11.薄暮の先へ
成熟と引き換えにミラビリスが手に入れたのは、
「テオフラストゥスが居を構えているは迷いの森の中。
迷いの森――今からおよそ七十年前に出来た、霧で閉ざされた不可侵の森。石人たちの心を体現したかのような、異邦人を拒絶する
どう進んでも入った場所に戻される、何人で入っても必ずバラバラにされる。森全体にそういう魔術がかけられている、極夜国を守る防御結界の一つ。
「極夜国へ行くなら僕やパーウォーでもなんとかできるんだけどさ、テオフラストゥスの住処は別なんだよねぇ。僕たち魔法使いの干渉もはね返すって、ほんとアイツ何者なんだろ?」
「魔法使いったって万能じゃないもの。伝説の錬金術師サマの住処には、ワタシたちみたいな新参魔法使いじゃ及びもつかないような仕掛けがあるんでしょ。レフィ、油断しちゃダメよ」
「わかってるって。だいじょーぶ、だいじょーぶ。いざとなったら、僕だけは逃げ切ってみせるからさ」
ミラビリスたちにとってはまったく大丈夫ではない、なんとも残念なマレフィキウムの安請け合いにパーウォーが苦笑いする。けれど彼はすぐに顔を上げると、申し訳なさそうな顔をミラビリスに向けた。
「ワタシたち魔法使いはね、もらった代償以上の魔力を必要とする手助けをすることはできないの。だからワタシが手伝えるのはここまで。それと、レフィにも期待はしないで。この子が動くのは、あくまでも自分のため。誰かのために使う魔法には、必ず代償が必要になるから」
「問題ない。ミラビリスを守るのは私の役目。他の誰にも譲るつもりはない」
「私たちも魔術師の端くれ。自分の身はなるべく自分で守ります。パーウォーさん、ここまでありがとうございました。……じゃあ、いってきます」
一切の
何もなくなってしまった空間を見つめ、ひとりつぶやくのは憂い顔のパーウォー。
「半身たる二人を引き合わせる、それが錆びて止まった歯車を動かし始める…………錆びて止まった歯車、ね」
※ ※ ※ ※
ミラビリスたちの目の前に広がるのは、
森の外は青空に
「ずっと研究所だったし、パーウォーさんの家では外見る余裕なかったから気づかなかったけど……外、こんなに明るかったんだね」
「ああ。私たちが研究所をさまよっていたのは、まだ夜明け前だったからね」
カストールが上着のポケットからちらりと懐中時計をのぞかせたその時、ミラビリスのお腹から控えめな主張が響いた。
「ご、ごめん! なんか朝だったんだなって意識したら、急にお腹すいてきちゃって」
「ああ、すまない。そうか……人間たちは、定期的に食べ物を摂取する必要があるんだったな。私たちはミラビリスたちみたいな食べ物は必要としないから、すっかり失念してたよ」
「ごめん、気にしないで! 大丈夫、一食抜いたからって別にどうってことはないから」
わずかに頬を紅潮させ、慌てて言いつくろうミラビリス。そんな彼女の目の前にぬっと差し出されたのは、かわいらしい包装紙に包まれた菓子らしきものと、水筒の入った肩掛けかばん。
「お腹すいてるんでしょ? はい、どーぞ」
差し出したのはマレフィキウムだった。彼は自らもそれをかじりながら、もう片方の手でミラビリスにぐいぐいと鞄を押し付ける。
「あ、ありがとうございます」
「お礼はいいよ、作ったの僕じゃないし。きっとお腹すくだろうから渡せって、パーウォーから」
「あ、オレ様にもくれ!」
ウィルにも渡すと彼は満足したらしく、カストールの方へ行くと懐中時計の
包装紙をはがすと木の実や
幸せそうに菓子を頬張るミラビリス。けれど、そんな彼女を見つめるカストールの表情は、どこか面白くなさそうで。
「これからは私も、もっと人間……いや、ミラビリスのことを知っていかないとな」
「まだ知り合ってから一日も経ってないんだから、お互い知らないことがあって当然だと思うけど」
「わかってはいるんだけどね。それでも、今のきみのその幸せそうな顔を引き出したのが自分じゃないっていうのがね……ちょっと面白くなかっただけ」
口を尖らせ拗ねた表情でそっぽを向くカストールにミラビリスが呆れていると、そんな二人のやりとりにマレフィキウムがくすりと笑いをこぼした。
「さすが石人だねぇ。あーあ、どうせなら僕も石人に生まれたかったなぁ」
「石人に? 魔法使いのあなたが、なぜまた?」
首をかしげるカストールに、マレフィキウムは自嘲がふんだんに含まれた笑みを返した。
「だって石人ならさ、相手の顔がわかんなくても、半身だったら絶対に間違えないでしょ? 僕さぁ、人の顔が判別できないんだよねぇ」
「もしかして
ミラビリスの確認にマレフィキウムは、「ふ~ん、そういう名前なんだぁ」と気の抜けた声を返した。
相貌失認――それは記憶力などに問題があるわけでもないのに、人の顔だけが認識できないというもの。先天性と後天性、症状も軽度から重度まで様々。
「普段は服装や仕草、声や魔力なんかで判別してるんだけどさ。僕は生まれてこの方、人の顔の区別がついたことないんだよねぇ。男なのか女なのか、怒ってるのか喜んでるのか……だからこと恋愛に関しては、ちょっとね。あーあ、もし僕が石人だったら、顔なんかわかんなくてもここまで苦労しなかったんだけどなぁ」
マレフィキウムはつまらなそうに残りの菓子を口に放り込むと、薄暗い森を見上げる。その背中は、「この話はもう終わり」と言外に主張していた。
「食べ終わった? ほら、さっさと行ってさっさと終わらせちゃおうよ。僕もヤツには聞きたいことがあるんだ」
マレフィキウムに急かされ慌てて口の中のものを飲み込むと、ミラビリスはパーウォーからもらった鍵と錠前を上衣のポケットから取り出した。
薄暮と霧に沈む森の入り口、ミラビリスは取り出した錠前に鍵を差し込むと躊躇なく回す。するとカチリと小さな音がした瞬間、錠前も鍵も、ミラビリスの手の中から一瞬で泡のように消えてしまった。
「道が、開く」
森を見つめていたカストールがつぶやき、マレフィキウムがそれにうなずく。
ミラビリスの目の前、霧を切り裂きできたのは、一筋の道。薄暗い森の奥へと、テオフラストゥスへと続く、一本の道。
「行こう、ミラビリス。たとえこの先で何を見ようと聞かされようと、私の気持ちが変わることはないけれどね」
「それは……頼もしいわね。私の方が揺らぎそうだわ」
「残念。今きみの気持ちが揺らいだとしても、一度石人に応えてしまったからにはもう逃げられないよ、ミラビリス」
無邪気な笑顔でうそ寒いことを言い放つカストールに、ミラビリスは少しだけ苦笑し、そして安心した。
白く薄暗い森の中、軽口をかわしながら三人は進む。彼らが歩いてきた道は、彼らが通り過ぎるそばから霧に閉ざされていった。もう、後戻りはできない。
一方通行の道の先、やがて見えてきたのは一軒の屋敷。いくつもの貯水槽らしき容器やら血管のように張り巡らされた配管やらに囲まれたその屋敷は、およそ普通の外観とは言い難く。けれど――
「ここ……知ってる、気がする」
ミラビリスには、とても懐かしく感じた。
――ミラ
胸を締め付けるような懐かしい声に導かれ、ミラビリスは進む。すると、まるで彼女を迎え入れるかのように、固く閉ざされていた
「歓迎されてる……わけないよねぇ」
「まあ、十中八九疎まれているだろうな。特に、部外者である私たちは」
苦笑いする男二人を置いて、ミラビリスは一人先へと進む。一歩、また一歩。進むごとに、ミラビリスの記憶は鮮やかさを取り戻していって。
「いつも夕方で真っ白な霧が出てて……私はここで、いつもひとりで遊んでた」
幼すぎてほとんど覚えていないはずの記憶が、ミラビリスの中に流れ込んでくる。
霧の中に浮かぶ影絵のような真っ黒な木々、白く煙る向こうは薄い青と黄色っぽい橙の空、薄桃がかった灰色の雲、遠くに幽か見えるのは夜の空――
先を進むミラビリスのおぼつかない足取りは、まるで白昼夢を見ているかのよう。そんな彼女の異様な雰囲気を察し、慌てて追いかけてきたカストールが隣に並ぶ。
「ミラビリス? ……何が、見えてる?」
「わたしの、おうち」
「ここが? ミラビリスの家?」
「うん、わたしのおうち。おかあさんといっしょに、すんでるの」
正気を失ったミラビリスの瞳は、まるで森に流れる霧が入り込んでしまったかのようで。その虚ろな瞳は、カストールの心をひどくざわつかせた。けれどそんなカストールの不安とは真逆に、ミラビリスは落ちていく。幸せで温かな夢の海に、深く深く溺れていく。
※ ※ ※ ※
朝も昼も夜も、いつも夕方の森の中。私はいつもひとりで遊んでいた。
見えない空想の友達と追いかけっこにボール遊び、疲れたらぼんやり空を見上げて……飽きもせず、一日森の中で遊んでいた。やがて迎えに来る、大好きな母を待ちながら。
「ミラ」
少し低めの柔らかな声に振り向けば、肩上で切り揃えられた栗色の髪を耳へかけながら歩いてくる母の姿。ほとんど覚えてなんていないはずだったのに、その姿は涙が出るほど懐かしくて、胸が痛くなるほど締め付けられた。思わず駆けだし、笑う母のひざにしがみつく。
「どうしたんだよ、ミラ。きみはそんなに甘えん坊だったっけか?」
「お母さん、お母さん……会いたかった!」
「会いたかったって、毎日会ってるじゃないか。変なやつだなぁ」
くくっと笑った母は、まるで少年みたいで。その姿に、なんだかわからないけど私は、ひどく安心した。
「ほら、帰るよ。行こう、ミラ」
差し出された手は、少しだけ冷たかった。だから私は自分の熱をわけるように、母の手をぎゅっと握る。まざりあう冷たさと暖かさはじわじわとその境界をなくしていき、やがて溶けて、同じ温度になった。
私はそれがとても嬉しくて、わからないけど泣いた。
※ ※ ※ ※
「ありゃりゃ。な~んかのまれちゃってるねぇ」
「のまれちゃってるねぇ、じゃない! 魔力流し込んで気付けを……いや、私は医療魔術は不得意だし、もし失敗したら――」
葛藤するカストールの前に、マレフィキウムはにこにこと、どこまでもうさんくさい笑みを浮かべて立った。
「じゃあさ、僕と契約しない? 代償くれたら、助けてあげる」
マレフィキウムはにんまりとした笑顔で、小指の爪ほどの赤紫の花が詰められた小瓶を手の中でもてあそんでいた。
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