記憶が眠る石

 広場を離れた三人は、祭祀場へと足を向けた。

 踊り子の衣装を着ていても、髪と瞳の色まで変えられるわけではない。ルィヒと並んで人ごみをかき分けていく間、ユージンは、いつ風で布がめくれ上がってしまわないかとひやひやしていた。

 だが、ルィヒはこの状況をかえって楽しんでいるらしく、鼻歌交じりに歩きながらきょろきょろと辺りを見回している。

 王宮に通じる長い坂の手前で左手に道をれると、丘陵の影に入り、日射しが遮られた。目抜き通りの喧噪も、断ち切られたように聞こえなくなり、冷たい洞窟の底に降りたように静謐な沈黙が辺りに満ちた。

 薄暗く、神聖な静けさに包まれたその空間の中心に祭祀場はあった。

 様々な色の石を敷き詰めた参道の両脇には水路が引かれ、祭祀場の裏の泉から湧き出す水が、さらさらと音を立てて流れている。

 祭祀場の建物自体には装飾がなく、平らに石が組まれているだけなので、遠目には大きな箱のようにも見える。

 入り口には、王国の正規兵である事を示す胸章きょうしょうをつけた男が立って睨みをきかせていたが、祭りの最中だからだろう、出入りする者の顔を一人一人あらためるような事はしていなかった。

 建物の中には灯りがなく、天井近くにあいた四角い小窓から射し込むわずかな光だけが足元を照らしている。

 ユージンは、ほっとした。ここなら、よほど近くで見なければ、ルィヒの瞳の色もわからないだろう。それに、周囲には吟遊詩人やまじない師の出で立ちをした者も大勢いて、踊り子の衣装もそれほど目立たない。

 段差のない、がらんとした広間には床がなく、地面の上に直接、長い真紅の織物が敷かれていた。手前から奥に向かって伸びる、その織物の両側に、人の背丈ほどもある巨大な柱状の結晶がいくつも並んでいる。

 結晶の一つに近寄って、ユージンは少し驚いた。あまりに整然と並んでいるので、てっきり、他の場所からここへ運んでこられたのだと思ったのだが、結晶はすべて、しっかりと地面に根を張っているのだ。

「あの劇で語られた事は、すべて作り話だと思ったか?」

 ルィヒに、顔のすぐそばでささやくように訊かれて、ユージンは思わず「別に……」と目をそらした。

「でも、これに触っただけで〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉の記憶を辿る事が出来るっていうのは、さすがに信じられないけどな」

「試してみれば良い」ルィヒは事もなげに言った。「祭祀場は万人ばんにんに開かれた場所だ。君のような異国の民でも受け入れる」

 ユージンは躊躇ったが、他の結晶の前に集まった者が皆、感極まった様子で手のひらで結晶の表面をなぞっているのを見て、思い切って指先を結晶に当てて目をつむった。

 その瞬間、瞼の裏に、見た事のない景色が浮かび上がった。──それは、霧をまとった深い緑の木々が立ち並ぶ美しい光景だった。

 骨のように白い砂礫が広がる荒れ地の中に、その森は、ぽつんと小島のように現れている。中央部がわずかに盛り上がり、一番高い所では、尖った岩のようなものが梢を超えて突き出していた。

 それを伝えると、ルィヒは嬉しそうに、

「シャノカーンの森だな」

と答えた。

「最初に見たのがそれとは、運が良い。さっきの劇を見ていたのならわかるだろうが、その岩の輪の内側が、歴代の〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉が眠る地だ」ルィヒは、声を低くした。「わたしも、いずれはそこで永久とわの眠りにつく」

 ユージンは驚いてルィヒの顔を見た。

「他の王族と同じ墓に入るんじゃないのか?」

「ああ、違う。あの劇はなかなかどうして、真に迫っていたよ」

「それは……」

 言いさしたユージンが、ふと、ある事に思い至って顔をこわばらせると、ルィヒは、くすっと笑った。

「心配するな。〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉の記憶がノェシウム鉱石に刻まれるのは、記憶の保持者がシャノカーンの森で息を引き取った後だ。今ここで、君が身を隠す必要はないよ」

「……どの記憶を残すのかは、自分で選べるのか?」

「いや。それは、無理だ」

 ユージンの胸に、つっと引きつるような痛みが走った。

 ルィヒが死した後、彼女の記憶を通して、自分の事が広くクィヤラート王国民の間に知れ渡る事が嫌だったわけではない。

赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉としての素質を持って生まれてきたというだけで、自分の人生を、まるで見世物のように、多くの人々の目に晒さなければならないルィヒが、哀れだった。

(あの劇が、本当に事実を語っているというのなら、〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉は普通の人間よりもはるかに長い時を生きるのに……)

 ノェシウム鉱石にどの記憶を刻むのか、自らの意思では決められないというのなら、例えば、好いた男と肌を合わせる自由すら、彼女にはないのだろう。

 そんな思いを見抜いたかのように、ルィヒはふいっと身をかがめると、拳で軽くユージンの肩を小突いた。

「そんな顔をするな。〈赤竜を駆る姫リーリ・チノ〉は死ぬまで所帯を持たない。わたしは、それを苦痛だと感じた事はないよ」

 そして、ルィヒは体を起こすと、気持ちを切り替えるように片手の指を鳴らした。

「さて。では、そろそろ外に出ようか。君に一つ、良い話を持ってきたんだ」

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