第10話 体育倉庫
体育倉庫は校庭の隅——バックヤード横にひっそりと建っている。
コンクリートブロックでできた四角い造りの何の変哲もない倉庫だ。隅にあるため、体育や部活動がない日は人通りが少なく、さらに以前、そこで男女の営みを敢行した生徒がいたために、使用しないときは常に鍵が掛かっていた。
今校庭はサッカー部が大きく広がってセンタリングの練習を行っていた。ソラ達はそれを邪魔しないように校舎に沿って端を歩き、フェンスに突き当たると今度はフェンスに沿って体育倉庫を目指した。
ソラは、真上に広がる雲一つない快晴の青空をぼんやり眺めながら、歩みを進めた。
ふと前方に一人の女子生徒が対面に歩いてきていることに気がついた。俯いて早足に歩く彼女の目がちらりと見えた。泣きはらしたような赤。
女子生徒はそのまま、ソラ達の横を通り過ぎて行った。ソラは振り向かなかったから、彼女がどこに行ったかは知りようもない。ただ、有栖が一人そっと振り向いていたのを、ソラは気が付かない振りをした。
倉庫に着いてから、祈里が「そういえば」と声を上げた。「どうやって中を見るんです? 鍵掛かってますよね、体育倉庫」
ソラと有栖が祈里に顔を向ける。有栖は何も言わない。ソラも。
「え、もしかしてノープランですか?」と祈里が半眼を向けてきた。
「いや、違う。俺は違う。俺は、有栖が当然鍵を用意すると思っていたんだ。生徒会長たる有栖が」
「いやいや、ボクも違うよ? ボクは、ソラがそのよく回る頭でどうにかする、と踏んでいたんだよ」
ソラと有栖がお互いをにらみ合う。責任の押し付け合いとも言えた。2人の諍いがヒートアップしだしたとき、唐突に体育倉庫の重たそうな鉄扉が開いた。そして、中から20代後半くらいの男性が1人出てくる。
「あれ。赤井先生」と祈里が声を上げる。
「ん? ああ。古谷か。なんだお前たち。変な組み合わせだな」赤井先生が訝しんでソラ達を見やった。
「私が2人に学校を案内していただけです」と有栖がどこか冷たい無機質な声で言った。一人称まで『ボク』から『私』に変わっている。
「転入生は分かるが、古谷にまで案内してんのか」
「古谷さんはヒッ——じゃない。不登校を明けたばかりですから」
祈里は小声でソラに「今ヒッキーって言おうとしましたよね?」と確認してきたから、ソラは目線を端に流して首をかしげ、知らんぷりを決めた。
「そうか。だが、体育倉庫まで案内する必要はないだろう?」
赤井がソラ達の目の前で体育倉庫の鉄扉に大きな南京錠をかけた。ソラが小さく舌打ちをする。
ああぁ! と見知らぬ声が響いたのはその時だった。ソラ達が来た方向とは反対のフェンスの方から私服の男女3人組が赤井の方へ駆けてきた。
「
茶髪のロン毛男が馴れ馴れしく赤井を呼んだ。残りの2人も「超久しぶりぃ」「赤先老けた?」と何故か少し得意げに赤井に声を掛けた。
「おう、お前ら、来てたのか。どうだ、大学は?」
赤井が寛容な態度で応じる。どうやら彼らはこの学校のOB・OGのようだ。
「楽しいけどさー、赤先いないからさーみーしーいー」
頭のサイドを刈り上げてあご髭をはやしたいかつい男がおどけて自らの体を揺らした。ソラはきもいとしか思わなかったが、お仲間の2人にはウケていた。
ソラ達をそっちのけで赤井と3人のOB・OGはしばらくの間、思い出話に花を咲かせた。そして、その後、ようやく赤井が彼らに訊ねた。
「そういえばお前ら今日は何しに来たんだ?」
「タイムカプセル探しに」ロン毛がサッカー部が練習している辺りを指さして答えた。
「タイムカプセル? お前ら去年卒業したばかりじゃないか」
「いや、そうなんだけどさ。あの埋めたカンカンの中に俺ゲーム機入れたんだけど、今それプレミアついてるらしくてさ、結構高く売れるんだよね」
だから、取り出したい、ということのようだ。
「なんだそれ」と赤井は呆れながらも表情は柔らかい。「ちゃんとアポとって来たんだろうな?」
「アホならここに、ほら」とOGがあご髭を指さした。
あご髭は「おっきく、なったら、パイロット」と手で巨乳を形どるようなジェスチャーをしながら奇妙なステップを踏んだ。ソラにはやはり何が面白いのか分からなかったが、OB・OGはゲラゲラ笑っていた。
「ったく、お前ら仕方ねぇなぁ」赤井は手のかかる幼子を相手取るような声を出し、それから「おーい、全員一回練習止めろォー」とサッカー部の練習を中断させた。
サッカー部の生徒たちは、何事か、と不審そうな顔をしながらも動きを止める。赤井はサッカー部の顧問でもあるから、指示には従わざるを得ないのだろう。
赤井がその中の生徒の一人を呼んで、指示を出すと、サッカー部はわらわらと校庭から捌け、撤収して行った。
「ほら。これで探せるだろ。暗くなる前には帰れよ」と赤井がOB・OGに言う。
「あざざざーっす」とロン毛が深々と頭を下げたが、どちらかと言えばふざけてそうしているようだ。
「でも、ぶっちゃけどこに埋めたか分かんないんだよねー」
「お前ら、本当にそんなんで大学でやっていけてんのかよ。心配だなぁ」と赤井が大げさに言ってからソラ達に顔を向けた。ソラは途轍もなく嫌な予感がしたが、止める間もなく赤井が口を開く。
「古谷たち、どうせ暇だろ。こいつら手伝ってやれ。お前らの先輩なんだから」
おい、この教師ふざけたこと言い出したぞ、とソラが有栖の方に目を向けると、そこには鋭い眼光で赤井を睨みつける有栖がいた。祈里もそれに気が付き挙動不審におろおろしている。気が付いていないのは赤井とOB・OG達だけだ。
「おー、お前ら、よろしくー、俺ら帰るから見つけたら届けて」とロン毛が帰る振りをする。
冗談だと分かるが、それでも不愉快なことには変わりはない。
OB・OGは「あっちの方だと思うんだよなぁ」と3人でスコップも持たずにさっさと歩いて行ってしまった。いつの間にか体育倉庫の扉を開けていた赤井がスコップを3つ持ってきてソラ達に1本ずつ渡した。
「じゃ、頼んだぞ。終わったら体育倉庫のカギをちゃんとかけろよ」と言い残して赤井は職員室の方へ去っていった。
「なんで穴掘りすることになってんだよ」ソラが苛立った声を上げる。
「ボクが聞きたいね」有栖も同様だった。
「ま、まぁまぁ、おかげで体育倉庫の中には入ることができるんですし、よかったじゃないですか」と祈里が前向きに捉えようとするが、「おら、お前ら早くしろォ!」という怒鳴り声が遠くから聞こえてきて、祈里の笑顔が引き攣った。
それを見て、祈里の苛立ち顔はレアだな、とソラの怒りは若干薄まるのだった。
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