怪物と約束

アールサートゥ

世界で一番有名な伝承

 むかしむかし、世界は滅亡の危機にありました。


 なんと恐ろしいことでしょう。魔王よりも強大な『怪物』がいたのです。


 世界の中央。ジゼの山嶺に穴を開けて、怪物は世界に不幸を振りまき始めました。

 魔獣が地に溢れました。

 風なき熱が命を腐らせました。

 水が澱み病となりました。


 怪物は、世界の敵となったのです。


 神官が祈りました、お救いくださいと。

 王様が叫びました、今が戦うときだと。

 予言者が嘆きました、罰は早すぎると。

 多くの人々が奮い立ちました、世界の敵を殺さねばと。


 勇敢な人々が最も多かった時代、人が一番手を取り合った時代、英雄がどの歴史よりも消えた時代。


 十二摂理の騎士、精霊讃歌隊、ハルメラ学派、皇族ジークリヴァ……

 星々のような英雄たちが、怪物を倒せずに朽ちました。


 そんなときです、『聖女』が現れたのです。

 本を守る神官であった彼女。

 朝食の最中に立ち上がり、部下の杖と上司の馬を引っ掴んで、ジゼの山嶺に走りました。

 不思議なことに、魔獣が彼女の道を邪魔することはありません。

 誰よりも早く、彼女は怪物のもとへと辿り着いたのです。


 恐ろしい恐ろしい怪物。

 熱く、大きく、澱みと腐れたる怪物。


 怪物を前にする聖女には、青年が付き添っていました。

 いつからいたのか、どのような人物かは誰も知りません。従者とも、幼馴染とも、神様とも言われています。


 聖女は青年に杖を渡しました。

 その杖の先に、聖女は自分の服を破って括り付けます。

 すると清涼な風が集まり、杖が『槍』となったのです。


 青年は風の槍を構え、怪物に戦いを挑みます。


 青年は見事、怪物を打ち取りました。


 怪物が倒れた瞬間、世界中の土地という土地に、忘れられていた春の風が吹き抜けます。

 世界中の人々が、祝福を感じ取りました。


 だけど、聖女は帰ってきませんでした。


 春風のなか、十二摂理の騎士は青年と出会います。

 青年は騎士団長に、聖女の乗っていた馬と聖骸衣を渡しました。

 騎士から馬車をもらい、青年は去っていきました。


 一月後、青年はとある家族を訪ねました。

 老いた男と息子しかいない家に迎えられた青年は、焼けた杖と伝言を授けます。

 この家は、聖女の生家だったのです。


 役割を終えたのでしょう。

 青年は空を見上げ、風のように天へ昇っていきました。


 それから長い月日が経ち、聖女と青年について詳しいことは分からなくなりました。

 ただひとつ、旅立った際言った聖女の言葉を残して。


 ――パジ・シアハーデ――


 意味は、『我らが後ろに無辜の民あり』と言い伝えられています。



   *



「パジッ! シアハーーーデッ‼︎」


 元気な元気な声で、一人の少女が吠えた。

 少女と言っても背丈はそこそこ、身にまとうは洗いやすい軽鎧。

 愛らしい容貌は、あふれる陽気で笑顔を作っている。

 

「悪・即・斬ぁあんッ!!」


 笑顔でロングソードを振り下ろす姿は、少々恐ろしいものだが。

 されども腕は確かか、少女の目の前にいた魔獣は袈裟斬りにされ息絶えた。


「一撃必殺……これは聖女様ポイントが高い……!」

「聖女は笑顔で叩き切ったりしないよ」

「ししょーは分かってません。聖女だって聖書で上司を殴ったのよ!」


 聖女の死から198年後。

 ジゼ大陸西南部、サビア森林の入口。

 魔獣の血で汚れた少女の顔を、『師匠』と呼ばれた青年が拭いてあげていた。


「ああ、司祭を殴った聖書、君の家にあるんだっけ」

「そうです! ほんとは聖書を武器にしたかったわ」

「よかった。いくら君でも、魔獣を聖書で倒そうとは思わなかったんだね」


 バカにされたと思ったのか、少女は頬を膨らませる。


「魔獣は剣で! 昔からのお約束! それに……『怪物』は聖書じゃ倒せないから」


 少女の発言は、今の時代において少々不適切だ。

 聖女が死んだ時、怪物もまた死んだ。それが世界の一般常識。

 そうでなければ、世界はとっくの昔に滅亡しているだろうから。

 ほとんどの人々が、怪物は遥か昔の災害扱い。悪の象徴として、聖女を崇める行為の道具としている。


「怪物はきっと死んじゃいない。だって、魔獣は消えていない。ジゼの山脈には、未だ誰も近づけないのですから」


 少女は刃を布で拭く。家から引っ掴んできた剣に、覚悟と……ほんの少しの寂しさを映して。


「家族の誰もが信じなくても、多くの人が信じなくても、どれだけ厄介扱いされても……私は怪物が生きてるって証明します」


 青年は少女の隣に立って森の奥、いや、そのはるか先に視線を向ける。


「そうだね、怪物は生きてる。風で封じられながら、今でも世界を塵にしようと眠っている。だから殺さなくちゃいけない。そう……ジゼの山嶺の骸穴で、待っているよ」

「……ししょーは、怪物を」

「僕じゃ無理だよ。託されたものを飲み込んで、抑えるくらいが限界さ」

「やっぱり……わたしが……」


 少女の切れ切れの言葉。そこには、不安の色が強く出ていた。

 自らの選択、そこに完全な自信などないのだから。

 だから、青年は問いかける。


「自信ないのかい?」

「…………いいえ」


 小さく、しかしはっきりと、少女は言ってみせる。

 その声は、徐々に大きく明瞭に。


「いいえ……いいえいいえっ! 自信ならあるわ! 私を誰だと思ってるの! 私が誰の血を受け継いでると思ってるの!」


 少女の輝く覚悟が、青年を捉えた。


「私は聖女様の末裔なんだからッ‼︎」


 嬉しさに笑みを浮かべる青年は、少女の頭を優しく撫でる。


「うん、そうさ。だから君に託した、君が終わらせるんだ」



   *



 喜ばしくも、冒険の旅が始まりました。

 その旅はどのような道となるのでしょう。

 輝くものでしょうか。

 苦しいものでしょうか。

 短いものでしょうか。

 長いものなのでしょうか。

 うむうむ、分かりませんね……。

 それでも、辿り着く場所は決まっているに違いありません!

 必ず果たされます。


 希望は“約束”を守り――――


 ――――必ず救いが訪れるのです。

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