蒸着水晶の章 ~オーラクリスタル~
1.錬金術師と囚われの少女
石畳に覆われた細い坂道を吹き抜ける潮の香り、抜けるような青空から降り注ぐまばゆい陽光、そしてそれを受けて白く輝く四角い
ここは海沿いの町、アルブス。南に海を臨む緩やかな斜面を切り開いて作られた、空と海の
そんなアルブス唯一の錬金工房、ここにはこの街でただ一人の錬金術師が住んでいた。
三年前に代替わりした工房の主は現在十七歳の少年――ヘルメス。
顔の右半分を人参のような赤毛で覆い隠した見た目はともすれば暗い印象を与えがちだが、しかし彼の明るくきらめく緑色の左目がその印象を覆していた。さらには鼻の頭に薄っすらと散るそばかすも愛嬌となり、彼の印象をより柔らかいものとしていた。
「よかったぁ、なんとか納期に間に合ったよー」
大小さまざまな炉や装置が所狭しと置かれた部屋に、のんびりとした少年の声が響いた。
「お疲れ様、ヘルメス」
「お疲れさん」
「もう無理。僕、これ以上働けない」
「ボクもー」
続いて優し気な女性の声、しわがれた老人の声、声変わり前の少年の声、軽やかな若い男の声が発せられた。
「うん、いつもありがとうね、ウンディーネ、グノーム、ザラマンデル、シルフ。僕がこうしてお金を稼げるのは、ひとえに君たちと師匠のおかげだもんね。本当に感謝してるよ」
へへっと笑うと、ヘルメスは自分の周りに集まってきた精霊たちを
美しく情の深い、水の乙女ウンディーネ。
あふれる知識と手先の器用さをもつ、小さな賢者グノーム。
鉄など
自由を愛し空を翔ける、風の化身シルフ。
皆、先代から託された精霊たちだ。
「それにしても今回のお客さんは、何でこんな合成宝石なんて欲しがるのかしら?」
椅子に座るヘルメスの隣に立ったウンディーネが不思議そうに首を傾げる。その際、さらりとした彼女の長い水色の髪が流れ、右耳につけられた
「んー? 別に何でもいいじゃん。お金くれるんだったらボクは気にしないけどなぁ」
ごろ寝のような体勢でヘルメスの頭上に浮かぶシルフがあくびをする。
「ほんと、人間ってよくわかんないよね。こんな
「いや、それはないじゃろう。確かにそこそこよく出来てはいるが、見る者が見れば一発でばれるわい。機械部品か何かにでも使うんじゃろう。もしくは魔術の触媒か燃料か」
作業台の上ではザラマンデルとグノームが、フラスコに寄りかかりながら雑談をしていた。
「こんな合成品じゃ、人間にはろくな魔術も使えないよ。依頼主は何かの部品に使うって言ってたし、やっぱりグノームの言う通り、機械用の部品とか燃料に使うんじゃない?」
そう言って一つ大きなあくびをすると、ヘルメスは伸びをしながら立ち上がった。
「納品日は明日だし、僕もう限界。ちょっと寝てくるんで、戸締りよろしくー」
今にも閉じてしまいそうなまぶたを気力でなんとか持ち上げると、ヘルメスはふらふらと
翌朝、日の出とともに目覚めたヘルメスは、顔も洗わず真っ先に工房に向かった。
依頼された合成宝石の納期は今日。ヘルメスは箱に収められていた合成宝石の原石を取り出すと、発注書を取り出し最終確認を始める。
円筒状の塊、
それら一つ一つを丁寧に検品しては箱に戻していく。そうして全ての作業を終えると、ヘルメスは伸びをしながら窓の外を見た。すると、つい先ほどまで水平線のすぐ上にあったはずの太陽はいまや中天に鎮座していて、白く美しい町を
「さて、それじゃ一仕事してきますか」
シャワーを済ませ最低限の身だしなみを整えると、ヘルメスは商品が入った
ヘルメスの工房は、多くの庶民たちが住む下町のはずれにあった。富裕層の住む丘の上の高級住宅地とは違い、小さな家や集合住宅がひしめき合う迷路のような路地。そんな迷路を抜けた先、そこがヘルメスの工房だ。
ヘルメスは林檎をかじりながら、ふと空を見上げる。するとそこには細長い、家と家の隙間からわずかにのぞく真っ青な空と、風に泳ぐ洗濯物があった。
細く入り組んだ路地、飾り気のない石畳、お節介で騒がしい住人達――この場所はとても雑然としていて少々猥雑で、けれど生命力にあふれていて。だからヘルメスは、この場所がとても好きだった。
今回の依頼主――アワリティア商会――は、ここ六十年くらいで一気に成長した、いわゆる成金だ。しかしその成金も今やアルブス一の
それが何の事情か一ヶ月前、今まで視界にさえ入れなかった零細工房主のヘルメスに突然仕事を持ってきた。彼ら曰く、「猫の手も借りたいほど人手が足りない」とのこと。そんな失礼極まる依頼人の言葉にヘルメスは一瞬眉をひそめたが、彼らの差し出した契約書の報酬額を見た途端、即座に笑顔で握手を交わしていた。
げに恐ろしきは金の力なり。趣味にお金をかけすぎて、月初にもかかわらず既に金欠だったヘルメスには、そもそも金額にかかわらず選択肢などなかったのだ。働かざる者食うべからず。
そんな経緯で受けた仕事、それは合成宝石の作成だった。
合成宝石とは錬金術によって人為的に生み出された宝石のことで、残念ながら今の技術では天然ものと比べると品質的に劣ってしまう。だから使い道としては、見た目の関係ない機械部品か魔術師の使う触媒用、あとは人々の生活を支えるための燃料としてくらいだ。
それはそれでもちろん需要はあるので、ヘルメスのもとにもこの仕事はよく来る。しかしヘルメスのような小さな工房に依頼に来るのは、そのほとんどが個人か小さな商店主。アワリティア商会のような大店から注文を受けるのは、今回が初めてだった。
「しっかしホント、何に使うんだろうなぁ、これ。……変なことに使わなきゃいいけど」
ヘルメスは自分の左手にある鞄を見て、今更ながら不安をこぼす。
背に腹は代えられぬとつい受けてしまった依頼だったが、本当はアワリティア商会とはあまり関わり合いになりたくなかった。確かにアワリティア家はこの町一番の大店で古くからの地元の名士なのだが、最近は少々きな臭いというか、不穏な噂が絶えないのだ。曰く、人身売買に手を出しているとか、私兵を集めているとか……。しかしそれよりなにより、ヘルメスが関わりたくないのはまた別の理由だった。
「やめてください」
突如、歩いていたヘルメスの耳に飛び込んできたのは、泣きそうな女の子の声。
「いいだろ、別に。減るもんじゃないし、ちょっと付き合ってくれって言ってるだけなんだからよ」
「いいから来いって、ほら」
見ると、往来のど真ん中でガラの悪い男たちが小柄な少女に絡んでいた。その二人の男を視界に入れた途端、ヘルメスの眉間に深いしわが刻まれる。
そう、ヘルメスがアワリティア商会に関わりたくない理由。それは大通りで少女に絡む男たちにあった。
ドロースス・アワリティアとストゥルトゥス・アワリティア。
アワリティア家の三男と四男で、その素行の悪さで悪名を轟かせている問題児たち。彼らは家や金の力を使いやりたい放題で、当然ヘルメスも迷惑を被ったことがある。
「……あんのロクデナシ兄弟」
忌々しげに吐き捨てると、ヘルメスは左耳の
「頼む、シルフ。力を貸して」
「いいよ。女の子をいじめるやつ、ボク嫌い」
次に右耳の
「ウンディーネ、お願い」
「まかせて。あんな女の敵、放っておけないもの」
ヘルメスが細い路地に身を隠すと、同時に精霊たちが飛び出した。
するとまず最初に、シルフがドローススとストゥルトゥスの胸を押して突き飛ばした。
『女の子には優しくしなきゃダメだろー』
普通の人間には精霊たちの姿はおろか、声も感知できない。だから往来の人たちにはもちろん、ドローススとストゥルトゥスにも、不意に突風が襲ってきたようにしか見えなかった。
「おわっ⁉」
「ぐへっ‼」
無様にしりもちをつく二人。そこへ待ってましたとばかりにウンディーネがやって来る。
『ふふ、お仕置きの時間よ』
「ち、違う‼ くそっ、見てんじゃねぇよ! 殺すぞ、手前ら」
「あ、兄貴ぃ」
顔を真っ赤にして周囲に怒鳴りちらすドローススと、真っ青にして兄にすがるストゥルトゥス。
そんな二人に注がれる視線はつい先ほどまでの怯えをたたえて遠巻きにしていたものではなく、いまや完全に生温い憐れみと嘲笑に変わっていた。
「畜生! 覚えてろよ‼」
路地のヘルメスからでもわかるほど顔を真っ赤にしたドローススは陳腐な捨て台詞を吐き、半泣きの弟を一発殴ると、逃げるようにしてその場から走り去った。
そして戻ってきたシルフ、ウンディーネと手のひらを叩きあわせる。けれど、とうとう堪えきれなくなったヘルメスは、腹を抱えて笑い始めた。
「あははは、やった、作戦大成功! ざ、ざまーみろ、ひひ、あんの馬鹿兄弟」
「うんうん、すっきりしたねー」
「ふふ、これで明日からあいつらのあだ名、小便小僧かしらね」
ひとしきり笑い満足すると精霊たちを耳飾りに戻し、ヘルメスは当初の目的地を目指して歩き始めた。やがて見えてきたアワリティア家の門を見て再び緩みそうになる口もとを必死に抑えながら、何食わぬ顔で入門審査を受ける。その後は特に問題も起きず、無事納品を済ませたヘルメスはアワリティア家を後にするだけのはずだった。
はずだったのだが……
応接室を出ようと扉をくぐろうとしたまさにその瞬間、突然ヘルメスの右目から涙が零れ落ちた。その後も涙は止まることなく、ぼろぼろと止め処なくあふれ続ける。すると、出口まで案内してくれようとしていた使用人もさすがに怪訝な顔をし始めた。
「どうかされましたか?」
「いえ、その……急にお腹が痛くなってきちゃって? すみません、お手洗い貸してください!」
「は? って、ちょっと‼」
「困ります!」という使用人の制止の声を振り切り、ヘルメスは右目の
「ここが終点?」
ヘルメスの目の前には、これ以上の侵入は許さないとでもいうような錠前付きの堅牢な扉が立ちはだかっていた。しかしヘルメスの直感は、「この扉の向こうに答えがある」と囁く。
ヘルメスは右手の指輪に手を添えると、グノームに語りかけた。
「グノーム、あれ、出してもらえる?」
「了解じゃ。ほれ」
声と共に返ってきたのは数本の針金。ヘルメスはそれを受け取ると何の迷いもなく鍵穴に差し込み、当然のように解錠を始める。そして数分後、錠はヘルメスの前にあっけなく陥落した。
「本当は僕、錬金術よりこっちの方が得意なんだよねぇ」
ヘルメスは誰に言うでもなく得意気に呟き、扉を開けた。
扉の向こう、そこはこじんまりとした質素な部屋で。暖炉、小さなテーブルと二脚の椅子、簡素なベッドに小さな本棚と
「……誰?」
ふわふわとした、真っ白な少女がいた。
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