第2話


「ねぇ見て、黒井くん……!

今日もかっこいい〜……」


「もうすぐ卒業だから、もうあのイケメンが見れなくなると思うと辛いね〜」


「誠くんは頭も良いしスポーツ万能だから、もうK大に推薦で受かったんだもんね。流石に追っかけられないわぁ……」



黒井誠……

人間として生まれた、今世の俺の名だ。

卒業間近の高校三年生。

ふと、まだ桜の花が開かない木を見上げた。

花がなければそれは、ただの木だ。

守るものもなく、することもなく、ただ佇んでいるだけ。

俺とおんなじ。


校舎の窓から、いつもの如く俺の姿を見下ろしコソコソと何かを喋ったり写真を撮ったりしている女子たちが視界に入る。

一部からは、耳障りな黄色い声が聞こえ、眉をひそめた。


もう、何度も何度も……こうして桜の木を見上げてきた。

何度も何度も……たった一人の人を思い出しながら。


「結局、黒井くんって高校3年間彼女作らなかったねー」


「告白した女子みごとに全員振ってて一時期ゲイだって噂があったけど、違うんだよね」


「うん。それ聞いてますます好きになっちゃったぁ〜……めちゃくちゃ一途なんだもん」


「ずっと昔から一人の女の子だけを想い続けてるんだってね……」




俺の前世は、捨て犬だった。

小さくて黒くて、箱に入れられ道に捨てられた、ただの汚い犬。

誰がどんな経緯でとかは、何も覚えていない。

ただ覚えているのは、俺を拾ってくれた小さな女の子のことだけだ。


「……もう大丈夫だよ。一緒に行こう。食べ物もベッドもあるからね。」


そう言って微笑む彼女の目は、なにかに似ていると思った。



「髪に一箇所だけ白のメッシュがあるのは生まれつきなんだってね」


「あの鋭くて神秘的な目付きとか、足が超速いところとかも含め、まるで擬人化したオオカミだって、他校でも有名らしいよ!」


「ほとんどのスポーツ大会総ナメだもんね!あ〜っ!こんな人に一途に想われてる子って羨ましすぎる〜」


「一体どんな子なんだろうね?」




高峯一花


それが彼女の名前だった。

一花は、親の反対を押し切って頑なに俺を離さないでくれた。

体を洗ってくれて、乾かしてくれて、ご飯をくれて、一緒のベッドで温めてくれた。


俺にとって一花は、この世で唯一、俺という存在を認めてくれる、俺のことを「宝物」だと言ってくれる、俺にとっての「宝物」だった。


そんな一花がいない昼間の時間が、俺は1番嫌いだった。

俺はただ一花のことをずっと考え、心配していた。

学校という場所に行っているらしいけれど、一花は帰ってくる度に毎回浮かない顔をしていたから。

だからきっと、学校なんて場所はろくでもないんだろう。想像もつかないけれど、一花にとって良くない場所なのだということは、何も知らない俺でも確実に理解していた。


だって一花は、ある時は汚れて帰ってくるし、ある時は息を切らしながら。またある時は、泣きながら帰ってきたから。


そして必ず決まって、俺を抱きしめてこう言うんだ。


「ずっと一緒にいてね……」と。


その度に俺は、ただ悔しかった。

ただ一花のそばにいることしかできない、そんな無力な自分と、苦しんでいる人を誰も助けようとしない世の中に対して。ただただ悔しかったのだ。


「皆、消えてなくなればいいのに……」


ある時、一花はポツリとそう言った。


「私とキューちゃん。世界で2人だけだったらいいのに……」


一花は俺に「キューちゃん」と名付けていた。

俺の好物がキュウリだかららしい。

俺がシャキシャキと音を立てながらキュウリを食べているときだけは、一花はとても嬉しそうな顔をする。


「ずっとこうして、2人だけでいたいね……」


じゃあそうしようよ、一花!

俺は大賛成だ!世界で一番大好きで一番大切な一花といられるなら!

一花が笑ってくれさえすれば!

俺はこの世で、それ以上の望みは要らない。

一花が少しでも幸せと思ってくれるのなら、俺はなんだってやる。


そうだ、俺はきっと……

一花を幸せにするために生まれてきたんだ!

それ以外に、俺の生まれた目的は何もない。何も無くていい。


だから、ねぇ一花、逃げ出そう。

君を悲しませる世界から。

俺と2人だけで、どこか遠くの、誰も知らない世界に行こうよ。

それか、君以外の全員を皆殺しにしたっていい。


君が笑ってくれるのなら、俺はなんだってやる。

なんだってやれる。


俺はずっとずっと、一花が死ぬまでずっと、味方でいるよ。

何があっても一緒にいるよ。君を守るよ。



俺の言葉は、ただワンワンといった叫びにしかならないが、伝わっただろうか。

一花はこのとき、ただ悲しい目をして俺を見つめていた。

やっぱり彼女の瞳は、なにかに似ている。


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