そして、ひとり
@seiyatsukino
そしてひとり
待ち合わせに指定したバートリっチトラッチへ着いたのは
待ち合わせの時刻より10分も過ぎた後だった。
自分からよびだしておいて遅刻とは我ながら勝手な奴だなと
自嘲しながら、店の奥へと向かった。
薄暗い店内には三角形がモチーフのテーブル席と
高めのツールが置かれたカウンター席が五席。
俊樹は、鮮やかなトルコブルーのワンピースを着たショートヘアの
女性の隣へまわった。
青いワンピースの女は、空になったグラスを
バーテンダーに預けている。
「おひとりですか」
俊樹の芝居がかった口調に
女はちらりとも俊樹に視線を向けないまま
「ええ、双子はいないわ今のところ」
よく冷えたビールのグラスに唇を重ねた。
「時間厳守は紳士のたしなみではなかったのかしら?」
「すまん。遅れて悪かったよ」
「少し前ならあなたの頬をひっぱたいていたわ」
「今ならどうだという」
オイルライターがコトリと音を立てて
カウンターの脇へ置かれた。
「今は私が淑女なの」
女が皮肉っぽく微笑んだ。
女の名前は沙智。
5年前に別れた元妻だ。
子どもがいなかったこともあり、些細なすれ違いから、
ケンカが絶えない日常のままやがて決定的な
亀裂が生じて離婚したのだった。
沙智は離婚後そのままインテリアの勉強がしたいと海外へ渡り、
帰国後は食事をまじえてたまに吞むようになった。
今はお互いにシングル同士で古傷の痛むことなく
近況を伝えあっりしている。
深いはなししない
されど浅くもない微妙な距離感がぎごちなさを超えて
どこか懐かしい。
俊樹は、目の前に置かれたばかりのテキーラと塩に口をつけかけて
思い出したようにマスターへ向けて云った。
「ピメントソースつけてくれ」
ピメントはスパイスのことでピメント味の豆というのもあるが、
オーナーは一元の客には出さない。
なにかこだわりがあるのだろう。
沙智は真っ赤な色のソースを薄気味の悪そうな表情(かお)で
見つめている。
「そう嫌な顔するなよ」
俊樹はテキーラを一気に煽った。
喉が焼けつくような刺激がたまらなく好きなのだ。
「サボテンから作れるんでしょ?それ」
沙智がテキーラのグラスに視線を這わせていう。
「そうらしいね、たげどサボテンじゃない
長いとげのついた葉だから、似ているけどね、
龍舌蘭っていう砂漠の植物なんだ」
「りゅう、、ぜつらん?」
「龍舌蘭は一生に一度しか花をつけない。
こう、不細工な葉のなかに、ぽつんと赤い花をね」
「サボテンのはなしはもう結構よ」
「サボテンじゃない」
「どっちだっていいわよ」
沙智は少し苛立った声をあげて
シュンプリンのサラダを口に運ぶ。
「来週、オタワへ行くの」
「カナダに?」
「そうよ。ずっとってわけじゃないわ
あっちで友人の結婚式があるのと、仕事として手伝うものがあるの」
沙智は心なしか白い頬へ掌をよせている。
「結婚おめでとう、結婚おめでとう、あーもう、うんざり」
ため息をつく沙智の横顔からそっと視線をはずした。
女の本心ははかりしれない
友人の祝いごとに妬心を抱きつついざ本人に顔をあわせれば
嬉々としている。
いったいどっちが本音なのか
男なんぞ単純なものだ。
それにしてもよく入る胃袋だ
沙智の旺盛な食欲に圧倒されて
俊樹のほうはすっかり食べる意欲を失ってしまった。
つまみかけたナッツの器を押しやって
店内に流れるセンシティブなジャズの名曲に耳をすませる。
「もう、かえらないかもしれない」
聞き取れないほど微かな声だった。
俊樹は、聞こえていないふりをした。
互いに、もう気持ちが残っていないことはわかっている
それでもなぜこうも沙智に惹かれるのか。
止まり木からテーブル席へと移った沙智は、
ミートローフをつつきはじめた。
しかし7彼女のボディラインはダイエットの苦労をしらない理想のラインを
保っている。
二杯目のテキーラを煽る。
黄土色のマスタードを肉片につけていた沙智がふいに顔をあげた。
「この曲、、懐かしい」
「レフトアローン。。」
薄暗がりのなかで沙智がささやく。
彼女のくちびるはひどくつやめき、
悪魔的な美しさをたたえた瞳は陶然としている。
俊樹は、目をそらせたまま、二口目のミートローフを
意地汚い勢いでむさぼった。
トリッチトラッチを二人が出たのは、午前0時をまわった頃だ。
酔いがまわっているのか足元のおぼつかない沙智をタクシーに乗せて
見送ったあと、俊樹は自分の酔いが急速に冷めていくのを
ぼんやりと感じていた。
めんどうくさいのは、もうごめんだ
ひとりごちたところで二代目のタクシーに乗り込んだ。
沙智を見たのは、その夜が最後だった。。
予定通りオタワへ飛んだ沙智の乗った飛行機が
乱気流に呑まれ墜落。
生存者、絶望
ニュースを前にせぐりあげるような俊樹の嗚咽を
なぐさめるものは誰もいない
ただ沙智との最後の夜に聞いたあの一曲だけが
レクイエムのように流れつづけていた
ーENDー
そして、ひとり @seiyatsukino
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