ヒーローの予後

「ほぁあああああーーーー!!?」


 喉から悲鳴がほとばしる。ヘンリエッタを折りたたみの車椅子に乗せたアイオンが庁舎近くの林道をあり得ない速度で爆走しているのだ。


「やだーっ怖い怖い怖い!! やめてぇええーー!!」


「舌噛むぞ~」


「止まってってばーーーー!!」


 ひとしきりヘンリエッタの懇願を無視した後、アイオンはこの奇行を始めたときと同じように全く唐突に急停止した。慣性に従ってヘンリエッタの首ががっくんと揺れ、涙目がぐるぐると渦を巻く。


「……な、なんっ……、何なのいきなりぃ……」


 こんにゃろう。何を考えているのか知らないが、このままボロ泣きでもしてやったら困るのはそっちだ。今だって息も絶え絶えの惨状だし。


 廊下でおはようの挨拶を交わすなり「そういや備品倉庫の緊急持ち出しグッズの近くで車椅子見つけた」とヘンリエッタを手招きし、あっという間に座席にセットして爆走し出した張本人のアイオンは、どこ吹く風で晴れ渡った秋空を仰ぐ。


「何だ、そんだけ喚けるってことは元気じゃねぇか」


「そうだよ私ぜんぜん大丈夫って言ったよ!?」




 先日ヘレネー司教領で嵐に遭い、アイオンが子どもたちと一緒に谷に落ちたと聞いたヘンリエッタは魔力暴走を起こした。王太子を殺しかけたあの大魔女が、四人の怪我を綺麗さっぱり治して深い谷から救出し、嵐をバラバラに解体したうえ超圧縮した魔力で谷に巨大な橋を架けたという大ニュースは千里を走った。


 ふふーん。こんなの私にかかればちょちょいのちょいだけど名声が高まるなら好きに噂しなさいよ。この功績に免じてハイラントと直接話す機会をくれてもいいけどねー?


 なんてわくわくすらしていたのだが、悪天候による疲労と魔力の大規模行使のダブルパンチで気絶したまま庁舎に連れ帰られたのが予想外のトラブルに繋がった。丸一日かけて庁舎に帰る道中、一度も目を覚まさなかったせいで世慣れていないアイオンに余計な心配をかけてしまったらしい。




「こんな試し方されるなら素直にお医者さんにかかってれば良かったよぉ……要らないけど……」


 あの書斎のバカでかいカウチで目を覚ました途端、医者を呼ぼうとされたのをヤダヤダ要らないと固辞したのは判断ミスだった。ただ体力切れで意識が飛んだだけで身体に支障はないと経験上分かっているヘンリエッタには、こんなことで医者を呼ぶなんて無駄遣いにしか思えなかったし、診察を受けること自体が好きじゃないから本気で嫌がったのだ。


 あのとき、へぇーそういう態度ね、みたいな冷めた眼を向けてきたアイオンをもっと警戒するべきだった。


 ヘンリエッタは疲れたため息をつき、


「ここまでノンストップで走りっぱなしなんてつくづく鍛えてるんだねぇアイちゃん。自分も谷から落ちたのに子ども三人も助けた人は違うな~」


 初めて見たときから体格がしっかりしているほうだとは思っていたし、延々と薪を割り続ける姿も見ていたけれど、落下するさなかひとりも取りこぼさなかったなんていったいどうやったのか想像も付かない。ヘンリエッタの魔力暴走の件同様にアイオンの活躍も噂になっているようだが、さもありなんだ。


 もしかしたら十四年に渡る離宮での冷遇が身体を鍛えた理由の根幹にあるのかもしれないが、ヘンリエッタにはそこを不用意につっつく気は毛頭なかった。その代わり褒め殺しアタックはするけども。


 にっこり微笑み、


「ほんと、今回はひとりでよくがんばったね。自分も生きるか死ぬかの状況であの子たちの命預かってた間、きっと心細かったでしょ。でも今度もしアイちゃんが誰かを守ったり助けるときは私やイースレイもそばにいるだろうし、どーんと構えてて!」


「……やめろ。次なんかねぇっての」


 アイオンは鬱陶しそうに首の後ろを掻いている。


 もっと自慢げにしたっていいのに照れと体裁が先立つんだろうな。




 ……今回のアイちゃんの活躍、そのうち女王陛下の耳にも入るだろうか。




 素直に褒め殺されてはくれないが、あれからアイオンはちょっと明るくなった気がする。思えば今朝のおふざけだってそうだ。ごく稀に、瞬間的に吹っ切れたようになる傾向が出てきた。その一瞬の発露が終われば万事対岸の火事の消極性が戻ってきてしまうが、そのほんのちょっとの言動の変化がヘンリエッタには嬉しかった。


 彼がもっと自分に自信を持てる、自分を好きになれる機会にたくさん巡り会えるといいなと思う。




 この話を振るとアイオンは良くて口数が減り、悪くすると露骨にこちらを無視する。今回はまだマシなほうの反応で、彼は無愛想に話題を変えた。


「……つーかお前が気絶するときに後を頼んでったのはあっちの事務官だったろ」


「え、そりゃそうだよ。アイちゃんは流血したばっかだったし……」


 ヘンリエッタは乾いた秋風に背を押されるようにしてよたよたと古びた車椅子から下りる。ほんの一瞬、アイオンが見たことのない表情をした。鬱屈したような、恨むような眼で一瞥をくれ、またすぐに視線を外す。唇は皮肉っぽく笑みを作ったままで。な、なんで?


「……あとマリオネットが配備されるまでの慎ましい暮らしでアイちゃんが力仕事してるとこめちゃくちゃ見てきたし、私の体重も薪とか岩だったら大体これくらいだなーって脳内換算できちゃうんじゃ? って思って……。アイちゃんにそういう好奇心ないのは分かってても一回思いついたらもう気になっちゃって! その点イースレイは本より重たいもの持ったことなさそうだから安心かなって?」


「お前、あの場面でそんなこと心配してたのか?」


 と、そこでアイオンの表情が気だるげな通常営業に戻ってほっとした。さっきは何が引っかかったんだか、思春期の弟くんの繊細な心を守るのはときどきホントに大変だよ。私ほどの義理の姉(予定)でなければともすれば根負けしてるところだ。


 アイオンは簡素な造りの車椅子を折りたたみ、


「アホらし。お前のどの辺がそんなに気にするほどの重さしてんだよ、鍛えてもねぇくせに。林道の先に湖があるらしいからそこまでコレに乗せたまま飛ばしてやっても良かったが、そういうことなら自分で歩けよ」


「湖ぃ? ていうかアホらしくないから! 乙女心の発露でしょ?」


「時と場合ってもんがあんだろ。それと、今度から俺に寄越す半分くらいはイースレイにもそういう気遣えよ。さっきの『本より重いもん持ったことなさそう』とかもイイ歳の男が言われたらそこそこ腹立つ部類のセリフだからな。また絶対喧嘩になって俺がうるせぇ思いをする羽目になるだろうが。表面上くらい仲よさげに取り繕えよ」


「ぅえ~……アイちゃんにコミュニケーション説かれたぁ……」


 いまいち彼の内心の動きが分からなかったが、アイオンの機嫌はそれ以降ひん曲がることはなかった。それならまぁ細かいことはいいってことにしよう。


 午前の秋風に揺れる緑が心地よい。林道のど真ん中で立ち止まっていたふたりはしばらくくだらないことを言い合っていたが、やがて空腹を感じて来た道を戻り始めた。







 イースレイは南部行政監督庁で唯一の事務官としてやるべきことに片っ端から手を付けていった。


 誰も急かしちゃいないのに自ら進んで馬車馬と化し、朝でも夜でも眼は血走ってバキバキだわ放っておいたら唇がかさかさになるくらいお茶さえ飲まずに働き続けるわ、その間ずっと「出世出世出世……」と陰に籠もった独り言をもらしているわで、あまりの鬼気迫る様子にヘンリエッタもアイオンも見ていて身震いした。


 朝の散歩から戻ったヘンリエッタたちを書斎で待ち構えていた彼は、ドン、と机に書類を山と積み、


「再三の催促の甲斐あって、前任の行政監督官が書類棚ごと自邸に抱え込んでいたものを返却してくれた。これでやっと業務をきちんと引き継げるだろう」


「おぉ~。めでたいめでたい」


 ヘンリエッタはぱちぱちと労いと祝福の拍手を送り、仕事が増えるのが嫌なアイオンはげんなりと肩を落とす。


 するとイースレイがくるりとヘンリエッタを振り返り、


「この前任者というのは北部に領地を持つ貴族なんだが、あまりに話が分からないヤツだったので、催促するにあたっては『怒れる大魔女ヘンリエッタ』の名前で脅しをかけさせてもらった。ここに君の名前使用料が発生したわけだな」


 行政監督官は地方豪族化を防ぐため、その地域に領地を持たない大貴族から選ばれる。そんな相手をせっつこうとしたって、下級貴族のイースレイはそもそも軽んじられる上に、その前任者とやらは仕事をサボりにサボっていたようなので奥の手を使ったんだろう。どうやってイースレイの怒りゲージが溜まっていったかなんとなく想像はつく。


 ヘンリエッタは軽く笑った。


「名前使用料ぉ? 『怒れる』って枕詞は気に入らないけど、イースレイってそんなことまで気にして仕事してんの?」


 イースレイは分別くさい調子で、


「……普段なら必要経費だと考えるが、先日の詫びもまだだ」


「?」


 何の話か分からなくてヘンリエッタは首を傾げた。アイオンに視線で助けを求めてみたが、彼はつまらなそうな顔で何も答えない。


 イースレイはおもむろに足元に置いていた大きなトランクを抱え上げ、カウチの上で封を解いた。てきぱきと広げられたその中身は色とりどりの女物の衣装だ。ヘンリエッタは思わずきょとんと目を丸くした。


「え、どうしたのこの服?」


「だから反省したんだ、俺なりに」


 イースレイは粛々と言う。


「これらは全て君に買ったものだ。財産没収から間もないのに嵐に遭ったりと、服の手持ちが心許ないだろう? おとなしく受け取ってほしい。俺はこれからは君を反社会的な罪人として見ることをやめる。女王陛下から職分こそ与えられていないが、君と俺は……同僚、と表現するのが正しいだろうと思う。事実、王家を守る宮廷魔術師の職務を果たしてきた実績に違わず、君はアイオンを死の淵から救ったんだからな」


「……」


 す、すんごい真面目にお詫びされてる。


 ヘンリエッタは珍しく面食らって一時反応に窮した。確かに宮廷魔術師の制服と拘束されたときの囚人服を除けば、上等なものはクレアのハウスパーティーに行く前にドラクマンのところの市場で取り急ぎ調達したお呼ばれ服くらいしか持っていない。しかも宮廷魔術師の制服に関しては、ヘレネー司教領へ行くときも仕事着として着ていったから、嵐の中で汚れたりほつれたりダメージが著しい。


 でもなぁ、こんなにかしこまったお詫びの品を用意されるとかえってこっちも息苦しいって。イースレイの言動を逐一細かく覚えてるわけでもなし、こんな風に改まって対価を渡されなくたって彼の態度の変化で「なんか前ほどの悪感情はなくなったっぽいな~」くらいは察せる。そうなったら相応にけんか腰も引っ込めるつもりでいたんだけど。




 ……うーん。ま、いっか! もらえるもんはもらっとこもらっとこ!




 イースレイに機先を制されてしまった時点で予定を狂わされてるんだから、今さらあーだこーだ考える意味がない。考え込んだのはほんの一時に過ぎず、ヘンリエッタはあっさりと切り替えて明るく笑う。


「別に今の手持ちで足りないわけじゃなかったけど、そういうことならもらっとこうかな~。これから君と私は同僚ってことか。まぁ私は今は虚しい預かりの身だけど、そこはそれ、君の言う通り超~頼りになる困ったときの大魔女様だからね! 仲良くお仕事してこうね?」


「ああ。仕事上の付き合いにおいて俺は君を信用するし、反りが合わなくても許容しよう」


「それこっちのセリフでもあるんだけどな~!?」


 その四角四面な考え方にのっとって、さっそくドライで無神経な返しをしてくるんだからホントに仲良くやってく気があるのか疑いたくなる。いかにも官僚以外でやってけない性格してるよねホント。


 まったくもう、とカウチに広げられたワンピースを物色する。なかなかどうしてどれもかわいい、それこそパーティーのような格式高い場などでなければ大体は着ていけそうな汎用性の高いデザインばかりだ。


「なんだかんだ出世の途上にある人の懐痛ませちゃったわけだからね、大事に着なきゃ」


「お前な……」


 と、ずっと聞き役でいたアイオンが唐突に口を開いた。彼は腕組みをして異文化に初めて触れた子どものようなどこか無垢な顔つきをしている。


 かと思えばそれをぱっと引っ込めて、またつまらなそうな顔に戻り、


「平然と受け取んのかよ」


「ん? 私が何かにつけてモノをもらうのなんていつものことだよ?」


 ヘンリエッタとしては、イースレイから服を贈られることはドラクマン支部長からの贈り物を躊躇なく受け取ったことと大して変わらない。お詫びの品だろうが貢ぎ物だろうが、裏にどんな意図や期待があるかなど関係なく、さほど何も思わずに「ハイありがとね~」の笑顔ひとつで受け取る。それで当たり前。


 ところがアイオンは首を横に振り、


「……そうじゃねぇよ。仮にも、一応、婚約者がいんのに他の男から服もらうのってどうなんだ」


 あ、そこかぁ。


「殿下とは仮でも何でもなくまごうことなき現在進行形の婚約者だけど、これは仲直りの握手代わりみたいなもんだしイースレイには天地がひっくり返ってもそんな意図ないもん。もちろん私もナイ!!」


「そうだ、ない。あり得ない。万に一つも無い可能性を危惧するのはやめてくれ。結婚なんか人生の墓場だ、そんなゴールを人を殺しかけてまで目指す恋愛脳にはとてもじゃないがついて行けない」


 イースレイがさっと色をなして横合いから猛烈に同意する。だよねナイよね、いやでもそこまで言うか? やっぱりこの事務官とはどこまでも気が合わない。


 アイオンはしかめっ面のヘンリエッタとイースレイをじっと見つめ、「……仲良くしろっつったのは俺か」とつぶやくと、白けたように腕組みをして視線を外した。

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