最強の系譜を継ぐ者たち

@u86

最強の系譜を継ぐ者たち

 戦前、最強の武道は柔道ということで大衆の見解はおおよその一致をみていた。

 そんな中、在京の大学柔道部の間で、ある噂がひそやかに流れていた。

 ──鳴り物入りで大学予科へ入学した柔道の怪童が、他流派の小さな先生に投げ飛ばされたらしい

 ──頭をひどく畳に打ちつけて完敗だったと聞いたぞ

 ──他流派の先生、後日そいつの大学の道場に乗り込んできたらしく、慌てて雲隠れしたんだってよ

 その噂話を耳にした作家の富田はつぶやいた。

「柔道が他流に負けることはあってはならない······だが今回は良かったのかもしれない······)

 近年の柔道は、いよいよ筋力や体力が物をいうスタイルになってきた。

 数年習っただけの巨人の怪力の前に、武道の年季のある小男や老人たちが捻じふせられてしまう。

 昭和十年の柔道に体重別の試合はない──すべて無差別。

 実戦を想定しているのだから当然だ。

 柔道人口が増え、年配者も称揚するため年齢による別枠の試合も作られた。

 だが鍛錬を重ねた小男が、新米の巨人に勝てなくて──それで“武道”と呼べるのか?

 武道は“柔よく剛を制す”ためにあるのではないのか?

 富田は、他流の年配者が柔道界の大物新人を投げ飛ばしたことに、いささか愁眉を開いた。

 ──さかのぼること数ヶ月前──

 春の晴れた日の午後、

大学予科の──令和でいえば高校に相当する──学生が三人、町の道場へ向かって路上狭しと闊歩していた。

「とにかく不思議なんだ──打撃はかわされてしまうし、かといって掴んだら逆に体の自由が奪われて投げられてしまう」

 その町道場に通っている門下生が、自分のところの道場主のすごさを忌憚なく伝えた。

「ふーん、君が言うのだから、そうなんだろう。しかし、まずは見てから判断だな」と新人で柔道部に所属する若者がいった。

 その二人のやりとりを聞いていた柔道部の先輩は眉を寄せた。「おいおい無茶は困るぞ、俺は師範から“お前が問題に巻き込まれないように見守れ”といいつかってるんだから──」

「大丈夫。無茶はしません──他流の武道がどれくらいのレベルなのか、ちょっとみてみるだけです」

「いや、それでもなぁ──」

 柔道部の先輩だけは、あまり乗り気でない様子だ。

「──で、塩田んところの先生って、体つきはどんなもんなんだ?」

「俺のとこの先生は小さいよ、俺より背が低い」

「何だ──じゃあ馬鹿力とかでなく、純粋に技のキレで勝負というわけか──」

 町道場の先生が小柄と分かって、新人も先輩も少し気が落ち着いたようだった。

「下手に怪我をさせると後々面倒かもしれんな──今回の件、師匠に言わないできちゃったし──」と大物の新人。

「どうして──なかなか。俺んとこの先生、甘くみないほうがいい」

「うむ、まあ──そうだな」

「それより一つ提案があるんだ。君のこと、“全国に知られた柔道家”とは紹介しないから、学生服のまま立ち合って、俺の先生に“蹴り”を入れてもらえないか?」

 これには若き柔道の天才児も驚いた。「おい──、そんなんで倒しちまったら、そこの道場生ども、全員怒って向かってくるだろ」

「なぁに、素人なんだから蹴るぐらい許されていい。先生が蹴りに対して体をどう捌くのか──、見てみたいんだ」

「稽古のとき、自分で蹴ってみりゃ良いだろ」

「弟子がそんなことしたら、先生を怒らせちまうよ」と小柄な町の道場生。

「ふーん──」堂々たる体格の柔道家は呆れたように相手を眺めた。

(まあやってみるさ······それだけの相手だったらの話だが······)

 おそらく蹴りを出すまでもあるまい。足払いや、支え釣り込み足、そして大外刈りで終わるだろう──と、彼は予想した。

 町道場へついた。

 さっそく門下生の塩田は、大学予科の学生二人を“少し武道をかじった程度の学友”として、道場主に紹介し、稽古見学の許しをもらった。

 学生服を着たまま二人の柔道家は、道場の端で数名の見学者たちに混じって正座した。

 他流武術の稽古が始まると、真剣に見学していた二人だったが、やがて新人の木村は腕を組んだ。「これはヤラセじゃないか」

 先輩もいった。「うむ、どういうことなんだろう。弟子たちが勝手に飛んでいくようにみえるが」

「ふざけてる──もっと腰を落としてゆっくり近づけば良いのに、慌てて飛びつくから簡単に転がされている」

「まあ、“型”の稽古なんだろう。古流は“型”を重視すると聞いている──柔道は実戦的な“乱取り”を重視しているから、それがこっちの強味だ」

 木村と先輩は、稽古をもどかしげに観ていた。

 稽古が一段落したとき、道場主の師範が見学者の中から学生服の木村を手招きした。

 初め自分のこととは気がづかずポカンと、師範を見ていた木村だったが、自分を指名していることに気づくと、何事かと腰を上げた。

「やってみませんか?」と師範がいった。

「あ──是非やらせてください」しっかりと頷き返答した。

 すぐ木村は学生服の上着を脱ぐと座っていた場所の脇へ置き、立ち上がった。

(どう料理するか──この先生、見学してるときと同じ動きなら特に問題ない······しっかり捕まえてから技をかければ良い)

 警戒すべきは稽古での師範の動きが、見学者を油断させるための擬態で、実はもっともっと速く動ける可能性がある点だ。

(まずは軽く組んで──、相手の動き次第で大外刈り──)

 木村が道場の真ん中に出ると道場生たちは道場の端に列になって座った。

 道場主は頷いて、木村へいった。「どこからでもかかってきなさい」

 木村は自然体のまま、広げた両腕を少し前へ浮かせるようにして、歩み寄った。

 やや無防備にみえる木村だが、内心には一切の油断はなかった。

 重心をすぐに落とせるようにしながらの前進だ。

 一方の師範といえば、まったくの自然体で、相手が近づいても両手を下げたままだった。

 木村はゆっくりと歩み寄り、相手の左襟と右袖を取りにいった──が、相手は両手を下げたままのため、とりあえず届きやすい左襟を右手で掴みにいった。

 相手の左襟を、右手で掴んで右脇を締めるように肘を畳んで下げれば──、半身の形ながらも一応の安定した組み合いになる。

 そうなれば今度は、左手で相手の右袖か右襟を探って掴み、相手の動きを制するのだ。

 仮に、こうなってしまえば練習で培った筋肉と技術が物をいう。具体的には──

“体重”

“筋力”

“スピード”

“タイミング”

“技の自己改良”

“体力”

“危機回避の経験量”

“忍耐力” 

 柔道の勝負はこの複合要素で決まるといってもいい。

 今──、このうちの“体重”、“筋力”、“体力”の三点では、間違いなく筋骨隆々の木村のほうに分がある。

 他の五点は、柔道と他流との技が違うため一概に比べることができない。

 しかし、一般人が見れば、体格にまさる木村の優位は動かないと断言しただろう。なおかつ道場主が負傷することを危惧したに違いなかった。

 道場には静かな緊迫感が産まれていた。

 悠然と間合いを詰めた木村が右手で、道場主の左襟を掴んだか掴まないかの瞬間──、その師範の左手が動き、木村の右手首を掴み上げた。

 一瞬、木村の体がガクンッと固まった──。

 そして流れるように──道場主は左脚を少し左へ動かし、右脚を後ろから回して体を開くや、左手で木村の右手首を掴んだまま畳に押し下げた。

 もし門下生だったら、回転して華麗に受け身をとっていただろう。しかし木村は予想外の事態に反応できず、頭から畳に突っ込んだ。

 師範が小声でいった。「大丈夫ですか?」

 木村は頷いただけで返事はしなかった。もはや遠慮はしない──とその顔には書いてあった。

 名門柔道部の名前に懸けても、無様に終わるわけにはいかなかった。

 師範である道場主は正面を向いて自然体に立っていた。

 木村は両手を前に出し、先ほどよりやや腰を落として右自護体に構え、向かい合った。

(手首だ──手首の関節を極めにくる──くずぐず掴んでたらまずい──掴んだら、すぐに投げだ)

 木村は右手首への関節技を警戒した。

 右手で掴みにいけば、相手は自分の右手側に体をさばいてくる──、もし今度、右手首を掴んで関節を極めてきたら、極まる前に体重を浴びせて倒してやる──。

 わずか数秒の間に木村はこれだけのことを考えた。

 先に、手首を極められて腕が伸び切ったら、前にバッタリと倒されてしまう。前回の二の舞いだけは避けなければならない。

 木村は右手首への関節技にも多少耐えられるよう、重心を気持ち右へ置いた。

 道場主は静かに木村を見ていた。

(こないのか──ならば、こちらから一気に──)

 木村は右自護体で進むや、道場主へするどく大幅に踏み込んだ。

 同時に右手は相手の左襟へ、左手は相手の右半身の動きを抑えに、伸びた。──まるで右手で突きを入れ、体重を右前へ浴びせるように。

 刹那、道場主は前回とは逆に、右脚を右へ動かし、左脚を後ろへ回して体を開いた。

 木村の体が空を切って右前へのめった。すぐさま木村は、自分の左へ避けた道場主へ意識を向け、バランスを戻そうとした──が、道場主の右手が流れるように木村の左の肩口を押した。

 力を入れる隙がなく、木村は押し流され、そのまま離れるように自ら右前へ横転した。

 木村は立ち上がった。

(くそっ──右手首を意識し過ぎた──ちょこまかと、左右どちらにも変化してくる──こうなったら、飛びついて抑えこんでやる)

 相手の“関節技”と“体捌き”に苛立った木村は、まるで気のないように自然体で数歩前に進むや、膝を撓めて道場主の下肢へ飛びかかった。

 道場主はまるで見越していたかのように木村の両腕を避け、自分の左後ろ側へ飛びのいた。

 掴みそこねた木村は、態勢が崩れながらも、すぐに蹴りを放った。

 この小さな危険物からすぐに距離を取らなければ──とばかりに体が反応した。

(そうだ──蹴りだ──相手は蹴りに対処できない可能性がある──塩田が──)

 今度は間合いを保持するための前蹴りを軽く放った。

 さらに少し前進し、同じ動作するとみせて、相手の急所めがけて強く蹴りつけた。

(たかが町道場ごときに負けるわけにはいかない──何が何でも勝つ)

 しかし、相手は蹴りに備えていたのか、左へ移って体を開いて木村の蹴りを流すと、右手で木村の喉を押し込み、一気に畳へ押し倒した。

 ドスンッ──木村は頭を強打した。

「ウッ──」

 負けるわけにはいかない。何とか立ち上がろうとしたが頭を打ったためか体がいうことをきかない。

「もう良いでしょう。塩田、彼を道場の端で休ませてあげなさい」と道場主がいった。

 塩田と木村の先輩の二人が慌てて道場の中央へ出てきて、木村を支えて移動し、道場の隅で休ませた。

 若干名の見学者たちは、道場主の不思議な強さに感心し、それぞれ大きく安堵の息を吐いた。

 町道場の稽古が終わった──。

 木村とその先輩、そして塩田の三人はそろって家路についた。

 不調の木村に合わせてゆっくり歩く。やがて塩田はいった。

「本当に蹴りを出したな、驚いたよ」

「ああ、別に蹴りで決めるつもりじゃなかったんだが、負けたくない一心で蹴ってみた──が、駄目だな」

「いや──、見事な飛びっぷりだった」

「妙なとこ、褒めるな──こっちは、まだ頭がズキズキしてるんだ」

 木村の付き添いの先輩がいった。「今回のこと、絶対に牛島師範にいったらまずいぞ。半殺しにされるかもしれん」

 ハッと木村も気がついた。「そうだ──まずいな──絶対に言わないでくれ、塩田」

「もちろん俺は言わない。三人だけの内緒にしよう」

 師匠の牛島は、木村を最強の柔道家に育てようと考えていた。

 木村が入学早々、敗北を喫したことを牛島が知れば、激しく叱責されるのは火を見るより明らかだった。

 否──。激しい叱責で終われば御の字で、到底それで済むとは思われなかった。

 武道家としての敗北は、実戦における死である。

 つまり二度目に勝ったとしても、一度目は相手の温情によって生かされたという前提での再戦であり結果だ。

 まして敗北して再戦する機会がなければ永久に二番手呼ばわりされてしまう。

 他流に気軽に押しかけて負ける──ということは師匠牛島の武道精神においては許されないことだった。

 初めての道場へいくときは、師範が同行して先方と打ち合わせをするか、師範の紹介状──「不肖の弟子を鍛えてやってください」──を渡して他流試合ではないことを丁重に伝達するのが安全な方法だった。

 相手側としても、そうした礼儀正しい挨拶があれば安心して練習試合を受け入れることができるのだ。

 それなのに木村は──。

 今更ながら事の重大さに、木村と先輩は愕然とした。

「だ、大丈夫······他の柔道部員には今日の道場見学のことはいってない。それに町道場でも塩田が“柔道を少しかじった程度の素人”と紹介したんだ」

「うーん······でも師範に聞かれたら本当の事、いっちまいそうだ」と、先輩は弱ったように片手で額を抑えた。

「そこを絶対に注意してください。僕も一蓮托生なんですから」

「うわあ······まいった······こりゃあ、まいったなあ······」

 塩田も加わった。「慌てて自分から喋らんように気をつけたほうがいい。俺んとこの道場は他流試合に馴れてるから、今回のことも大して騒ぎにならんと思うよ」

 三人は散会した。

 ──それから五日後。

 拓大柔道部を指導する牛島は、柔道関係者との打ち合わせのため講道館へきていた。

 その件も済み、大道場での柔道の乱取りを一通り見学していた。

 そこへ中年の男性が道場の端を通って牛島のほうへ向かってきた。

「これは牛島師範、お元気そうで何よりです」

「おや?あなたは······」

 ふと牛島は困った。この年配者の名前が思い出せない。いや──、初めて会う人なのではないか?

 牛島は柔道界では有名人だ。日本一を決める神宮大会で三連覇、天覧試合で準優勝、日本選士権大会でも連覇──と、十年近く牛島の活躍する時代が続いた。誰もが新聞を通して牛島を知っている。

 中年の男はいった。「失礼しました。私は他流派の者で植芝盛平と申します」

「お──すると、あの──、合気道の?」

「そうです。先日、うち(町道場)にお弟子さんの木村君がきてくれましたので、そのお礼を言おうと思いまして──、師範に声をかけさせていただきました」

「な?なんですと──」牛島はギョッとした。

「木村が?まさか──いや、先生、それ人違いではありませんか?」

 植芝はいった。「同じ拓大に在籍する塩田という私の弟子が、木村君と、木村君の先輩と思われる両人を連れてきたんです」

「しかし──、信じられん──。本当なら木村たちがとっくに報告しているはず」と牛島。

「すると、やはり塩田と木村君たちは内緒でうちに乗り込んできたようですな。塩田のやつ──、木村君を紹介したとき“柔道を少しかじった程度の者”とかいってましたが──」

「いやいや、ちょっと待ってください──植芝先生、それは本当なんですね?」

「そうです。でも木村君たちを怒らないでやってください。おおかた、うちの弟子の塩田がけしかけたんでしょう」

「しかし──、入学早々──そんな軽はずみな真似を」牛島の顔が怒りで紅潮した。

「今回の件、私のほうも他言はしませんし、弟子の塩田の嘘も見逃してやることにします」

「先生、しかし──それは指導者として良くないですよ。木村にせよ、その弟子の塩田君にせよ、悪いところはしっかり叩いて直さないと──」

「まあ──そうですが、巷の噂になっても武道家には良いことはありませんからな」

「たしかに──それはいえますな──」牛島は冷静になった。

(はて······勝負について何もいわんが······結果はどうだったんだろう)

「そうだ、植芝先生。今度、拓大へ遊びにいらしてください──いや、合気道の講習をするという名目で、いきなり柔道場へお越しください」と牛島。

「ほう──合気道を拓大で──」

「偶然、そこで木村と会う形にすればいいのです。もし木村が内緒で植芝道場へいったのなら、やつは事が露見するのを恐れ、大いに反省するでしょう──」

「なるほど。うちの塩田のやつも連れて言い逃れできないようにしてやりますかな──木村君を柔道の天才児と紹介しなかったこと──猛省するでしょう」

「はっはっは、それがいい。講習は前から決まってたことにしましょう。──で、門下生には行き先を教えず連れてきてください」

 二人の武道家は、弟子たちに“天網恢恢、疎にして漏らさず”──隠れて悪事してもいつかは報いを受ける──を教えることで意気投合して別れた。

 数日後──。

 植芝盛平は塩田たち門下生を連れて拓大へやってきた。

 塩田は植芝の演武が拓大の柔道場で行われるとは思いもよらず仰天した。

「先生、拓大の学長に演武を頼まれたんですか?」

 植芝は頷いた。「うむ。前から決まっておったが、お前が自慢せんよう黙っとった」

 塩田の顔が蒼白になった。

 ──木村を“素人の柔道家”と紹介した。もし拓大で柔道衣を着た木村と師匠が出会ったら、塩田の嘘がバレるかもしれない。

「ここの案内でしたら私にお任せを──。ちょっと先に、拓大関係者へ連絡してきます。演武場所も確かめてまいります」と塩田は植芝たちの先を走り出した。

 塩田は柔道場へくると、すぐに柔道部員に木村の居場所を尋ねた。

 しかし、木村はまだ道場へきてないという。柔道場で合気道の演武が行われることは前から決まっていたらしいが、今日になって牛島師範から聞かされて、柔道場は使わずに開いているとのことだった。

 塩田は木村を探すわけにもいかず、一旦植芝の元へ戻った。「道場のほうは大丈夫です。案内します」

「うむ。では、まいろう」

 ほどなく植芝とその門人たち数名は柔道場へ着き、丁重に一礼をして入った。

 多くの柔道部員たちが道場の片側の端に正座して控えていた。

 植芝たち一行は、拓大の師範牛島へ挨拶し、道場の横側で稽古衣に着替えた。

 その間、塩田はすばやく柔道部員を見回し、まだ木村がきていないことを確認した。

 師範の牛島も現状──木村がきていないこと──を確認していた。

 予想はしていたが、やはり憮然とせざるを得なかった。

(上京して幾日も経たないときから、木村は東京の武道を舐めていた······指導の仕方がまずかったか······)

 ──やがて合気道の演武が始まった。

 植芝は弟子たちをするりするりとかわしては投げた。

 見ていた牛島はつぶやいた。「ふーむ、投げの型か······もう少し、しっかり組んでくれたほうが柔道の参考になるんだが······おや、触れてもないのに飛んでるやつが······まぁ他流のやりかたに文句はいうまい······」

 すでに拓大の柔道部員からは失笑と嘲笑のざわめきが起きていた。部員同士で囁き合い苦笑した。

 しかしヤジを飛ばす者はいない。さすがに師範の牛島を畏れはばかり、柔道部員たちは最低限の礼儀は外さないように努めていた。

 やがて、一通りの稽古が終わって植芝が牛島へ目礼を送った。

 牛島は少しだけ試したい気持ちに駆られ、眉を上げた。

「植芝先生、よろしければ一つ、うちの部員に御指導を願えませんか?」

 牛島は礼儀に沿って、断わることができるように軽目に問いかけた。

 相手を追い詰めて恥を掻かせてはいけない。武道家は相手に恨みを残されないように言動しなければならないのだ。

 牛島の問いかけに、植芝は深く頷いた。何と植芝は、強豪拓大──予科を含めて──の柔道部員たちと立ち合うという意思をしめした。

 牛島は驚きもし、また感心もした。──この五十歳前後の小さな武道家は思ったより気骨がある──と。

 しかし拓大の体力あふれる柔道部員に対して、どこまでやれるというのか。

(持って一、二分ぐらいか······下手するとすぐに止めねばならんかもしれん)

 そこで牛島自身で審判を務めることにした。

り、植芝を道場の中央に残して、合気道の門人たちは空いている片側に並んで正座した。

 牛島は一人の柔道部員を指名していった。「植芝先生に教えていただきなさい」

 試合が始まるとその柔道部員は植芝にゆっくり歩み寄り、堂々と相手の左襟と右袖を掴んだが、その掴んだ瞬間──どのように関節が極められたものか──、かかとが浮き上がり、そして浮き落としのように投げ飛ばされた。

 牛島は苦笑いして「なにやってんだ。コラッ──、次──」と新しい候補を指名した。

 植芝は三名の柔道部員をあしらった。さすがに牛島は態度を改めた。

(これはすごい······体捌きと、立ち関節だけで······こんなにも相手を翻弄できるもんなのか······これでは木村もやられたな······)

「先生、私の一番弟子を呼んでくるので、しばらく待っていただけませんか」と牛島はいった。

 植芝は頷き、道場奥の横側へ戻って正座した。

 合気道の列ではそれぞれの囁き合う声が聞こえた。

 一方、道場の反対側に並ぶ拓大柔道部員の列は今や一言も喋らず、お互いに驚いた顔を見合わせた。

 その最中、塩田は弟弟子の一人へいった。「牛島先生の使いが木村を呼びにいったから、出会わないように気をつけろといってくれ、今、師匠が拓大にきてるから絶対にくるなと──、駅までの道筋とキャンパスを回ってこい。急げ──」

 木村を呼び出している間、牛島は正座して考えていた。

(今日、合気道の先生がくることをうちの塾生たちへ伝えたから、それで木村はきてないのだろう······おそらく今日は隠れて出てくるまい)

 同時に他流に対する対策にも余念がなかった。

(今日のように講習という名で交流しておけば、いざというとき対策を練れる)

 しばらくして牛島は苛立つようにいった。

「植芝先生、誠に申し訳ないです。木村のやつ、どこで油を打ってるんだ。いや──、お時間を取らせて大変失礼いたしました」と引き取りを願った。

 植芝は立ち上がり、頭をしっかりと下げていった。「牛島師範、本日はありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」と牛島もしっかりと頭を下げ、言葉を追加した。

「どうでしょう?この拓大の道場で定期的に合気道の講習会を開いてみては?」

「それは大変ありがたい話です」

 それからお互いを見て頷き合った。

 ここにいたって、ようやく塩田は胸をなでおろした。危難は去ったのだ──。

 合気道の門人たちは植芝に従って帰っていった。

 その夜、牛島は悩んでいた。

(木村が植芝道場に乗り込んだ件は不問にする──その約束をしたのだ。男の約束だ。破るわけにはいかない──)

 しかし、気軽に相手の陣地へ乗り込む木村の危機感のなさは、いつか必ず痛い目に遭う──それが武道家牛島には感じとれた。

 その春──。

 講道館では紅白戦が行われた。木村は八人抜く偉業をなし、九人目で敗れた。

 木村と先輩たちは牛島塾への帰路に祝杯を上げ、試合を振り返りながら戻ってきた。

 そして牛島へ結果を報告した。

(ここだ······ここが木村を叱る機会!······天が与えたもうた)

 牛島は報告する木村に怒りの眼差しを向けた。

 「ゴラアアッ──」牛島の怒声が飛んだ。「負けて喜ぶとは何事か!勝ち切るか、引き分けで下がって戻ってこい!武道での負けは死だ──死んで終わったのに簡単に喜ぶなッ──!」

 牛島は鬼の形相で前に出た。本当は褒めたかった。八人抜き──素晴らしいではないか──だが負けを気にしない性格では武道家の誇りと用心を身につけることはできない。

 牛島の強烈なビンタが木村と先輩へ飛んだ。植芝道場へ付き添ったその先輩にも激しく飛んだのだった。 

 ──それから二、三ヶ月が過ぎた。

 二つの出来事──町道場での木村の敗北と、拓大柔道場での木村の逃亡──が、他の大学柔道部で静かな噂となっていた。

 三十路に入った柔道家でかつ作家の富田は、この噂──小柄な武術家が、九州からきた最強の柔道家を投げ飛ばし──両陣営の見守る大一番では相手を悠然と待ち、現れないため帰ったこと──を聞いた。

 その十年後の終戦の年、彼は柔道小説のネタの一つとして、それを組み込んだ。

 姿と津久井の頂上決戦──対戦者が試合場に現れず不戦勝。

 謎が残された──。

 なぜ植芝は道場へ見学しにきた男が九州の怪童木村と知ったのか?また、この噂の出どころは、どこか?

 武道家の植芝盛平が、柔道の天才児木村の名を知っていたのは間違いない。もしかしたら植芝は全国中学生大会を見ていて木村の容姿を知っていたのかもしれない。

 しかし、植芝が自らの武勇伝を喋ることはあり得ない。

 事実、植芝が他の有名な柔道家──翌、昭和十一年に五段選抜試合で優勝した阿部謙四郎──を電車内で床へ抑えつけたことも、後年に阿部の口から直接語られなければ、植芝の武勇伝が出ることはなかった。

 これほどの勝利があっても植芝本人の口からは出てこないのだ。

 では牛島辰熊が喋った可能性はどうか?

 これもほぼないと考えていい。牛島は木村を最強の柔道家に育てることを念頭に置いており、わざわざ木村の負けを喧伝することは考えられない。

 木村政彦本人の口から洩れたという見方はどうだろう?

 これも確率としては低い。

 もし彼自身が他人へ漏らすようなら人伝手に師匠の牛島へ届く可能性があり、当時に大目玉を喰らう覚悟がいる。さらに大目玉を喰らって済んでしまえば自伝にも書き残したことだろう──が、木村はそのことを何も残していない。

 それでは塩田剛三から洩れたという詮索は成り立つだろうか?

 塩田が後年に弟子たちへ、師匠の植芝の武勇伝として語る可能性はありそうだ──しかし、噂になったのは出来事の数ヶ月後。

 塩田は木村を“少し柔道をかじった素人”として師匠の植芝へ嘘の紹介した。自ら噂が立てて真相が師匠にバレたら、道場に居づらくなってしまうだろう。

 塩田がそんな危険を犯すとは思えない。

 残る当事者である木村の先輩──付き添い役──はどうだろうか?

 その先輩が別の大学の柔道仲間へ秘密を漏してしまった可能性──は、ないとはいえない。

 しかし、やはり噂が師匠牛島の耳に届いたら、大目玉を喰らうことは予想できるはずで、在学中は必死に隠し通したはずである。

 ──五人とも違うなら情報源がないではないか?

 実はある──、はるかに大きな可能性が。

 植芝の道場生は、入門にそれなりの紹介が必要で、良家や武道家の子供が選ばれることが多かった。

 彼らの中には植芝道場に入門する前に他の武道を習っていた者もいた。柔道出身の門人がいても不思議ではない。塩田も元は柔道出身──柔道三段──だ。木村は九州の鎮西中学生の時代から全国に知られる猛者で、道場生の誰がか木村を知っていてもおかしくなかった。

 同時に、努力の鬼木村が、植芝の拓大訪問日だけ道場に顔を出さず、探しても見つからないという無理のある擦れ違い──そのことを拓大の柔道部員が他の柔道部との交流で話しのネタに漏らすることは普通にあり得た。

 この二箇所の伝聞が重なり、噂が形成されたのだろう──しかし、その噂は静かに消え失せた。

 特に戦後は、柔道家にとって講道館柔道が正義の武道であり、他流──古流武術──に負けることは許されないという風潮があった。

 伝説の対決は完全に消え去った──。

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