俺が彼女を寝取られてから妹の様子がおかしい
さかきばら
第1話 もう恋なんてしない
やはり現実の恋愛なんてクソだ。
もう恋なんてしないと歌った男はいたが、あれだって最後は結局次の恋を探すというポジティブな姿勢で〆やがった。
「お前さぁ……いつまでもそういうスタンスでいるなよ」
前の席に座っているイケメンが振り返ってくる。
渋谷にひしめくマッシュの系譜を継ぐコイツの名は佐竹という。
「エロ漫画とかエロアニメだったら一回寝取られてから主人公の人生が急転直下だけど、そんなの所詮誇張された表現だぜ?
クソ女を見分ける基準が増えたってポジティブにならなきゃ」
「お前が紹介したんだろうが」
「はっ。人のせいかよ。だから陰キャなんだよ」
佐竹は哀れみを込めた目線で俺を見る。
ムカついたので修学旅行の際に撮影した佐竹の裸踊りを、クラスのグループチャットで拡散してやった。絶叫が轟いた。
「はぁ……」
「おい
復活した佐竹が呼び止めてくる。
「帰るんだよ。もう授業も終わったのに教室に残って何をしているんだ俺たちは」
「なんだよ。青春じゃんかよ。うぇいうぇーい」
うぜぇ。
佐竹は美人で面倒見のいい幼馴染の彼女がいるにも関わらず、何かと俺に絡みたがる。もしかしたらゲイなのではないかというのが最近の見解だ。
「青春はもういいだろ。幼馴染ちゃんとでも遊びに行ってニャンコラしてろよ」
「おうまたな。つーか次も女紹介させろよ」
「ギャルゲーの友人かテメェは。死ね」
佐竹は悪い奴ではないのだが、脳内がピンク色をしているのが難点だ。
それを加味すると、もしかしたら良い奴ではないのかもしれない。
だったら、なおのこと俺なんかにかまけていいわけじゃねぇだろ。
先日、俺は彼女を奪われた。
台風のように突然であっという間だった。激動の一か月だ。
佐竹から急かされて恋愛の準備を開始したのが先月末のこと。
半ば引きずられる形で美容院やネイルサロン、眉毛サロンなどに通わされた。
その甲斐あって何とか彼女を作ることに成功。佐竹がセッティングしてくれた合コンで知り合った女だ。
インスタグラムが上目遣いの自撮りで、やたらと映えることをイメージしており、フォロワーの数を戦闘力と解釈している類いの人種だ。
思い返せばこの時点で暗雲立ち込めていたのだが、初心な俺は人生経験という魔法の言葉で現状を正当化し続けていた。
最初の週ではベタベタした。それはもう人目をはばからずベタベタした。
包み隠さず打ち明ければ、この週は楽しかったと言っていいだろう。
生来インドア気質だった俺にとってはセンセーショナルな事ばかりで、視野や見識を広めるいい経験になったからだ。
だから佐竹はあながち間違っていない。間違っていないからムカつくとも言える。
話を戻そう。
翌週から目に見えて態度がおかしくなった。
先週まではLINEを送ると20秒以内にレスポンスが来たのだが、それが1時間以上かかることも多くなってきていた。
二次元と被害妄想に脳を支配されていた俺は一抹の不安を抱いたが、それでも杞憂と自分に言い聞かせた。
そして運命の分かれ目。関ヶ原の日曜日。
お袋から頼まれてスーパーへ買い出しに行っていたところ、見知らぬ男と腕を組んで歩いている女を見掛けた。
心臓が嫌に跳ねた。大して重たくない買い物袋が鉄球になったかのようだ。
ヒートアイランド現象の熱気の中、人混みの中で二人の姿だけくっきりと浮かび上がっているように見える。
俺は汗ばんだ手をぎゅっと握りしめて、行き交う人の群れに潜伏した。
「でさぁ……まあ、佐竹っちから紹介されたんだけど」
女は甘ったるい声で話している。
サーフボードの似合いそうな筋肉質な男は、黄ばんだ歯を覗かせて頷いていた。
「ぶっちゃけ退屈。悪い人じゃないのはわかるんだけど、なんつーか保育士みたいなんだよね。優しさしか持ち合わせない、みたいな感じ」
「経験ないんでしょ? 彼氏くん。練習だと思って付き合ってあげなって」
「あーやー、もうぶっちゃけダルいわアイツ」
「容赦ないねぇ。泣いちゃうよ彼氏くんさぁ。あっははは」
会話が鼓膜に突き刺さる度、俺は幼少期に遠い駅で迷子になった経験を思い出していた。
妹を探していたら、俺まではぐれてしまった。
子供の足で帰れる距離ではない。さ迷っていたら妹とまではぐれた。自分はこのまま捨てられると、根拠もなく怯えて泣いていた。
俺の追跡はそこまでだった。繁華街の方へ消えていく二人を、ただ呆然と見送ることしかできなかった。
帰り道は呼吸を整えることに精一杯で、どうしていたのかは定かではない。
以上。俺の恋愛終わり。
現実の恋愛はクソ。
やりたい奴は勝手にやればいい。俺は俺の好きなようにする。
そうした方がお互いのためだろ?
「世界が平和でありますように」
俺はささくれだった心を鎮め、改札にパスモをかざした。
昔、暴力事件をやらかしたことがある。
小規模なものだが、悪評は妹にまで波及しかけた。
だから俺は嫌なことがあると、あるゲームにかこつけて、世界平和を願うようにしていた。
※ ※ ※
帰宅した俺は靴箱を開いた。履き古したローファーが乱雑に投げてある。本来の適当な性格が透けて見えるようだ。
「こんなでも品行方正な才女で通ってるの世界バグってるだろ」
クソ妹のことだ。どうせネットでアホなフェミニストや環境活動家でも煽って遊んでいるのだろう。俺は二階を苦々しく見上げて、「ただいま」を言うのは面倒臭いという結論に落ち着いた。
「いつからあんな風になったのやら」
思い返せば俺に佐竹という友人が出来てからが契機だったのか。
溢れるフラストレーションを叩きつけるように、持ち前の頭脳を無駄遣いしてネットでの論争に明け暮れるようになったのは。
そのせいで性格は歪みに歪んで、今では根治不可能の「皮肉を言わなきゃ死んじゃう病」末期患者と成り果ててしまっている。
学校では猫を厚着して社交的な人物を気取っているようだが、実態を見たら彼女の学園人生はたちどころに終焉を迎えるだろう。
「昔は可愛かったのに」
これはよく言われるが、俺だって子供の頃「将来は男前になる」と親戚一同にもてはやされていた。
今では一人残らず手のひらを返したので、俺の人間不信は加速した。
ブレザーを脱いでネクタイを緩める。丸めて適当に放り投げた。
「やっぱこの方がいいなぁ。自分が満足できるかどうかが一番だよ結局」
彼女がいる時期は、世間並みの男のように身ぎれいに見せる努力をしてきたが、はっきり言って窮屈極まりない。
「……ああ、帰ってたのですか」
「……あ?」
俺の見立ては外れた。ソファーに寝転がった音で気付いたのか、リビングから声が聞こえてきた。
罪悪感でもあるように、気まずそうな顔をしている妹。
不仲になってから、こいつはこういう目付きで俺を見ていた。
「ただいま、くらい言ったらどうですか? 礼を欠く者は他者からの信用を得られせんよ」
「……ただいま」
「幼稚ですね。不機嫌なのを隠そうともしない」
「言っても言わなくても文句つけてくる方が幼稚だろうが」
「はっ……」
俺は上体を起こし、厭味ったらしい女を見やる。
天賀谷
腰まで伸びた銀髪のウェーブヘアー。
白く澄んだ肌は新雪か
凛然と研ぎ澄まされた切れ長の目つきは、一年の彼女が生徒会長まで登り詰めた事実に説得力を与える。
「兄さん、珈琲ですか?」
「インスタントのクソ不味いのしかないだろ。俺のコーヒーメーカー使えよ」
「文句ばかり」
「お前の分も作っていいから。俺のもそっちで淹れろ」
「こんなのに恋人が出来るのですから、恋愛とはさぞコンビニエンスになったものです」
舌打ちでもしかねない勢いで吐き捨てながら、インスタントの瓶を戸棚へ仕舞う聖良。
次いで掘削機のような異音が聞こえてきた。カプセル型のコーヒーメーカーだが、それでも粉末を溶かすだけのものよりは上等だ。
珈琲にはこだわりがあった。それは聖良も同じだった。
コーヒーメーカーとそのカプセル、並びに周辺機器は全て俺のバイト代でまかなわれている。
瀬良の飲む分も、親父やお袋が飲む分も、だ。
故に俺はその分野だけ横柄に振舞うことが許された。
「どうぞ」
脱ぎ捨てられた俺のブレザーに顔をしかめながらも、瀬良は香りだつ二杯を持ってきた。
「ありがと」
「もうちょっと素直に言えないのですか。反抗期にしては遅すぎますが」
「お前そういうことばかり言ってると彼氏できないぞ」
「……ちっ。彼氏でも作ってどっか行けと言いたいんですか?」
明確な舌打ち。敵意すら込めた目つきで俺のことを睨んでくる。
聖良は昔から恋愛というものを嫌悪していた。
恋人を作って、関係を深めて、家族から見送られて幸せになる。
あるいはそういう工程が立身出世の条件とされている風潮そのものを憎んでいたのかもしれない。
そういう背景を考慮すると、佐竹と仲良くしだしてから態度が硬化した理由も見えてくる気がする。
「ああ、そうですか。そうですか。じゃあせいぜいあの頭の悪そうな男に紹介された頭の悪そうな女に頭が悪そうな顔をしながら盛っていればいいじゃないですか。はいはい、陽キャ陽キャ。人生楽しいですね」
「俺はもういい」
「……え?」
今度は明確な疑問だった。鋭い目をパチクリとさせながら、俺のことを見てくる。
「もう恋愛はたくさんだって言ったの。人生経験が何とか知らないけど、なんであんな想いをすることが美徳とされているのか、理解に苦しむ」
「……か、彼女さん。いるのですよね?」
「あ? 嫌味か? フラれたわ。寝取られたわ。もう二度と作らない」
「佐竹さんは?」
「あんな奴知るか。幼馴染と破局する呪いでもかかって死ねばいいんだ」
俺に女をあてがおうとしてきたり、やたらと恋愛至上主義を掲げている佐竹。
あいつは恐らくだが、俺をオモチャにしている。
あるいは先ほど評したように「ギャルゲーの友人」ポジに自分を投影し、善行を働いていると自己陶酔しているのだと考えられる。
確かに様々な失敗をして経験を積もうとするスタンスは人生の基本原則と言えるだろう。
だが、理不尽な失恋の直後でも煽ってくるような人間を、果たして友人と呼べるのだろうか。
たまにネットで流れてくる、陰キャを煽って芸をさせる猿回しに似た動画を思い出した。
仲良くなったきっかけはジャンプで連載していたバトル漫画だったが、今となっては交際すべきではなかったと後悔しかない。
何故なら俺と佐竹は住む世界が異なる。
普通とそうではないものの間には、埋めがたい溝が横たわっているものだ。
「……」
「聖良?」
聖良は長い髪をたなびかせて立ち上がる。勢いがついてふわりと揺れた。妹ながらいい匂いがしたので、少し複雑な気持ちになった。
「……これ」
妹は何かを持ってきた。口にリボンの装飾の施された、バレンタインで活躍しそうな紙袋だ。中からは珈琲に負けないような、かぐわしい香りが漂ってくる。
「あげます」
「なにこれ」
「クッキー」
「……」
「焼いたんです。調理実習で」
虚を突かれる思い。聖良は俺に対して辛辣極まりなく、俺に対しての好感度など限りなくゼロに近かったはずだ。
しずしずと手渡されたそれを、俺は形容しがたい感情のまま受け取った。
「くれるのか」
「……ええ」
いつもだったら『クッキー風情を見せびらかすような女だと思われているのですか? 私の尊厳も地に堕ちましたね』などと嫌味を言ってくるはずだ。
だが聖良は露骨なまでに俺から顔を逸らしていた。
中学生の頃、兄妹にしては仲が良すぎるとからかわれたことがあった。
禁断の恋愛をするアニメが当時オタクたちの間で流行していたから、それにかこつけて、今となっては聞き捨てならない
ふと、そのことを思い出した。
「美味いわ」
「そうですか」
「食えよ。自分で焼いたものだろ」
「……」
「シカトかよ」
あの時、腹のうちに悪意を宿している自称友人共に対し、俺は言葉以外の手段で訴えた。
自分が罵られるより、聖良を好き勝手に言われる方が我慢ならなかったような記憶がある。
だって現実はクソだからな。
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