第32話 決着
*
当たった。拳銃を撃ったのは初めての経験だったが、弾丸は見事に彁混神の胸部に命中していた。距離は十数メートル近く離れているだろうか。我ながら、素人にしてはよく当てた方だと思う。
なぜ──御子の元に、駆け付けてしまったのだろうか。拳銃を撃った興奮と、彁混神を前にしての恐怖の中で、そんなことを考えてしまった。
明らかに、賢い判断とは言えないだろう。俺一人が加わったところで、たかが知れている。むしろ、足手まといにしかならない。もしも、両者が共倒れになってしまったら──それは御子の好意を裏切る結果になってしまうのに。
だが、それでも、俺は彼女の力になりたかった。
この二週間、俺は御子に何度も命を救われた。彼女がいなかったら、今頃、俺はとっくにこの世にはいないだろう。その御子が、危機に瀕している。なら俺も、命を張って、助けなくては不平等だ。
残りの弾は一体いくつ残っているのだろうか。司祭が自殺した時に一発、鍵を開ける時に二発目、妊婦の腹に三発、四発、五発を撃ち込んで、先程六発目を使用した。
銃のことはよく知らないが、この銃は回転式のリボルバーではなく、ゲームでよく見る自動装填式のオートマチックピストルというやつだろう。なら、弾はまだ少し余裕があるはずだ。それをすべて、あの彁混神にぶち込んでやる。
バンッ‼
バンッ‼
バンッ‼
照準を合わせて、彁混神に向かって引き金を引く。的が大きいということもあり、素人の俺でも弾はすべて命中した。
一発、二発と当たるたびに、奴は大きく身体を揺らす。効いて──いるのだろうか。
「おおおおおおおおおおおおおっ‼‼‼」
いつの間にか、雄叫びのような声を張り上げていた。この行為に何の意味があるのかは俺自身にも分からない。ただ、叫ばずにはいられなかった。自分を鼓舞しないと、目の前にいるバケモノの重圧に押し殺されそうだった。
彁混神は全身が黒く、巨大な翼と尻尾を持ち、頭部は頭蓋骨が剥き出しになっている。その外見はまさしく悪魔以外の何者でもない。視界に入れただけで、全身に鳥肌が立ってしまった。御子が言っていた通り、あれはこの世界に存在していい存在ではない。
今、ここで確実に仕留めなくては。
あいつを野放しにしたら──多分、とんでもないことになる。人間が生から誕生する生物だとしたら、彁混神は死の渦から生み出されたバケモノだ。俺たちが呼吸や食事をして生きるように、あいつは死という概念を糧にして、存在し続ける。
このまま逃がしてしまったら、天国の扉が行ってきた呪いによる殺人が可愛く思える程に、犠牲者が出てしまうかもしれない。何千、何万の命が消えてしまう。そんなことは決して許してはいけない。
カチッ
「……っ」
弾切れだ。予備の弾丸なんてものはない。俺に残された唯一の攻撃手段がなくなった。合計十発は撃ち込んだろうか。彁混神の胸部は蜂の巣の如く、穴が開いていた。
後は──任せたぞ。御子。
俺が心の中で、彼女の名前を呟くと同時に、倒れていた御子は身体を起こし、彁混神に向かって駆け出していた。その手には伝家の宝刀とも言えるべき包丁が握られている。そして、それを──彁混神に、突き立てた。
バキッ
「なっ……⁉」
折れたっ──⁉
御子の包丁は彁混神の胸部に当たる瞬間に、奴の腕に阻まれる。その衝撃で、根元からパッキリと折れてしまった。
ど、どうする。俺どころか、御子まで攻撃手段を失ってしまった。このままでは俺たちに待ち受ける運命は死だ。何か、武器になる物は──ッ。
その瞬間、天啓にも近い閃きが俺の頭の中で浮かんだ。そうだった。一応、念のためにと思って、俺も──持って来ていた。
ハンドバッグの中を弄り、それを手に取る。良かった、あった。
「御子っ!」
俺はそれを御子に向かって、投げつけた。その正体は──俺が購入した包丁だ。
御子が消え、影に襲われた翌日に、田中先生のアドバイスによって購入した二本の守り刀。あの日以来、使う機会はなかったが、自衛手段としてバッグの中に忍ばせていた。
通常なら刃物を人に向かって投げつけるのは危険な行為だが、その相手が御子なら話は別だ。俺の声に気付いた彼女は曲芸師のように空中で包丁を掴むと、そのまま彁混神の背後へと回り──肩にしがみつき、胸元を突き刺す。
包丁を刺された彁混神は今までに見せたことがない動きで身体を震わせた。
効いている。間違いなく、御子の攻撃は届いている。もう一押し、これで──最後だ。俺は残されたもう一本の包丁を投擲する。
それを掴んだ御子は重ねるように、傷口に二本目の包丁を彁混神に突き刺した。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼‼‼‼‼‼‼‼」
──っ⁉
な、なんだ。今の獣のような唸り声は。まさか、彁混神が発したのか?
二本の包丁を胸に刺された彁混神は断末魔のような絶叫を上げた直後、その場から消え失せた。文字通り、跡形もなく、消滅してしまったのだ。
「……やった、のか。み、御子っ!」
慌てて、彼女の元に駆け寄る。
どうやら、相当の手傷を負わされてしまっているようであった。口からは血が垂れて、素肌には擦り傷の跡が幾つも残っている。
「だ、大丈夫かっ!?」
「うん……平気」
御子は笑顔を向けるが、どう見ても平気なわけがない。今すぐ病院で治療しなくては。
「ゲホッ……ゲホッ……」
咳払いをした御子の口から大量の血が吐き出される。
「御子。ほら、俺の背中に乗れ」
「う、うん……ありがと」
彼女をおんぶする形で、俺はすぐに人里の方へと歩みを進める。既に麓は近い。数十分も歩けば、救急車が来られる場所まで辿り着くはず。
「……御子。終わったんだよな。これで」
「……うん。間違いないよ。彁混神は……私が殺した」
「……そうか。やっと、終わったんだな」
こうして、俺の、俺たちのようやく悪夢は終わりを告げた。
あぁ、今夜は──よく眠れそうだ。
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