忠義の剣
「ゲホッ……はぁ。もうちょい加減しろよな。跡が残ったらバレるだろ」
いつもより咳き込みながら朱彩は注意を促す。力のコントロールが効いてない。
自分の手をみればふるふると震えていた。
「いつまでこんなこと続けなきゃならないんだろう」
「頼道が弱音を吐くなんて珍しいな」
「弱音くらい吐きたくなるさ、大事な幼馴染の首を絞めてるんだぜ?
全くもって嫌になる」
「私は別に気にしてないけどな」
それもいささか献身がすぎるというものだろう。ほんのりと赤くなった首を見て溜息を吐く。
「私は先に戻っておくよ。二分くらいしたら来て」
「痛み入る」
僕らは今、魔女の塔に向かう途中の道を外れた雑木林にいる。
トイレに行くという名目でこそこそと抜け出してきたというわけだ。
魔女の塔は立ち入り禁止だが、そこまでアクセスの悪い場所にあるわけでもないし付近も解放されている。
島根来学園の裏にある山を登って、山道を三十分ほど歩いていけば、足にはクるがすぐに辿り着く。
密実とギルフォードさん、巻谷には途中のベンチで待っていてもらっていた。
「そろそろ行くか、あんま時間が空いてもそれはそれで怪しまれそうだし」
「――何が怪しまれそうなんだ?」
後ろから声をかけられドキッとする――声色が震えあがるくらい冷たかったせいで余計に心臓に悪かった。振り向く。
木々の中に燕尾服は見栄えがいい、僕はそう感じた。
「やぁやぁギルフォードさん、こんな山の中には自然のトイレしかないからさ。そのあたりはあまり歩き回らない方がいいかもしれない」
冷ややかな視線がさらに険しさを増す。
「嘘をつけ、最初からトイレなど行く気もなかっただろう。幼馴染とのひと時は楽しかったか?」
「いやはや、覗きなんて趣味が悪いよギルフォードさん」
「監視だ。それに、首絞めなんて特殊な性癖を持つお前には言われたくないな」
性癖じゃないんだけど話がややこしくなるし黙っておこう。
ともかく朱彩とのあれこれを見られていたようで嫌な気持ちになる。
「お前が幼馴染とどういう関係を持っていようがどうでもいい、だが」
ひゅん、と――何かが空を切ったと思っていたら僕の首には小さく痛みが走る。
ナイフの切っ先が皮を破るぎりぎりで突きつけられていた。
「お嬢様に少しでも何かしてみろ異常者め。この首を
「……何かをされないために君がいるんじゃないか。僕は一般的な男子学生だ。そんな僕が何かしようとしても君に捻られておしまいさ、そうだろ?」
「……普通の男子学生なら今頃、怯えて声も出せないはずだが」
「適切なリアクションを取れなくて申し訳ない。でも心臓はバクバクしているよ、聞いてみる?」
無言。
戯言は聞かないということだろうか。首元にあてがわれた殺気は固定されたかのように緩まない。増えもしない。目的に向かって過不足のない状態が維持されている。
殺気という感覚に慣れすぎただろうか――日常が離れていくのを感じた。
「……お嬢様はいま、大変な状況なのだ。本来こんな場所におられるべき方でもないし、貴様のような妙な人間と関わるべきお方でもない。身の程を知るんだな」
「人の地元に向かってこんな場所とは、ご挨拶だなぁ」
「得体の知れない場所だろうが。お嬢様には戻るべき居場所がある」
ならとっとと連れ帰ってくれよ。こっちも大変なんだから。
ともかく蜜実にはいろいろと事情があるらしい。
僕は黙る――詮索しても良いことはないだろう。
「ふん」
しばらくの膠着――ナイフが遠のいていった。
首元を狙われると、こうもヒヤヒヤするものか。ますますをもって朱彩への感謝は絶えない。
「忠告はしたぞ。まぁ、貴様が何をしようとお嬢様は私が守るがな」
優秀なボディーガードは主の元へ帰るべく、踵を返して背を向けた。
「君みたいな護衛が居れば蜜実さんも安心だろう。頼もしい限りだ」
――でももう少し。
もう少し、警戒して欲しいんだよな。脅すにしても、せめて、ナイフを少しだけ突き刺してみるとか。組み伏して、関節の一本でも外すとか。
いざという時、僕を止めてもらえないと困るんだよね。
だから僕はちょっかいをかける。
「……っ!?」
素晴らしい振り向きっぷりだ。目を大きく開き、冷や汗も出ている。
息も少し乱れたようだ。
「さ、戻ろう。道中で熊とかいたら助けて欲しいな」
「貴様……」
何食わぬ顔で彼の横を通り過ぎる。
大丈夫、僕は熊より弱いし、忠義の剣よりも脆弱だ。
なるべく僕も我慢する――ただ、見張りだけはしっかりして欲しいんだよね。
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