじゃ見られないからね。まあ夏は夏で、また違った眺めが楽しめるけど」

「そう言われると、夏は夏で来たくなるんだよな~」

 大自然の中を走る小海線だって、東京のど真ん中を走る山手線だって、春夏秋冬それぞれの姿がある。その姿を余すところなく記憶に収めたいのなら、何回も同じ路線に赴く必要がある。これが、鉄道の旅、いや、旅全般が人を惹きつける理由なのかもしれない。


 甲斐大泉を出ると、列車は左に大きくカーブした。ここから線路はUの字を描くようにして伸びる。このまま一直線に進めばいいのに、なぜわざわざ遠回りをするのか。それは、標高を上げるための距離を稼ぐためだ。

 鉄道は車と違って、勾配にめっぽう弱い。そのため、一気に標高を上げるために急勾配の線路を敷いてしまうと、力不足で坂を上れなくなってしまう可能性がある。だから、そんなことにならないように、わざと線路をカーブさせて、緩やかな勾配で標高を上げられるようにしているのだ。


 大カーブを通過し終わると、列車は清里に到着した。このあたりから、町並みはどこかヨーロピアンになり、避暑地という感じがしてくる。

 清里を出てからも、列車は標高を上げ続け、まもなく、JRの最高地点だというところまで来た。

「もうすぐで最高地点だね。確か左側に石碑が見えるはず」

 利府くんが言った。

「よし、見るぞ」

 僕達は左側のドアの前に待機した。隼人が車両の先頭から前を見て、石碑が見えたら教えるということにした。この後も歩いて石碑を見に行く予定なので、別に車内から写真を撮る必要はない。だがせっかくなので、僕と佑ノ介は車内から石碑を撮るのにチャレンジすることにした。半分ゲーム感覚だ。


「お、あれだと思う」

 隼人のその声を聞いて、僕はファインダーを覗いた。オートフォーカスではピントが間に合わないと思ったので、あらかじめマニュアルフォーカスでピントを合わせておく。


 画角に石碑が入った瞬間、シャッターを切った。シャッタースピ―ドはできるだけ速くしておいたので、ブレていることはないと思うが、きちんと写っているかは、現像してからのお楽しみだ。

 石碑を通過し終わるとすぐに、今まで大きかったエンジン音が急に静かになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る