第3話「魂からの警告」
それからヴィタとルークは毎日逢瀬し、彫刻をはさんで色んな話をした。
楽しさに満ちた時間にヴィタが心酔するのはすぐのことだった。
誰も近寄らない二人きりの空間で、ヴィタは胸の高鳴りを引っ込めて手を動かす。
「あー! ダメよ、動かないで!」
黒鉛を手にさらさらと紙にデッサンを描く。
最高の彫刻のために丁寧に、情熱的に手を動かした。
こうも先を考えワクワクすることははじめてで、手の動きはスムーズだ。
集中して黙ってしまっても、ルークは嫌気をさすことなく付き合ってくれた。
陰影一つでルークの美しさは変化し、きりがないと頭を悩ませる。
黄金の瞳に魅入られながら、ヴィタは心からデッサンを楽しみ、幸せを嚙みしめていた。
「どうして彫刻が好きなんだ?」
ある夕暮れのこと。
デッサンが完成し、大理石を掘り進める作業へと移っていた。
暗くなる前に作業を終わらせ、二人きりで敷地内の広い庭をランタンを持って歩く。
涼し気なやさしい風に髪をなびかせ、空を見上げればルークの瞳に似た輝きに目を奪われた。
「夢中になれるから、かな」
くすぐったそうにヴィタは口元に手をあてて笑う。
「嫌なことはたくさんあるけど、彫刻をしているときは何もかも忘れてしまう」
それでも求めるものは彫れないが。
「思うように彫れなくて落ち込むときもある。だけど楽しい気持ちに勝るものはないわ」
女性として慎ましさはないのか、とよく責められる。
「女のやることじゃないって。手を汚すようなことはするなと言われるの」
それだけの𠮟責を受けても辞めようとは思わなかった。
絶対に美しいものを彫るという執念がヴィタを突き動かしていた。
出来上がったときはここまで出来るんだって自信にも繋がる。
だけどまだ足りないと思って、また次へと手を伸ばした。
(だってまだ、まだ出来るはずだもの。最高の作品を出せばきっと……!)
逃げ隠れをしたい気持ちと、心臓がドキドキすることに板挟みだ。
「その手のどこが汚れてるって?」
ぎゅっと握りしめられ、唇が手の甲に落ちる。
伏せられたまつ毛の長さに魅せられたかと思えば、上目づかいに頬を染めた。
「こんなにも強い愛情を受けているだなんて……彫刻に嫉妬してしまう」
なんと甘ったるい言葉だろう。
これまでの屈辱さえどうでもよくなるほどに、甘さに唾をのむ。
「……ルークはどうして、私の前に現れたの?」
「ん?」
筋張った大きな手がヴィタの頬を包み、心臓が跳ねあがって目を反らす。
「私、変なの。あなたをキレイだと思うと同時に怖いって気持ちが――」
――瞬間、唇が塞がれる。
身体がぐっと引き寄せられて、胸やお腹がソワソワした。
唇が離れて、見つめられたままにルークの指先がヴィタの鎖骨をなぞる。
「手を伸ばしてよ」
「――っ……!」
「君が好きなんだ。それこそ出会うよりずっと前から」
「そ、そんなのおかしいわ」
(だってルークは天使よ。人間を好きになるはずがない)
それに出会う前からとは、いったいいつのことを指すのだろう?
(私はルークを知っている? そんなはずは……)
それならばこの警報はなんだ?
まるで危険が迫っていると思い込み、その思い込みを裏付ける不審な点を探しているようだ。
犯してはならない領域な気がして、ヴィタは唇を噛み目を反らす。
「……ごめんなさい。今日は部屋に戻ります」
ルークの肩を押し、ヴィタは足早に去ろうと後退する。
「ヴィタ……!」
逃げようとするヴィタを追いかけてルークの手が伸びるも、ヴィタはその手を振り払って、顔を真っ赤にしながら涙目に振り返った。
(そんな顔しないでよ)
まるでヴィタが悪いことをしているみたいだ。
清廉潔白な天使を悪者にして、なにごとにも悪いことしか目につかない。
(こんなの私じゃない!)
手で口を覆い、自分を罰するかのように爪を立てる。
自室にまで駆けこんで、周りの声をも無視してベッドに飛び込んだ。
(わからないわ。焦がれる気持ちがあるくせに、なぜこんなにも怯えているの?)
強気に生きてきたヴィタは不安定なままに気持ちを天秤にかける。
人生を注いできた彫刻への想いと、形もない警報に耳をふさいでいた。
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