第2話 意地っ張りと排水口
「あー、これね。ワントラップがハマってませんわ。これが原因ですわ。ありゃりゃ」
戯けたように言ったおじさんに、「そうですか」と静かに返す。
原因なんてどうでも良かった。いや、本当の原因はそこじゃなかった。
「なんかの拍子にズレちゃったのかなー? あ、去年の高圧洗浄のときとかかな?」
お風呂場の排水口をごそごそイジっているおじさんは、明るい調子でこちらを見た。
「ああ、そうですね。その頃からかもしれません」
無愛想に答えると、おじさんは「そりゃすみません。よく一年も我慢してたね。臭かったでしょ?」なんて笑う。
毎年、マンションの管理会社が夏前に全戸対象に行っている排水口のメンテナンス。
お風呂場の排水口から臭いがし始めたのは、去年のメンテナンスのすぐ後からだった。
『俺、来月から別事業所に移動なんです』
分厚い作業着に身を包んで額にうっすら汗を浮かせた若い男。手渡されたのは水回り修理業者のステッカー。
『何かあったら今月中は駆けつけられるんで』
一人暮らしを始めてからずっと住み続けている単身用マンション。職場に程よく近く、立地も便利で引っ越しなんて考えたこともない。
『そう……』
ステッカーを受け取りながら素っ気なく返すと、彼は困ったように笑う。
名前なんて知らない。ただ毎年この時期に排水口のメンテナンスに来る、マンション管理会社の出入り業者。
毎年のことなので何となく顔馴染みになって、メンテナンスの短い時間に何となく話すようになっただけ。
『じゃあ』
気まずい沈黙の後、名残惜しそうに視線をくれて立ち去った彼。玄関で見送って、それっきり。
お風呂場の排水口の臭いに気づいたのはそのすぐ後。でもステッカーの電話番号にかける気なんて起きなかった。
わざとのくせに。こんな回りくどいやり方。
今年のメンテナンスに現れた知らないおじさんに、どこかがっかりした自分。でもそんな自分には知らんぷり。
「じゃ、失礼しましたー」
帽子を軽く上げて去っていくおじさんにこちらも軽く会釈して扉を閉める。
さて、引っ越すか。
手にしたスマホの画面は魅力のない物件を次々と映し出した。
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