加害授業

 人生最低最悪イベント、課外授業。


 仮病で休むことも考えたが、ただでさえゴミのように低いテストの点数に加えて内申点まで地の底に落ちてしまえば落第は免れないだろう。


 僕は朱彩が先輩になることをよしとしない。幼馴染は同い年であるべきだ。

 近所のお姉ちゃんな朱彩も隣の家に住む妹みたいな存在の朱彩も断固として認めないが、かといって実験もせずに言い張るのもどうだろうかという疑問はある。


 自分の可能性をハナから閉じてしまうのはよろしくない。試行して無駄なことなどないのだ。


 というわけで隣にいる朱彩に話しかける。


「朱彩」

「ん?」

「お兄ちゃん、私だって女の子なんだよって言ってみて」

「随一のキモさ」


 駄目か。僕の幼馴染は妹的存在になる気はないらしい。


「朱彩」

「ん?」

「そっか、ヨリくんも男の子なんだよねって言ってみて」

「そっか、頼道も男……なんだもんな」

「つよ」


 長年親友としてつるんできた同い年の幼馴染が異性として意識し始めるシーンをやってくれた。やはり幼馴染は同学年に限るということで、朱彩もその一点を譲る気はないらしい。


「頼道さぁ」

「ん?」

「一緒に寝たのは昔の話だろ! さすがにこの歳で同じ布団はまずいって! って言ってみて」


 一点を譲る気はないらしい。


「同衾しよっか」


 つまるところ僕はオナフト(数年ぶりに同じ布団で眠るもお互いに意識してしまい眠れない夜)のために落第するわけにはいかないのだ。

 そんな僕たちの様子を見ていた巻谷が軽めのフットワークで目の前に現れる。

 背の低い彼女を見下ろすと、自然と上目遣いの視線を受けることになった。


「ねぇねぇ、おにいちゃん。私だってもう、大人なんだよ?」

「香車ばりの攻めを見せるんじゃない」


 大人なんだよ、は意味が変わってくるだろうが。


「あっは、間違えちゃった。おにいちゃん……私を大人にして?」

「飛車じゃん」


 横にも対応しているらしい。

 巻谷はこの間の一件から落ち着きを見せてはいる。

 心の内でどう思っているかはわからないが、ともかく今のところは普通の学生をやってくれているようだ。


「……兄さん、私だって女なんですよ? なんて」


 そっか、じゃあそろそろ殺すか。

 道端の割れた側溝に手をかける。しかし朱彩が僕の手を踏みつけることにより事なきを得た。

 密実は意外とノリがいいらしい。そのノリが命取りになることに気付いていないのだろう――無邪気にくすくすと笑っている。


 そして今日はもう一人いる。僕はこの奇跡の出会いに感謝していた。


「お嬢様、慎んでください。むやみに男性をからかうものではないですよ。その気になってしまったらどうするんですか」


 長い髪を一つに束ねた眼鏡の男性が蜜実に注意をした。

 細身なのも相まってか、身長は僕より遥かに高く見える。

 彼の名前はギルフォードさんというらしい。蜜実が僕たちの想像を遥かに超えたお嬢様であることは彼の着た燕尾服が物語っていた。


 ボディーガードも兼任しているらしく、これは僕にとって一番の僥倖だった。

 そう、つまり我慢が限界に達しても彼が迎撃してくれるわけだ。


「芦名くんはそんな人じゃないよギルフォード」


 いや、そんな人ですけどね。蜜実はどこから僕への信頼を手に入れているのだろうか。目も合わせなければ、言葉もかわさない。

 嫌われていると感じられていてもおかしくないはずだけど。


「どうですかね」


 切れ長の目がこちらをジロリと睨みつける。

 氷のように冷たい視線だった――できたらそのまま僕のことをずっと見張ってて欲しい。

 残念なのは彼が学生ではなく、野外でしか蜜実に同行できない点だ。


「あっはー」


 巻谷が笑う。なにが愉快で?

 ともかくグダグダと歩いていてもフィールドワークが終わらないので、地元を語るとしよう。


「コホン、島根来は知っての通り、ぎり日本なんだけどほとんど外界とは遮断されてる。独自の生態系があったり独自のルールがあったり独自の供給があったりします。僕と朱彩は知り尽くしてるけど、二人はあんまり知らないよね。だから課外授業はちょうど良かったかもしれない」

「はいはーい、質問。独自のルールってなんですか?」

「良い質問だよ巻谷。むしろそれが一番重要なんだ。この島には法律がない。治外法権なんだ。国家とかいうやつと一切関りがない」

「まじ? そういえば交番がないなぁと思ってたんだよね」


 一応、僕たちも外界と関りがないとは言え、一般的な教養は学んでいる。

 外の世界では政治家というやつが国を動かしているらしいし、市民の安全は警察という人々が守っているらしい。

 だけど島根来にはそういうものがない。


「取り締まる必要がないからね。全部魔女が管理してる」

「魔女って?あの魔女?」

「わからない。その呼び名で通っているけど、巻谷さんが想像する魔女かもわからないし、知らないし、見たこともない。朱彩も僕も。ただそうと聞かされて育ってきてる」

「一応、魔女の塔ってのがあるからいるんだとは思うけど。立ち入り禁止だしなぁ」

「えっ、じゃあ、そこに入るってのはどう? どこにあるの?」

「入らない方が良いよ、消されるし」

「……どういうこと?」


 藪蛇だったか、巻谷の纏う空気が微かに変化する。


「そのままだよ。この島では魔女がルールだから。現に僕らの同級生も一人消されちゃったしね」

「あー古田なぁ。探検するとか言ってそれっきりだよな」


 朱彩が懐かしそうに話す――あれはまだ小学生の時だったか。

 彼は好奇心旺盛だったのか、それともただ単に目立ちたかったのか。今ではもう知る術もない。


「絶対的なんだ、魔女は。この島でなんでも手に入るのも、なんでもあるのも魔女が管理してるからだ。遊園地もあるし水族館もある。市街地に行けば流行りの服も手に入るし、本だってこんなに」


 昨日、本屋で買い込んだモノをカバンから取り出す――道徳の教科書、のべ十種類。

 今日に備えて一夜漬けを敢行した。今の僕はいわば倫理の化身である。


「それはやばいだろ」


 朱彩はドン引きしていた。


「というわけで魔女の塔はオススメしないね。外から見るくらいなら問題ないけど」

「じゃあ外から眺めるだけにしよ! けっていけってーい。白華ちゃんもそれで良いよね?」


 明らかに大盛り上がりしている。絶対入ろうとするだろうな、このスリルジャンキーは。

 せっかく救った命が消えるのは悲しいので要注意対象とする。

 彼女のせいでまだ足が痛いのだ。


「お嬢様、危険なのでは……?」


 ギルフォードさんが蜜実の心配をしている。

 そりゃ、こんな物騒な話を聞いた後だし無理もない。


「うーん、私もちょっと興味あるし。見るだけなら大丈夫なんだよね、芦名くん」


 覗き込むようにこちらに接近する――無防備だ。この距離なら喉笛を嚙みちぎってやれるかもしれない。

 意思とは関係なくゆっくりと口が開いていく。


 たまらず朱彩の声をかけた――僕が咄嗟に救難信号を出せたのは紛れもなく道徳一夜漬けのおかげだった。


「ごめん、限界かも」

「……はいよ」


 朱彩は自身の首を触りながら頷いた。

 野外は緊張するなぁ!

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