旅の鎧は目立たぬもので
タムリア・アハトラナ・ハナカザ。
史上至高の偉人、聖女アハトラナの血を引く《生ける奇跡の保証人》の一人たる少女は、だらだらと汗をかきながら目の前の青年に上目遣いを向けていた。
「エ……アウ……」
「………………」
青年は口を閉ざして、カリカリとペンを走らせている。タムリアがイチジク水を二杯飲む程度の時間で、紙の束を生産している。
なんと真剣な顔であろう。先ほど話していた時と全く同じ……つまりは微笑みが一ミリも変わっていない。もはや怖い、無表情と同じではないか。
タムリアも怖くて話しかけられないし、動けないし音立てられない雰囲気だしで非常に辛い。
カリカリカリシュバババババッ……
最後の一瞬で紙の束を二倍の厚さにして、青年はペンを置く。ペン先は元々の半分に削られた長さをしていた。
「うん、こんなものかな」
伸びをして達成感を表現する青年を、タムリアは目を見開いて凝視する。剣を振り下ろすより早いペン捌きって、なんなんだ。
「え、えーと、何を書いてたの……ですか」
「君が『怪物』を殺すために必要なこと、かな。マニュアルだっけ」
「それってほんとうっ⁉︎⁉︎⁉︎」
タムリアの恐怖は、興奮に粉砕される。
叩きつけられた彼女の両手が机を軋ませるが、とてもとても楽しそうなタムリアには聞こえない。青年がイチジク水とマニュアルを避難させて若干不穏な空気を纏っても、彼女のキラキラと輝く瞳には入ってこないようだ。
「私が怪物を殺すためのッ! マニュアルッ‼︎ 聖女様の偉業を受け継ぐための
椅子を薙ぎ倒しながら立ち上がったタムリアは、息継ぎなしでそこまで言い切った。
どれほど嬉しかったのか、タムリアの興奮は尋常ではない。それはそれとして聖女ポイントってなんだ。
奇妙な小踊りを披露する彼女が剣を抜こうとしたタイミングで、青年が関節技を掛けて椅子に強制着席させた。
「ぐえぇ、あ、ありか゛と゛う゛っ‼︎」
「腕をキメられて喜ぶなんてね」
「マ゛ァ ギュアァァルゥゥ!!」
「あっ、マニュアルの方か」
タムリアに暴れないと確約させた後、青年は彼女の腕を解放する。
聖律家門筆頭が所有する聖言が彫られた全身鎧、最強装備の一角になり得るそれが軋んだのは気のせいだろうか。いや、タムリアはギュリギュリという音を確かに聞いた。
関節技対策の施された鎧を貫通する痛みを感じながら、タムリアは遅れてゾッと恐怖を感じる。……関節技対策ってなんだろう。
「そ、それで……! マニュアルは! そもどうして! なんで私!」
「マニュアルはもらえるのか、そもそもどうして作れるのか、なぜ君に渡すのか。この三点が疑問ってことかな?」
解読難易度の高い発言を理解可能なラインまで言い直した青年の確認に、タムリアはコクコク頷くことで肯定を示す。
「順番に答えていくよ。まず、マニュアルに関しては君にあげる。これは絶対だね」
喜びに小躍りしそうになったタムリアは、腕の痛みを思い出し感情を抑えた。
青年はよくやった、と微笑む。
タムリアは正解を引いたと安心した。
「僕がマニュアルを作れるのは、僕が『怪物』についてとても詳しいから。殺し方も分かる」
「研究者なのですか⁉︎」
「研究はしてないから専門家みたいな感覚かな。研究してない専門家も珍しいけどね」
大感激、タムリアの内心はその一言。
『怪物』の専門家が存在するのなんて、『怪物』の生存は確実。しかも殺し方まで知っているんて、自分の前に現れたのは運命に違いない!
ものすごく分かりやすい顔をするタムリアに、青年はチョロい子だと感想を抱いた。金欠も騙されたのではないだろうか。
「最後に君に渡す理由は……君が怪物を殺せるって信じてるから、かな。うん、そうだ。君が望みを叶えられない道理がない」
なんてことはない、青年の声音と表情はそう語っている。
信頼というより、確信。今のタムリアからはぱっと見分からない何かを、青年は見出している。
それはタムリアが望んでいた肯定で……どうしてか、胸を軽い不安に揺らした。
「そ……そんな信じてもらっても……私、戦うのも上手くないですし」
「実は僕、剣も槍も弓もできるんだ」
「頭だっていいわけじゃないし」
「人間として十分過ぎる知性があるように見えるよ」
「それに私は……っ」
タムリア自身、何故自分がここまで自虐するのか不思議だ。
ずっと、怪物を倒したかったはずなのに。誰かに信じてもらいたかったのに。
いざ信じられると、どうしようもなくモヤモヤする。
「私は……っ!」
「大丈夫だよ」
「………………ぁ」
青年の“大丈夫”は不思議と、タムリアの頑なさを溶かしていく。
いつの間にかタムリアの背後に立っていた青年が、彼女の不安に寄り添うように、小さな撫肩に手を置いた。“大丈夫”を込めた仕草が、少女の心を柔らかくほぐしていく。
甘い、柔らかい、温かい……
「怪物をだれよりも知る僕が、この場で断言する。君は願いを叶えられるんだ。……懐かしく心動く感覚、なにかが起こる気がしてた。そこに君がいた、聖女の末裔である君が」
少女の感覚に形を与えるならば、きっと熟しきった果実の姿をしている。
抵抗感が薄れて、拒めない自覚。
心の壁と棘が、削られている。
「で、も……わたし……は、聖女様みたいに」
「やるべきことも、強くなる方法も、心構えも……このマニュアルに書いておいたよ」
タムリアが見上げれば、優しげな青年の顔。
何処にでもありそうであまりにも希少な、『好青年』という概念を石膏にしたが如き造形。
黒い髪、白すぎない肌、下がった目尻……
(不思議ないろ……)
ただ一つ異質な、血と土を混ぜた色の瞳。人間とは思えない、色彩たち。
確信と、喜びと、なにかの願いとか……そんな人間みたいな感情を渦にした瞳。
異質でも、信じたくなるガラス玉。
「だから君はひとりで……」
「分かりました! ししょーと怪物を倒しますっ!」
タムリアは青年を腕を掴み宣言する。
「ししょーの導きの下、タムリア・アハトラナ・ハナカザが世界を救ってみせるんだからっ!!」
タムリアを信じ、励まし、導くと伝える。彼女にとってそれはもう告白だ。
恋愛感情などないが、「一緒に旅しよう!」という告白なのだ。
青年は目を見開く表情を見せ、「何を言っているんだ?」と言外に表す。
タムリアに青年の考えは伝わらないし、青年はタムリアの思考を理解できない。
「……おかしい……今のはひとりで行かせる流れじゃないか? 気持ちを落ち着かせるために心臓を楽にしたけど、それがダメなのか……? 何がどうなっているんだ……これが君の言う可能性かい? やっぱり僕には生命として理解できないよ……」
ぶつくさと青年は言うが、これまでの発言が傍目から見ても「ついて行く」と受け取れるとは思わないらしい。
そうしている内にもタムリアが、キラキラとした目を青年に向ける。
青年は修正しようとしたのか、口を開き――
「そ……」
「そうですね!! 共に世界を救いましょう! ししょー!」
一回の失敗で青年は、無意味な抵抗の意味を知った。
諦めたような笑みを目元に浮かべた青年が、タムリアの目を真っ直ぐに見つめる。
「ははっ、そうだねっ」
青年の口元には、今日一番の笑みが飛び出していた。
「それではししょー! ジゼの山嶺を目指しましょう!」
「その前に、君はやるべきことがジゼの峰よりも沢山あるよ」
「お任せください。ハナカザの聖鎧とマーシャルの剣を纏った私ならばっ!」
「うん、それは諦めて」
青年の言葉に、タムリアの表情がピシリと固まる。
「……はい?」
「マニュアルの零章、冒険前に街でやること。そのひとつ目……」
マニュアルを一枚めくった青年は、タムリアの眼前に示してみせる。
そこには無慈悲な一文。
・馬鹿みたいな鎧は売って金にすべし、旅では百害あって一利なし
「だから、それ売っちゃおうか」
「あひっ……」
顔面を蒼白にしたタムリアは、か細い吐息を繰り返す。
当然、青年が譲歩することはない。ニコニコと待つのみである。
「ぃ……ぃ……いやだぁぁぁぁああっっ!!!」
処刑される罪人のような叫びは、眠ろうとしていた夕方のカラスたちを叩き起こした。
カラスにはいい迷惑だったろう。
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