第2話

 子供が生まれて、こんなにも自分の子供がかわいいとは思わなかった。

 私は積極的に育児に関わった。

 オムツ替えはもちろんのこと、病院の父親学級で習ったすべてを実践した。

 沐浴も片手で耳を押さえ、ベビーバスに入れてカラダをガーゼで洗ってやった。育児が悦びだった。

 

 紙オムツが主流の時代だったが、麻理恵は妊娠中から布のオシメを100枚縫ったり、子供との外出用の内側が防水になっているベビーバッグを作ったりと楽しそうだった。

 子供は母乳で育てるということで、私は毎日妻の「乳搾り」をした。

 どんどん母乳で張ってくる胸をタオルを当てて搾り、乳腺症にならないようにと余った母乳を捨てた。

 

 「飲んでみる?」


 妻が言った。私はそもそも牛乳があまり得意ではない。だが興味はあった。

 

 (母乳ってどんな味がするんだろう?)


 私も母の母乳で育った。それは忘れた母の母乳の味と同じなのだろうか?

 私は妻の乳房から直接母乳を吸ってみた。酷く不味かった。


 「こんな不味い物を飲んで育つのか?」

 「でも母乳で育てると免疫力もついて風邪を引き難くなるそうよ」


 麻理恵が颯太に授乳している姿は実に美しいものだった。

 陽だまりの中で颯太に母乳を飲ませて微笑む麻理恵。一生懸命に母乳を飲んでいる颯太。

 私たち夫婦にとっての子育ては苦ではなく、実に楽しいものだった。

 夜泣きをすることも少なく、颯太は静かに笑う子供だった。

 妻の麻理恵はすっかり母親の顔になっていた。そして強く頼もしくなった。

 


      女は弱し されど母は強し



 いつもは深夜の1時、2時に帰宅していた私も、残業は家に持ち帰ってするようにして、夜の9時には帰宅するようにした。

 東京などへの出張に行っても早く颯太に会いたくて仕方がなかった。

 出張帰りにはいつも颯太の好きな電車のメタル模型を買って帰ったものだ。

 

 ようやく首もすわり半年が過ぎた頃、久しぶりに颯太を連れてファミレスに家族で食事に出掛けた。

 しかし彼にはお気に召さなかったようで、泣いて食事どころではなく、すぐに食事を済ませ、私たちは店を出た。


 

 妻は元教師でもあったので子育ては完璧だった。

 彼女の教育は「胎教」から始まった。麻理恵はよくお腹の子供に話し掛けていた。

 様々な知育教材を使い、規則正しい生活を颯太にさせていた。

 麻理恵は子供を切望した。それは自分の両親への親孝行でもあったのだろう。

 


      親に孫を抱かせてやりたい



 そして女というものは好きな男の子供を産み育てたいという本能があるのかもしれない。

 私はそれを理解してはいなかった。


 実家が家から歩いて10分程の距離にあったこともあり、麻理恵は公務員を退職した両親のいる実家に毎日颯太を連れて通った。

 義父たちは初の男子の孫ということもあり、その喜びようは大変なものだった。

 乳母車にベビーベッド、色々な子育て用品を買い揃えてくれた。高価な物はすべて義父からのプレゼントだった。



 その頃、勤めていた会社の会長にも初孫が生まれ、会長の孫に対する期待はすさまじいものだった。

 会長は産まれたばかりの孫娘にピアノまで用意していた。


 「息子の時は子育ては女房に任せっ切りだった。だが孫は自分の手で育ててみたい」


 会長はソニーの井深大氏が主宰していた『日本幼児能力開発協会』という団体にも所属し、熱心に孫の教育に臨んでいた。


 会長が所要で講演会に出られない時があり、代わりに私にその講演会の出席を命じた。


 「加納、俺の代わりに東京での講演を聴いて来てくれんか?」

 

 私はその講演会に業務として出掛けた。



 会場には2,000人ほどの会員が全国から集まっていた。

 参加者は主に幼稚園の経営者や保育士、大学で幼児教育を研究している女性たちが殆どだった。

 男性は私ともうひとりの2名だけだった。


 ソニーは営業の盛田、技術の井深で世界的企業に成長した日本を代表する会社である。

 資源のない日本が世界と対等に渡り歩くには「数理的才能」が不可欠だと井深は考え、幼児からの能力開発の研究をするためにこの財団を設立したという。

 私は驚いた。まだ生まれて半年の乳児が自分で用を足している映像が流された。

 トイレ・トレーニングは乳児の脳の発達には重要だと解説がされた。

 出張から帰ると早速その話を妻の麻理恵にした。


 「子供には無限の能力があるからね?」


 そして颯太は1才の誕生日が来る前にはオムツが取れ、オマルで排泄が出来るようになっていた。

 ただし、言葉を話すのは遅かった。

 義姉は心なく妻にそれを指摘したらしい。


 「颯太君、病院で診てもらった方がいいんじゃない? 発達障害かもしれないから」


 妻も私もそんな必要はないと思っていた。

 颯太は皇族のように品位に満ちた子供だったからである。

 妻とよく喜んだものだ。


 「なんだか颯太って皇太子の小さい時みたいだね?」


 親バカである。ほどなくして颯太はしゃべるようになった。

 妻は自分のことはお母さんと呼ばせ、私のことは「パパ」と呼ばせた。

 颯太に「パパ」と呼ばれ、小さな両手を広げて寄って来ることほど幸福なことはなかった。

 颯太はすくすくと成長して行った。


 麻理恵は颯太に英単語や読み書きを教え、童謡を歌ってやったりよく本の読み聞かせをしていた。

 学生時代には演劇を学んでいた彼女は滑舌もよく、表現力も豊かだった。

 その甲斐もあり、颯太は3才になる前には自分で絵本や図鑑を読み、3才を過ぎると毎日就寝前には日記を書くのが日課になっていた。



 颯太をセレブの集まる幼稚園に入れることにした。

 年少クラスに入ると、保育士やママ友たちから驚かれた。


 「颯太君、もう読み書きが出来るの?」


 妻はご満悦のようだった。

 そしてどこで覚えたのか? 将来何になりたいかと幼稚園の父兄に訊かれると、颯太は老人のように静かにこう言った。


 「大学の先生になる」


 うれしかった。

 そして私は思った。「この子のためなら死んでもいい」と。

 最初は躊躇いもあったが、子供を持つことで仕事への励みにもなった。

 私は颯太の夢を叶えてやりたいと思った。

 大学院に入れてやらねばと思った。

 私たち家族は颯太中心の生活になって行った。


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