第21話 屋敷での日常
ロータスに復讐の話をしてから、数日が経っていた。この数日間は、実に平和なものだ。
段々と暖かくなる季節だ。日に日に庭に現れる小鳥の種類も増えていき、故郷の村では鹿狩りが解禁された頃合いだろう。
人も動物も活発になる季節。
季節の移り変わりの中で、俺や周囲にはいくつもの変化があった。
まずは、俺の領主としての勉強が始まった。
専門の勉強をしていない俺が、いきなり領主の仕事をすることはできない。
そのため、俺がいない間に領主代行をやっていたスーリラという男を邸に招いて、色々と教わっていた。
スーリラは前の領主の代から、領主代行の仕事をしてくれていた男性である。俺より少し年上で、分厚いメガネ姿がいかにも知的な男だった。
心配なのは、常に顔色が悪くて胃の当たりをさすっていることだろうか。胃痛持ちなのかもしれない。
ロータスによると前の領主のころから、スーリラは仕事を一方的に押し付けられていたらしい。おかげで、領主としての仕事には一番詳しい。
現在領主代行として様々な業務を頑張ってもらっているスーリラをわざわざ屋敷まで招くのは心が痛んだ。しかし、スーリラは仕事を山程もってきたのであった。
今後は、館で仕事をするつもりらしい。スーリラの部下たちは、仕事を館の方にどんどんと持ち込んでいた。
「すごい書類の山だ」
館の一室には、あっという間にスーリラの執務室になってしまった。これはロータスも予想外だったようで、苦笑いを浮かべている。
「はじめまして、リリーシア様。まずは仕事を覚えたいと言っていただいたことに、このスーリラは無上の喜びを感じております。分からないことがあれば、今後はスーリラが相談に乗りますので」
口調ばかりは慇懃だが、スーリラは涙目だった。前の領主遊んでばかりで仕事をせず、そのしわ寄せは全てスーリラに行っていたらしい。
そのため、スーリラからしてみれば仕事に興味がある領主が来てくれただけでも嬉しいのである。
「言っておくけど、俺は高等教育を受けていない。文字が読めるのと簡単な計算ができる程度だ」
期待されているようで悪いが、俺には村人に毛が生えた程度の教養しかない。高度なことをしろと言われても無理がある。
「大丈夫です。こちらみっちり……。いいえ、しっかりとサポートさせていただきます」
こうして、俺の初仕事と言う名の教育が始まった。
スーリラが教師となって教えてくれる課題は、山のようにあった。マナーはロータスに教わっているが、それとはまた違った厳しさがある。
マナーもややこしくて頭が痛いが、スーリラの授業は果が見えない。仕事をするための付け焼き刃程度の授業を受ける心づもりだったのに、スーリラは容赦がなかった。
スーリラは、俺が思うよりもずっと厳しい男だったのである。
正直、頭が爆発しそうだ。
忙しいスーリラの時間を割いてもらっているのだから、めきめきと頭角を現したいのだが現実は非常だ。戦うこと以外の事をしたことがない俺の頭では、スーリラの言葉を素通りしていってしまうことの方が多い。
居眠りだけはしないようにしているが、俺の頭の上にはクエスチョンマークがいくつも浮かんでいる。今すぐに頭の良い誰かと脳みそを取り替えたい気分になった。
「すまない……。俺の頭が悪いばっかりに」
覚えの悪い生徒は、優秀な先生の前では身の置き場がない。一生懸命になってスーリラが教えてくれるのが分かってくれるだけに、俺は申し訳ない気分になってしまうのだ。
「そんなことはないですよ」
血色が悪い顔色で、スーリラはそのように答える。俺としては、一刻も早くスーリラの仕事の一部を肩代わりして彼を休ませてあげたい。しかし、現状では夢のまた夢だ。
「領主様の視点は面白いですよ」
スーリラは、書類をなでながら呟く。
彼の目には、書類の向こう側の土地が見えているような気がした。その土地の人々の営みさえもスーリラは、報告書から見ているのだ。
スーリラのことを見ていれば、これからの自分のやるべきことが見えてくる。
これからは、俺も物言う数字から色々なものを読み取らなければならない。そうやって、足を運ばずとも領民の生活が分かるようにならないといけないのだ。
「様々な土地を見て歩いたせいですかね。それに、人の事もよく考えていらっしゃいます。領民が人に見えない……。そういう領主も多いと聞きますから」
数字にとらわれすぎれば、そこに生きた人間がいるとか感じにくい。だからといって、人に寄り添いすぎて共倒れになってもいけない。
俺は旅の途中で、様々なものを見てきたのだと今更ながらに実感した。
「それに文字から教えると思っていたので、今は随分と楽です」
スーリラの言葉に、俺は苦笑いした。スーリラが俺に甘いのには、ちゃんと訳があるのだ。
俺と会うまでスーリラは、俺が文字も書けないものだと思っていたらしい。
大抵の田舎の村人に学はなく、文字を書くことも計算をすることも出来ない者は多いのだ。ところが、俺はユーナさんにしっかりと頭を鍛えられていた。
おかげで、人並み以上に読み書きと計算は得意である。
最初から俺の能力が予想以上だったので、スーリラの評価は甘いのだ。
スーリラの予想が低すぎただけなので、威張れたものではないのが残念だ。それにしても、ユーナさんには改めて感謝しなければならない。
ユーナさんがしっかり教育してくれたことが、こんなところでも役に立っている。本当に頭が上がらない思いだ。
「良い人ばっかりで助かるよ。……本当に」
ロータスは、スーリラを含めてメイドたちにもユイの身に何があったのかを知らせていた。
ユイの面倒を見るに当たって、必要なことであったからだ。
メイドたちはユイの身に怒ったことに対して涙を流し、共に怒ってくれた。それだけのことだったが、俺の心はだいぶ楽になったような気がする。
俺と同じように悲しんでくれる人や怒ってくれる人の存在は、予想以上の救いになってくれたのだ。
「ストレスで喋れないならば、今は思いっきり遊ぶことですねぇ。私が、ユイ様の遊び相手を務めますぅ!」
「ならば、私は乗馬をお教えします。馬との触れ合いは心を癒しますし、乗馬は高貴な人間の嗜みにもなりますから」
ヘキナとイソは、そんなふうに言ってくれた。
そして宣言通りに、二人は自分たちの仕事の合間を縫っては姉のようにユイの面倒を見てくれている。
二人ともメイドという体力仕事をしているだけあって、ユイの遊びに付き合う事はちっとも苦になっていないようだった。それどころか、ヘキナはユイと懸命に遊び過ぎて夕食の時間に送れることすらあったほどだ。
あの時のロータスに叱られるヘキナとユイの顔は似ていて、本物の姉弟になったかのような光景に思えた。
ヘキナは、ユイに乗馬のいろはを教えてくれた。
馬の世話の仕方から乗り方。馬を怖がらせない方法などの技術をユイは沢山吸収していったし、ユイに世話をされるようになったチサトも満更でもない顔をしていた。
でも、愛馬と弟の仲が良くなったことを俺はちょっと嫉妬してしまう。
仕事が忙しくて、ユイやチサトの元に行けないと尚のこと悔しい。ユイとチサトにも、俺が一番であって欲しいと願うのは我儘なのは分かっているのだけれども。
しかし、何よりも嬉しかったことはユイに笑顔が増えたことだ。
ヘキナと共に庭を駆け回り、イソと共に乗馬を学ぶ。そんなユイの顔は、年相応の子供の顔をしていた。そこには、悲しみの残滓はない。
「よかったな……ユイ」
最初こそ屋敷での慣れない生活には不安があったが、今のなっては良かったと思っている。使用人たちは親切で優しく、ユイも伸び伸びと過ごせている。
今は、ユイの心の安念が一番だ。
傷ついた心が、楽しい毎日のなかで少しずつ癒されていけばいい。
「リリーシア様、情報を探らせていたスズリより連絡がありました」
スーリラと政務の勉強をしていたところに、ロータスがやってきた。
俺とスーリラの表情が変わる。
俺の復讐心を知っているのは、ロータスとスズリ。
それとスーリラだけである。
スーリラは財務の仕事もしているために、金銭が発生する際に話を通しておかなければならなかったので理由を話していた。ユイに行われた凶行にスーリラは唖然とし、俺の復讐に賛成してくれている。
ヘキナとイソには、復讐のことは話していない。
あの二人には、ユイの心を癒すという大切な役割があった。
幼馴染たちに復讐をするという薄暗いことを話して彼女たちの笑顔が曇ったら、ユイも何かを察するだろう。何も知らずにいることが、最も役に立つこともあるのだ。
「随分と早いな。もっとかかるものだと思っていたのに」
人一人分の情報を集めると言うのは、とても大変なことだ。しかも、今回はセリアスたちがどこにいったのかも分からないのだ。
個別に行動しているのか。
それとも、まとまって行動しているのか。
そもそも、今でも連絡を取り合っているのかも。
全てが、不明。
そんな状態で、よく情報を掴めたことである。
「というかスズリが情報収集をしていたのか?」
俺の疑問い、ロータスはにこりと笑った。優秀な部下を誇るかのような表情である。
俺としては、驚くことしかできない。
ここ最近では屋敷で姿を見ることも稀だったが、まさかスズリ本人が情報収集をしているとは思わなかったのだ。
ロータスが自分の部下と紹介していたので、普通のメイドではないと俺も思ってはいたのだが……。スズリは、俺の予想以上に裏に通じた人間なのかもしれない
「そのとおりです。スズリは、このような事態のために教育された諜報員でもあります」
メイドとしても諜報員としても一流のエージェント。それが、スズリの正体らしい。
もしも、戦うこともできるというのならば、腕がなまらないように胸を貸してほしいところだ。いつか頼んでみることにしよう。
「スズリのことは残りのメイドたちには秘密なので、リリーシア様も口にはしないでください。秘密を知る者は、少なければ少ないほど良いですから」
腕合わせをしてもらおうという俺の夢は、簡単に崩れた。正体がバレないようにというのならば、腕合わせも無理あろう。
普段のスズリが無口なのは、声を覚えられないようにするためらしい。人間は化粧や衣類で印象は変えられても、声というのは簡単に変えられないものだ。
「スズリによれば、三人は領内の一番大きな街に滞在しているようです。セリアスは酒場や賭け事で豪遊し、イチカは高級な宝石を買いあさっているとか。シニアはとある俳優に入れ挙げているようです」
ロータスの報告に、俺は三人の今の生活に思いを馳せた。
どれも金がかる生活だ。
三人が俺の家族のための金を横領し、ユーナさんたちの形見を売り払ったことに間違いはなさそうである。
「それと……スズリはお母様たちの形見の行方も探したようですが」
ロータスは、書類に目を落とす。
その目には、悲しみがあった。
「残念ながら、見つけられませんでした。古いものですから、どこぞのコレクターの手に渡ったのかもしれません」
つまりは、消息は不明。
コレクターの手に渡っているのならば、これから売りに出されるという事もないだろう。
ユーナさんたちの遺品は、宝石としての価値だけではなくてアンティークとしての価値もあるのだ。コレクターとしては垂涎の品なのである。
取り戻すことは、まず出来ない。
俺は、大きくため息を吐いた
ユイのためにも、せめてユーナさんの遺品だけでも取り戻してやりたかった。
俺は実母の記憶があまりないから、遺品については諦めがついた。だからこそ、ユーナさんの遺品についてはなんとか取り戻したい思いがあったのだ。
けれども、これで思う存分に復讐が出来る。
「……情報は十分に集まりました。行きますか?」
ロータスが、俺に尋ねる。
俺の答えは、決まっていた。
「ああ……」
俺が立ち上がろうとすれば、ドアがノックされる。
この遠慮がちなノックは、ユイに間違いない。
俺たちは頷き合って、この会話を止めた。復讐の話など、ユイに聞かせることはできないからだ。
傷ついているユイには、復讐なんて汚い話はきかせなくてもいい。
この復讐を望んでいるのは俺だけで、ユイの望みではないのだから。
「入っておいで、ユイ」
入室の許可を得たユイが、俺たちの前に姿を現した。
ユイは、今日も可愛い。
今日の装いは、庭を駆け回るための半ズボンだ。白い膝小僧がのぞいていて、その健康的な美は身もだえしそうなほどに可愛いのだ。
無論、上着も文句の言いようがない。動きやすいデザインながら、ほどこされた刺繍は品が良い。
ユイの衣服については近くの街の洋服屋に頼んだのだが、とても良い仕事をしてくれた。元の素材がいいのは、言うまでもないが。
ちなみに、今日のユイの上着の色は、俺とおそろいだったりする。
可愛い弟とおそろいの格好を出来ることは、俺にとっては喜びしかない。なお、これに関してはメイドのイソとヘキナには評判が悪い。ブラコンもすぎれば気持ち悪いと言われてしまうのだ。
ロータスは睨むが、ヘキナとイソは俺に対して遠慮がなくなってきていた。
良い傾向だと思う。
俺が欲しいのは、部下ではない。家族のような存在だ。だから、遠慮などしてほしくない。
「ユイ。何かあったのか」
俺が尋ねてみれば、ユイは照れ臭そうに喉に手をやった。
そして、消え入りそうな声で
「あ……ああ」
と音を発した。
それは、今まで見られなかった変化である。言葉は出ないようだが、音は出るようになった。ユイが回復してきている証拠だ。
「すごいぞ、ユイ!」
俺はユイを抱き上げて、頬ずりをする。この屋敷で過ごした日々が、ユイの心を少しずつ癒しているのだ。その事実に、俺は心を打たれた。
「う……うう」
そして、俺たち兄弟たちよりもロータスの方が泣いていた。俺とユイは、きょとんとしてしまった。
この執事は、意外と涙もろい。けれども、本気の涙が今は嬉しい。
「ロータスが泣いてどうするんだよ。なぁ」
俺とユイが笑い合っていたら、どこからか聞いたことがない笑い声が聞こえてきた。
なんと、あのスズリがくすくすと声を出して笑っていたのである。
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