神姫パラノイア

どか森。

プロローグ

 …暑い。いやむしろ熱いと言ったほうが正しいのではないだろうか。肌の焼けるような灼熱に晒され、吹き出る汗の不快感を今ここにいる街の誰もが共有していることだろう。


 季節は夏も真っ盛り。

 アブラゼミくんがクソ暑いにも関わらず、盛りに盛りたおして傍迷惑なドスケベ発情大コーラスをかき鳴らすロックな季節。


 アスファルトからはムンムンと熱気が立ち上り、人を惑わす蜃気楼を作り出す。視界に映る僅か先の道ですら、熱でボヤけて人も景色も皆が皆不鮮明である。

 茹だるような熱に魘され、俺は恨めしそうに太陽を睨みつけた。不意に視界に入る影。目を凝らしてみると、燦々と元気いっぱいな太陽のすぐ隣には大きな飛行船が一艇浮かんでいる事に気がついた。

 ゆったりと空中遊泳を楽しむ船の姿が海水浴を連想させて、どうも腹立たしい。


「海でも行きたい気分だ」


 ビル群の中、今の気持ちを呟いてみたがどうにも虚しい。なぜならそれは叶わない夢…。これから向かうは楽しい楽しい学校の補習の時間。頭悪い悪いさんは他の子よりもたっぷりの時間を掛けて脳味噌に知識を刷り込んでいく必要がある訳で。

 船の側面にはなかなかキワどい水着姿をした最近流行りのアイドルが、遠目からでも一目でわかる痴態、もとい広告を掲げている。ああ言ったアイドルというのは誰も彼も同じに見えてしまう。正しく興味がないというやつなのだろう。

 視線を前方に戻すと、ちょうど信号が青になる。人の波に合わせて歩みを進めていると、すぐ隣の同行者から声が上がった。


「ねぇ、澄夏すみか。ボク思うんだけどさ」


 思い詰めた表情のヒメが俺の顔を見上げて来た。こいつがこういう顔をしている時、大概はどうでもいい事しか考えていない。正直、聞いても仕方がない事だと思うが一応視線を向けてみる。

 猿見さるみ 姫彦ひめひこ。通称ヒメ。

 彼、もしくは彼女は俺の同級生で、いわゆる幼馴染みというやつだ。俺と似てあまり頭の出来もよろしくないので、これから楽しい補修にトゥギャザーするわけだ。

 コイツとの付き合いは幼馴染ということもあり、それなりに長い。だが不思議なことに俺はヒメの性別を知らない。

 名前的におそらく男性だとは思う。しかし確証はない。だってこいつたまにスカート履いてるし。髪型ポニーテールだし。水着はいつも上半身も隠しているし。ほな女の子かと思えばトイレは男子トイレに来る。でも体育の時スポブラつけてたりするし。

 時世的に名前も多種多様な現代な訳で、猿見さんちの親御さんが女の子の名前を◯彦にするアグレッシブな感性の持ち主の可能性も捨てきれない。

 俺も中学生当時は妙に距離感が近くて顔も良いヒメに、きゅんと来たことだってある。いやにドギマギするので距離を取ろうとしたことだってある。しかしながら、その度に寂しそうな顔をするヒメに根負けして以来、なんやかんやで親友のポジションに収まって、今に至る。

 視線で返事をした俺に対して、ヒメは被ったキャップのツバをイジりながら視線の先にある物を指差した。


「ねぇ夏澄。一杯どう?」

「駄目だヒメ。遅刻したら花センに殺される。それにアレは過去の遺物と知れ」

「いや、いやいやいや。時間はまだちょっと余裕あるじゃん。それと澄夏すみかは勘違いをしてるよ。タピオカミルクティーはまだまだ現役を張れるポテンシャルがあるって。ほらこれまでも何回もブーム来てたでしょ?」

「駄目だ。死んでは生き返るポテンシャルはあるかもしれないが、俺は過ぎたブームには乗らない男。悪いが次のブームに期待してくれ。…そもそも高いんだよ値段が」

「あぁ…お金の問題かぁ」


 俺の言葉にヒメは項垂れた。

 そんなに飲みたければ自分だけ並んでくればいいものを、待たせるのも悪いと考えたのだろう。優しい奴だ。未練がましく「チョコミントタピオカミルクティー…」などと歯磨き粉の味がしそうなドリンクの名を呼ぶヒメをスルーして歩みを進める。

 そういえば流行してた当時、女子たちが毎日のようにSNSに写真を投稿していたけれど、あの金はどこから生まれていたのだろう。そしてあのカロリーはどこに消化されていったのか。…などとくだらない思考に気をシフトしていた訳だが、どうでもいいことだった訳で、夏の暑さを意識すれば先程まで何を考えていたのかもすっかり霧散してしまった。

 変わらぬ日常の最中。広がる青雲の下。週の半ばの水曜日。時刻は昼食時。補修は昼からだ。並び立つビル群の隙間を縫う様に、人々は交差する。スーツ姿や私服の男女が多く見られるが、学生服はそう多くない。

 …だって夏休みだもの。俺だって本当はプールや海に花火にBBQ…。暗い気持ちが湧き上がり、改めてヒメに視線をやると、コイツも同じ気持ちだったらしく互いに大きなため息を吐いた。


 青信号が点滅し始めるスクランブル交差点のど真ん中。足早に老若男女が渡り歩く十字路で、その男は思い詰めた表情で立ち尽くしていた。

 皆が一様に歩を進める最中、動作を停止している男の姿が景色から浮いて見える。

 真夏にも関わらずチェック柄の長袖シャツを着込み、濃い青のジーパンにシャツイン、額にはバンダナ、瓶底の様なメガネをかけた肥満体の男だ。

 レトロなオタクを絵に描いたような男が考え事でもするかのように天を見上げた。

 緊張しているのか息は荒い。太陽が眩しいのか顔に手を翳した。ふと空行く飛行船が目に入ったらしい。側面に映る彼女、どこぞの女性アイドルの姿を目にして、男は覚悟を決めたかの様に両手を天に向かい振り上げて声高に叫んだ。


「うおおっ!あっ鮎たんっ!も、萌えるっ!鮎たんもやっぱり某を応援してくれてるんだっ!げっ元気萌え萌えしてきた〜!それがしやりますぞ!やってやりますとも!

 …とくと見よ!萌え萌えきゅんきゅん⭐︎きゅん死に破壊剣バスターソードっ!!」


 どかァンっ!!


 奇妙な掛け声と共に石畳が砕かれた。

 男が背負っていたリュックサックから大剣を引き抜き、地に振り下ろしたのだ。

 破砕音を切っ掛けに道行く人々は動きを止め、場を静寂が支配する。

 シンと静まり返った光景を前に、振り下ろした大剣をそのままにしてステレオタイプなオタクな彼は勢いよく鼻息を吹き出した。


「むふ〜ンっ!!!!パトス漲る良き一撃でしたぞ〜!

 それがし、いま最高にカッコいいっ!むふん!

 …おぉ、いい感じの静寂ですなぁ?さて、さてさて皆皆様方、某の言葉にお耳を拝借してくださいますかな。本題から入らせていただきましょうぞ。

 皆皆様方!神とは何か存じておられますか!!ええ、もちろん知っているでしょうなぁ!!!しかしあえて言いましょうぞ!!!推すべきアイドルとは『かわTHEかなϵ( 'Θ' )϶』であるということを〜っ!」


 なんとも言えない静寂が再び場を支配する。

 しかして男は止まらない。

 彼は自身の胴回り程もある分厚い大剣を勇者の如く天に掲げる。その面に映るは先ほどの飛行船の彼女と同じ顔の女の子…が、アイドル衣装で決めポーズをした姿がラッピングされている。痛車ならぬ痛剣というやつだろうか。


「見るがよい我が愛剣に宿りし神々しき御姿を!

 某の推し、川のせせらぎの様に可憐で繊細な鮎たんでありますぞ!立てばサーモン歩けばカジキ泳ぐ姿はクロマグロって言わんばかりの可憐さですなぁ!むふ♡淡水魚だってば〜って怒られちゃいますなっ笑。地下時代の聖書1stアルバム『なましょくゲンキン‼︎』を所有しているものはどれほどいるのですかなぁ。某は寛大ゆえ布教用を持ち歩いておりますので入信者には喜んで差し上げましょうぞ!某、同担歓迎なんで皆で鮎たんを讃えましょうぞ!ま、某は鮎たんに認知されてて名前も覚えていただいておりますんで?他のオタク笑とはレベルが違うっていうか?ライブでも何回も目合うし?某だけにファンサくれるし?…おっとぉ!ごほん、話が若干脱線いたしましたなぁ。

 某は伝道師!スマホばかり眺める無知蒙昧な愚衆どもに…真たる神とはなんぞやを布教してやる為に今日ここに来たのですぞぉお!!!!!」


 口早に捲し立てる男を前に、俺は思う。、きっとそれはヒメも、他の人々も同じ気持ちであったことだろう。


「…見てらんないな」

「らんないね」

「んんんんんミュージックスタートっ!!」


 彼がスマホを取り出し操作すると、背負ったリュックサックから聞いてて甘ったるくなるような音楽が爆音で流れ始めた。

 男は音楽に合わせてリズムを取ると、


「かっ♪かっ♪かっ♪かわざかな〜♪お塩はちょっぴり苦手なの〜」


 不意に歌い出した。なかなかに奇妙な歌詞だが、おそらくそのアイドルとやらの曲だろう。色々濃すぎて胸焼けしてきた。

 そうして彼は歌を口ずさみながら、今度は身の丈ほどもある大剣を再び振り回す。


「オ、オタ芸…?」


 ヒメがボソリと呟いた。そうだ。あまりに手に持つそれが巨大なことで気が付かなかったが、アレはオタ芸だ。歌い、踊り狂いながら、彼はアスファルトを斬りつけた。

 彼の無思慮であまりに浅はかな破壊活動に一体どんな意味があるというのか。それはおそらく彼自身にしかわからない。

 ただただ無意味な破壊行為が場を支配する…


 ドムっ!!!


 筈であった。

 続く三撃目が振り下ろされる事は無く、鈍い音と共に男の嗚咽が聞こえた。

 見れば、彼の腹部にはどこからか飛んできたソフトボールサイズのゴム弾が複数発めり込んでいる。鈍い音と共に男の動きも鈍くなった。垂れ流れていた汗の下からさらに吹き出す脂汗。目玉が飛び出しそうな程の痛烈な衝撃に男はよろめいた。しかし、倒れ込むことはなくなんとか持ち堪える。


「ぐぶっ!?な、なにが」

「おぉ、来た!来たぞ!」


 誰かが期待を孕んだ声をあげた。

「今日は誰が決めるかしら」「凛参りんさん見たくてハってた甲斐あった〜!」と声は続く。


「ほらほら野次馬さんはどくッスよ〜!あ〜音楽うるさい!

 はい、危ないッスから離れて離れて〜」


 人混みを掻き分けて現れたのは銃火器を構えたウルフカットの少女。深緑色の学生服を着ており、その上から防弾ジョッキとヘルメットを合わせた彼女と、同じく学生服を着込んだ数人の男女たち。彼らの共通点は腕章を身につけていることだ。

 男は嗚咽しながらも、現れた彼らに対して不敵な笑みを浮かべて再び剣を構え直す。


「…ぐふっ!これはこれは凛参りんさんの…これは良い宣伝になりますぞっ!おゴォっ!」

「やめた方がいいッスよ〜。いいコトもいいトコも無いッスから」


 顔を上げた男にまたゴム弾が炸裂した。

 彼の正面に立つ少女の腕にはペットボトルサイズの銃口のランチャーが握られている。

 腹部のお次は額。勢いで大きくのけ反るのを見るにそれなりに威力はある様で、実に痛そうだ。

 しかし耐えた。左足で踏ん張ると鼻血を拭いながら歯を剥いて笑った。


「む、無駄!無駄無駄無駄!無駄なんですなぁ〜!!

 某の術式『死してなお推すべし』は死なずの愛を体現した最強の術式!

 某の信仰あいが不滅である限り、おしからの供給の続く限り、某は如何なる負傷や死すらも乗り越え不死鳥の如く地獄の底から舞い戻ってくるのですなぁっばらがァ!?!?!?」


 メガネをくいくいしながら興奮気味に捲し立てるオタクの顔面に突如膝がめり込んだ。


「…はい、たっち。あんたの負け」 


 謎の宣言と共に顔面飛び膝蹴りをぶち込んだのは同じく学生服の少女。赤のメッシュの入った黒髪の彼女は限りなく膝をめり込ませると、インパクトと共に大きく離れた。

 そして、全て終えたかのようにただ一言。


「はい解散解散」


 後ろで悶える男を無視して、だ。

 のたうち回る男。口の中を切ったらしく見た目はかなり痛々しい。


「は、はにゃと前歯が折れたァ!!っで、ですがこの程度っ」


 しかし闘志は折れていなかった。右手で顔を押さえながらも、左手で大剣を振り上げる。背を向けた彼女に対して、勢いよく、勢いよく。

「危ない」とつい声を張り上げる。


「瞬時に回復し、哀れ少女は真っぷ、た…」

 ズン


 振り上げた鉄塊が彼の手から離れ、重厚な音を立てて地に落ちた。

 掲げていた大剣から手を放したかと思えば、彼はそのまま膝から地に落ちる。どすん、と膝をつくと力無く前方に倒れ込み、完全に動作を停止させた。しかし脳震盪を起こした訳ではなさそうだ。

 意識はハッキリしているらしく、男の目は忙しなく動いていた。声は出せない様だった。何が起きたかまるで理解できていない様子で、ただ脱力して動かなくなった全身に困惑するばかりだ。

 糸の切れた操り人形となった彼は、冷えゆく場の空気と共に次第に心も折れていく、そんな無情な運命を受け入れるしか無いのであった。

 夏の熱気は未だ変わらぬも、男の熱気に当てられていた人々は急激に白けていき、立ち止まっていた野次馬たちも散会する。そこに多種多様な言葉とシャッター音のみを残しながら。


凛参りんさんの生徒、やっぱレベル高いよな〜」「あの子の術式強くね?」「あのデブよえ〜」「今日のは早く片付いたねー」「術式の割にって感じで拍子抜けだわ」「見た目に華がねぇよ」「この前の『銃人じゅうじんニキ』ほどのインパクトはなかったなw」「全身の先端部分がマグナムに変わる奴なwアレはエグかったw」「いろんな意味でな笑。オレは先週の『増大ぞうだいしまくる頭無類あたまむるいおじさん』がまじツボだったわ〜」「『増大しまくる頭無類あたまむるい!』って連呼するほど頭デカくなる術式のおっさんなw」「意味不すぎて草」「鮎たん推しはやっぱ糞すね。つまり山女魚やまめんちょすが至高ってこと」「はw?岩にゃんなんだよなぁ」「てか最近ああいうの多くね?」「みんな鬱憤たまってんだろ」「犯罪者初遭遇記念にツイしとこ〜」「今日のにあだ名付けるならなんだろね?」「ん〜…不死イモータルなヲタクだから…『イモヲタ』?」


 慣れた様子で人々は軽口を叩く。時折現れる暴徒など、俺たちにとって日常の一部となっていた。

 西暦2025年。科学と共に魔術が大陸より渡り来て発展した現代社会。技術の発展は、生活においての利便性という意味で日進月歩の飛躍を見せ、その一方で国から公認を得ていない自作の違法な術式を用いる犯罪組織や最新の科学技術を用いた違法犯罪が蔓延るのが昨今の情勢だ。

 特に最近は先程のような犯罪者たちが増加してきたように思う。

 ニュースも碌に見ない身だが、SNSを通して各地の異常者の姿を目にする毎日だ。

 改めて空を見上げた。ビル群の隙間から高く空が伸びている。いつの間にか飛行船はどこかへと飛んでいってしまっていた。広がる青空の向こうには入道雲が大きく背伸びしている。

 変わらぬ光景がどこまでも広がっていた。なんだか妙に嫌な気持ちになったので、俺はぽつりと呟いた。


「嫌になるな」

「なっちゃうねぇ」

「時間もあるし…ヒメ、幕堂マクどう寄るか」

「お、いいねぇ。でも安上がりじゃない?」


 うるせぇ、とヒメに悪態を吐いて道を逸れた。今は少し気分を変えたい。

 ただその一心で近場のハンバーガーショップに休息を求めた。

 変わらぬ人、変わらぬ街並み、どこまでも変化のない光景が夏の澄んだ空の下に広がっていた。

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