第130話 アンツァの前世
早朝、爺ちゃんが目を覚ます前に、俺はペンションを飛び出した。
これから、マタギの訓練を受けるなんて冗談じゃない。
と、家出をしたわけではない。
安心してくれ。
訓練となったら、数日、あるいは数週間か一か月、ペンションから阿仁地区まで通うのは大変だから、転移石をダンジョン第5層界に置きに行くのだ。
一日の訓練が終わったら、第5層界の温泉に浸かって疲れを癒そう。
そういう思惑だった。
第5層界に行くと、そば畑がきれいに収穫を終わっていた。
「お、収穫終わってんじゃん。トレスチャン、お前がやってくれたのか?」
トレスチャンが、のそのそと歩いてきて、頭を下げた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。そば畑は狩野さんが収穫されていました」
「狩野が? そうか、あいつ、ちゃんとこの畑の事やってくれたんだ。いいやつだなぁ」
「桜庭あずさ嬢様とご一緒でした」
「あ、……そういう下心か。どうりでな、納得した。狩野らしいや」
トレスチャンは、余計な事を言ってしまったかという顔をした。
「申し訳ございません…」
「いいんだよ、トレスチャン。
この小屋に転移石を置いておくから、狩野が来たら伝えてくれ」
「かしこまりました」
転移石を小屋のロフトに置いたら速攻で、ペンションに戻った。
*
ペンションのエントランスでは、爺ちゃんが仁王立ちして俺を待っていた。
「忍、どこさ行ってた」
「ダンジョンに、転移石を置きに行ってました」
「うむ、その石のことはよくわからんが、逃げたんじゃないだろうな」
「逃げません。爺ちゃんの特訓から逃げたこと、今まで一回でもあった?」
「ない。……疑って悪かったな」
そんなに、素直に謝られると、転移石を置いたことが悪いような気がしてきた。
「朝めし、食ったら、爺ちゃんの軽トラで行くど」
「はーーい」
*
軽トラで、流れている音楽は、『ホテル・カルフォルニア』
この曲は、先日ダンジョンでノマド・キャンパーが歌っていた曲だ。
英語だったが、わかるところだけ、俺も口ずさんでみた。
「お、忍。この曲を知っているのか」
「だって。爺ちゃんよく聴いているでしょ。覚えたよ」
「そうか、そうか」
爺ちゃんは嬉しそうに笑った。
「ねえ、爺ちゃんの知り合いのところって、どこなの?」
「昔、仙北市になる前、爺ちゃんのいるところは田沢湖町って言ってな、
昨日、忍が行った玉川地区にも玉川マタギがいるんだよ」
「え? そうなの? じゃ、家の近くで教えてもらえるじゃん」
「マタギの狩猟の仕方は、集落ごとに微妙に違う。
玉川マタギの伝統を守っている人を爺ちゃんはよく知らない。
世代交代が進んで、今は猟友会に入って活動しているくらいじゃないかな」
「あ、昨日は玉川温泉に猟友会の人も来てたよ」
「んだべ。忍には、伝統的なマタギの狩猟を学んで欲しい訳よ」
「じゃ、このあいだ教えてくれた阿仁地区まで行くの?」
「んだ。実はよ、仙北と阿仁地区を結んでいた道路は、昔から物流があったなよ。
阿仁では鉱山が掘られて、働く人のためにご飯食べさせたり、薬売ったりする必要があった。
マタギは、クマの胆や肉で商売していてな、
仙北からは大曲の米などを阿仁に売りに行ってたんだよ。
そうした人たちが、仙北と阿仁の道路の交わったところの宿に泊まったわけだ」
「すげ、ホテル・カルフォルニアみたい」
「ハッハッハ、んだ、そんなところだ」
「そこの宿って、爺ちゃんの知り合いなの?」
「んだ、昔から、爺ちゃんの爺ちゃんの代から、知り合いよ。
そこのご主人は現在もマタギだから、
阿仁マタギの人たちに忍を紹介してくれと頼んである」
爺ちゃんの人脈、すごっ!
*
田沢湖から軽トラで一時間、山道を抜けて小さな町に入った。
ここは、もう北秋田市阿仁地区だ。
ある小さな旅館に着いて、軽トラから降りた。
すると、秋田犬のアンツァは興奮して、しきりに尻尾を振り始めた。
「どうしたアンツァ、落ち着かないな」
(ここだ。おらはここで暮らしていた)
「この家で飼われていたのか?」
(そうじゃない。この地区で暮らしていた。
秋田犬になる前はここに暮らしていた人間だった。
秋田犬に転生する前、おらはここのマタギだったんだ)
「アンツァ、夢でも見ていたんじゃないのか」
(夢じゃない。確かにおらはここで『伝説マタギのあんつぁ』と呼ばれていたんだ。
懐かしいなぁ)
「マジかよ。転生する前も、あんつぁって呼ばれていたのか」
(あんつぁってのはな、兄さんとか長男っていう意味だからな。
おらはここでマタギとして生きていた)
「すげえな。神様はイキな計らいをするんだな。
爺ちゃん、アンツァが秋田犬に転生する前はここのマタギだったって言ってるよ」
「ほう! それなば運命だ」
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