第8話 Silver Case 2

 部屋の中央には低い木製の長テーブルがあって、その長辺の両脇には焦げ茶色をした革のソファが置かれている。部屋の隅には食器棚が設置され、その傍にはまとめ買いしたミネラルウォーターの箱が六セットほど積まれていた。


 僕はソファに座って、静かに洗礼の担当者を待つ。緊張を和らげようと深呼吸を繰り返していると、やがて一人の男が紙一枚とボールペンを持って部屋に入ってきた。


「お待たせしてすみません」


 野太い声に、僕は一瞬だけぎょっとしてしまう。その男はスキンヘッドに黒いサングラスを掛けた、容貌魁偉ようぼうかいいなスーツ姿だった。だが、見た目に反して、口元の笑みからは優しさが感じられる。黒メガネの下には、きっと可愛らしい眼玉が隠されているのだろう。


 彼は持ち物を一旦机に置き、食器棚からガラスのコップ、空いた箱から水のペットボトルを取り出して、僕の向かいに腰を下ろした。


「同意書にサインを一筆、お願い致します」


 そう言って、彼はさっきの紙とボールペンをこちらに提示してくる。僕は同意書にざっと目を通した。要するに、『僕は自らの自由意思に従い、道徳的能力増強治療薬を服用します』という意思表明を求めているらしい。僕は指に決意を込めて、自分の名前を紙に書き記す。


 担当者は書き終わった同意書を確認し、スーツの上着ポケットから銀色の四角いケースを取り出した。彼がそれを僕の目の前で開いて見せると、そこには透き通る青色をしたカプセル剤が、台座のくぼみに納まるようにして据えられていた。


「これが道徳的能力増強治療薬、『神の落涙』です。慈悲深き主が浮世に蔓延はびこる悪意を憂い、その流した涙が結晶化したもの。良心的な人間を作り出す素晴らしい薬です。——まあ、そこはあくまで設定ですが。効果に嘘や偽りはありません。これを飲み、二週間の道徳研修を受けていただくことで、あなたは正式にこの街の善き住民として認められることになります。——今ならまだ引き返せます。それでもあなたは、この『神の落涙』を欲しますか」


 僕は少し考え直す時間をとってから、「はい」と肯定の意を示した。冷たく硬質な感触のするコップを手に取り、僕は開封したペットポトルから水を注ぎこむ。そして、一粒の青いカプセル剤を指で摘まみ、口に放り込んで水と一緒に飲み干した。


 僕は洗礼担当に口を開けさせられると、扁桃腺へんとうせんの腫れを確認する医者のように中を覗き込まれた。ペンライトの光が焼けるように熱い。


「——確かに」


 問題はなかったようで、僕はそっと口を閉じる。


「これで洗礼は終わりです。それでは明日からの研修をよろしくお願い致します」


 そうして、僕は洗礼室から送り出された。

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