7.朱の魔法使い

 あけの魔法使いサンディークス――


 それは海の魔法使いたるパーウォーをもってして、絶対に関わるなと言わしめた魔法使いの名前。


「実はね、私もお願いに行ったの。だけど私は、私が本当に望むものの代償を支払えなかった……。だから、私はあなたに賭けることにしたの」

「だけど、僕は……」

「いいのよ、別に。だって、これは私が勝手にやっていること。私は私のために、あなたはあなたのために、それぞれが思うように動くだけ」


 マーレは探るようにキクータを見た。けれど彼女の微笑みからは何も読み取ることができず、ただただ居心地の悪さを覚えただけだった。


「僕をここから出してしまって、ウィーローサ様は大丈夫なんですか? マクラトゥム様は……」

「心配ないわ。だってヘムロックは、私が何をしていても気にしてないもの。あの人は、私のことなんて見てないのよ。だから本当は私が全部知っていて、こんなことをするなんて夢にも思ってないわ」


 自虐的なキクータの言葉になんと返せばいいかマーレが迷っていると、彼女は再びすべてをおおい隠すような虚ろな笑みを浮かべた。


「さあ、行きましょう。あなたはあなたの思うように動けばいいわ。それが使えるようなら、私はそれを使わせてもらうだけだから」


 キクータはそれだけ言うと、影のような従者と共に瞬く間にマーレの目の前から消えてしまった。結局最後まで彼女の意図が掴めないままひとりその場に取り残され、マーレは途方に暮れ天を仰ぐ。少しずつ白み始めてきた東の空は、じき夜が明けると告げていた。


 ――僕は、どうすればいい?


 空を見上げながら、ほうっとため息をひとつ。しかし、いつまでもこんな場所にとどまって思い悩んでいても仕方ない。そう思い直すと、マーレは町へと向かって歩き始めた。


 けれど、やはり頭の中を占めるのは今回のことで。結局マーレは歩きながら考える。

 確かに今までも加護の力に補強された運の強さで難を逃れてきたマーレだが、今回はなんだか違和感を覚えるというか、言いようのない気持ち悪さが彼を苛んでいた。

 おそらくキクータは嘘はついていない、少なくともマーレはそう感じた。けれど同時に、すべてを話したわけではないだろうということもわかっていた。それは当然だろう。マーレとてキクータに、すべてを話しているわけではない。そもそも、そこまで互いに親密な関係ではないのだから。


 ――ウィーローサ様の本当の望みって、なんだろう? 払えなかった代償って、なんだろう?


 それがわかれば、このもやもやとした気持ちの悪さも少しは解消されるかもしれない。そうは思ってみても、それを現状マーレが知る術はなく……

 結局はキクータが言うように、自分の思うように動くしかないのかもしれない。そんなことを考えながら歩いていると、マーレは知らず知らずのうちに大きなため息をもらしていた。思わず苦笑をもらすと、一度立ち止まる。


「僕は……どうすればいい? どう、したい?」


 街灯の光も届かない暗い路地裏、マーレの声だけが空しく闇に溶ける。


「僕は、知りたかった。だから極夜国故郷を捨てて、一人ここまで来たんだ。僕は……」


 両手を固く握りしめ、物言わぬ石畳を見つめながら自らに問う。


「僕は……」

「何が望み?」


 突然降ってきた声に慌てて顔を上げると、マーレの視界は一瞬にして赤と黒の夕焼け色でいっぱいになった。


「ねえ、なにか望みがあるんでしょ? 言ってごらんよ。代償さえ支払ってくれれば、私がその望みを叶えてあげるよ」


 夕焼け色の正体――それは喉元を赤と黒で鮮やかに染め上げた、背の高いひょろりとしたイモリの獣人だった。突如現れた正体不明の獣人を前に唖然とするマーレを見て、くだんの獣人は不思議そうに首をかしげた。


「ほら、望み。何か望みがあるから来たんでしょ? いいから言ってみなよ」

「あ、いや……なんていうか、自分でもまだよくわからなくて。って、えーと……きみ、誰?」


 マーレはいぶかしむ様子を隠すことなく眉間にしわを寄せると、目の前の獣人を見上げた。そんなマーレを獣人は不思議そうに見下ろすと、ちょこんと小首をかしげる。そして唐突に「ああ!」と声をあげると、何やら一人で納得したようにうなずいた。


「そっかそっか、自己紹介ってやつがまだだったね。私はサンディークス。朱の魔法使いサンディークスだよ」


 名乗りを上げると、イモリの獣人――サンディークス――はつぶらな瞳を細め、どことなく笑顔のような表情を作る。相手が名乗ったのだからとマーレも慌てて名乗ろうと口を開きかけたその時、サンディークスは遮るように先ほどと同じ言葉を繰り返した。


「ほら、望み。いいから言ってごらんよ。代償さえ支払ってくれれば、私がその望みを叶えてあげるよ」


 思わず開きかけた口をそのままに、マーレはぽかんとサンディークスを見上げた。するとサンディークスはマーレを見て不思議そうに一度だけ瞬きをする。


「なに? 私の顔がそんなに珍しいの? まあいいや。ほら、そんなことよりも望みだよ、望み。何かあるから、ここに来たんでしょう?」


 ずいと顔を近づけるサンディークス。その圧力におされ、マーレはつい反射的に答えてしまった。  


「彼女のことが、知りたい」


 答えを聞きだしたサンディークスはあっさりと顔を引き、首をかしげるとあごに手を当てながらマーレを見下ろした。


「貴石の瞳……きみは石人か。ということは、彼女っていうのは半身のこと?」


 うなずいたマーレを一瞥すると、サンディークスは再びあごに手を当てブツブツとなにやらつぶやき始めた。そしてしばらくすると、今度はおもむろに路地の奥へと歩き出す。

 状況がさっぱり呑み込めていないマーレはといえば、そんなサンディークスをただぼうっと眺めていた。すると少し進んだところでサンディークスが立ち止まり、振り返るとこっちへ来いとマーレを手招く。マーレはそこでやっと我に返り、慌ててサンディークスの後を追った。


 そして案内されたのは、路地の奥に隠されるようにひっそりと建つ、つたに覆われたこじんまりとした一軒家。マーレはサンディークスに導かれるまま家へと足を踏み入れる。


「――レちゃん!」

 

 扉が閉まる直前、マーレは誰かに呼ばれたような気がして振り返った。けれど、扉はすでに固く閉ざされた後。なんとなく気になりドアノブに手をかけようとしたその時、サンディークスののんびりした声が聞こえてきた。


「こっちこっち~。早くおいでよ~」


 サンディークスの急かす声に後ろ髪を引かれる気持ちを飲み込むと、マーレは扉に背を向け声の主の方へと向かった。

 ぼんやりとした明かりが漏れている部屋の前、マーレは開け放たれた扉の前で、ただ唖然あぜんと立ち尽くしていた。


「どうしたの? ほら入って入って。好きなところに座っていいよ」


 扉は開け放たれていたのではなく、閉められない状態だっただけだった。部屋の中は足の踏み場もないほど色々な物であふれていて、人の侵入を拒んでいるようにしか見えない。

 雑誌から巻物から革の装丁まで、多種多様で雑多な書物の数々。様々な実験器具や脱ぎ捨てられた衣服。ガラクタにしか見えないような、よくわからない機械部品や不思議な物体……

 けれど呼ばれてしまっているので、マーレは恐る恐るその部屋に足を踏み入れた。すると案の定、マーレが足を踏み入れた途端、すぐ近くに不安定に積んであった本の山が崩れた。


「ご、ごめん! すぐ片付けるから」

「いいよいいよ、そんなの放っておいて。それよりこっち、おいでよ」


 机の上に積まれた本や道具を無造作に払いのけると、サンディークスはマーレを手招いた。


「そこ座って。で、状況教えて」


 机の前に置かれた木箱を指し、サンディークス自身は今しがた片付けた机の上に腰かける。そしてマーレが木箱に腰を下ろしたことを確認すると、サンディークスはひざにひじをつき、組んだ両手の上に顔を乗せた。

 無言でじっと見つめてくるサンディークス。その丸い瞳を見つめ返し、なんとなく大丈夫だと思ったマーレは、自分の勘を信じて事の顛末てんまつを語り始めた。

 領主の目に留まり館に連れていかれたこと、そこで人魚の娘に会ったこと、領主の怒りを買い投獄されたこと、そして領主の婚約者の娘に助け出されたこと……

 それら全てをマーレが語り終えた直後、サンディークスは静かな口調であの言葉を口にした。


「何が望み?」


 今までのことを順序だてて第三者に話したことでマーレの頭の中は整理され、もやもやとしていた胸の方もいくぶんか落ち着いていた。マーレは少し冷えた頭でサンディークスに答える。


「彼女のことがもっと知りたい。もう一度彼女に会って、このもやもやとする気持ちの正体を確かめたい」


 マーレの答えを聞くと、サンディークスはどこか嬉しそうに目を細め、少しだけ口角を上げた。そして机から降りると、部屋の奥に設置された棚から何かを取り出し戻ってきた。

 コトンと軽い音をたて机に置かれたのは、檸檬れもん色の液体の入ったガラスの小瓶。


「これは人の目をあざむき、惑わす薬。ひとたび飲めば、次の朝日が昇るまで、きみの姿は誰の目にも映らなくなる」

「これを使えば、彼女のところに……行ける?」

「たぶんね。でも、これはあくまで姿が消えるだけの薬だから。後は、きみ次第だよ」


 しばらく檸檬色の液体をじっと見つめていたマーレ。彼はうつむくと、じっと考え込むように黙り込んだ。そして再び顔を上げると、サンディークスをまっすぐ見つめた。


「代償を、教えてください」


 凪いだ声で問うと、マーレはふわりと微笑んだ。

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