物語の結末は 1




 ――忘れるはずがない。以前一度だけ見たことがあるその銀髪は、遠目からでも分かるほど輝いていて、とても綺麗だと思ったのを覚えていたから。


(中級の神官か、欲をいえば上級の神官に会えればラッキーだと思っていたけれど……)


 予想外の大物の登場にオリビアは心の中でガッツポーズした。しかし突然「呪いを受けているかもしれないんです」なんて言う訳にはいかず、オリビアは言葉を選びながら慎重に口を開いた。


「申し訳ありません……どうやら扉を間違えてしまったようですわ」

「ははっ、大丈夫ですよ。神殿内はどこも似たような造りなので、初めて来られた方は迷う人が多いんです」

「まぁ、そうなのですね……あの、もし間違いでしたら申しわけないのですが……もしかして貴方は、聖下でいらっしゃいますか?」

「ああ、バレてしまいましたか」

「やっぱり!まさかこんなところで聖下にお会いできるだなんて、私はなんて幸運なのかしら……!」



 なんとしてでも今日ヒントを掴んで帰りたいオリビアは、聖下を引き止めたい一心で、口元に手を当て感動した表情を作った。


(.....少しわざとらしかったかしら?)


 聖下の表情は変わらないから、一体何を考えているのかイマイチよく分からない。オリビアは次の一手を出すことにした。


「あの、実は少しご相談があるのですが、もしご迷惑ではなければ聞いて頂けないでしょうか……?」

「ええ、構いませんよ」

「ありがとうございます……!」


(やったわ!)


 聖下から得た同意にオリビアはニヤけるのを我慢した。伏せ目がちに俯きながら、オリビアは悩みを口にする。


「実は最近、おかしなことが身の回りで起きているんです」

「おかしなこと、と言うと?」

「非現実的と言いましょうか……人に言ったら絶対に信じてもらえないようなことが起きていて……」

「だから今日は祈祷に来られたのですね」

「そうなんです!」


 オリビアは前のめりでこくこくと頷く。実際のところは祈祷はおまけだったけれど、間違ってはいなかった。聖下は「ふむ……」と考え込むように顎に手を当てる。

 オリビアは両手を前で組みながら、彼の答えを待っていた。


「貴方の問題を解決するのは多分そう難しくはないかと思います」

「本当ですか?」

「ええ。猫になる前例は見たことがありませんが、どうやら呪いとはまた少し違うようですので、多分こちら側の領域でしょう」


 聖下の言葉にオリビアはぴしゃりと固まった。どくどくと心臓が早く走っている。震える口を開いて、オリビアは聖下を見つめた。


「どうして、そのことを……」


 オリビアは一言も猫の話をしなかったにも関わらず、聖下は一発で当てた。その言葉には単なる当てずっぽうなどではなく、確かなる確信が込められていた。


「忘れられただなんて悲しいですね。わざと上着を残していったというのに」

「上着……?まさか!」


 祝福祭の時にかけられていた上着の存在を思い出し、オリビアは目を瞠る。相手は神官なのは分かったとはいえ、まさか聖下だとは思いもよらず、オリビアは動揺を隠せなかった。


「ま、まさかあの時、上着を掛けてくださったのが聖下だとは知りませんでした……」

「ふふっ、いつ探しに来てくれるかとずっとお待ちしていたのですが、遅い登場でしたね。待ちくたびれてしまいましたよ」

「え、っと……じゃあ猫はその時に……?」

「はい。ちょうど猫から人間に戻るところとバッタリ出くわしてしまいました。その後すぐ地面で寝てしまった時は驚きました」


 聖下が物珍しいものを見たと笑う。完全な珍獣のような扱いにオリビアは「起こしてくれても良かったのではないか」と文句を言いたかったけれど、今はそんなことよりも先に解決するべきことが残っていた。


「呪いではないのでしたら、何なのでしょう……!?聖下なら分かりますか!?」

「前例がないのですぐにお答えはできませんが、なるべくお力になれるよう尽力いたしましょう」

「ありがとうございます!」


 聖下がだんだんと神のように思えてきて、オリビアは跪きたい気持ちになってくる。力強く頷いたオリビアに、聖下はグッと顔を近づけた。


「今、一つ試してみましょうか」

「試すというと?」


(何だか距離が近いのだけれど……)


 安心して顔を綻ばせたオリビアの顎を聖下は掬い、腰を抱いた。


「呪いを解くには、真実の愛が相場だと決まっているじゃないですか」

「そんな曖昧なもので解けるでしょうか……?それに、私と聖下は愛し合っているわけではないので、無理なのでは?」


 オリビアは夢見がちな性格だけど、地に足をつけるタイプだった。ロマンティックとは程遠い発言に、聖下は「ふふっ、ふふふっ」と面白そうに声を上げる。


「いいですね。ますます気に入りました」

「あの……そろそろ離れて頂いても……」


 良いでしょうかと言い切る前に、オリビアの唇を聖下の指がするりと撫でた。これから何をするのか察せられないほど、オリビアは子供ではなかった。


(できれば初めてのキスは好きな人とがいいわ)


 だけどキスひとつで、もしこれからは猫にならずに済むのならば。


(なら、一度だけ試してみるのもアリかしら……?)


 ぐらぐら揺れるオリビアの気持ちを見透かした聖下が「こういう時は目を瞑るものですよ」と促す。

 オリビアが覚悟を決め、瞼を下げようとした時だった。


「オリビア……!!」


 突然グイッと思いっきり腕を引かれて、誰かに抱き締められる。オリビアは驚きながら反射的に見上げると、そこには息を切らしたカシアンがいた。


「おや、邪魔が入ってしまいましたね?残念です。続きはまた次の時にでも」

「ッ触るな!」


 オリビアの手の甲へキスを落とそうとした聖下を殴りそうなほどの勢いで、カシアンが引き離す。


「では私の方でも調べてみますので、またお会いしましょう」


 危険を察知したらしい聖下は、ひらりと手を振りながら素早くその場から退散した。


(ええ……!ここでカシアンと二人きりにするの!?)


 聖人だと信じていたけれど、実はろくでもないタイプだったとオリビアは評価を正す。去った聖下の背中をカシアンが睨んでいるのには、オリビアは気付かなかった。


「あの、カシアン?少し苦しいわ.....」

「さっきは何をしていたのですか」

「えっ、その……少し相談に乗ってもらっていたというか」

「どんな相談をしたら、あんなに密着する必要があるんですか!!」


 カシアンが苦しそうに叫ぶ。確かに、未遂とはいえ、婚約者の不貞現場を見てしまったのだ。カシアンが怒るのも当然だった。


(猫にならずに済むのなら、キスくらいはいいと思ってしまったわ。あの時、私はカシアンのことを考えていなかった)


 そしてもしも万が一、猫になるのを解決できる条件がカシアン以外の人とのキスだとしてら。


(きっと、私はできてしまう)


 たとえカシアンが嫌がろうともだ。

 今は一時的に猫になるだけだけれど、時間が長くなっていったら。いつか二度と人に戻れなくなってしまったら。言葉は通じず、家族や友人――カシアンと話すらも出来なくなってしまったら。

 物語のように、一人孤独に消えるなんて結末は、オリビアには選べなかった。


(それに、カシアンは猫の私が大嫌いじゃない……)


 陽だまりのようにいつも暖かで心地よい眼差しが、猫になると凍えるような視線に変わってしまう。その冷たさを浴びる度に、オリビアの胸の奥はズキズキと痛んだ。

 嫌われて、時には殺されかけて。ずっと本当は、泣き叫びたかった。どうして気付いてくれないのよと、猫の姿でも好きだと言ってくれないのよと、カシアンのことを責めてしまいたかった。

 そして、このままだと本当にそうしてしまいそうで、オリビアは怖かった。


(人間にも戻れず、家族や友人、そしてカシアンすらも全て失ってしまうくらいならば――)


 それならば、オリビアの答えは一つだけだった。オリビアは自分を抱き締めるカシアンを引き離して、迷いなく告げる。自分がどんな表情をしているのか、オリビアには分からない。ただ、その声は震えていた。




「カシアン、婚約を破棄しましょう」




 オリビアはカシアンを失いたくなくて、だからカシアンを手放すことに決めた。




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