第19話 思い出のシチュー
「おい、これって……」
夕食の席に着いた時に、俺とユイは言葉を失った。
テーブルに並んでいたのは、シチューだった。
しかも、ホワイトシチューだ。これはユーナさんの得意料理だった。小さい頃から何度も食べた料理である。
「今日は、私が夕飯を作らさせていただきましたが……シチューは苦手でしたでしょうか?」
少し心配そうにロータスは尋ねるが、俺たちの心情としては逆だった。
これほど食べたかった料理はなかった。
「ありがとう。死んだ母が得意だったんだよ」
俺とユイは食卓についたが、他の四人は立ったままだ。ユイは戸惑っていたが、王都で暮らした俺は偉い人の食事には使用人は同席しないという知識がかろうじてあった。とはいえ、これはさすがに落ち着かない。
「皆には悪いと思うが、一緒に食べてもらってもいいか?俺もユイも田舎の村育ちだから、見られながら食事というのは落ち着かないんだ。無論、給仕のために立っていうというのは分かっているんだけどな」
俺の言い分に、メイドたちは顔を見合わせた。
そして、ロータスが何かを言う前に「うわぁい」とヘキナが席に着く。
「ロータスさんの料理って美味しいから、口の中が涎でいっぱいだったんですぅ」
えへへ、と笑うヘキナの頭をロータスが叩いた。
「使用人と主人が一緒に食卓を囲むなどありえません。今後はリリーシア様も会食に招待されることもあるのです。マナーになれてもらわなければ困ります」
はっきりしっかりロータスは言うが、俺としても皆と一緒に食べてもらわないと困る事情がある。
「俺は、上流階級のマナーが全く分からないんだ。一緒に食べて手本を見せてもらわないと困る。
一応は王の招待を受けて食事をしたことはあったが、あの時は怪我人ということもあり全てを多めに見てもらっていた。
しかし、次もそうはいかないと言うのならば、まずは手本を見せてもらわなければならない。
そうしなければ、ナイフとフォークの持ち方から間違うことになりかねない。ユイだって、それは同じであろう。
「分かりました」
ロータスは、ため息をつきながら席に座る。彼が目配せしたことで、イソとスズリも席に着いた。それぞれが違うタイミングで椅子に座るが、その姿からして優雅である。
あんなふうに座れる自信なんて、俺はちっともない。そのため、当たり前のような顔で優雅に振る舞える三人が輝いて見えた。
「まずはスプーンの使い方からと言いたいところですが、今日は初めての屋敷での食事ということで特別です。楽しく美味しくご自由にご歓談ください」
ロータスの粋な心意気に、俺とユイは笑顔になる。
メイドのヘキナとイソも笑い出していた。スズリは静かに微笑んでおり、言葉少なに嬉しいことを伝えてくれる。とても和やかな雰囲気な食卓で、俺とユイは心から食事を楽しむことができた。
良かった。
屋敷の使用人たちとは、上手くやって行けそうである。
「まずは、それぞれのことを教えてくれよ。そうだな……。この屋敷に来る前は、何をしていたんだ?」
俺は、ロータスに水を向けてみる。
ロータスは背筋を伸ばして、俺の質問に答える。
「私は、元々は王宮で働いていました。第三王子の使用人を務めていましたが、あなたの活躍に感銘を受けて執事に志願したのです」
予想以上のエリート人生に、俺もユイも唖然とした。
しかも、ロータスは俺を存在を元々知っていたらしい。それにしても感銘だなんて、大仰な言葉を使ってくれたものである。
「感銘って……」
そんな大層なことをしていないと言いかけたら、ロータスが勢い良く立ち上がった。そして、よく響く声で発言をする。
「リリーシア様!あなたは、英雄なのです。邪竜を倒したという偉業を成し遂げた人類の英雄。そのことを自覚し、相応しい気品を身に着けてください。私は、そのためにやってきました!!ちなみに、王宮にいた頃からの腹心の部下がスズリです」
熱くなるロータスに、俺は苦笑いをした。
邪竜退治は苦労したとは思っているが、ロータスのような熱心なファンが出来るだなんて予想外だった。子供の憧れにはなるだろうなとは思っていたけれども。
「リリーシア様。もしやですが、御自分が有名であると自覚がないのですか?」
ロータスは、指先で眼鏡を直す。
俺が頷けば、がっちりと肩を掴まれた。
「こんな田舎でも偉業が伝わっているのは、異例なことなのですよ!誰もリリーシア様を英雄として思わないのは、格好が普通の旅人と変わらないからです。立派な格好をしていただければ、誰もがご主人様が英雄だと分かります」
鼻息も荒くロータスは力説するが、村の爺さんには誘拐犯だと思われた。着飾れば着飾るほど、俺は胡散臭く見られてしまうのかもしれない。
「元が田舎者だから、いくら着飾っても効果はないと思うんだけど。爺さんには、逆効果だったわけだし」
そんな事を考えていたら、ユイがふるふると首を振った。そして、俺の掌を掴んで文字を書く。
『兄上は格好いいですよ』
愛しい弟の言葉に、俺は赤くなった。
身内の贔屓目だとは分かっているが、それでも嬉しくなってしまう。
「ありがとうな、ユイ。ユイもかわい……」
俺は、寸前のところで言葉を飲み込んだ。
けれども、ユイにはしっかりと気づかれてしまったらしい。頬を膨らませている。男の子に可愛いは鬼門だ。
「私は公爵家のメイドだったけれども、王様にスカウトされてやってきましたぁ」
ヘキナが手を上げて、元気よく答える。
王が俺のために色々とやってくれた事は知っていたが、使用人選びまでしてくれていたとは思わなかった。もし、選んでくれていなかったが、この巨大な屋敷で俺は右往左往していたことであろう。
「貴族社会にご主人様は不慣れだから、親しみやすい人間がいてくれたらと言われたのです」
えっへん、とヘキナは胸を張る。
ユイの洋服を迅速に用意してくれた手際から有能だとは思っていたが、ヘキナも大きな家のメイドであったらしい。
ヘキナは、身振り手振りでかつての仕事を説明してくれた。賑やかなヘキナ話は、聞いているだけで楽しいものであった。
「私は伯爵家の奥様付きのメイドでしたが、奥様が亡くなったこともあって王様に声をかけられたのです」
ヘキナとイソの二人は、王が俺のためにスカウトしてくれた人材だったという。
ありがたいことである。
一方で、スズリはロータスの元部下とのことだった。しかし、王宮勤めだったことを考えれば優秀な人材なのだろう。
「でも、本来ならば俺一人が屋敷に住む予定だったのに……。こんなに有能な人材ばっかりでいいのか?」
今はユイがいるが、弟がいるのは成り行きのようなものだ。本来ならば、この屋敷には俺一人で住む予定だった。
大きな屋敷を維持するのに人手は必要だったが、貴族なりたての男には過ぎた人材ばかりを用意してくれたものだと思わなくもない。
「何度も言いますが、ご主人様は世界を救ったのです。今後の生活に、少しの不自由もあってはなりません」
ロータスはそう言うが、今更になって俺は過ぎた褒美だったのだなと実感した。褒美を放棄した父親が正しかったのかもしれない。
「まぁまぁ、深く考えずに楽しくやりましょうよぉ」
場の雰囲気を和らげてくれたのは、ヘキナであった。ヘキナは、笑顔でシチューを頬張る。
「ほら、シチューが美味しいですよぉ。料理人はいませんけど、これからは私たちが交代でご飯を作るので期待してくださいよぉ」
俺の屋敷の使用人たちは、全員が料理上手らしい。付け合せのサラダも美味しいので、ロータスの料理の腕は間違いない。
俺は肉に塩を振って焼くぐらいしかできないので、とても尊敬してしまう。
ユイもちょとぐらい料理は出来る。ユイは病気のユーナさんの面倒を見ていたし、魔法使いだって簡単な薬を処方することもある。
ユイを治してくれ魔法使いが喉に良い飴をくれたように、訪ねてくる人に合わせてちょっとしたものを作るのだ。それらの多くが民間療法あるいは自己流のものなので、効くかどうかは不明である。
ユイもユーナさん直伝の風邪薬を作ることができるはずだ。材料がとても怪しくて、効くかどうかも怪しい薬を。
「……」
俺は、その薬の味を思い出してしまった。
「いかがしましたか?」
ロータスに尋ねられて、俺は微妙な顔をした。
「いや……。魔法使いだった義母の薬の味をまで思いだしていた……」
苦かったんだ、と言うとヘキナがくすくすと笑い出した。
「お母様は魔法使いだったんですね」
イソの言葉に、ユイ頷いた。
「言ってなかったよな。ユーナさんの弟子は、ユイだったんだ。今は使えないけど、声を操る魔法使いなんだ」
ユイは、二年前からすでに才能があると言われていた。奴隷になっている期間はブランクになっているが、今からでも修行をしなおせば遅れは十分に取り戻せるだろう。
その後、俺たちは美味いシチューに舌鼓を打って楽しい一時を過ごした。
俺としては食後の紅茶も一緒に楽しみたかったが、さすがにそれはとロータスは言った。
「兄弟水入らずの時間も必要でしょう」
そう言われてユイには暖かなミルクを供され、俺は紅茶を嗜んだ。暖かな飲み物に、俺たち兄弟は夢心地のような一時を過ごす事が出来たのであった。
ロータスやメイドたちも側にいたが、彼らの雰囲気にも慣れてリラックスできた。
「お酒は召し上がらないのですか?」
ロータスの質問に、俺は首をふる。
「元々、祝の時にしか飲む習慣がないんだ。それに量も飲めないしな」
剣士といえば豪快な酒豪のイメージがあるかもしれないが、俺の酒量は人並み以下だ。飲めないわけではないが、特段に好きというわけでもない。
「それより、お茶とかの方が好きなんだよな。故郷では茶ばっかり飲んでいたから」
今飲んでいる紅茶は薄めに入れてもらったもので、癖がなくて飲みやすい。故郷の茶とは大違いだ。
「ならば、寝酒はご用意しなくてもよろしいですね」
ロータスは就寝前に上質なブランデーを用意してくれるつもりだったのかもしれないが、残念ながら必要ない。俺は、いつでも快眠だ。
「それと食事の後のデザートとかもいらない。あんなのを毎日食べていたら太る」
領主となっても体を鍛えるのを止めるつもりはなかった。しかし、デスクワークが増える分だけ、運動量は減るものだ。ならば、食事で調整するしかない。
「ユイもそこまで甘いのは好きではないしな」
俺の言葉に、ユイは頷いた。
「へー。小さい子って、甘いの大好きなイメージがあったのにぃ」
ヘキナが意外そうに、ユイを見た。
俺たち兄弟の味覚は、父親似なのだ。父も甘いものが苦手で、酒もあまり飲まなかった。
「これからは、眠りを妨げないハーブティーなどをお持ちしますね。好きな銘柄はありませんか?」
イソの気遣いはありがたいが、俺はハーブティーなんぞ洒落たものはあまり飲んだことがない。それを伝えると「だったら、オススメのものを日替わりでお持ちしますね」
イソの言葉に、俺は礼を言った。
使用人たちのおかげで、とても贅沢でリラックスな時間を過ごすことが出来た。
幸せだった。
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