~津波~(『夢時代』より)

天川裕司

~津波~(『夢時代』より)

~津波~

 「信仰生活に於ける自訓」として、「一途に神を信じる事。人に対しては礼儀を以て相対する事。自分に与えられた仕事には、一生懸命に尽す事。」、「まあ君の為に書く、作品。」として、「まあ君の為に、作品を書く。まあ君が心から救われる物。構想と、契機を掴む事。まあ君一人が救われれば、それで良し、と出来る心を俺が持たねば成らない。神様の事を書いて、今のまあ君の救いに成る土台・環境を掴む。その為には、〝英雄(ヒーロー)振る癖〟を止(や)めなければ成らない。」、「無題」として、「俺は、神を、イエス・キリストを、信じたい。無知とは、生粋の物であり、成長を呼ぶ物であり、自由を呼ぶ物だ。自分に劣等を感じる時は、良い時だ。人に親切に成る事が出来、遜る事が出来る為だ。そこから熱が生れて、自分の事、諸事に対して一生懸命に成る事が出来るのだ。一定の出来た人に、私は成りたい。必要な時に勇気を出せる男に俺は成りたい。神を見ながらにして、人を見たい。自分が好きな仕事(神が私に与えた仕事)に、本気で打ち込みたい。生涯を懸けて。男の本能が、俺の邪魔をする事がある。独りで神を愛する事が出来る力が欲しい。現代の女の内に、俺は、良さを見付ける事が出来ない。故に、〝女を見る目〟が俺には無いのだろう。人は、神を信じるしか無い。その〝信じる間〟とは、何十年、一生、掛かるかも知れない。それだけ『信仰を守る事』とは大変なものである。この世では寿命が短い為に、直ぐに結果を求める人にとっては辛く、人の尺度では神の意志とは捉え辛いものだろう。何が在ろうと他人の為に生きる事が、〝本気で生きる事〟なのかも知れない。親子に始まった事は〝悲劇〟ではない。〝神による人への恵み〟である。神が、俺を、段々と、充実させて行って欲しい。あのクリスチャンの娘に、パラダイスに住む母の様な存在を見た気がする。死期が近い者が優しく成れる、という理由は、この世での競争心を失い、神の姿を本気で見ようとする為か?場所へは、神から得た目的を以て行くべきだ。俺には、あの牧師が持つ様な、学生である彼等が持つ様な、多数の者達を包容する力が無い。しかし、少数を包容する力が在る、と信じる。その少数の者達を包容出来ればそれで良し、としたい。」、として無法の旅に出ようと努めたがあわよくば蹴散らされる混沌・カオスの世代の波に蹴倒されるような足掛けを得て後(のち)、俺の夢想は一刻も早く白紙に又何か描き出さねば成らないとして汗を掻く間も無く、唯黒い闇に一つ戦慄を走らせる程の自然の迸りに光を当てた儘俺の背中を体好く包んで居た。

 陸前高田市を想わせるような、どこかこう仄々と心を和ませつつもこれから嵐が来そうな気配を程好くその懐へと忍ばせて居た窮境の仕切りの内に俺は居た様子であり、根っから自然災害が及ぼして来る人畜への被害を嫌う俺には〝慌てん坊〟が跳ね起きて淡く教師の元へと走り去って行くという無数の人魂をこよなく見て居た様子さえ在り、彼(か)の桃源郷が折好く心中へ埋没せられた頃にはこの世に蔓延った無数の教師やドグマ達が更に表情(かお)を隠した儘で疎通し得ぬ互いの夢の内に各々姿を隠し、やがては見得なく成って行った。俺の目前には青空と白雲と、遠方には竹林と森林とも言い難い小高い丘の上にびっしりと生え茂った密林の様な対象(もの)が在り、又足元から恐らく海辺の方まで延びて行く砂利とコンクリとも言えぬ砂地が迷走する様に駄々広い体(てい)で緩やかなスロープとカーブとを描いて居り、それ等の環境はまるで自然へ解け入るように密度も厚さも保(たも)てない儘すんなりそのまま受け入れられ行く様子に在った。俺は、否俺達は、こうした景色、景物を望める天然の高台へ陣を構える様にして居り、恵み豊かな自然から得る恩恵とも言うべき高所に於ける絶景を、白雲拡がる天空から程好く受けつつ自分達の行く末を次第に按じ始めても居た。その高台にはまるで俺達に当てられたような古いとも新しいとも言えぬ神社の体(てい)を見せ得た平屋が在って、その家屋には常日頃から使い慣れている日用品から少し奥まった所に何時(いつ)も置かれたマニアの使用する様な物品まで在り、薄暗くも手広く日曜を賄えるようにと小ざっぱりした小さな空間を設けた程好い三人から四人程が居座る事の出来る居間には、所々が禿げ掛りながらも年季を込められた焦げ茶色の卓袱台が、来客、その家の家人からでも真面に望める様にと堂々と置かれて在って、その居間の暗さを又程好く差し込ませる白光を以て辺りを照らし「人の住める民家の栄華」を掲げる迄にと、「阿った空間」を作らないのが立ち所に成り立ち人を刺し、寝そべらせて、俺などは何時(いつ)か此処まで辿り着く過去に見知った「或る種の職人でも住まわす程の贅沢の満ちた空間」であるな、と静かに、仄かに、仄々した瞳(め)で眺めたのである。「俺達」とは、俺を含めた何処ぞの教会から派遣されたボランティア、市民の様相を呈した白熱色の人種が肉食・草食兼ねてそこに集って居たのであり、そうした彼等を男女含めて束ね終えた当教会のもう一つの目当てでもある修養の為にと掻き集められた人材達がそこに居た理由からであり、その様な白熱化した血望に富んだ人種が居た為、その陸前高田に於いて俺は幾人もの知人・友人・はた又親友とも呼べる手合を見付ける事が出来た事もあり、そうした伏線が血族とも成る「人種」の焦燥(あせり)を看破した後(のち)他の者等も互いに解け合い落ち着き出して、知己に富んだ無謀とも採れる一致団結をその場所で図り始めて居た。確か俺一人は、恐らく俺一人が関西地区の京都の実家を離れた矢先に此処まで来て居り、無数に派線を延ばした挙句の冒険をまるで手中へ納める如くにその景色を、情緒を愛して止まず儘、又心の何処かでそっと緑を欲したようで、遥々やって来たまるで転勤先の現場で程好く飛び散る人の散漫と散乱とを見守る迄に成人した後(のち)、慌てて光り呟く景色の雑音(ぞうおん)を聴く破目にも成ったのだった。他の者等は皆相応の人脈(ルート)を辿って相応の人色(じんしょく)を以てその場所へと臨んで来て居り、自ら出向くのとは少々違った経路を辿り〝白熱した海〟とは心中に於いて外界から得た産物(もの)であったらしく、同場所に於いて俺の心身(からだ)と解け入るようにその突起は既に解体されつつ緩いカーブを描いて在った。空から吹いた緩い歪曲(カーブ)を描いた後(のち)に、そうした一体(からだ)を巧く自然(あるじ)に紛らせながらも人脈(ひとのつな)へとゆるゆる下り生(ゆ)く温風(かぜ)の体裁(かたち)は不動を徹し、俺と「人種」の心身(からだ)の火照りを上手く繋げる幻想(ゆめ)の情緒へ吸い込まれている…。

 陸前高田に着いた矢先の俺達は暫くの間自分達を程好く取り巻くそうした環境の程が自分達にとってどれ程の対象かを見極める為春望を心に兆す為名々でお皿を取り分ける様にして啄み終えた春の暖風を見える形に取り置き、又賞味する為、その高台から少々下方へと離れた又程好く海辺に近い平地に聳える修養所に居た。その「修養所」とはまるで中世にでも建てられたかの様に少々の躍動を醸し終えつつ明暗を程好く呈し果てた〝悟りヶ丘(さとりがおか)〟を想わせる風貌を成して居り俺達はその内に吸い込まれて在り、やがて冬が去り行き安全な春望が到来するその日迄、として設けられたような学生各自へ当てられた戒律を奮起しながら掲示した密動を隠し持って居て、小鳥が空で、周囲で鳴いてもびくともしない儘で呈し続ける清廉の真言(しんごん)を、未だ未完へ帰して仕舞う程の収斂を絶えず闊歩させつつ常に安泰の御霊へとその頭部を絆せた儘の体(てい)にて、密林の内でまるで暗躍して居る様に在る。その海辺で程好く仄かに熱尾(ねつび)を持たされた人種に遭いに来た孤独の生とは既に又物言わぬ主導の闊歩へと先行く場所(あかり)を教えられ、儘に表情を紅(あか)らめた儘の態(てい)にて姿勢を正され、人生を象って行く信仰への補針(ほしん)をすら感けて見果てぬ人のドグマから得る戯言への阿りには又辛く固い厚紙の様な鉄壁(かべ)を想わせて居た。又その「修養所」から程好く掛け離れた野原の土地には街が見え、これから白波と桃(ピンク)色から黒色へとその姿を変え行く野原の拡散を新鮮に見て受け取ろうとして居る淡く輝く一瞬の覚悟への温もりがその街の内には存在して居て、又その暑く照り輝く街の一歩手前の同じく草原色した土地の上には田圃が辺りを隈なく蹴散らす程にその体面をせっせと、唯、整えて居る。酷く田舎が社(やしろ)を問われず徐に人へ曝け出してしまう景色がその所に在って、その修養先の玄関の引き戸に薄く固く嵌め込まれて居る白銀色した擦り硝が自体の内に見せたのは、遠くへ敷かれ果て行く平屋の群れであり、その各平屋一艘ずつの周囲(あたり)へ敷かれ置かれた田圃の層であり、又その一層ずつの間隔を取って極端な静景(せいけい)を表面へと掲げた田毎の各狭間を貫く一本か二本ずつの細道(あぜみち)である。そうしたごろつきの様にして泡を上空へと吹き上げ又己(おの)が体へ吹き落ちるのを待つ光景の主体は一帯を目前遥か遠くまで更に延ばし行く穴だらけの絶景ごろごろして在り、唯俺やもう一人か三人には、寂れた田舎を灯した珍景、郷土を程無く香り立てては遠方に居る旅人の興味を程好く火照らす地方独特の文殊が青空と黒土(こくど)との間に在る様に捉えられつつまるで好色を極められる程の冷静を諭した。

 又その「俺達」の内には不思議な事に俺の父方の田舎に引き込む叔父や従姉妹の兄・姉、弟・妹等が疎らに散って居り、それ故の血縁が功を奏して団結を見せるような春雷は遠くを未だ行き歩いて居た俺の四肢を引き寄せ啄み終えた人への侵食を黄色(おうしょく)の骸へ帰して沈静して行き、白身を呈し続けられつつ好色を期して在る個人の尽力の程は又もや俺の頭上へと落ち行き、飛び交い、微温湯(ぬるまゆ)に浸された一個の肉質の様に潤(ふや)けて俺は妙な仲間意識を取り置いた儘、〝なあんだ結局皆知り合いだったのか〟等とお道化て立った道化師(ぴえろ)に己が放ち続けては他人を騙して居た様相を変え行き、所々に寂寥が着古し果てた暈(ぼや)ける蓑を手に持ち悠々と又自然の脳裏へと解けたようだ。その様にして自然の眼(まなこ)の内で彷彿へと絆された儘己が味わったミクロの積雷を遠空の彼方へと置き遣った孤高は又一端の襲名を着せられ温故知新、輝き募らせて来た人に依る名誉の延命へと又視線(ひとみ)を向けさせられて、俺の故郷はこの地、陸前高田が醸した嵐の内の静けさを恐らく騙し騙され測量を計(けい)し果てつつ緑を奏でる彼(か)の一端(いっぱし)の天来を見縊り終えて静かに儘に食卓へ着き、唯他者を持て成し悪が蔓延るこの栄誉の姿を悉く、唯滞り無く、世間へ押し出して見せようと決めた孤独な夜毎へ終着した儘明日を夢見た。

 しかし果して俺が憶え尽した彼(か)の〝中屋敷(なかやしき)〟は、時折互いが他人である事によって結果に於いては唯集められた集団と成る為又嬉しい対象(もの)とも成り、集められた未熟な改進を得させられ得た年端も行かぬ再来達は又此処で互いの心身(からだ)を貪り喰う様にも成り、白色を講じた自然の壁の群れが用意した後塵を排する骸毎の喧騒の行方とは誰も知り得ぬ闇夜の内の暴挙と化しつつ又珍景と成り行き、橙(オレンジ)色した夕日が東から西の上空へと昇り着いて周囲(あたり)を照らすまでに、一体一群(ここ)から何人程の犠牲を出せば自然は皆己(おの)が社(やしろ)へ骸の内へ己(おの)が自筆(にくせい)を得た儘還るのか、と段々不思議に覚えて奮起せられて、闇夜へ飛び立つ子烏の群れ達は夫々の派閥が呈し講じた一線図に当てられる対極を対に己(おの)が声明とした儘、遂に新しい渡海地(パラダイス)へと熱を運び得たのだ。故に我等が講じて互いに託し終えた密かな声明は各自の胸中に於いて激しく火花を散らせながらも疎通を司る為の一線を描き始めて、その線上に乗せられた各々の思惑とは又郷里を離れた個人の独創をも包容しながら一本の葦を樹立し、何処とも言えぬ人の憔悴が帰る果てでは自ず我等を束ねて一団の化身へと個性を強めて変えさせる程の強靭が置かれたものと、我等は決め込み各自の特典とした。喋り合い易く、助け合い易く、自分の思惑を伝え易く協力し易い個性が念じたパラダイスの断片(かけら)を俺達はその処で既に見知って居たのである。

 修養キャンプで予定されたような各プランを各自が熟(こな)して行く内に、その修養所から一つ道路(三~五メートルの幅を呈す道路)を挟んでその向うに在る海が確か始め、悪天候の為かと思われる程の大荒れを自分から程好く離れ得た遠方(おき)で束ねられて伏して在り、その「遠方」の故に修養所、その近隣に建った家に居る者、又高台に建った平屋の家人達は始めさほど慌てた様子を見せずに避難の為の算段と望遠する為の興味への算段を講じて居て、何か突拍子も無い物事か再度自分達の周囲(まわり)に起きない限りは絶対にこの場所から離れないとした決心の様なものを見せて居り、唯望遠しながら〝凄いなぁ〟等と口相応に言い放っては上方を見上げ見下げて無責任な体(てい)を保ちつつ階下から上階へと上がり下がりを繰り返して居た様子も在り、平屋、スロープ、竹林、密林、空を遥か隅々まで覗ける畦道、田圃、スロープを下りて下方に在る修養所と街の民家を望める平地との間を、まるで高台と平地との往来を繰り返すようにして各自が興味を埋める算段とは横行して居たものであり、その「往来」の様子とは文字通りに内と屋外とで火葬を散らして興味が保った火種を尽して仕舞える程に激しく咲いて居た。言葉を抑えつつ在った俺達の内から出た一人の若者が、その海の荒れ方や空を漂う気配の呈する明りの加減を察知して、一刻も早くそれ等の内から我等を刺す程の危険が功を奏して現れる現状(じょうたい)に成り変わった時には報告する事、を胸に微熱を保ちながらじっとして居た。この「察知」に至る迄の土台を束ねた各観察とは、唯公式に水位が上がるか否かを見るものではなく、その観察者が自発的に〝今の海がどのような状態に置かれて在るのか〟について確認する為の〝安全装置〟成る物を開発した上で取り成して居たまるで自家発明成らぬ〝自家発電〟を想わせる非常に粗末な物で在ったが、得てしてこうした大惨事には何か大掛かりな趣向を凝らした施策は粉微塵に帰して誰にも理解され得ぬ儘に徒労と化す事を夢の内だてらか皆は知って居た様子であり、皆、夫々が夫々の過去に於いて見知った映画のワンシーンに活動・活躍されるような個人が成した記録というものに縋り付いた儘、その温盛(ぬくもり)から唯離れようともしない節さえあった。しかし俺はそうした中でもその海の荒れ具合、天候の悪循環等をそれ以前に於いてニュース・ラジオにより報されて居た為、地震か何か天変の地異により自分達が佇んで居る現地(ここ)まで津波が押し寄せて来る事を知って居た事もあり、この「観察者」が又自発的に凄い対象(もの)を見る事に成る、又その「観察者」からの報知を通してその周囲に集った俺の仲間・他者達にも空が落ち行く程に仰天する途轍もない地異を見果て行く事と成るだろう、としてわくわくそわそわ眠れない心地に在った。

      *

 海は大荒れに荒れ出し今にも予め設けて居た防波堤を乗り越え俺達の領土を侵食して来そうな猛烈な勢いに在った。そうした光景に付随する様にして「これはやばい!早く逃げよう!」と既に高台の平屋に避難して居た俺が未(ま)だ取り残されて居る家屋に在る母親、友人達に言ったがその平屋の玄関に据えられた擦り硝子窓の僅かな隙に見得た俺達の周囲は既に一~二メートル程度の海水に依る浸水に在った。揺れ動き、何処かへ家毎連れて行って仕舞えそうな波立つ海水は俺達をあっと言う間に包んだ様だが、中々動かずじっと堪える俺達、否その平屋の土台に暫し屈して居たのかこの家屋の内には未だ海水が入っていなかった。しかし高台に在り、周囲にはスロープや田圃、畦道と続き、遠方には見晴らしの良い内に望める天然の竹林成らぬ密林が在りつつ隣家は無く、在るにしてもその歩けば土煙が上がる程のスロープを一キロ程下りた矢先に拡がった平地に建てられた対象(もの)であった筈が、その海水が我々の居た平屋を囲んで水の音を程好く五月蠅く響かせる折には高台が平地に移ったように平屋の周囲には民家がそれも区分けされた様に多数並べられて在り、余りに咄嗟の事だったので俺はその現状(うつりかわり)には唯黙って従って居た。此処まで浸水を許した挙句に未(ま)だこれ程避難せねば成らぬ人々が水の内に在った事は我々が構築した安全対策を講じて行く過程で見過ごして来た自然から与えられた情報がより此処へ来て活性された為、と言えるもので、それ故大体全ての迅速を要する事態への対応が後手に廻っている各自の困難を見た時、俺は唯残念、無念に苛まれて居た。

 一瞬俺の理想に奏でられた旧い妄想が周囲(あたり)と周囲に居た人人を包み込んだ為か、次に玄関先、又平屋の周囲を見ると波打っていた黒っぽい水は引いており、まるで浸水する以前の市である様に道や田圃には陽光が程好く差し込み蝶や湧水の生命が唯源泉を讃えるかの様にして在り美しく見え、頭上には小鳥が囀りながら見下ろした前景(ぜんけい)には疎らに人が泥(なず)む長閑な好景が在った。その「好景」とは都会に田舎が同居した様な不思議に暈(ぼや)けた明暗を創り出して居り、その霧の様な呆(ぼ)んやりの内には月と太陽が互いを照らす様にして共存して居て、その妙景を呈する思想の源とは俺が以前に見知った田舎の風景に在る様だった。

「今だ!」

として、これ以上待てば俺達はもう確実にこの坩堝の縁(ふち)より擦(ず)り落ちて仕舞って又逃げられなく成る、と覚(さと)った俺は、このまるで時空を戻した上で妙景にも映った呆(ぼ)んやりを眺めた〝俺達〟と共に塒(ねぐら)を取り換える様にして道を歩き出し唯前方へ誘われた儘、直ぐに各々の家屋から今必要な物だけを取り揃えて、この高台の避難所へ(俺は再度)雪崩れ込んだのであった。その時からこの高台の平屋は皆の棲家と成った事で当面の避難所として扱われる様に成り、まるで何彼(なにかれ)組織の本部の様にして居座り、皆が結局戻る場所として扱われ始めた様であった。濃い緑と薄い緑を晒した森林の葉、畦道に生えた葉、目前に敷かれたまるで野球でも出来そうな程に広々とした敷地に咲いた葉達が俺へ顔を向けつつその印象を認めた。又その頃から、俺はこの平屋が誰の民家なのか分らなく成り始めて居た。

 その民家から、自然の移り変わりを眺め、暴風と津波が来るの引くのを、同様にして避難して来た可なりの人数を博する人々と共に垣間見る破目と成って居た。それから又、二度ほど津波がこの避難所へ迄やって来たようだが、何れも直ぐに海へと還り、避難所に集った人と共に野次る様にしてその光景を見て居た。しかしそうして居る内に、東日本大震災の壮絶を思い出し描きつつ、何時(いつ)あの様にこの場所も変えられてしまうか、と常に考えさせる不安が皆の心中に於いて自発的に芽生え出し、そうした人人の絆が或る特定のドグマを練り出し引き出し始めて居たのか、薄らと各自の心中にまで延びて来る一連のドラマは遠の昔に置かれて忘れられて居た事を望郷の筵に於いて初めて身を繕う程に思い起こさせられて、俺達は手に手を取った儘又妙な仲間意識を育んで行こうと同志の花を茶色の天井へと掲げ迷走して居た。その所で又俺は同時にふと、津波に呑まれた儘で流され行く人に与えられ得る恐怖成るものを知って居た。その緊張を一端(いっぱし)に張り終えた心算(つもり)で構築し尽した己のドグマをこの一室にて保てた事を程好く喜び、少数の仲間が何時しか去った後でふと又目を上げて前景を眺めて見れば、その避難して来た輩の内には体好く茶髪や金髪をした男女が混ぜ込ぜにされるが如く紛れ込まされて遊んで居り、軟派に身を任せて汗を掻かずに海楽を欲しがる男女もわんさか居り、程好く仲間意識を結託させられた各自の場所が集まったその一箇所に於いても俺は皆が屋外でして居る遊びに参加しないで唯縁側に黙ってしみじみ座って居た様で、遣り切れなかった。彼等は俺の目前にて、緩く段々畑に成った様な避難所に面した広大な運動場の様な敷地で陣を張り、唯きゃっきゃっと騒ぎ揶揄(から)かい又無邪気に遊んで居た。

 その避難所と成った昔造りの平屋の内には何時の間にか俺の母親が又移り住んで来て居て、母親は俺達が居る避難所の一間に据え付けられた縁側の足元に沢山脱ぎ捨てられて在った靴や下駄を、津波が再び来ても濡れないように、又直ぐに履いて逃げられるようにと算段した上で「もっと内側に寄せて」と俺に言い、俺は直ぐに母親が言う通りにした。しかしそうして居る内にも、〝津波が実際来たら、結局こんなもの全部流れてしまってこんな事をしたって意味無いだろうに〟等と俺は内心呟き呟きしながら母の顔は見ず、唯地面を凡そ眺める程に近く落した頭を振り振りしながら古い物から新しい物迄並んだ皆の履物を整頓して行った。二度目の津波が陸へ上って来て引いた後の、田畑が膨大に拡がって見えた避難所お抱えの前庭では、波(みず)がそう成したのか、稲穂がプラスチックの様に奇麗に照輝(てか)らされて固められ、皆同じ方を向いて軽くその先端だけが薙ぎ倒されて在り、そこで遊ぶ若者達は橇(そり)でその上を滑って行きその儘向うの竹林または密林の内へと飛び込みながらカッカッと笑って居た。

 この避難所を支えようとした為か、俺はこの避難所へ辿り着く迄にこの所に根を下ろして皆を賄う美味しい料理でも作る事の出来る素材を育もうとボランティア精神を謳歌させながらカッカッと胸中には熱を灯して居たようで、その俺に賛同して来たのか、或いは俺が彼等に賛同してそう成ったのかは知れないが、複数人が避難者が来る以前にこの所で最低限の実りを得ようと必死に成って居たのはあの二度目の津波がやって来る直前の夕暮れの事だった。



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~津波~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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