7.マラカイト
翌日、ヘルメスはリコリスに当面必要なものの買い出しに追われていた。
「髪染めと眼帯は買っただろ、あとは……」
そこでヘルメスはため息をつき、がくりとうなだれた。
「服はともかく、下着……だよなぁ。どうしよう、僕が買いに行ったら確実に変な目で見られるよなぁ……」
「あら、アンタ女物の服と下着が欲しいの?」
何気なくつぶやいた独り言に返事がきたことに驚き、ヘルメスは慌てて振り返った。そして固まった。
そこにいたのは男とも女ともつかない……いや、筋骨隆々とした毒々しい派手な装いをまとった、明らかに男であろう人がいた。
「なによ、人をそんなにじっと見つめちゃって。さ・て・は、ワタシの美しさに声も出せないのね!」
「違う! それだけは断じて違う‼」
風が起こせるんじゃないかと思うような
「ふん、言ってくれるじゃない。ま、いいわ。で、何? アンタ、なんで女物の服と下着なんて欲しいのよ。自分で着るの?」
「着るか! 違う、ぜんっぜん違うから‼ 僕は……って、なんであんたにそんなこと言わなきゃなんないんだよ。いいだろ、なんでも」
「ふーん、別にいいけどぉ。まったく、素直じゃないんだから。ま、いいわ。ほら、ついてらっしゃいな」
「は⁉ って、ちょっ、腕、腕離せ!」
派手な男はヘルメスの腕を掴むと、丁度目の前にあった女性ものを扱う店へと入る。その有無を言わさぬ怪力に、ヘルメスはほとんど引きずられるようにして店に連れ込まれた。
「いらっしゃいませ。あら、パーウォー様! 本日はどうされたのですか?」
派手な男、パーウォーが店に入ると、女性店員たちは至極当然のように彼を出迎えた。その様子に、ヘルメスは改めて店内を見回す。
「ここ、女物の服屋……だよ、なぁ」
「ええ。表向きはね」
「表向き?」
パーウォーは店員に何やら指示を出すと、「さて」と言ってヘルメスの方に振り返った。
「下着まで用意しようなんてアンタ、結構気合入ってるじゃない」
ヘルメスは一瞬何を言われているか理解できず、ぽかんとパーウォーを見上げた。と同時に、店員たちがヘルメスを取り囲む。
「は? な、何⁉」
ヘルメスを取り囲んだ店員たちはなぜか全員男で、しかも皆、パーウォーと同じような雰囲気をまとっていた。
「あらあら、かわいらしい坊やじゃない」
「ほーんと、やりがいあるわぁ」
「パーウォーさまの連れてきた子だもの、たーっぷり
それぞれ勝手なことを言いながら店員たちはヘルメスの体をまさぐり、そして担ぎ上げた。
「は、離せよ! ちょっ、変なとこ触んな‼ ま、待て、なんで僕の服脱がして――」
必死な抵抗虚しく、奥へと連れ去られたヘルメスの言葉は途中で悲鳴に変わり、そして最後は
そして再びパーウォーの前に引きずり出されたヘルメスは、まるで死んだ魚のような目で遠くに心をとばしていた。
パーウォーに比べたらかなり小柄かもしれないが、それでもヘルメスはれっきとした十七の男。女の子より筋肉質だし背だって肩幅だってある。そんなヘルメスが今、サイズぴったりのレースやフリルをこれでもかとふんだんに使った、とても可愛らしいワンピースを着せられていた。しかもご丁寧に、やたら濃い化粧まで施されて。
「ほほほ、やはりワタシの目に狂いはなかったようね」
満足げに高笑いするパーウォーと、彼を「さすがパーウォーさまですわ」と褒め称える店員たち。
そんな彼らにヘルメスはすでに抵抗する気力もなく、ただ「なんで僕が……」と力なく呟いていた。
「アンタ、才能あるわよ。傷なんて隠しちゃえばどうとでもなるし、何よりその地味めな顔は化粧映えするもの」
「そんな才能要らないよ! それに僕が欲しかったのは、自分用じゃなくて女の子用! 正真正銘、可愛い女の子のための服だよ」
「……あら? やっだぁ、だったら最初っからそう言いなさいよ。てっきり照れてるんだと思ってたわ」
「あんたらが問答無用でやったんだろ! 僕はやりたいなんて一言も言ってない」
「そうだったかしら? ほほ、早とちりしちゃったわぁ。ごめんなさいねぇ」
あまり反省の感じられない口調だったが一応とはいえ謝罪されたので、ヘルメスはむっとした顔をしながらもそれ以上の追及はやめる。
「もういいよ。それより、今度こそちゃんとした女の子の服持ってきてよ。ただし、あんまり高くないやつね。それと僕の服!」
「はいはい。ま、坊やにはいいもの見せてもらったし……そうね、代わりにたっぷりオマケしてあ・げ・る」
逞しい体で
そこへ店員たちがヘルメスの服と何点かの女の子用の普段着を持ってきた。ヘルメスは自分の服を奪うようにひったくると、着せられていた服を脱ぎ捨てた。
「しっかしアンタ、一体何者? 男のくせに女物の店に顔がきくって」
元通りの自分の服に着替え終わると、ヘルメスは改めてパーウォーを見た。
ヘルメスより頭二つ分は高い身長、筋肉質な体、顔は……整っているのかもしれないが、とにかく化粧が濃い。そして何よりその装い。彼がまとっているのは、明らかに女性向けの服だ。しかも露出度の高い、きわどいもの。
じろじろと観察するヘルメスの不躾な視線などものともせず微笑むと、パーウォーは得意気に逞しい胸を反らせた。
「当たり前じゃない。だってここ『マラカイト』はワタシのお店だもの。表向きはね、かわいいもの大好きな女の子たちのためのお店。でも、マラカイトの本当の姿は裏の方。この店は、かわいい服が着たい男たちのための店。男用のかわいい服を扱うお店よ」
呆気にとられ呆然としていたヘルメスだったが、すぐに「ん?」と眉をひそめた。
「……ちょっと待って。それってもしかして僕、そっちのお客に見えたってこと?」
ヘルメスが恐る恐るパーウォーの方を見ると、彼と店員たちは一斉にうなずく。
思わずひざから崩れ落ちたヘルメスに、パーウォーは「素質あったのに残念だわぁ」と大げさな仕草で嘆いた。
「ほらほら、過ぎ去ったことは気にしちゃだめよ。それより、坊やのお相手の子はどんな感じなの」
「ふわふわしてて真っ白でかわいい子」
即答したヘルメスにパーウォーは苦笑いする。
「お熱いわねぇ。でもワタシが聞きたかったのは、その子の体型なんだけど」
「え? ああ! その、えっと、リコリスは僕より頭一つ小さくて華奢な女の子……です」
自分の勘違いを自覚し、赤くなってもじもじし始めたヘルメス。そんなヘルメスを横目に、パーウォーは適当な服と下着をいくつか選ぶ。そしてそれを渡す時、なぜかヘルメスの顔をじっと見つめた。
「ねえ、坊や」
「坊やはやめてよ。僕の名前はヘルメス」
「じゃあ、ヘルメスちゃん。……あなたのその右目、本当は見えるんじゃない?」
パーウォーの言葉に、ヘルメスの表情が瞬時に硬くなる。それを見たパーウォーはおどけた仕草で両手を上げ、敵意はないと態度で示した。
「不自然に力を入れて閉じているから、ちょっと気になっただけ。言いたくないならいいわよ。別にそこまで興味があるわけじゃないもの」
「なあ、あんた本当は何者? ただの服屋の店主とは思えないんだけど」
「ふふ。さーて、何者かしらね?」
あくまで言うつもりはないという態度のパーウォー。ヘルメスとしても余計な詮索は避けたかったので、結局そのまま口を閉ざした。
なんとか女物の服一式を手に入れ胸をなでおろすヘルメスの手を取ると、パーウォーは木目のような模様の緑色の石を握らせた。怪訝な顔で見上げるヘルメスに、パーウォーはにっこりと微笑む。
「何、これ?」
「お守りよ。いいから持ってなさい。いずれ、必ず必要になるから」
迫りくる濃い笑顔の圧迫感で、ヘルメスは石をつい受け取ってしまった。
「さ、気を付けてお帰んなさい、かわいい坊や。それと、かわいい服が着たくなったらいつでもいらっしゃい。オマケしてあ・げ・る」
「だからヘルメス! 名前くらい覚えろよ。でも、世話になった。一応はありがとう。けど、女物の服はもう絶対着ないからな」
「ほほほ、みんな最初はそう言うのよ。じゃあね、ヘルメスちゃん」
「ちゃんづけもすんな! もういい、帰る」
肩をいからせ店を出ていくヘルメスを見送ると、パーウォーは目を細めながら小さくなっていくその後姿を見つめる。
「人間、とはなーんかちょっと違うのよねぇ。かといって亜人ってわけでもなさそうだし。もしかしてあの子…………」
そこまでつぶやくと、パーウォーは自嘲気味に有り得ないと首を振った。
※ ※ ※ ※
「ただいまー」
両手に紙袋を抱えたヘルメスが戻ってくると、居間からリコリスが飛び出してきた。
「おかえ――‼」
途中まで言いかけた言葉を飲み込み、大きな目をめいっぱい見開くと、リコリスは逃げるように居間へと引っ込んでしまった。
「リコリス⁉ え、なんかあった? もしかして誰か怖い人が来たりした?」
あわあわと尋ねるヘルメスを、怯えるようにソファの陰から遠目に眺め首を振るリコリス。ヘルメスはリコリスのその様子に軽く傷つき、しょぼんと悲し気に眉をハの字にした。
「リコリス、僕、何かしちゃった?」
「違う! ごめんなさい。でも……ヘルメス、顔、怖い」
「顔?」
リコリスの言葉で、ヘルメスは何気なく自分の顔に手をやった。すると、目のあたりに何かばさばさとしたものを感じて。
「…………まさか」
次の瞬間、ヘルメスは猛然と廊下を走り、勢いそのまま洗面所に飛び込んだ。そして――
「なんじゃこりゃーーー‼」
工房にヘルメスの絶叫が響き渡った。
鏡に映った自身の顔を見て、そのあまりの惨状にヘルメスは思わず叫んでしまった。叫ばざるを得なかった。
鏡の中から絶望的な眼差しを返すのは、つけまつげやら頬紅やらでごてごてと飾り立てられた自分の顔。それを見てヘルメスは、パーウォーの店で着せ替えだけでなく、化粧もされたことをやっと思い出した。どうやらこの顔のまま帰ってきてしまったらしいことに今ようやく気付き、町でやけに視線を感じたのはこのせいだったのかと膝から崩れ落ちた。
ヘルメスはけばけばしい化粧をこぼれ落ちそうになる涙と一緒に洗い流すと、タオルで顔を拭きながら居間へと戻った。そして改めて家の中の様子を確かめる。朝、家を出た時となんら変わりはない。誰かが来た形跡も感じられない。
しかし、リコリスを攫ってきてからすでに丸一日以上。あのアワリティア家がリコリスの失踪に気づいていないとはとても思えなかった。それにこの町にいる限り、いつかは必ず見つかってしまう。
化粧を落としたヘルメスを見てリコリスはようやくほっとしたのか、「ヘルメス、帰ってきた。おかえり」と笑った。ヘルメスは少しだけ引きつった笑顔で「ただいま」と返すとリコリスの隣に座り、ローテーブルの上に置かれた一冊の本を手に取りパラパラと
「この本によるとね、世界はすっごく広いんだって。僕もまだ本物は見たことないんだけど、高い山や空の上、海の底や霧に包まれた森の中、そんなところにも町があって人が住んでる」
「空や海、人、住める?」
「うん。空には
ヘルメスの話に興味津々で目をきらめかせるリコリス。ヘルメスはそんなリコリスに、いよいよ本題を切り出すことにした。
「リコリスは見てみたくない? 海の中や空の上はさすがに無理だけど……霧の中の常夜の国なら、わりとすぐ行けるよ」
「見てみたい! わたし、いろいろ知りたい。たくさん、見たい」
「じゃあ、一緒に行こう。僕もリコリスと一緒に、色んなものたくさん見たい。常夜の国も、いつかは空の上や海の底も」
そう言って笑ったヘルメスの目は、リコリスを見ているようでどこか遠くを見ていた。リコリスは時々そんな風になるヘルメスを見ると、なぜだか無性に悲しくなる。
「ヘルメス……」
「大丈夫、全部僕に任せて。必ず……必ず、きみを極夜国に連れて行く。きみに、故郷を見せてあげる」
少年は目の前の少女にかつての愛しい人の面影を重ね、虚ろで満足そうな笑みを浮かべた。
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