~豚足~(『夢時代』より)
天川裕司
~豚足~(『夢時代』より)
~豚足~
〝靴減らし〟に家に在った自分の靴を片端から再構して行き要らなくなった古い物は別に設えた箱の内へと次々放り入れて、残った茶色の革靴を初春(はる)の涼風(ようき)に漂いながら暫くじっと眺めて居た。心無くも古さにこびり付いた過去達の表情(かお)が浮いては消え浮いては消え行く茶色の表皮に物憂く澄んだ水色の魂(こころ)が宿った様子で、俺の体は初夏に咲き行く人間(ひと)の盛りに間に合うようにと自身を底上げ、大抵の立場を操(と)れるようにと算段して行く泡(あぶく)を講じた。
〝…新しい靴に変えるべきか、それともこのまま古い靴に止(とど)めて置くべきか…〟
自身の据え所に暫く悩んだ俺にはその頃初春(はる)の涼風(ようき)も見知らぬ顔して小言を並べる白砂を見せ行き、これまで独歩(ある)いた自分の過去(れきし)を底上げ成るまま涼しくしたのをその場に佇む自分に知りつつ次第に埋れる栄華も知った。無思考(むしこう)に帰納して行く無数の断片(あるじ)が記憶と現在(いま)とを彷徨い始めて孤高を勝ち取り、道行く無数の人群(むれ)に走り寄る俺には何処(どこ)の誰とも見知らぬ屈強から成る群象(かべ)のようなものが仁王に立って底上(どだい)を誘(いざな)い始めた。これまで厚底の革靴(くつ)を履きつつ街中(まち)を独歩(ある)いて中途のように表情(かお)を窄めて見得なく成り得た孤高の正体とは又俺の脳裏に無数に飛び交うもので、苦痛を生まない司教の教訓(おしえ)に背かず一新受洗(あら)って自活(ノルマ)を採り行く初夏(なつ)の寝間には遂に儚く燃え立つ無想が在って、俺の躰は熱さを知らずに行水して行き、渡航に暮れた幼女の姿勢(すがた)を隈なく捜して私家しか)を解体(こわ)して試算を求め、合せ鏡に希望(ひかり)を知るのを既知として居た。鼓動を讃えて身内の悶えを即座に捨て去り、そうかと思えば又あの虚空へ浮んだ寝室(ねむろ)に住み行く傍人(あるじ)の行方を足場を馴らして追憶するのは火影(ひかげ)に点(ひか)った青春(いのち)のようで厚手に構え、一人芝居に猛って精を費やす主人の活躍(うごき)は何処(どこ)へも止まれず阿呆と成った。初春(はる)の見栄(ひかり)が未だ病まないお道化の傘下へ投身して行く我(ひと)の日の事。
これまでずっと身の丈按じて他(ひと)と調子を合せて背伸びをして来た孤独の無踏(ダンス)を覆(かえ)して見れば泡(あぶく)に散り行く無数の一連(ドラマ)が人間(ひと)を介して頭脳を擡げて欲を勝ち取り、仄かに萎え行く孤独の活性から得る独歩の調子は今にも転倒(たお)れ果て行く律儀を見せ行き私闘を携え、行く行く気勢を紡いで外へ出るのは自我(おのれ)の分身だけだと何処(どこ)かで利いた歩調(ちょうし)を摘み取り私営に沿えて、俺の人体(からだ)は当面咲き行く一連(ドラマ)の内でも主役を担える漢と成り得た。
燦々と陽(ひ)が照る人群(やま)の麓へ降(お)り得た夢想の襲来とは又、俺の意向に反して自然を操り涼風(かぜ)を紡いで白日(ひなた)へ立たせ、俺が読解の能力(スキル)を合せ取るまで意味の白亜は阿り知らずに巡学(じゅんがく)して行き、硝子ケースに程好く火照った嗣業の無機には俗世で束ねた天人(あるじ)の私闘が盛りを呼んだ。俺の矢先は知らぬ内にもきらきら輝く四旬を映して目下へ咲き落ち、俺の思春は動転しながら欠伸を抑えた他(ひと)の好意に程好く成り立ち淡さを抱いた嗣業(むくろ)を抱(だ)きつつ青息(せいそく)を吐(つ)き、次に歩先が矛盾に観たのは恐らく既知に備えた過去(むかし)の美麗に脚色講じる施設であって、白い施設は未熟を呈した俺の眼(まなこ)へすっと解け入り、何処(どこ)かで咲き得た合格(かたち)を成した。白天(はくてん)に満ち得るように咲き得た固陋の骸は次第に活性(いのち)を剥き出し白雲(くも)の真下で四肢(からだ)を調え形成され得て、俺の目前(まえ)には矛盾を消し得る大学(シグマ)が佇む。確固とした独歩に連れ添い、遠近奏でた記憶を辿れば新旧問わずに子供も大人も勇んで出て来て俺に佇み、俺は西田教授が教鞭執るのを間近で見て居りゆらゆら笑い、次第に煙が晴れ出す矢先に細く浮んだ廊下が走って俺を独歩(ある)かせ、知らぬ間(あいだ)に俺の足には薄ら延ばした厚底靴が義務を知りつつ貼り付いていた。無理の無い程度に人陰と体温とを引き連れ、自分が目指そうとする群象(やま)の頂まで辿ろうとはするがその二体(ふたり)を連れる際でも自然と躰が重く、一つ一つの言動(うごき)に対して皆意味など追求して行き自身が掲げた目標でさえその異彩(ひかり)を放てず地に埋れて行く為あの手この手で体温(ぬくみ)の在る一声(いっせい)を確立しても如何ともし得ない不発のような一体が宙へ浮んで俺を誘(いざな)い、又如何ともし得ない環境(しぜん)の内へと埋没させ行く灯(ひ)を作り出すから俺の躰は何処へも行けずに唯目的を頭上遠くへ据え置く儘にて、白日に晒す不毛の算段等を啄んで行く。もう直ぐ台風が来ると言うニュースを間近で聴いても一層(いっそ)これ迄に仕留めた平穏を以て無事に履き替え、七転八倒して居た過去(むかし)の喜び等には到底着けぬと白々地団駄踏み行く俺の未熟が如何でも讃歌され行き、他(ひと)とは違う自己(おのれ)の人道(みち)をと、軽快成るまま独歩(ある)いて見てもその人道(みち)の装いすらも煌めかないまま又宙(ちゅう)へ舞い飛び味気も無くなる気化に帰すると憤悶(ふんもん)抱(いだ)いて寝間へ転んで、他(ひと)の足音(おと)だけ聴いて地団駄踏んでる。西日の当たり始めた白壁が丁度山吹色に体を染め上げ行く頃、俺の未熟は脳裏を独走(はし)って言葉を投げ遣り、友人の一人も居ない校内へと辿り着いた様にて、未だ自分を虚飾して行く厚底の音頭と算段しながら見栄坊から成る独歩の四体(したい)に期待をして居た。友人は一人も居なかった。又、表情(かお)見知りと友人とは違うものである。
何時(いつ)か、白い頬袋に黒い斑点と仄(ほ)んのり灯った夕日の様(よう)に灯る淋しい紅を抱いた女性の准教授が生徒を集めて教鞭を執って居た様子で、その女性(おんな)が准教授だと分かると直ぐ様周囲(まわり)は活気付くように体裁繕い、自然に澄まして学業へ勤しむ独立学舎を夫々享受したまま学徒と成り行き、丁度白色を講じた夕日の波線(ちょうし)が自然に逆らい東へ向いて昇(あが)り始めた頃には一掃され行く学徒の強靭(つよ)さは各々それまで被(かぶ)った体裁を下げ従順極まる研究者と成り、他(ひと)から知られる学生風情を十分吐き出す二身(にしん)を擁した。内一人は正直者で一人は整えられ得た修士の様(よう)だ。俺は彼女の講義が仄(ぼ)んやり尽力して行く猛夏の内にてじっくり身を出す見栄坊から成る傷の一種を未だに大事に抱えて在りつつ他の生徒へ見せ行く為の豪華な経歴(あかし)を捏造して行き、追随成るまま足場(どだい)を引き上げ唯自身を繕い大きく見せ得る仕業に尽力して居り、脱ぎ捨てられずの厚底靴が俺の麓でほっこり笑った。しかしその厚底を以ても生来勝ち得た上背の低さは誤魔化せない儘ぐんぐん伸び行き、他の生徒が誰も自分に注目しないで自然に居るのに欲深眼(よくぶかまなこ)が「腫れた俺の心中(こころ)」を如何(どう)にも出来ずで腑に落ちず、又試算が窮まり事実の有無を捏造した後〝俺の躰が軽く見られているに違い無い…〟など浮き彫り沈めた地中に髑髏を隠した儘にて無情に訴え、緊々(きつきつ)に縛った靴の表皮を緩めて背伸びをし、尚も歩けぬ程度(ほど)まで自身を高めて浮足立った自尊を呈した。〝この靴は底上げしててもずっと以前(まえ)から使い続けて踵も擦り減り、内履きもほとほと靴の中で前の方へ擦(ず)る剥けるように落ちて仕舞って、十分に俺の背を高くしてくれていない。新しい厚底靴をきちんと用意したのに、あれをまだ履いていないからだ…!あれを履いたら俺の上背は今より少しは浮いて(伸びて)、他の奴らの俺を見る目も違うに違い無い…!〟、そんなぐだぐだを四方八方、手足の延び行く儘にて続けて言って講義の内容(こと)より自分に対する呵責の程度が大きく成長して行き所々で愚図(ぼろ)も引き出し、西日の当った教卓、教室、机、椅子、人の表情(かお)、等を途方に暮れつつ傍観している俺が居た。無論、他の学生達にはそうした俺一人の憤悶抱えた奮起の私情(こと)など露も伝わらないまま涼風(かぜ)を浴び行き終鐘の鳴るのが大事のようで、まるで幼少(こども)染みた闊歩の程度(ほど)を俺の心中(こころ)へ灯した儘にて歓喜を憶えた溌剌に居る。知らない間に、否俺が覚えた既知の経験(きおく)を準えながら予定調和で終了していた講義の後(あと)で俺の躰は自然に動いて西田准教授の体温(ねつ)が灯った教卓まで行こうとするが、他の調子付いた学生達がわんさか教授を取り巻き一向終らぬ雑談へ華を咲かせていた為億劫なるまま俺の思惑(こころ)は歩幅(ちょうし)が合わずに、何か喋ろうとして居た算段を根元からぐっと抑えて呑んだ俺の歩足(ほあし)は全速力で教室から出た。帰る事しか頭に置けないで居た。そうして帰宅する際、その教室内には、以前(むかし)に俺が嗅いだ、経験していた、懐かしくも唯自分が食み子にされたような、虚しく、途方も無く唯広く延びた虚無が活け捕る空間(ひろま)を意識して居り仲間が居らず、もし何処(どこ)かに居たとしても決して長くは話せず不変の壁を見せ付け行くまま会話を萎(しぼ)ます盲想(おもい)が在った。形成(かたち)に成らぬ自覚(ドグマ)が急に身近に感じられ行く現行(じっさい)の内では俺の嗣業も行く当て探せず萎む他無く、巧くも行かない夢想(ゆめ)の発展(うごき)は現実跳び越え夢想(ゆめ)の内でだけ活き行くものと、俺に微笑(わら)って話し掛けていた。
その教室を何度も出て行くが出て行けないまま雰囲気(におい)を知り続けて行く俺の両眼(まなこ)は見知らぬ儘にて次々姿勢(すがた)を化(か)え行く女教授・西田房江を遠くに仄(ぼ)んやり観て居り、薄ら白染(しらじ)んだ黒板の麓(まえ)では活気を灯して展開(うごき)を陣取る冷たく火照った学生が居て、複数に延びて分れた学生とは大体女で男はちらほら、それでも集って女教授(きょうじゅ)を崇めて在った。沢山居て、活気に火照り、西田の斜光を打ち消す程度に微熱を発した光景なのに一瞬足りとも美声(こえ)が飛ばずに無音の体(てい)にて、俺は白々燃え行く嫉妬を密かに隠せず度重ねた教室への来訪を機に一度、女教授(きょうじゅ)へ向けて闊歩を兆した。年の離れはそれだけ無言に屹立なるまま酒肴を傾け逡巡衒った壮年足るを窄めて行くのだ。しかし、教卓から身近に置かれた席であるのにそこから幾ら呼んでも独歩(ある)いて行っても俺と西田との距離は大きく進展しないで、少々草臥れ、下火に白熱され行く群象(むれ)の気色を眺めて見れば西田の姿勢(すがた)は固い儘にて俺から離れて、唯遠くに置き遣り景観され行く一定(さだめ)と成るのに相応しく、とぼとぼ独歩(ある)いた俺の歩足は向きを変え行く操舵に構えた「海図を失くした体(てい)」にてゆっくり漂い、涼風(かぜ)に遣られて気色を知り得た。最早群象(むれ)は疎らに散り行き、熱尾(ねつび)に灯され在った無言の壁には誰でも入れる見出しを冠してたえて居たのに、俺の向上(きりょく)は怒号を発して反省無いまま思春に阿り、女教授(きょうじゅ)を欲して、危ない妖艶(サイン)に未知を知ろうと陽気に成り行く歩調を知った。
近付けないまま絢爛豪華に咲き添えられた教卓を目下に思春を講じた俺の徒労はふんわりふわりと宙へ舞い散る群象(かれら)の覇気を見抜いて自然と構え、良く良く聴けば、その不動の砦に交され得た内容(こと)の数多は俺をも囲んだ自然(くうき)の程度も左右するほど強い気質に至った遊戯で在って、手付かずに届かない儘どんどん活き行く群象(むれ)の思考はまるで政治を動かし固く閉ざした鹿鳴から成る摂理であって背景(じじつ)を語らず、徒労に耽った俺をも擁した。そんな一団へと変わった少数の群象(むれ)は夕日の逆行に幾度と知れずに不順を起(きた)らせ渡航に阿り、俺の海図を失くした儘にて操舵を操(と)った狭筵に呈する矛盾を介し、首肯するまま肯定して行き、泡(あぶく)の様(よう)に咲き得た群象(むれ)の尾鰭を無視する体(てい)にて程好く離し得たのはまるでこの精鋭達を生む為、密かに講じた施策であって、序論に注目して居た俺の視線(め)は唯現行(じじつ)を説明して行く視点の配慮に長けていた為施策の程度(ほど)でも目下を束ねる試論と映り、これから未だ試行の効果が手懐け得る現行(じじつ)の空転(うごき)が出て来るだろう、と思索に咲いた俺の独創(こごと)は連呼され得た。そうした施策、試論、試作は事も無げに大きく設えられた容器に入れられ、俺の独創(こごと)は微熱を携え独歩(ある)いて行って、矢先に拵え、まるで俺の為にと公言され得る少数(むれ)の主(あるじ)が認めたものとは、学生達を束ねて教える合宿の日取りであって、未だ日時・場所等が説明されずに記されて在るのは常日頃に見た唐突間も無い仔細に引かれた加減であって、拍子抜けさえ忘れた俺には次に出て来た合宿なる魔物に引かれた体(てい)にて協調問われ、知識を問われて、動けないまま無声を発した。始めは軽く灯った無装(むそう)のオルガに絆されたまま気を良くして居た俺であったが、そうした未熟が次第に現行(じじつ)に近寄り見境失くして、在る事無い事振り撒いて居た空間(じかん)の多さに統率され行き少数なれども西田を慕う若い力に翻弄され行き、孤独を知り得た若い向上(きりょく)が白刃を剥き出し飛び入(い)った矢先は〝合宿〟であって、周囲(まわり)に集う自分と立場を同じにした学生から出て主張(いしき)を問うのは余りに不品で転倒して居り、仕方が無いまま西田の呈した、少数の学生の呈した〝合宿〟の一案へ乗じる他無く、西日の咲いた微温(ぬる)い教室(へや)には体温(ぬくみ)の灯った熱気が生じた。〝合宿〟だけに留まるかと思いきや、西田は躰を起して右手を上げて、かっかっと黒板の中央から少し右辺りに大きく、今からやるべき課題のようなものを短文に纏めて記して行って、西田の動きを具に観察して居た俺には直ぐさま勘が働き、〝多分宿題にされるやろうな〟等、身近に咲いた思索に寄った。その内容とは、端正に纏められた内容でありながらも結構し終える迄には時間が掛かり、又、難しくしようと思えば幾らでも難しく出来そうな代物(もの)であって俺を悩ませ、俺は早くも本気でやるか手抜きでやるか算段始めて、結局、西田房子という関東出身の准教授が束ねる授業で出された課題である為〝手抜きは不味いか…〟と成り行き右手を握り、必要事項を手帳に落した。西田女教授は慶應の国文科から同院へ渡って修士を得て居り、関西の某私立大学へ舞い降りるように下りて来た品の良い嬢風の一女であって、上に姉が居、結婚して居り、大学までは叡山で経由し通勤して居る。器量(みため)は非凡を外して溢れた〝地味子〟に埋没し得るが身内へ秘め込む感性、品性等は経歴(かこ)が物言い劣勢を得ず前向きなるまま美行(びこう)を灯して、特に国文科の授業ではグロテスクに活(い)け捕られ得た詞考(しこう)の程度(ほど)が甲斐を効(こう)して学生達にも人気を博し、俺にとっては唯、この人気の盛気(せいき)に嫌気が在った。関西気質に充満していた俺の周囲(まわり)に一輪咲き得た異国の華みたく臭気を撒いて俺を愉しませるだろうと呑気に構えた矢先(さき)であったから俺の表情(かお)は房子に緩んでしまい、房子は又俺に向けて特別な思惑(いしき)を抱いてくれるだろう等と、根拠の無い徒労に独走(はし)った俺には一度は早稲田の校地を踏んだ意地が芽生えて房子の学業(ちから)の具合(ほど)に嫉妬に近い競争心を抱いて独走して居り、如何にも成らない環境(しぜん)の守りに諦めながらも理想を営み自身を見上げ、房子から確立して離れた男児の姿勢(すがた)を模索して居た。雑草の様な思索(おもい)を箱庭にでも入れるように大事にしながら房子を追った白日の内には、房子を他の女達から上手く離した契機に光る房子自身のエロスが在って、内にも外にも触手(てあし)を延ばして成長して行く房子の姿勢(すがた)が一瞬なれども俺を射止めて仕舞い、俺の手足は房子の触手(てあし)に訓(おし)えられてしまった。上品と堕落とを一体に揃えた西田房子という固く華奢に咲き得た一女教授が俺に現れた時から、准教授という経歴(かこ)の若さに魅入られた俺にはそこいらの頭の禿げた教授よりも数段巧みな教授と成り得て愚行を踏まされ、孤高と成り得ぬ我が身の無頼に脆弱(よわ)さを仕込まれ修行させられ、そうして孤独に居らせる覚悟を教えた張本人と房子(あるじ)は成ったのである。出された課題は当然国文に纏わる論文(せつめいぶん)であり、それまで幾枚も書かされた大学特有の稚拙を講じ文学を浮かせて、俺の心中(こころ)は既に施策を外れて房子を眺める観察に活きていた。そうした俺の情景に気付くように房子は取り巻き連中と大いに笑い、笑った話題は内輪へ秘めつつ俺の傍(そば)など過ぎ去るような疾風(かぜ)を吹かせて話題の手足に拍車を掛ける。皆が独歩(ある)いて行った跡を見ながら俺の思惑(こころ)は、彼らを呼び止める術も自身が追い付く術も他に思える術は何も無いまま瞬時に切り替わって行く現行(じじつ)の形跡を呈する皆の足元を見詰めて忙(せわ)しくなって、とろとろ流れる空間(じかん)を漂う温味(ぬくみ)を知らない内に、重い体を引き上げ起して腰を擦り擦り教室を出てから廊下を独歩(ある)いて行った。
独歩(ある)いた矢先(さき)には赤い絨毯敷きの広く大きな階段が在り、これは良心館という一校舎に据えられた硝子の壁の手摺の付いた一階から昇る階段と酷似しており、沢山の人群(むれ)を用意していた。その派には男の集団(グループ)、女の集団(グループ)が輪を掛けるように自分達夫々の世界を牛耳り練り歩いて行き俺の前後左右をびっしり固めて、男も女も皆一様にして上背が高く俺の背丈は埋れて行った。俺より若い若者達にはまるで感情が無いように冷たく強い動力(ちから)が動いて前進して行き青空(そら)を見せつつ、囲いに巻かれた密室(ひみつ)の雰囲気(きもち)を外へ漏らさず俺だけ捕えて伝えて来ており、俺は又何時(いつ)ものように「くっそぉ…、一億八千キロ憶メーターは俺の周りに来んな!鬱陶しい…。何でこいつら皆こんな背が高いねん、高い奴らばっかりやねん…何でこいつらこんなに伸びんねん、タッパでかい奴ばっかりやしよぉ…!」等とことことじとじと変えられない一定(さだめ)に対して放擲しながら文学に纏わる気勢を問い掛け、ずんずん独歩(ある)いて早口任せに愚痴を噛(しが)んだ。そうして本音を心の内にてそこから湧き出るような嫉妬に絡めて咄嗟に輝(ひか)った歩行の密度は仲を違(たが)えて散らばって行き、階段を下りる前から俺は左へ、奴らは右へ、まるで初めに決められていた歩先(ほさき)へ向かって行進して行き、進行(すす)む間は何にも邪魔されないまま悠々歩ける軽装(なり)に孤踏(ことう)を踏みつつ軽く射止めた目的地まで行き姿を隠した。
黒い太陽に、程好く焼かれた熱泥(ねつでい)を想わす「繁華の最中(さなか)」に進み入(い)った俺の孤独は、動体(からだ)が麻痺した為か仄かに涼しい一風(かぜ)を感じてレトロを知りつつ、懐かしく晴れ上がった住宅地へと続く公道を目下に頭上へ輝く虚空を映して俺を抱き込み、やがて解け込む様に地下に沈ます地下鉄の階段が目先に現れ俺を誘(いざな)い、その階段を昇るように下りて行った俺の脳裏は、細く小さく華奢に輝(ひか)った田所正志氏の残影を幻想(ゆめ)に伴い活き活きし始め、俺の歩調(ちょうし)を具に尋ねる言動(うごき)を呈して非凡を操(と)った。奴は躰が小さく動きも誇張しないであらゆる諸事にも小さく構え、無駄を言わず、寝転びながらも果して自我(おのれ)の文学の在り方等を考え続けて主張は白紙に書き付け、社会に跳び立ち、一度も働いた事の無い強靭(つよ)みを俺に呈してニートと慕われ、転んだ矢先に賞を手にした文学士である。田舎の高校を出てから何処(どこ)へも行かずに自宅に居座り、母子家庭ながらにずっと母親に手間を掛けさせ養われ勉学し得た期待の文士であって、曖昧なるまま俺には安堵を兆せる契機を講じて温存され行き、隠れた才智に才能(ちから)を落して世間に通った文士であるから俺の興味はすっかり解(ほぐ)れて彼に纏い付き、似た境遇を現在(いま)に束ねた俺の支点を始点へ化(か)える迄にはそう長くも掛らないかと確認しながら、ゆっくりじっくり彼を観るうち大樹を憶えた。恐らく俺と同様の人生に対する感想を持ちながらにして震える両下肢に力を入れつつしっかり構え、途方に暮れ行く夢への試算を頻りに延ばして勝利を得ようと、奮闘して居た経歴(かこ)の思索(ドグマ)が有り有りと見え、そうして瞬時に輝(ひか)った創思(そうし)の果てには見積り募った俺の不甲斐が活性され得て大口開けつつ田所氏の活躍を美味く呑み込み、糧にしようと施策を講じて、穴だらけですかすかした我が躰への活力(ちから)を見付けて血液が通うように自然に隠れて充填しようと大樹に寄るのを好んで居たのだ。しかし田所氏は俺と違った作品を創る、田所氏は俺には書けない作品を創る事が出来る、否、俺が書く物も田所氏には書けない、と思い出しつつ、結局〝寄らば大樹の陰〟への理想は手足を挫いた。独歩(ある)きながら俺は自分を支える靴を見た。これまで独歩(どくほ)に徹した俺の両脚(あし)を具に痛めて苦しませて来て、その苦労の内実を覚られまいと多勢を排する体裁(かべ)を作った自分の愚図が一つ一つ表情(かお)を起して俺に見せつつ反省させた。隠れた厚底靴を履いて居るのを周囲の多勢に悟られまいと普段なら気にも留(と)めない見もしない対象を事細かにぱっぱっと振り返って見たり、人知れずに厚底の為に構築された靴内の手造りのダムと底裏の罅割れを補強したこれまた手造りのゴムや紙板の出来合いを垣間見、それからゆっくり眺めて、これまでして来た自分の苦労を馬鹿らしくも静々、慰めながら反省して居たのである。そして恐らく人気(ひとけ)の無い道まで来ると俺は靴裏をもっと良く見ようと身を屈めて片足ずつを上げつつ、歩く者のしない姿勢(すがた)を以て靴を返して底の具合を見定め始めた。すると、すっかり、底上げしていた既成の踵が皆削げ落ちて失(な)くなっており、他所で靴製造業者・支店の戦略勝ち、売る為の汚行、〝次買え作戦〟、等又在る事無い事捏造しつつも微動だにせず憤悶(ふんもん)して居り、苛つきを覚えさせ行く程度の摩擦に脆弱(よわ)い踵の木の部分・ゴムの部分等が一気に見えた気がして怒声を忘れた体(てい)にて俺は止って疲労の最中(さなか)に驚いて居た。蓋を開けば本当に、木とゴムで出来た踵の部分が失(な)くなった儘にて革と内履きだけを足下(あし)に敷いて道路を歩かされつつ疎らに和んだ摩擦の熱には気付けもせずまま指先等は空を見詰めて、たった一枚皮だけ踏み締めながら歩行を揃えた俺の姿勢(すがた)は体好く仕留めた不良に整えられていたのであって、〝よくこんなで俺、歩いて居たなぁ…〟など落ち込みながらに明解(めいかい)へ溶けつつ、同時に、自宅の自分の部屋内に新しく買い置き手工を講じた新品の厚底靴と切り替える「替え時」を知らされて居た。
しかしそう考えながらも、新しい革靴に履き替える時には、厚底にするため靴の内に幾つも重ねた紙折りやスリッパの踵を仕込んであるため足首のぐるりを囲む固い革に圧迫され行き痛めてしまうと、馴らす迄には大変な覚悟と労力・時間が掛かると経験より予測して居り、新しい厚底靴がきちんと在ってこの憂鬱を吹き飛ばす用意はすっかり出来てはいるが、これまでと同様の苦労をする覇気が如何にも湧かずにしゅんしゅんして居り、俺は変らず微動だにせぬ暗い気持ちに苛まれて居た。とは言え、こんな踵を全て切らした内容の無い厚底靴を誰が履けるか、と絶対の思いと替え時を知らされていた俺には既に新しく固い厚底靴へと乗り換える決心は在ったのであり、後(あと)はどれだけ上手く滑り込むように体(からだ)を馴らして誤魔化し得るかが重点と成り行き私闘を重ねて、目下流行(なが)れる多勢を見た頃俺の心算(はる)は座った。
新たに覚悟を決めて愈々見えた自宅の門前(まえ)迄来ると俺は自分の両頬(ほほ)をぱっぱっと二度程叩(はた)き、気合いを入れつつ玄関迄への段を上(のぼ)った。その時、しゃがんだ心の右横で何かが降って落ちて跳ねたのを見た。小枝のようだった。その小枝は過去に見知って味わい失くした跳ね方をしたため俺に冴え無く、横に止った枝体(えたい)までもが小物に見えた。
そうしてふと、ぴゅっと言って頭上、詰り自分の部屋の窓からそれ迄の俺を取り巻く気色と光景とを身動(みじろ)ぎせずに監視して居た何者の存在に俺は気付いた。それは嘗て俺を困らせ恐怖させ行き、一室と荒野に於ける戦慄を教え込ませた映画「エクソシスト」の男女の傀儡・リーガンを彷彿させ得る存在だった。それを知りつつ俺は急に自宅へ戻って行くのに恐怖を憶えた。
その所で開眼させられ、最後に認めた頭上に咲き得る窓向こうに構築されたのであろうこの自室に、ベッドに横たえ寝て居る自身をはっきり見知ると不快が襲って独創(こごと)は冷めたが、自身が喪失され行く魅惑の頭上(うえ)には赤く灯った眠りが表れ、多勢に攻め行く一体の恐怖に又安堵を憶えて冷静なるまま不思議を感じた。
~豚足~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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