13.呪いと奇跡

「ねえ、結局その人はどうなったの? 子供をパーウォーさんに託して、一生その姿のままで……あ、その人って寿命はどうなったんだろう? 人間のまま? それとも人魚と同じ三百年?」


 マーレの矢継ぎ早の質問にパーウォーは苦笑を浮かべると、ゆるゆると首を振った。


「彼はもう、いないわ。人間の魔術師が作った不完全な薬だったから、変化したのは姿と特性までだったの。だけど、彼は生きたわ。最期まで、あの姿で……それが、ワタシとの契約の代償だったから」


 パーウォーは悲しそうな、けれど、どこかほっとしたような曖昧あいまいな笑みを浮かべると、顔を伏せた。


「パーウォーさんはさ、人間が憎くないの? 大好きだったお姉さんを殺されて、その半身や子供にまでひどいことされて」

「マーレちゃんは、ほんと遠慮ないわよね。……そうね、正直言うと憎んだわ。彼が海に消えた後、全部調べた。誰がエスコルチアを殺したのか。誰がレフィから両親を奪ったのか。そして、全部知って……人間を憎んだわ」


 すっかりぬるくなってしまったお茶を一口飲み、パーウォーは小さなため息をついた。


「でもね。無力なくせに、最後までコルやレフィを守ろうとしたのも……やっぱり、人間だったから。あんなひどい代償、笑って受け入れちゃってさ……バカじゃないの! それに、子供との未来より妻との思い出を取っちゃうなんて、ほんっと、救いがたいバカだわ‼」


 吐き捨てるように言ったパーウォーの顔は、けれど今にも泣き出しそうで。


「でも、だからこそコルは……本当に人間になれた。アイツに、この世界の誰よりも一番、心の底から愛されて。だから、生まれ変わることのできる魂を得て……」


 普段の濃い化粧を落としているからか、過去を語るパーウォーの姿は、マーレには途方に暮れた少年のように見えた。


「そっか。パーウォーさんはお姉さんの半身のこと……好きだったんだね」


 マーレの一言に飲みかけのお茶を吹き出し、パーウォーは大慌てで否定した。


「ちょっ、誤解しないで! ワタシこんなナリだけど、これはただ純粋にかわいいものが好きなだけ‼ 言っておくけど、ワタシが好きなのは女の子よ」

「あ、違う違う。そういう好きじゃなくて、人としてだよ」

「ああ、そういう好きね。……そうね、おバカさんだったけど、嫌いじゃなかったわ。あ、最初は大嫌いだったわよ。だって、恋敵だったんだもの」


 言葉とは裏腹に懐かしむように目を細め、大嫌いだと微笑むパーウォー。そんな彼が、マーレはとても羨ましかった。


「大好きだったんじゃないか。いいなぁ。僕も、そんな風に大切に思える人に出会いたいな。僕はね、半身じゃない誰かと情を通じ合わせてしまう前に……絶対に半身に出会わなきゃいけないんだ」


 まるで自分に言い聞かせるようなマーレに、パーウォーは怪訝そうに聞き返す。


「大切に思える人に会いたいって……ねえ、マーレちゃん。あなた、家族は?」


 パーウォーの質問に、マーレは少し困ったように笑みを浮かべる。


「父さんはいたけど……母さんは知らない。僕を生んだ後、半身を見つけちゃったんだって。父さんは仕方ないことだからって笑ってた。僕ら石人にとって、半身は何においても優先されるからね」


 マーレの脳裏に、かつての父の姿がよぎる。困ったようにマーレに微笑み、そして羨望せんぼうをにじませた瞳で遠くを見つめていた姿が。今、同じように羨望をその瞳ににじませ、マーレもつぶやく。


「ある程度の情を交わした相手や、ましてや自分の子供を捨ててまで求めてしまう……半身って、なんなんだろうね?」


 半身――

 運命の人、比翼鳥ひよくちょう、魂の片割れ。様々なものに例えられる石人の半身だが、パーウォーはマーレの問いかけに思わず口ごもってしまった。甘いおとぎ話のように語られているがこの半身、パーウォーにはたちの悪い呪いだとしか思えなかったから。

 出会ったが最後、己の半身に並々ならぬ執着を発揮する石人たち。永遠の愛を捧げるといえば聞こえはいいが、ただただ互いの執着にからめ捕られているだけなのではないのだろうか?

 そんな激しい本能に支配されている彼らは、パーウォーからすると呪われているようにしか見えなかった。


「その……気を悪くしたら、ごめんなさい。ワタシにはね、アナタたち石人のいう半身っていうのが……呪いにしか、見えない」


 パーウォーの答えを聞いたマーレは一瞬きょとんとした後、納得したという顔で破顔した。


「ああ、なるほど! そっか、呪いかぁ。うんうん、確かに言われてみれば呪いみたいだね」

「ごめんなさいね。アナタたちの半身への執着は、ワタシにはちょっと理解しきれないのよ。たった一人に全てを捧げるって美しいけど……でもそれって、すごく怖くない?」


 無邪気に笑うマーレに、今度はパーウォーが問いを投げた。すると、マーレはきょとんとした顔で「そう?」と首をかしげると、考えをまとめようとしているのか、口を尖らせながら宙を見つめる。

 しばらくすると居ずまいを正し、マーレはパーウォーに満面の笑みを向けた。


「でもさ、そんな全てを捧げてもいい相手がさ、本能でわかっちゃうなんてすごくない? そんな相手に出会えたらさ、きっとすごく幸せだと思うんだ。何を引き換えにしてでも欲しいものなんて、普通はそう見つからないもん。でも僕たちにはそれが必ずあって、しかも探せば見つかる。それってさ、呪いっていうより奇跡だと思わない?」


 どこまでも前向きなマーレの解釈に、パーウォーは思わず言葉に詰まる。

 たった一人を求めて全てを捨てた最愛の姉、そしてたった一人のために子供と人間を捨ててまで生きた人を見ていたから。呪いみたいだと言った反面、そこまで思える相手がいるのが羨ましいと思う気持ちも確かにあった。


「でもその半身のために、お母さんはマーレちゃんを置いていってしまったんでしょう? そんなのって……ワタシには、理解できない。子供を捨ててまで求めるものなんて、理解したくない」


 親に捨てられ、後に愛しい人たちの子を断腸だんちょうの思いで託されたパーウォーには、簡単にマーレを捨てた母親が許せなかった。そんな簡単に捨ててしまえるのなら、なぜ生んだのかと。


「だからだよ。だから、僕は半身を探しているんだ。最初から半身と添い遂げれば、そんなことは起きないでしょう? とはいえ、僕は母さんを恨んではいないよ。だって、知らない人のことなんて恨もうと思ってもよくわからないもん。でも父さんの姿を見ているとね、知らない母さんのことがとても羨ましくなるんだ。僕も、そんな風に全てを捨ててまで欲しいものが欲しい、ってね」


 純粋に羨ましそうに語るマーレに、パーウォーは石人の業の深さというものを思い知らされた。けれど同時に、たった一人をそこまで求める情熱をやはり羨ましいとも思ってしまった。

 そしてふとよぎる、懐かしい面影。


 ――恋をしたの。彼と一緒にいると、泣きたくなるほど幸せな気持ちになるの。


「やっと……やっと見つけたかもしれないんだ。僕だけの半身。彼女といると、すごく不思議な気持ちになる」


 ――私は彼と生きる。もう、決めたの。私は、人間になる。


「僕は、彼女のことをもっと知りたい。だから、決めたんだ。僕はこの気持ちを、確かめに行く」


 きっぱりと宣言したマーレにかつての彼女の姿が重なり、パーウォーは額を押さえうなだれた。


「止めても無駄……でしょうね。すでにサンディークスには代償を払ってしまっているみたいだし。せっかくのきれいな髪の毛の代わりに、いったい何をもらったの?」

「透明になれる薬。これを使えば、誰にも気づかれることなくあの子のところへ行けるんだって。あ、そうだ! パーウォーさん、鍵の複製がすぐ作れる便利な道具とかって持ってない?」


 嬉しそうに薬を見せた直後、無邪気に魔法使いへ追加依頼するマーレの頭に軽く手刀を落とすと、パーウォーは呆れ顔でため息をついた。


「アンタねぇ! だから、魔法使いへの依頼には代償が必要って経験したばっかでしょ。そんなほいほい願いを言うんじゃないわよ‼」

「でもさぁ。それがないと僕、あの子と会った後、あそこから出られなくなっちゃうんだけど」

「わかった! わかりました‼ それくらいならたいした代償必要ないから、今回は特別に叶えてあげるけど……」


 一度使ったら壊れてしまうが、その場で簡単に鍵を複製できる魔道具を出すと、パーウォーはマーレの涙と引き換えにそれを彼に与えた。そして、真剣な顔でマーレを見つめる。


「マーレちゃん。あのね、今回は二つとも軽いもので済んだからいいけど。いい? 魔法使いへの依頼っていうのは、その願い次第では、とんでもないものを失ったり背負ったりすることになるのよ。特にサンディークス、彼は誰かの気持ちや立場になって考えるっていうことが出来ないの。人の気持ちがわからない、そういう性質なの」


 魔法使いという種族は、その強大な力と引き換えに何かを失って生まれてくる。パーウォーは美しい旋律を奏でる能力を、サンディークスは円滑な対人関係を築く能力を……魔法使いとは、そういう種族なのだ。


「だからダメだって言ったのに。もしもっと大きな願いを口にしてしまってたら……彼には情や善悪なんて関係ない。出来るか出来ないか、それだけ。結果、それが何を引き起こすかなんて想像しない。今回は小さな願いだったからこの程度で済んだけど……」


 憂慮ゆうりょするパーウォーに、マーレは「心配ない」と能天気な顔で笑う。


「もう、パーウォーさんってば心配しすぎ! 僕だって大人だし、それなりに色々経験してきてるんだから。それにね、僕にはこの加護の力、『幸福に満ちる』があるから」


 深い海色の左目守護石に指を添え、マーレは自信満々に言い切る。けれどすぐに笑みを消すと、彼はパーウォーに真剣な眼差しを向けた。


「あの子が半身だというなら、僕は何に代えてもあの子を手に入れたい。そして共に、生きていきたいんだ」


 ――何に代えても、私はあの人の隣に立ちたい。共に、生きていきたいの。


 マーレに懐かしい面影エスコルチアが重なり、パーウォーは目の奥がじわりと熱くなるのを感じた。

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