2.金の瞳

 不思議そうにヘルメスを見つめるのは、白い綿毛のような髪の毛に木苺のような真っ赤な左目、そして白目と黒目の区別がなく、透き通った金色の硝子玉のような右目を持った少女。

 彼女を見ていると胸が締め付けられるような何とも言えない感覚が押し寄せてきて、ヘルメスは一人あわあわと動揺してしまった。


「あなた、誰?」


 少女はたどたどしく問うと、ちょこんと首を傾げた。そこでやっとヘルメスは我に返り、慌てて少女に謝る。


「ごめん! まさか女の子の部屋だったなんて思わなくて……。えっと、お邪魔しました‼」


 慌ててきびすを返したヘルメスの背に、「待って」という制止の声がかかる。


「ごめん、なさい。えと、人に名前聞くとき、は、自分から名乗る……だっけ?」

「は?」

「わたし、リコリス」

「え? あ、えっと、僕はヘルメス……です」


 たどたどしく喋る少女――リコリス――が名乗ったため、ヘルメスもつい反射的に名乗ってしまった。


「ヘルメス、どうやってここ、来た? 怖い人たち、お使い、頼まれた?」

「怖い人たち? いや、僕は……偶然だよ。偶然、ここに迷い込んだんだ」

「……ん? でもここ……鍵、かかってた、はず」

「いや、たまたま! たまたま開いてたんだよ」


 ヘルメスの白々しい言い訳にリコリスは再び首を傾げたが、さほど気にならなかったのか、すぐに次の質問に移った。


「ヘルメス、怖い人たち、仲間? 違う?」

「怖い人たちなんて知らないよ。だって僕ここへ来たの、今日が初めてだもん」

「じゃあ……」


 少し黙り込んだ後、リコリスはヘルメスをまっすぐ見つめた。そして――


「……連れてって。わたし、ここから、出たい」


 何の脈絡もなく、突拍子もないことを言い出した。

 そのリコリスの唐突なお願いにヘルメスはぽかんと間抜けな顔をさらした後、一拍置いて「えぇ⁉」という素っ頓狂な声をあげた。


「ま、待って! だってきみ、この家の子でしょ? 家出なんて、そんなことしたら家族が心配するよ」


 なんとか思いとどまらせようとするヘルメスに、リコリスは空虚な笑みを返す。


「家族? そんなの、もう、いない。お母さん、死んじゃった。だからわたし、ここで、ずっと一人。お母さん死んでから、五十年、ずっと一人」

「五十年⁉ え、でもきみの見た目って僕とそんなに変わらな……」


 そう言いかけたヘルメスだったが、少女の右目を見て口をつぐんだ。よぎったのは、懐かしい声。

 

『知ってるかい? ここから馬で十日ほど北に行くとね、霧に包まれた深い森があるんだ。その森の中には石の妖精たちが暮らす、常夜の国があるんだって』

 

 行ってみたいな――――そう、父であり師匠であった人が言っていた。束の間、ヘルメスは目の前の少女にかつての愛しい人の面影を重ねる。

 少女の右目。揺らめく金の、宝石を嵌め込んだような瞳。それはまさに、石妖精の『守護石』ではないだろうか? 


「もしかして、きみは……」


 そこでようやく、ヘルメスは自分の右目が不思議な反応を示したことに納得した。そして、この部屋が外から施錠されていたことについても。

 その時、階下の方から誰かの怒鳴る声が聞こえてきた。ヘルメスはとっさに右手の指輪に触れると、グノームを呼び出す。


「グノーム、外の鍵かけてきて」

「了解じゃ」


 グノームは扉の隣にある食事を出し入れするための小さな扉から外に出ると、あっという間に錠前を元の状態に戻した。そして再び小さな扉から入って来ると、素早くヘルメスの指輪の中に帰る。

 直後、不機嫌そうな複数の足音が扉の前で止まった。


「ドロースス、あれほど施錠しろと毎度言っているだろうが。いくら投幻機で入り口をくらませているとはいえ、扉自体を開けっ放しにしてしまっては意味がないんだぞ」

「でも! ……いえ、すみませんでした」


 扉の向こうから壮年の男と、不貞腐れたドローススの声が聞こえてくる。それをもっとよく聞こうと、ヘルメスは扉に顔を寄せ耳をそばだてた。


「どうやら報告にあった下民はここには来ていないようだな」


 錠前を確認しているのだろう、鍵をいじる音が聞こえてくる。

 

「まったく。いくら手が足りなかったとはいえ、あんな下町の錬金術師などに仕事を依頼するのではなかった。勝手に屋敷の中に入り込むとは、これだから品性下劣な下民は……」


 男の口から忌々しげに吐き出される愚痴に、ヘルメスは「怒ってる……よねぇ。もう二度と仕事くんないだろうなぁ」と頭の中でつぶやき、言葉とは裏腹な全く残念そうに見えない顔で笑った。


「ヘルメス。怖い人たち、怒らせた?」


 いつの間にか隣にきていたリコリスが、心配そうにヘルメスの顔を窺う。


「へへ、ちょっとねー」

「大丈夫? ヘルメスも、殴られる?」

「も? ……って、もしかしてリコリス、暴力、ふるわれてるの?」


 ヘルメスの問いに黙ってうなずいたリコリス。それを確認した瞬間、ヘルメスは思わず扉を殴りつけそうになった。


「おい、化け物。…………そこに、誰かいるのか?」


 ヘルメスの怒気が伝わってしまったのか、二人の囁き声が聞こえてしまったのか。扉の外の男の声が、にわかに緊張の色をにじませた。次いでガチャガチャと、鍵を開けようとする音と気配が伝わってきた。


「ごめん、リコリス。今はまだ、きみを連れていくことはできない」


 悔しげに吐き出したヘルメスにリコリスは首を振ると、「わたし、わがまま。ごめんなさい」とうなだれた。ヘルメスはそんなリコリスの手を取ると、今度は力強く宣言する。


「でも、待ってて。絶対、絶対に助けにくるから!」


 ヘルメスの言葉に、うつむいていたリコリスの顔が上がる。それにヘルメスは満面の笑みで応えると、すかさず左耳のピアスに触れ、暖炉に向かって走った。


「シルフ!」

「りょーかい」



 ※ ※ ※ ※



 シルフが返事をしたまさにその直後、部屋の扉が乱暴に開かれた。そして口ひげを蓄えた中年の男と、ひょろりとした金髪の若い男が入ってきた。


「ドロースス、部屋の中を調べろ」


 中年の男は若い男、ドローススに命令すると、リコリスを忌々しそうに睨みつけた。その視線にリコリスは身を固くすると、ひたすら男の怒りを買わぬようにと黙り込む。

 ドローススの方はといえば、先ほど叱られたのが不満だったのか、八つ当たりするように部屋の中を荒らしていた。


「きったねぇな。なんだこりゃ?」


 ドローススが古ぼけたウサギのぬいぐるみをつまみ上げた。それを見た瞬間、リコリスは弾かれたように飛び出し、ドローススに飛びつき叫ぶ。


「触らないで‼ 返して、返して!」

「はぁ⁉ 気安く触ってんじゃねぇよ! 気持ちわりぃ化け物が」


 必死の形相でドローススにしがみつくリコリス。その時、ぬいぐるみを取り返そうと振り回していたリコリスの指先が、運悪くドローススの頬をかすめた。瞬間、リコリスの顔からさあっと血の気が引き真っ青になる。


「ご、ごめんな――」


 即座に謝ろうとしたリコリスの言葉、それは最後まで紡がれることはなかった。

 怒りに顔を真っ赤にしたドローススに、手の甲で力任せにはたき飛ばされたから。リコリスは為す術なく床に叩きつけられ、小さな体を丸めるようにしてうずくまる。

 ドローススは痛みに耐えうずくまるリコリスのそばに来ると、手に持っていたぬいぐるみを見せつけるように掲げた。


「そんなに返してほしけりゃ返してやるよ。ほら、受け取れ」


 ぶちぶちっという嫌な音にリコリスが顔を上げると、無残にもぬいぐるみは頭と胴に分かたれたところだった。

 声も出せないほどの衝撃を受けているリコリスを見てドローススは満足し、下卑た笑みを浮かべながらぬいぐるみをリコリスの眼前にぞんざいに投げ捨てる。そして中年男に不審者はいなかったことを報告すると、鼻歌を歌いながら階段を下りていった。

 真っ二つにちぎれたぬいぐるみを抱きしめ、声を出さずに泣くリコリス。男はそんなリコリスを虫けらでも見るかのように一瞥いちべつすると、無言で部屋を後にした。


 そして錠のおちる音と引き換えに部屋は静寂を取り戻したが、少女の微かな嗚咽だけはいつまでも残っていた。



 ※ ※ ※ ※



 扉が開かれる寸前、シルフの力を借りたヘルメスはすんでのところで暖炉から塔の屋根の上に避難していた。そして男たちとリコリスのやり取りの一部始終を、シルフの助けで聞いていたのだ。


「ざっけんな‼ ……待ってろよ、リコリス。必ず、助けに来るからな」


 ヘルメスは拳を固く握りしめ決意すると、シルフの力を借りて中庭へと飛び降りる。

 本当ならば今すぐこのままリコリスを連れていきたいところだが、シルフの力で飛べるのは精々ヘルメス一人。ヘルメスは悔しさをぐっとこらえ、頭の中で策をめぐらす。


 すすで汚れてしまった顔をウンディーネの水で洗い、薄汚れてしまった服を軽くはたく。そしてこっそりと屋敷の中に戻ると、丁度塔から下りてきたであろう中年男に声をかけた。


「すみません、なーんか急にお腹痛くなっちゃって。ありがとうございます、お手洗い、お借りしましたぁ」


 へらへらと笑うヘルメスを見て眉をひそめると、中年男はふんと鼻を鳴らした。


「お前のような薄汚いドブネズミにこの家を歩き回る権利を与えた覚えはない。用が済んだのならとっとと消えろ」


 中年男は近くの使用人を呼びヘルメスを追い出すように命じると、苛立ちもあらわに足を踏み鳴らしながら立ち去っていった。

 中年男は煤けたヘルメスを見ても、なんとも思わなかった。それは彼の中では、庶民とは薄汚れているものという認識だったからだろう。あとは部屋の鍵がかかっていたことと、ヘルメスが男より先に階下にいたことが決め手となっていた。

 結果、ヘルメスがリコリスの部屋に侵入したことには気づかれなかった。ヘルメスはそれにひとまず胸をなでおろす。


 その後、ヘルメスは使用人に首根っこを掴まれるようにして出口まで連れていかれ、最後はゴミのように屋敷から放り出された。


「いっててて……まったく、あいつら何様だよ。僕の尻が割れたらあいつらのせいだぞ……って、尻が割れてるのは元々か」


 ヘルメスは下らない独り言を言いながら勢いよく立ち上がると、ぱんぱんとズボンを叩いた。そして振り返り、屋敷を見上げる。


「待っててな、リコリス。必ず、きみをそこから連れ出すから」


 そう小さくつぶやくと、ヘルメスは坂を下って行った。


 リコリスとの出会いから十日。ヘルメスはあの日からずっと、必要な買い出しや最低限の休息以外では工房にこもりきりになっていた。その工房には今、縫製機ミシンの音がこだまし、たくさんのグノームやグノーメたちが忙しなく動き回っている。


「ヘルメス、ワイヤーの方は問題ないぞい」

かごの方も問題ないよ」

「ありがとう、グノーム、グノーメ。じゃあ、あとは僕の頑張り次第だね」


 ヘルメスは腕まくりをして、再び縫製機に向き合う。

 やがて太陽が山の向こうに沈み再び海から顔を出すころ、工房に響いていた縫製機の音が止んだ。


「出来たー!」


 両手を突き上げ、連日の作業から解放された喜びに思わず涙ぐむヘルメス。その目の下にはクマが色濃く浮き出ていたが、表情は清々しさに満ちていた。


「ほれ、あとは儂らに任せて、お主は一度寝てこい」

「そうよ。私たちの手先の器用さは知っているでしょう? 安心して任せないさいな」

「試験は僕たちがちゃんとやっとくから。大丈夫、前にやったことあるし、グノームたちもいるし」

「そうそう、ボクらに任せておきなよ。それにヘルメス、女の子に会いに行くのにそんな小汚い恰好はダメだよ」


 グノームやグノーメたち、さらにはザラマンデルやシルフにまで「とにかく寝ろ、風呂に入れ」と口うるさく言われ、ヘルメスは苦笑いしながらも彼らの厚意に甘えることにした。 

 そしてシャワーを済ませベッドに潜り込んだ途端、ヘルメスは意識を失うように深い眠りへと沈んでいった。

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