12.目覚め

「…………代償は?」


 口いっぱいの苦虫を噛み潰したような、心底不服だという顔でカストールは問う。けれど、他人の表情がわからないマレフィキウムには、そんな遠回しな嫌味など無意味。そもそもマレフィキウムの性格上、たとえ判別できていたとしても変わらないが。


「その懐中時計でいいよ」


 カストールの上着のポケットを指さすと、マレフィキウムはそのまま手のひらを差し出した。

 マレフィキウムが要求した懐中時計。それはカストールが極夜国を出るときに双子の弟ポルクスから餞別として贈られた、とても大切なものだった。もう二度と帰ることはないであろう故郷、会うことはないであろう家族との繋がり。

 けれどカストールは懐中時計をポケットからあっさり取り出すと、なんのためらいもなくマレフィキウムへと渡した。


「ミラビリスには代えられないからな。物はいつか壊れるし、失われる。半身のためとあらば、ポルクスもウィルも文句は言うまい」

「いやいやいや、言うに決まってるだろ!」


 懐中時計の飾りにつけられている赤虎目石レッドタイガーズアイから飛び出してきたウィルは、「横暴だ~」と文句を言うと、わざとらしい泣きまねを始めた。


「悪かったよ、ウィル。しばらくはこっちの金緑猫目石クリソベリル・キャッツアイで我慢してくれ。そのうち新居を用意するからさ」

「仕方ねぇな~。ま、オレ様は寛大だから、今回はこれで手を打ってやるぜ。あ、新居は鳩の血色の紅玉ピジョンブラッドルビーで頼むな!」

「……善処する」


 カストールは着けていた猫目石の耳飾りと後日の報酬でウィルを懐柔すると、改めてマレフィキウムへと向き直った。


「と、いうわけだ。よろしく頼むよ」

「りょーかい」


 マレフィキウムは小瓶をカストールの手に乗せると、目を閉じ、ひとつ深呼吸をして――


「百花の魔法使いマレフィキウムの名にかけて、カストールに目覚めの花『花蘇芳はなずおう』を与えることを誓う。百花繚乱ひゃっかりょうらん未来あすきたらしめよ」


 マレフィキウムの言葉に呼応するように、小瓶の中の花蘇芳が淡い光を放つ。光はすぐにおさまり、カストールの手の中には何の変哲もない小瓶が残った。


「はい、できた。というわけで、あとはこの花にきみの魔力を注いで振りかければ、お姫様のお目覚めだよ。……たぶん」


 マレフィキウムのどこまでも頼りない保証に、カストールは深い深いため息をついた。


「いや、大丈夫だって! ……たぶん。あ、ただね、花蘇芳の花言葉はいくつかあってさ、『目覚め』はそのうちの一つなんだ。他には『裏切りのもたらす死』とか『疑惑』とか色々あるからさ、間違っても他のを発動させないようにねぇ。ちなみに僕は、わりとよく間違えるよ」

「さすが百禍の魔法使いだな。まあいい、私が得意とするのは精密操作。お前みたいなポンコツ魔法使いとは違うからな」


 言うが早いか、カストールは手の中の小瓶のふたを開けると、魔力を注ぎ込み始めた。ミラビリスを目覚めさせる、ただそれだけを願い。

 しばらくすると、小瓶の中の花が再び淡い光を放ち始める。カストールは花を手のひらに取り出すと、ミラビリスの頭の上からぱらぱらと落とした。



 ※ ※ ※ ※



 私の家は絡繰からくり屋敷。歯車や配管や、不思議な色々であふれている。

 お母さんは絡繰りの魔法使いトリス・メギストス。天体観測機アストロラーベちゃんっていうのを使って、色々な人のお願いを叶えるのがお仕事。

 お母さんは普段自分のこと「ボク」って言うのに、お仕事の時は「わたくし」って言うんだよ。なんかね、その方が偉そうに見えるんだって。

 お父さんは……お父さんは、わからない。なんだかぽっかり穴が空いてるみたいに、お父さんのことは思い出せないの。それに、他にもなんだか色々忘れているような気がする。この森みたいに、私の頭の中にも霧がかかってるのかな?


 お母さん以外の人がいないここは、温かいけどちょっとだけ寂しい。でも、私はお母さんとずっと二人ぼっちだったのに、なんで今さら寂しいなんて思うんだろう?


 ――目を覚まして。


 空からお花が降ってきた。桃色ピンクの小さなお花。光っていて、とてもきれい。


 ――きみはここへ、何をしにやって来たの?


 やって来た? だって、私の家はここだよ。私はずっとここに……いた?

 じゃあ、あの青い海と白い町は、いったいどこ? 必死に逃げ出したのは、いつのこと? 院長やトートにお世話になったのは、いつ? ……カストールは? カストールは、どこ? いざというときは殺してくれるって言ったのに……拒まれても、一生付きまとうって言ってたのに!


 ――目を覚まして。きみに会いたいよ、ミラビリス。


 私は、私も――――



 ※ ※ ※ ※



「おはよう、ミラビリス。目覚めはいかが?」


 ミラビリスの正面に立ち、からかうように笑いかけるカストール。そんな彼の姿を見た途端、ミラビリスの中に言いようもない寂しさと安堵が押し寄せてきた。


「カストール!」


 突然抱き着いてきたミラビリスに、カストールが目を白黒させる。けれどカストールはすぐに笑うと、ミラビリスをそっと抱きしめた。


「どうしたの、ミラビリス。きみ、こんなに素直で甘えん坊だったっけ?」

「いいから黙ってて! ……カストールがここにいるって、確認したかったの」

「よくわからないけど、私はミラビリスとずっと一緒にいるよ。もう、絶対に逃がさない。前に言ったじゃないか。石人の執着は狂気の沙汰って」


 カストールの束縛の言葉に、ミラビリスは心の底からの笑みを浮かべる。怖いはずの言葉は、今のミラビリスには愛の言葉にしか聞こえない。


「絶対……絶対、いなくならないでよ。私を殺すのは、カストールなんだからね。こんなに私を弱くしたんだから、ちゃんと責任取ってよ」

「いいよ、もっと弱くなって。もっとぐずぐずに弱くなって、私がいないと生きていけないくらい弱くなってしまえばいいよ」


 くつくつと笑うカストールに、ミラビリスからも小さな笑いがこぼれた。そんな二人を羨ましそうに眺めるのはマレフィキウム。


「石人もだけど、そのお相手もすごいねぇ。いつか、僕にも見つかるかなぁ」

「え⁉ 魔法使いの兄さんは、あんな感じのつがいが欲しいのか? オレ様はちょっと遠慮するなぁ……」


 ウィルは気味悪そうにマレフィキウムを一瞥すると、懐中時計の代わりの仮住まい、カストールが左耳につけている猫目石の耳飾りの中へと帰っていった。

 ようやく落ち着いた三人が屋敷を見上げたその時、目の前の扉がまたもやひとりでに開かれた。錆びついた金属がきしむ耳障りな音が、耳と心を逆なでる。


「来い、ということだろうな」

「だろうねぇ」

「……行こう」


 大きく開かれた扉をくぐり、三人はテオフラストゥスの屋敷へと足を踏み入れた。うめき声のような機械音、ぎちぎちとした歯車の悲鳴――テオフラストゥスの屋敷は外観通り、中も普通ではなかった。玄関広間エントランスホールの正面には大階段、そして玄関広間の左右と奥にはいくつかの扉。


「どこに進めばいいのやら」


 肩をすくめるカストールの横をすり抜けたのは、迷いない足取りのミラビリス。


「こっち。ついてきて」


 慌ててミラビリスを追うカストールとマレフィキウム。


「さっき見てた夢ね、昔の夢だったの。私、カエルラに捨てられるまでは、ここにいたみたい。でね、その夢の中で、この屋敷の中を色々見たんだ。ただ、その夢はすごく変な夢でね……とてもじゃないけど、二歳児の記憶が元になってるとは思えなかった。なんかまるで、別の誰かの記憶が混ざったみたいっていうか……」


 喋りながらも、一切迷いなく進んでいくミラビリス。やがて三人は、ひときわ重厚な扉の前にたどり着いた。


「ここが、この家の中心。いつもお母さんが……絡繰りの魔法使い、トリス・メギストスがいた場所」

「お母さんって、それは――」


 カストールの驚きの声を遮るように、ミラビリスは扉へと手をかけた。ぎいぎいと嫌な音をたてながら開いた扉の先、そこは丸天井ドームになっている不思議な部屋だった。

 中央に浮かぶのは巨大な物体。いくつもの円環リングをまとい、無数の小さな歯車の群れから成る――


天体観測機アストロラーベ


 その下に安置されていたのは、触れられなかった硝子の棺。テオフラストゥスが魔導研究所から持ち去った、あの硝子の棺だった。


「やはり来たか……我らが娘よ」


 天体観測機の陰から現れたのはテオフラストゥス。彼は無表情でミラビリスを見据え、「我らが娘」と言った。


「どういう、こと? 娘って……あなたが私の父だって、こと? そんなの! そんなこといきなり言われて、信じられるわけない‼ だって私には、父に関する記憶だけ、まるで削り取られたみたいに一切ないんだもの‼」


 動揺するミラビリスを、テオフラストゥスはやはり無表情で見ていた。その無機質な眼差しからは、情などというものは感じ取れない。


「それはそうだろう。お前の中の私に関する記憶は、私が魔法使いにすべて代償として差し出したからな」


 テオフラストゥスの言葉に固まる一同。けれどそんなことは一切気にも留めず、テオフラストゥスはゆっくりとした足取りでミラビリスの方へと歩を進めた。ミラビリスの前に立ったテオフラストゥスは彼女が首から下げた歯車を指さし、次いで天体観測機を指さした。


「その歯車を天体観測機に戻せ。私が説明するより早い」

「なんで? 研究所で会った時は取り付く島もなかったのに、なんで今はそんなに簡単に教えてくれようとするの?」


 疑い、一歩引いたミラビリス。そんな彼女を温度のない目で見下ろすと、テオフラストゥスは至極面倒そうに小さなため息をもらした。


「トリスが、それを望んだから。もしお前がここへ戻って来たならば、その時はすべてを教えろと言われた」

「テオフラストゥス……あなたは、いったい何者なんだ? なぜそこまで、トリス・メギストスに従う?」


 カストールの問いにいち早く反応したのは、この場で一番部外者であろうマレフィキウムだった。


「きみさぁ、僕の知ってるのとはちょっと違うみたいだけど……人造人間ホムンクルス、でしょ?」


 その無邪気な笑顔とは裏腹に、マレフィキウムの問いは質問のていをとった断言だった。けれど、テオフラストゥスはわずかに動揺することもなく、うなずくとそれをあっさり肯定した。


「私はトリスと賢者の石によって生み出された、最初で最後の完全な人造人間ホムンクルス。トリスは我が創造主にして、最愛の妻。そして彼女と私は、お前の原材料の一つ」


 原材料――そのおかしな言い回しに、ミラビリスとカストールの眉間にしわが寄った。ただし、マレフィキウムだけは思い当たる節があるのか、ひとり冷めた目でテオフラストゥスを見ていた。


「天体観測機に歯車を捧げよ。錆びて止まった歯車は息を吹き返し、再び回り始めるだろう」


 テオフラストゥスはそれだけ言うと、硝子の棺に寄り添ったまま黙り込んでしまった。ここまで来て他に方法もなく。ミラビリスは仕方なしに首から歯車を外すと、天体観測機の前、硝子の棺の前へと進み出た。カストールは当然のようにミラビリスの隣に並び、そのまま流れで二人は目の前の硝子の棺を見下ろす。

 薔薇色ばらいろの頬に今にも開きそうなまぶた。栗色の髪も、朱鷺色ときいろの唇も白い肌も、何もかもが瑞々しく。その姿はどう見ても、眠っている少女にしか見えなかった。


「お母さん……」

「これが伝説の魔法使い、トリス・メギストス」


 ひとしきり眠る母の姿を眺めた後、ミラビリスはチェーンから歯車を外すと、両手に乗せて天体観測機へと捧げるように掲げた。すると小さな歯車はふわりと浮き上がり、まるで待ちわびていたかのように天体観測機の中へと吸い込まれていった。

 かちりと小さな音が鳴った次の瞬間、天体観測機の周囲の円環がぎこちなく回り始める。その動きは次第に滑らかになっていき、それにつれ、中央の球体が光を発し始めた。


『なあ、テオ……幸せな未来を捨ててまで欲しいと思えるほど執着できる存在って、いったいどういうものなんだろう?』


 突如ミラビリスたちの背後に現れたのは、硝子の棺の中で眠っていたはずの彼女。絡繰りの魔法使いトリス・メギストス――その人だった。


 慌てて目の前の硝子の棺を見下ろす二人。けれどそこには、先ほどと同じく眠る彼女がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る