8.二人の魔法使い

 ふっと目を細めるとサンディークスは丸めていた背筋を伸ばし、何かを見定めるようにマーレを見下ろした。


「代償はそうだな……髪の毛。きみのその美しい銀色の、良質な魔力に満ちた髪の毛が欲しいな」


 サンディークスの要求に一瞬だけ目を丸くしたマーレだったが、直後破顔した。


「なんだ。代償なんて言うから、どんなすごいもの要求されるのかって思ったら……」


 マーレはおかしそうに笑うと、近くに転がっていたハサミをひょいと拾い上げた。そして後ろで一つにまとめていた銀糸を無造作に掴むと、わずかにためらうこともなく右手に力を入れた。

 

 ざくり、ざくり。

 

 美しい銀の髪が、はらはらと。けれどマーレは、一切の躊躇ちゅうちょなくハサミを動かし続ける。そしてすべてを終えると先ほどまで座っていた木箱にハサミを置き、サンディークスに左手を――握りしめた銀糸を――突き出した。


「こんなものでいいのなら、どうぞ」

「へぇ、全くためらわなかったね。でも、いいの? きみたち吟遊詩人は見た目も大切な商売道具。そんなナリじゃ商品価値、下がっちゃたんじゃない?」


 少しだけ意地の悪いサンディークスの質問に、マーレはあきれ顔とため息を返した。


「こんな髪の毛程度で、僕の価値美貌が損なわれるわけないでしょ? 僕の顔なら髪の毛なんてなくたって、それも魅力に変わるんだから。それにこの声だってあるんだし、商売に支障はないよ」


 さも当たり前のことだと答えるマーレにサンディークスは二度三度瞬きをすると、にぃっと口角を上げた。


「へぇ……きみ、面白いね。いいよ、契約は成立だ」


 サンディークスはマーレから髪の束を受け取ると大きくうなずき、契約の言葉を紡ぐ。


「朱の魔法使いサンディークスの名にかけ、この藍玉アクアマリンの石人に黄色燐灰石イエローアパタイトの迷彩薬を与える。あけに染まれ、朱夏しゅかを謳歌せよ。……はい。これでこの薬は、もうきみのものだ」


 サンディークスが契約の言葉を口にしたその時、檸檬色の薬からぽうっと光が放たれた。それはすぐに収まり、そして檸檬色の液体の入った小瓶がマーレの手のひらの上に置かれた。――朱紅色しゅこうしょくの、小さな石と共に。


「これは何?」


 マーレは首をかしげると小さな石をつまみ上げ、天井の灯りに透かすように眺めた。


辰砂しんしゃっていう石だよ。石人のきみなら知ってると思ったんだけど」

「いや、僕も辰砂は初めて見たから。少なくとも僕が極夜国ノクスにいた頃は、辰砂の守護石持ちはいなかったと思うし。 雄黄ゆうおう雌黄しおう、辰砂なんかの守護石持ちが生まれてれば、貴族は戸籍と貴族名鑑に、庶民でも戸籍には普通登録されてるはず。何よりそんな珍しい守護石持ち、噂にのぼらないはずないしね」


 物珍しそうに辰砂を眺めながら、マーレはサンディークスに質問する。


「でもさ、なんでこの石をくれるの? おまけ?」

「きみはきっと、また私に会いに来るだろうからね。その時のための鍵だよ。それにきみ、そういうのもう一個持ってるでしょ?」


 サンディークスの言葉の意味がわからず、きょとんとするマーレ。するとサンディークスは机から降りマーレの目の前まで行き、いきなり彼の上着のポケットに手を突っ込んだ。


「これ」


 サンディークスがマーレの上着から取り出したのは、緑色の縞模様が美しい石。海の魔法使いパーウォーがマーレに渡した、孔雀石マラカイトだった。


「これ、パーウォーの鍵でしょ? 私の領域内に入る時、一時的に力を封じさせてもらったから今はただの石だけどね」


 サンディークスは喋りながら、手のひらの上でころころと孔雀石を転がす。


「パーウォーはさ、確かに優秀な魔法使いなんだけど……昔から、よくわからないんだよねぇ」

「よくわからないって、何が?」

「あいつはさ、それが契約成立可能な願いでも、断ることがあるんだ。客が代償を支払うって言っても、がんとして受けない。何が気に入らないんだか……私には理解できないよ」

「パーウォーさんはとってもいい人だったよ。だからきっと、意地悪で受けないんじゃないと思うけど……。何か、理由があるんじゃないかな?」


 マーレの言葉に、サンディークスはつまらなそうに鼻から息を吐きだした。そしてマーレの手に孔雀石を戻すと、さっきまで座っていた机に寄りかかる。


「依頼を受けるのに理由なんているの? 私にはやっぱりわからないな。相手が代償を差し出すっていうなら、受ければいいのに。……まあ、いいや。私の鍵、パーウォーにとられないようにね」


 それだけ言うと、サンディークスはベッドらしき場所に積みあがった本を無造作に床へと落とし始めた。それら全てを落とし終わるとマーレに背を向けて寝転がり、挙げた手をぷらぷらと振りながら「またのお越しを待ってるよ~」とだけ言い残し、寝息を立て始めてしまった。

 もはや取り付く島もないサンディークス。これ以上はここにいても仕方ないと判断し、マーレはサンディークスの家を後にした。


 玄関を出た瞬間、微かな眩暈めまいがマーレを襲った。思わず額に手を当て、次いでなんとなく振り返ったマーレの視界、そこには先ほどまで確かにあったはずのこじんまりとした一軒家はもう姿も形もなく。


「朱の魔法使いには関わっちゃダメだって言ったのに」


 苦々しい声にマーレが慌てて顔を戻すと、目の前には濡れ髪にバスローブ姿のパーウォーが腕を組んで立っていた。眉間にしわを寄せ、ひどく不機嫌そうな顔で。


「あ、ごめん。なんか成り行きで、つい。でも、でもね。サンディークスさん、悪い人じゃなかったよ」


 なんとなくきまりが悪くなったマーレの口から、言い訳めいた言葉がこぼれる。そんなマーレにパーウォーは物憂げな視線を投げかけると、軽くため息をついた。


「ええ、サンディークスは決して悪いやつではないわ。だけどね、だからといっていいやつでもないのよ」


 パーウォーがぱちんと軽く指を鳴らす。すると路地裏の壁に、突如場違いの紅梅色チェリーピンクの扉が現れた。


「ここじゃ落ち着かないでしょ? それにほら、ワタシもこんなカッコだし。とりあえずウチにいらっしゃいな。そこで……少し、私の昔話に付き合ってくれない?」


 振り返ったパーウォーの表情が、一瞬だけ泣きそうに歪む。けれどそれは本当に一瞬のことで、すぐにいつもの笑顔に塗り替えられた。

 扉をくぐると、そこはマーレがついこのあいだ来たばかりのパーウォーの部屋だった。


「いったん髪乾かしてくるわね。あ、すぐにお水持ってくるから、それでも飲んで待っててちょうだいな」


 そう言ってパーウォーが部屋を出たのと入れ違いに、クマのぬいぐるみが水差しとコップを持って入ってきた。マーレは出された水をちびちびと飲みながら、おとなしくパーウォーを待った。しばらくすると横に流した髪をゆるくひとまとめにし、たっぷりのレースとフリルを使ったネグリジェに身を包んだパーウォーが現れた。


「さて、と。ねえ、マーレちゃん。ワタシの二つ名、なんで『海の魔法使い』なんだと思う?」


 パーウォーはマーレの向かいのソファに腰を下ろすと、唐突にそんな質問を口にした。一瞬面食らったマーレだったが、口元に手をやると、眉間にしわを寄せながら真剣に考え始める。


「そういえば、なんでなんだろ? パーウォーさんと海……石は孔雀石だったから海とは関係ないし…………どう見ても、見た目は人間だしなぁ」


 うんうんと唸りながら、ああでもないこうでもないと百面相するマーレ。そんなマーレの様子に、パーウォーはくすりと笑みをこぼす。


「残念、時間切れ。答えはね、ワタシが――人魚――だからよ」


 パーウォーの答えを聞き、マーレは彼を上から下までまじまじと見つめた。そして、どう見ても人間にしか見えないその姿に首をかしげる。


「人魚って、下半身が魚じゃなかったっけ? あ、もしかしてパーウォーさんって海司教ビショップ・フィッシュとか? うーん、でも手だってちゃんと人間の手だし、鱗もなさそうだよねぇ……」


 全く遠慮などすることなく興味津々で観察するマーレに、パーウォーは苦笑いを浮かべるとその額を軽く小突く。


「そんなに人をジロジロ見つめるものではないわ。それと、ワタシは正真正銘マルガリートゥム出身の人魚よ。今は魔法で人間に化けてるだけ」

「すごいねぇ。魔法使いってなんでもできるんだ」

「なんでもはできない。ワタシたちにだって無理なことはたくさんあるし、魔法使いの力は決して万能ではないもの」


 感心するマーレに苦笑いを返すと、パーウォーは静かに首を横に振った。


「そんな魔法使いの話をしてあげる。昔々、人魚族に生まれた魔法使いのお話を――」

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