愛しの婚約者さまに、今日も命を狙われています
本月花
綺麗な花には刺がある 1
昔々あるところに、一人の少女が居た。
少女は強力な神力を所持していたけれど、その強さと引き換えに、呪いにかけられてしまっていた。
少女は呪いを解く方法を必死に探すが、ついに見つかることはなく。
最後は一人、静かに姿を消した。
「みゃあ……みゃあ……」
「……猫?」
呪いが進行し、本来の姿に戻れなくなったその時だ。少女は元婚約者だった青年と出会った。
「レベッカ?もしかして君は、レベッカなのかい?」
「にゃあ……っ!」
親が決めた許嫁で、政略的な関係だったはずなのに、青年は一目で彼女の事に気がついたのだ。温かく大きな手が彼女を抱き締める。
「ああ、やっと見つけた……!どうして一人で消えてしまったんだ。どんな姿でも、君は君だ。……愛しているよ、レベッカ」
青年は少女に口付けをした。心からの愛を込めて。
――その瞬間、光に包まれ、彼女は猫から人間の姿に戻る。
青年の愛が、少女の呪いを解いたのだった。
***
「オリビア様、またその本を読んでいらっしゃるのですか?」
「ええ!だって、とっても素敵だもの……!」
オリビア・ヴェセリーは碧眼を輝かせ、自分のメイドであるアンナの問いに頷いた。分厚い本をぎゅっと抱き締めれば、プラチナブランドの髪が揺れる。
表紙に赤髪の少女と、小さな猫が描かれているその本は、オリビアが幼い頃から何度も読み返している本だった。少女にかけられた呪いが、真実の愛によって解かされる――所謂ロマンス小説。
この本はオリビアがまだ十歳の頃に、ヴェセリー侯爵家の古い書庫で見つけた物だ。埃を被り奥深くに眠っていた本へ、まるで引き寄せられるようにオリビアは手を伸ばしていた。
その日からずっと、こんな恋がしてみたいと、オリビアは少女らしく夢を見ていた。
「ふわぁ……」
「あら、オリビア様。もしかしてまた夜更かしされたのですか?本を読まれるのも程々になさらないと、またカトリーナ様から怒られますよ」
「ち、違うわよ!昨日は早く寝たわ!」
侯爵夫人である母の名前に、びくりと肩を跳ねさせ、否定する。つい夜更かししがちなオリビアだけど、昨夜は早くベッドに入った。
「今日はカシアンが来る日だもの」
何故なら、今日は婚約者との約束があるからだ。
オリビアの婚約者は気弱で泣き虫だ。
以前一度だけ約束の日に寝坊してしまった時は「ついに捨てられてしまったのかと思いました」と今にも溢れそうなほど涙いっぱい溜めながら安心した表情をされ、オリビアは罪悪感で押し潰されそうになった。
それ以降は一度も遅刻はしていないし、昨日だって早く寝たはずなのに。何故だか今日は酷く眠い。オリビアは欠伸を噛み締めた。
***
(なんだか、ふわふわする)
まるで夢の中にいるように、ふわふわ温かい。もっと味わいたくなる心地良さだ。
無意識のまま身体を引き寄せるると、もふっとした何かに顔が埋まる。
(もふっ?)
夢うつつの中でオリビアは首を傾け、現在の状況に疑問を抱く。
(どうしたのかしら。私は確か、カシアンを待っていたはずなのに……そうよ!カシアン!)
ハッとオリビアは重い瞼をこじ開けた。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。オリビアは慌てて身体を起こす。
(ここは、私の部屋よね……!?)
なんだか家具が、いや、部屋全体が大きく感じるのは気の所為ではないはずだ。眠っている間に一体何が起こったのか。オリビアは混乱しながら、ソファから降りようと足を伸ばし――
「にゃあ!」
(きゃあ!)
ごろんっと、勢いよく床へ落っこちた。
踏み外すはずなんてないのに、宙を切った足に疑問が過ぎる。身体を起こし、辺りを見回す。
やっぱり勘違いなんかではない。確かに自分の部屋であることは間違いないのに、テーブルもソファもベッドも、目に映る全ての物が巨大化していた。
(何よこれ、夢?幻?)
混乱しながら、ふと、近くに置いてあった鏡へオリビアは視線を向け、絶叫する。
「にゃににゃ!?」
(何よこれ!?)
オリビアはあんぐりと口を開けた。
手のひらサイズの身体に、白色の柔らかな毛並みと薄い碧眼。
鏡に映っている自分は今、人間ではなく猫の姿になっていた。
(かわいい……じゃなくて!どうして猫になってるの!?誰かいないの!?ねぇ誰か!)
オリビアは不安と恐怖で半泣きになりながらも必死に呼びかける。しかし、口から出てくるのは猫の鳴き声だけだ。
「みゃう……」
(私はこれからどうしたらいいの?どうすれば元に戻れるの?)
「みゃあ……みゃあ……」
(誰か助けて。お願い、誰か……)
オリビアは小さく蹲り、震える。その時だった。トントンと、ノックの音が響く。
「オリビア、そこに居ますか?約束よりも少し早いですが、待ちきれなくて会いに来てしまいました」
(カシアン!)
婚約者の声にオリビアは顔をあげて、ドアへと向かう。重い扉は猫の力では開けられなく、代わりに両手で何度も引っ掻いた。
「にゃあ、にゃあ!」
(カシアン、私はここに居るわ!)
カリカリ、カリカリ。引っ掻いた回数が十を越えた頃、扉はゆっくりと開かれた。
扉の目の前にいたせいか、そのまま身体は押されてゴロゴロ転がってしまう。
しかしオリビアにとって、今それは重要な事ではなかった。
「にゃあ」
(良かった、カシアンならきっと気付いてくれるわ)
安心で心が解れていく。オリビアの声に気付いたカシアンは紫水晶のような瞳を瞬かせた。
「……猫?」
「にゃあ!にゃうにゃっ!」
(カシアン私よ!オリビアよ!)
しかしそれも一瞬で、カシアンの目はすぐに不快げに細まった。
「一体どこから侵入した?ここはお前如きが入っていい場所じゃない」
(え?)
見たこともない鋭い眼差しと、冷やかな言葉。
カシアンは腕を伸ばし、指先でオリビアの首元を摘んだ。まるでゴミでも持つかのように、心底嫌そうな表情で。
「どうやら命が惜しくないようだな」
カシアンが呟く。冗談じゃなく、本気の声だった。オリビアの思考も身体も全てが停止する。
(あの、どちら様ですか!?)
初めて目にする婚約者の姿に、オリビアは心の中で叫んだ。
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