第20話
城から漏れ出た黒い靄が空を覆っている影響で城内は常に薄暗かった。
光源は城の中をふよふよと漂う青白い炎、ウィル・オ・ウィスプくらいだ。
手入れなど数ヶ月されていないせいか、床には埃がたまっている。
花瓶に生けた花はとっくに朽ち果て、廊下の隅に無残に落ちていた。
アシルはノルに聞きたい事がたくさんあった。玉座の間でのやり取りを思い返す。
エルハイドと揉めてまで、自分を必要とする理由は何故なのか。
無言で廊下を進んでいたノルが唐突に振り返った。
「……どうかしたか?」
「……ん」
何度も首を振って周囲に誰もいない事を確認すると、ノルはいつもと同じ眠そうな瞳でアシルを見つめる。
「……抱っこして」
「……え?」
「早く早く」
催促され、アシルは戸惑いながらその小さな身体を持ち上げる。
自分の足で移動するのが面倒になったのかと思ったが、その身体が小さく震えている事に気付く。
「……ふう、怖かった」
「……ノル」
彼女の人間らしい暖かい体温を感じる。長くてサラサラのツインテールが揺れ動いた。
アシルは目を細め、どこか色眼鏡で見ていた事を反省した。
「……まだ……そうか。幼い子供なんだな」
「……む?」
魔王軍の大幹部だろうが、まだ子供なのは確かだ。
こんな小さな子が、華やかな王城を廃墟に変え、王都をアンデッド蔓延る街に変え、人々を大虐殺する魔王軍に所属させたままで良いのだろうか。
アシルの目的にとっては、魔王軍大幹部という地位に就くノルは明らかに障害だ。
今なら、簡単に首の骨を折れる。
(……だが、できるはずがない。俺はもうノルを傷つけられない)
彼女にとっては余計なお世話なのかもしれない。
だが言わずにはいられかった。
ふとしたきっかけであふれ出した感情に流され、アシルは口を開いていた。
「……ノル、少し大事な話をしよう」
「何?」
「……魔王軍は楽しいのか?」
「……たの、しい?」
「……ああ。人族との戦争は楽しいのか?」
「……楽しいかどうかなんて、考えない……ただ、ノルはお父様とお母様の言う通りにすればいいの」
腕の中のノルの表情はきょとんとしたもので、何も疑問に思っていない様子だった。
「……言う通りっていうのは?」
「……魔王軍にいる事。屍の魔王様にお仕えする事」
「……そのご両親は?」
エルハイドが少しだけ言及していた。恐らくは……。
「……死んだ……」
じわりと滲むように、ノルの瞳に涙が浮かぶ。
「……お父様は……人族に殺された。王国四英傑の一人、賢者に」
「……ッ」
「……でもお母様は……魔王軍に殺された」
「……どういう事だ?」
「……お母様は……元々非力な人族だった。
ノルは当時を思い出して感情のタガが外れたのか、アシルの胸に顔を埋めた。
「……本当はお父様が亡くなった時、ノルが魔王様に指名されたの。屍霊四将に……」
「……」
「……でもお母様が……ノルはまだ幼いからって……次はノルの番だったのに……お母様が屍霊四将になって……」
(……それで殺されたのかッ。魔王軍は……実力主義、だから……)
「……ノルのせいなの……ノルが臆病だったから。ノルがお母様を……」
「……ッ」
アシルは顔を顰めた。
そっと怪物の手で、涙をぬぐってあげた。
それ以外にできることなどなかった。
「お父様は言ってた。人族の国には自分たちの居場所はないって……」
「……」
「皆、アンデッドを見ると嫌な顔をするの。それを操れるノルの事も、皆嫌いなんだって……」
「……」
「だから……魔王様にお仕えするんだって。自分たちを拾って、重用して、必要としてくれるあのお方のために尽くすんだって」
「……だが、魔王軍にノルの母親は――」
「考えないようにしてた……考えてしまうと、誰を恨めば良いか分からなくなる……」
「……それは」
その悲劇を生み出した一端は間違いなくアシルの祖国、エルシュタイン王国にある。
勿論、屍の魔王にも責任はある。
「……だから……マミーさんがノルの事、あの
キラキラと瞳を輝かせていたノルの姿を思い出す。
「……でも、お母様みたいに死んじゃいそうだった時……怖くなった。だから、だからね?」
「
「……ん」
ずびびと鼻水をすするノル。
アシルの胸元には透明の液体が塗り付けられていた。
今ばかりは、甘んじて受けるしかないだろう。
「……ノル。辛い事を思い出させて悪かった。でも良く話してくれた。ありがとう」
「……ん?」
腕の中で上目遣いでこちらを見つめるノルにアシルは微笑む。
考える。ノルにとっては人族の国も、魔王軍も生き辛い場所なのだと知った。
(……そうか。俺も同じなんだ)
自分の中で整理して決めた。
次に全てを曝け出すのは自分の番だ。
自らの過去、そして現在。
それをノルだけには打ち明ける。もちろん、自らの目的もだ。
ノルがその気になったらこの場で裏切り者として消されるかもしれない。
しかし、彼女だけには伝えておく必要があると思った。
ちらりとノルを抱えている自らの腕を視界に入れる。
土気色の肌に、鋭く尖った爪。
アシルにももはや、帰る場所はないのだから。
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