仮・無題
御景那智
第1話・祭り
春が過ぎて初夏に差し掛かるともともと無口な彼女はますます言葉が少なくなる。小さな街の小さな店の軒先にも揺れる提灯。春と秋は昔から祭りが多い季節である。
「お嬢さ、それ不機嫌なの?」
「違う。何でもない」
隣を歩いていた青年に顔を覗き込まれて訊かれると、彼女は表情を変えないまま呟いて、足先を変えてするりと青年の隣から離れて雑踏に消えた。
どこを歩いても、白と赤の提灯が下がっていて風に揺れている。五穀豊穣だとか悪疫退散、郷土繫栄など祭りには土地ごとに込められている意味は違うが、彼女はどの祭りを見てもいい顔をしない。その祭りの始まりがどんなものであったのかを彼女は知っている。
人が賑わって、娯楽と化した祭りも元を辿ればどれも血の匂いがする。
息苦しい、など気のせいであるのに彼女は風通しの良い人気のない場所へと向かう。天気のいい川辺は水の匂いがする風が吹いて、人の気配がしなくていい。白と赤の提灯も見えなくて、人の熱気も血の匂いもしない。
水際にしゃがみこんだ彼女は指先を水に遊ばせて、小さな石を積む。
人間は簡単に人を殺して神に捧げるといって祭りを執り行う。神の怒りを納めるためだと言い訳をして。人だけでなく、勝手に神に仕立て上げたものさえ殺す。人間に害をなす悪神だと言って。人を殺すことに良心が痛んだら、動物を、食物をと代替えのものに変えているが、やっていることは根源から大きく変わっていない。勝手な自己満足。習慣化してしまった集団心理と娯楽。
いくつも積んだ小さな石がバランスを崩して崩壊すると、彼女は溜息を吐いた。
そんなことをいまさら嫌悪してもなににもならないというのに。それでも彼女は祭りの季節が好きではない。
「あ。居た居た」
後ろから青年の声がして、彼女が立ち上がって振り向くとひらりと手を振られた。
「お嬢さ、勝手に居なくなるのやめてくんない? 探すの結構めんどくさいんだけど」
「別に探さなくていいのに」
「あのさあ、俺、お嬢の眷属なんだよね。居なくなられると困るの、俺が」
平坦な声で答えると、青年はぐったりした様子で言い募る。
「だって、契約、してないよ」
「そうでもさあ、もう事実上なっちゃってるから俺は困るんだってば」
彼女の言い分は本当だが、青年の言葉も本当でこの話題はいつも平行線だ。彼女はそれ以上の言葉を諦めた。
「嫌なら、こんな街中に居なきゃいいじゃん」
「どこに行ったって同じよ」
「あー……だから、人のいないところって意味でなんだけど」
「そんな場所、どこにあるの」
ぽつりと彼女は呟く。
人の少ない村や集落の方が古くからの信仰が強い。街中の方がまだマシだ。それを除くのであれば、本当に人の手がついていない山奥や離島がどれだけ残っているか。そこまで考えて彼女は珍しく、くすりと笑った。
「人のいないところに、あなたと行こうって話?」
そんなどこかの古めかしい恋人同士のような真似。
「いや! そうじゃなくて! お嬢が嫌そうだから。いや、嫌じゃないんだよ。俺はお嬢の行くところに行くから。でも、そういう意味じゃなくて」
青年は驚いたように慌てて、彼女はますます可笑しくなった。彼をからかう気はなかったが、思いの外動揺するものだから久しぶりに笑った。
笑って、気が済んだら彼女は元の綺麗な無表情に戻る。
「いいの。こうやって見ていると、私は忘れないから」
同じ無表情でも先ほどよりすっきりとした顔で彼女は呟く。
「お嬢ってさあ、怨霊? じゃないよねえ。そこらの怨霊じゃ眷属は持てないもんなあ」
「何かしらね。私にももうわからないわ」
彼女がまたどこかへ足を向けようとすると、青年はするりと話を切り替えた。
「商店街の方に屋台が出てたよ。綿あめ、あった。お嬢、好きでしょ」
そう言われて、踏み出そうとしていた彼女の足が止まった。
「……綿あめ……」
「嫌なとこばっか見なくてもいいじゃん」
彼女の隣に青年が来て片手を掬って歩き出す。
「川辺はよくないよ、お嬢」
「うん」
「悪いことを忘れても誰も咎めないよ、お嬢」
「そうかな」
ぽつりぽつりと言葉を交わして、青年に引かれながら彼女は川辺を離れていく。また、街中に戻る。白と赤の提灯が揺れる街中を、屋台が並んでいるという商店街の方へと向かう。祭囃子は背中に聞こえて、さっきよりも遠くに鳴っている。
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