21.奇跡と代償

 鬼気迫るミオソティスにも動じることなく、魔法使いは相変わらずのゆるりとした口調で答える。


「ん? いや、言葉の通りだよ。残念ながらお嬢さんの加護の力は消えちゃったんだ。ごめんね。どうもお嬢さんの加護の力と僕の使ったあの魔法、最高に相性が悪かったみたい」

「本当に? 本当に私の力、消えたの?」


 興奮のあまり、ミオソティスは手に持っていたカーバンクルをつい思い切り揺さぶってしまった。しかし、「酔っちゃうから揺らさないでぇ」という魔法使いの情けない声で我に返り、慌ててカーバンクルを寝台の上に置いた。


「ごめんよー、うぷっ、だからそんなに怒らないでぇ。あー、百花の魔法使いマレフィキウムの名にかけてお嬢さんの加護の力と視力を取り――」

「いらない‼ やめて、怒ってなんかないから絶対に戻さないで!」

「え? えぇー」


 ミオソティスの剣幕と石人いしびとあらざるその言葉に、さすがの魔法使いもたじろぎ困惑していた。

 石人にとって加護の力とは己の自己同一性アイデンティティともいえるもの。だから、まさかその石人本人から加護の力を戻すなと言われるとは、魔法使いも思っていなかった。どうしたものかと魔法使いが考えあぐねていると、当の石人の少女からまさかの「ありがとう」という言葉。魔法使いの困惑はますます深いものとなった。


「私、ずっと自分の力を消したくて、その方法を探してたんです。それでオルロフ様と出会って、ロートゥス様とあんなことになって……。それが寝て起きたら解決していたなんて、まるで夢みたい!」

「えーと、お嬢さんは本当にそれでいいの? それに君の左目、もう二度とものを見ることができないんだよ。それをそんなにあっさりと……本当にいいの?」

「だって、右目は見えますし。だったら問題ないわ。それに、無償の奇跡よりも、代償のある奇跡の方が私は安心するの。ただより高い物はないって言うでしょ?」

「ふぅん、そういうもの? 僕だったらタダで貰える方がいいけどなぁ。でも、お嬢さんがそれでいいって言うんならいいや。じゃあ、僕はもう消えるけど……カーバンクル、ちゃんと返してね」


 その言葉を最後にカーバンクルの額の石から光が消え、唐突に現れた魔法使いは、やはり唐突に消えてしまった。

 すると、それまで魔法使いとのやり取りを黙って見守っていたオルロフが、何か言いたそうな顔でミオソティスを見た。しばし、二人の間に何とも言えない沈黙が降りるが、そこへまたしても空気を読まない間延びした声が割り込む。


「助けてくださいよぅ……って、あれぇ?」


 息を吹き返したはいいが、わけがわからずぽかんとするカーバンクル。それを横目に、オルロフはいつもの彼らしくない、はっきりしない物言いでミオソティスに話しかけた。


「力、消えたんだな」

「はい。色々ありましたけど、まさかこんな結末になるなんて! 世の中って何が起こるかわかりませんね。……オルロフ様。今までたくさんご迷惑をおかけしまして、本当に申し訳ありませんでした」

「いや、いい。今回のことは俺も原因の一つだったんだ。むしろ、俺の方が迷惑をかけた。だから、お前が気に病むことはない。それより……お前は、これからどうするんだ?」

「そうですね……まずは家族と一緒に、色々なところに行ってみたいです! それから、今度こそ友人を作って、あとは…………」


 高揚するミオソティスとは対照的に、オルロフの方はどんどんと落胆していく。しかし、新しい人生に思いを馳せるミオソティスはそんなオルロフの様子に気づくことなく、あれもこれもと、次々とやりたいことを思いつくまま口にしていた。

 しばらくしてミオソティスが一息ついたところで、オルロフは意を決したように口を開いた。


「なあ……その、さっきの夢のことなんだが」

「さっきの夢? 将来の夢のことですか?」


 ミオソティスの返答に「覚えてないのならいい」とだけ言うと、オルロフはしょげたように肩を落とした。ミオソティスにはオルロフが落ち込んでしまった原因がわからず、ただ、その哀愁漂う背中に申し訳なさを感じることしかできない。

 結局オルロフの落ち込んだ原因はわからずじまいで、その後はミオソティスの体調のこともあって解散という流れとなった。


「それでは、私もこれで失礼しますよぅ」


 来た時と同じように、カーバンクルは器用に二足歩行でバルコニーへと歩いてゆく。そして露台の手すりによじ登ったところで、不意に振り向くと、水かきのついた手で口もとを押さえながらニヤァと笑った。


「そうそう、さっきのご主人の魔法の発動条件の口づけなんですけどね……アレ、頬とか額とか、別に口じゃなくてもよかったんですよぅ」


 そして絶句するオルロフに「もう、兄さんのス・ケ・ベ」ととどめを刺すと、カーバンクルは機嫌よく喉を鳴らしながら飛びたっていった。

 残されたオルロフはカーバンクルが消えた空に向かって、「男ならあそこは唇一択だろうが!」と叫んだ後、「帰る」という一言を残し、どこか逃げるように帰ってしまった。


 ミオソティスは何が何やらわけがわからず、助けを求めるように家族を見た。しかし返ってきたのは、アルビジアの生温い視線と両親の微笑ましいものを見るかのような笑顔。そんな家族の反応に、なんだかミオソティスまで居た堪れなくなってきて、羽毛布団を頭から被るとそのまま寝たふりをした。



 ※ ※ ※ ※



 忘却の力が消え去ったおかげで、ミオソティスは国の監視対象から外れた。おかげで自由に屋敷の外に出られることになり、ミオソティスは今まで叶えられなかった望みを存分に叶えることができる環境を手に入れた。

 もう誰も、ミオソティスのことを忘れない。だからたくさんの人と知り合えたし、友人と呼べる人たちもできた。けれどそれと引き替えに、会えなくなってしまった人がいた。


 オルロフ


 あの日からすでに二月ふたつき経ったが、迷いの森へ行っても王城の夜会に参加しても、オルロフの姿を見かけることは一度もなかった。ここまで徹底的に見かけないとなると、ミオソティスにはもう故意に避けられているとしか思えなかった。

 それでも。避けられているというのなら、せめて理由が知りたい。だからミオソティスは今日も一人、あの時の約束を胸に迷いの森をさまよう。あの時、人間たちがこの森に侵入してきた時、確かにオルロフは言ったのだ。


 ――俺に言いたいことがあるんだろ? だったらそんな簡単に諦めるな。後できっちり聞いてやるから、今はおとなしく俺に助けられろ――


 それを拠り所に、ミオソティスは毎日毎日、それこそ一日に何度も迷いの森に足を運んだ。すでに季節は夏から秋へ、そして一足早く極夜国ノクスは長い冬に入ろうとしていた。

 深い霧に包まれた森の中、ミオソティスは硝子の樹に背を預け、乳白色にけぶる空を見上げる。


「……嘘つき。オルロフ様の嘘つき! ちゃんと聞いてくれるって言ってたのに」


 オルロフへの文句と一緒に、ミオソティスの口から白い息がこぼれる。すでに冬の気配を漂わせ始めた森の空気は冷たく、ミオソティスはお気に入りの外套ケープを手繰り寄せると、膝を抱えるようにして顔を埋めた。

 あれから知り合いや友人はたくさんできたけれど、その代わりに一番そばにいてほしい人がいなくなってしまった。そんなままならない現実に、ミオソティスの瞳からぽろりと涙が零れ落ちる。


「嘘つき……嘘つき嘘つき嘘つき! オルロフ様なんて、もう知らない‼」


 初恋は実らない――いつか読んだ本に、そんなことが書いてあったな。

 ミオソティスはぼうっと取り留めのないことに思いを馳せ、そしてまた少し泣いた。悲しい気持ちを涙で流して少しだけ立ち直ったミオソティスは、そのまま何をするでもなく見えない空をぼうっと眺める。


 霧に閉ざされたこの森は、まるで今の自分の心のようだとミオソティスは思った。

 オルロフへの気持ちはこの霧のようで、消そうとしても次々と生まれてくる。そのせいでミオソティスは迷子になってしまったのだ。でも、霧から抜け出したくても消したくても、オルロフ原因がいない今、どこにも進めない。

 だからミオソティスは迷い続けている。霧の中を延々に、ぐるぐる、ぐるぐる、と。


「もうやだ! オルロフ様のバーカ、おたんこなす、すっとこどっこい‼」


 誰もいない森の中、オルロフを罵るミオソティスの声だけが虚しく響く。けれどミオソティスは、とにかく自分の気が済むまでと、これでもかとオルロフへの文句を吐き出していた。


「ヘタレ、言葉足らず、後はえーと……あ、ムッツリスケベ!」


 途中からオルロフへの悪口を考えるのに夢中になっていて、ミオソティスは自分に近付いてくる影の気配にまったく気づいていなかった。まさに声をかけられる、その瞬間まで。


「おい、ずいぶんな言い草だな。それと、ムッツリスケベは心外だ。俺はムッツリじゃないぞ」


 そんな台詞と共にミオソティスの目の前に現れたのは、二月も音信不通で消息不明だったオルロフその人だった。

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