コトノハノ
瀬戸みねこ
第1話
中心街の大通りを歩きながら地図と睨めっこしていたルカは、嫌な予感にハッとして顔を上げた。
予感は的中して、さっきまで隣にいたはずのソーニャがいない。辺りを見渡しても、ループタイにキャスケットを被った紳士や通りを走る馬車が見えるだけで、背の低い銀髪の少女の姿はどこにも見当たらなかった。
「ああもう、どこに行ったんだろう……絶対に離れないでって、あれだけ言ったのに」
ソーニャは油断すると、いつもこうだ。ルカは、勝手にどこかへ行ってしまったソーニャへの不満半分、隙を作ってしまった自分への後悔半分から、ため息を吐いた。
新たな旅の目的地であるこの街に降り立ったのが、ほんの30分ほど前のこと。ソーニャとふたりで汽車を降り、駅の売店で地図を買い、街に出て安宿を探していたところだった。しかし、安宿より先にソーニャを探さなくてはならなくなった。ルカは仕方なく地図を閉じて、勘を頼りに迷子の相棒を見つけに向かうことにする。
ソーニャを探し回っているうちに、気が付くと駅の近くまで戻ってきていた。ふと、駅前の掲示板に目が留まり、ルカは足を止める。そこには、見慣れた文字でこう書いてあった。
『向こうにある公園のトンネルの中で待ってる。ソーニャ』
ルカはさっきまで見ていた地図の記憶を頼りに、確かにこの近くに公園があったことを思い出す。
黒板式の掲示板にチョークで書かれた丸みを帯びた特徴的な文字は、間違いなくソーニャのものだろう。ルカは、その文字をまじまじと見つめる。
掲示板にメッセージを残しておくなんて、ソーニャにしては上出来だ。しかし、あのソーニャのことだから、メッセージ通りまっすぐ公園に向かったとは考えにくい。ソーニャと一緒に旅を始めてからおよそ1カ月、その間に得た経験からルカは慎重になることにした。
「仕方ない。“文字を起こす”か」
ルカは掲示板に一歩近づくと、そこに書かれた文字に手をかざした。ルカの手の先からパッと光が放たれ、同時に文字の輪郭も白く光る。次の瞬間、文字がひとつ、またひとつと掲示板から浮かび上がり、ルカを囲むようにして廻り始めた。浮遊する文字に合わせて、周りの景色が流れていく。
その流れがあるところでピタリと止まると、ルカの目の前にソーニャの姿が現れた。数分前、この掲示板にメッセージを書いているときのソーニャだ。ルカはある能力によって、記憶の中の世界に立っている。
手書きの文字から、書かれたときの記憶を再現する――それが、魔力によるルカの力だ。
記憶の中のソーニャは、ルカへのメッセージを書き終えると、公園がある方角へ向かおうとする。けれど、何かに気づいたようにピタっと足を止め、鼻をくんくんとさせた。
それを見て、ルカはピンとくる。
「そういえば、お腹が空いたって言ってたな……」
ソーニャは身体の向きを変えると、公園とは反対側へと走り出した。そのまま、その先の角を曲がろうとしている。
ルカは、もう一度手をかざして掲示板に文字を返した。すると、周囲の様子も現在の景色に戻り、角を曲がりかけていたソーニャの姿も消える。
ソーニャが向かったはずの道を辿ると、そこに一軒のレストランがあった。なかなか高級そうな店構えの前に、なぜか人だかりができている。大きなガラス窓越に中を覗いているよううだ。ルカはその人だかりを押し退けて窓の前まで来ると、店の中にソーニャを見つけた。
「げっ……」
ルカは絶句して顔を引きつらせた。
ソーニャの前には何枚もの皿が高々と積み上げられている。さらに新しく運ばれたきた特大のハンバーグに、ソーニャがフォークを刺すところだった。
どうやらこの人だかりは、フードファイターさらながらに料理をかっ食らうソーニャを見物しようと集まっているようだ。「どれだけ食べるんだ」、「あの小さな体のどこに入ってるんだ」と感心するような声が上がっている。
そんなことはお構いなしに、目の前の料理に夢中になっているソーニャにルカはだんだん腹が立ってきた。
「ちょっと、ソーニャ! なにやってるの!」
ガラスに手をつきながら、ルカは叫ぶ。ソーニャもルカに気づいたが、吞気に手を振り返している。
堪らず、ルカは店内に踏み込んだ。
「ソーニャ! あれだけ離れるなって言ったのに、迷子になって!」
ソーニャの席まで行くと、その首根っこを掴む。
「迷子になったのは、ルカの方だよ? 気が付いたら、ルカいないんだもん」
あっけらかんと返され、怒りの行き場を失ってしまいルカは黙り込んだ。何を言っても無駄な気がして、ルカはソーニャから手を離した。そんなルカをよそに、ソーニャはハンバーグを指したフォークを目の前に差し出す。
「ルカも食べる?」
「食べない。まったく、私たちのどこにそんなお金があるっていうの。今日泊まる宿で精一杯だってのに……」
思わず本音を零したそのとき、ルカの背後に人が立った。
「もしかして、無銭飲食でしょうか?」
ルカが振り返ると、すぐ後ろに店員が立っていた。柔らかな物腰だけれど、警戒しているのがはっきりとわかる。食い逃げでもしようものなら、今すぐ警察を呼ぶつもりだろう。
「いえ、違うんです! ちゃんと払いますから」
ルカは慌てて財布を取り出すと、そこに入っていた紙幣をすべて店員に差し出した。それを見て、店員はにっこりと笑みを浮かべて告げる。
「全然、足りませんね」
「で、ですよね……あの、働かせてもらえますか?」
それから数分後。店の制服に着替え、厨房でルカは仕込みの手伝い、ソーニャは皿洗いをしていた。飲食代を返すべく、息つく暇もなくせっせと働く。人気店ということもあり常に満席で、あっという間に時間が過ぎていく。
そして、ようやく客足も落ち着いてき、店内にちらほらと空席ができ始めた頃だった。厨房の入り口の方から、女の人がなにやら必死に訴えるような声が聞こえてきたのだ。
「お願いします! どうにかして、このレシピの味を再現してほしいんです」
聞こえてきた話に興味をそそられ、ルカは思わず振り返る。
どこかの令嬢だろうか。懇願するように言いながらも丁寧さが残る話し方だった。シンプルだが質のよさそうな生地のワンピースからも育ちのよさがうかがえる。
彼女が話している相手は料理長だ。料理長は困ったような顔で答える。
「そう言われましても……この前もレシピ通りに作ってみましたが、エリーゼ様の思うような味にはならなかったではありませんか」
「それは、そうなんですが……」
エリーゼと呼ばれた女性は肩を落としたが、まだ諦められずにいるようだった。手に持っていたノートを料理長に差し出すように突き付ける。
「もう一度、レシピを見てくれませんか。たぶん、母が何か書き忘れたんだと思うんです。それが何なのかさえわかれば、きっとあの味になるはずです」
エリーゼは切実な様子で訴えかけている。それが伝わっているからこそ、料理長も力になれないことを申し訳なく思っているように眉を下げた。
少し離れたところからその様子を見守っていたルカは、エリーゼの手元のノートに目を留める。ちらっと見えた文字に、もしやと思い歩み寄る。そして、ちゃんと確かめようと、エリーゼの後ろからノートを覗き込んだ。
「手書きのレシピですか……」
ルカの声に、エリーゼの肩が小さく跳ねる。
驚いたように振り返ったエリーゼに、ルカは微笑みかけた。
「私たちが、お役に立てるかもしれません。そのレシピのこと、調べてみますよ」
「ほ、本当ですか?」
「詳しく話を聞いてみないと、お約束はできませんが、何かしらわかると思います……ただ、その代わり、うまくいった場合には……」
意味を含ませて言うと、エリーゼもすぐに察したようだった。目に希望の光をともして、エリーゼが告げる。
「もちろん、報酬は弾ませていただきます」
エリーゼの返答に、ルカは頬を緩めた。これでうまくいけば当面の旅費は稼げるかもしれない。
しかし、そのときルカの後ろからソーニャがお皿を割る音が聞こえた。
エリーゼの邸宅は、中心地を少し離れて橋をひとつ渡った先の閑静な住宅街の中にあった。
応接室のソファに並んで座るルカとソーニャの前に、メイドのクレハが淹れたての紅茶を置く。
「これが、母が残してくれたレシピなんですけど……」
2人の向かいから、エリーゼがノートを差し出す。手書きの文字で、薄力粉や卵、牛乳などの材料から始まり、各工程について書き記されている。
「お菓子のレシピですか?」
なんのお菓子までかはわからないけれど、材料などから推測してルカが尋ねる。
「はい。母がよく作ってくれたものなんです」
「思い出の味ってやつですね」
エリーゼは表情を和らげるが、すぐにその顔に影が落ちる。
「母は私が幼い頃に他界してしまっていて、もう作ってもらうことも料理を教えてもらうこともできません……でも、もう一度あのお菓子を食べてみたくなって、レシピ通りに自分で作ってみることにしたんです。ただ、何度試してみても母が作ってくれたような味にならなくて……」
話を聞きながら、ルカはパラパラとノートのページをめくる。レシピが書かれてあるページ意外、空白のようだ。
「他には何も書いてないんですね」
「家には専属の料理人が付いていますので、母はあまり料理をしない人でした。だから、得意でもなかったんじゃないかと。恐らく、そのお菓子は私が作ってほしいと駄々をこねたんだったと思います。友達から話を聞いて、どうしても同じものが食べてみたくなって……」
ソーニャは紅茶とクッキーに夢中になっていたが、不意にルカの手元にあるノートを隣から覗き込んだ。
「そのお菓子って、美味しいの?」
ソーニャが尋ねると、エリーゼ微笑み返す。
「美味しいですよ。口に入れるとサクッとして、バターの甘い香りが広がるんです」
「へえ、美味しそう。わたしも食べてみたいなぁ」
ソーニャが羨ましそうに言うと、エリーゼは優しい顔のまま続ける。
「子どもの頃のことはあまり覚えていませんが、その味だけはちゃんと覚えています。ふんわりとした優しい味でした」
「その味を再現したいんですね」
ルカの言葉に、エリーゼは真剣な顔に戻ってしっかりと頷く。
「自分で作ってもだめだったので、料理が得意な人たちにも頼んで作ってもらいました。家の料理人や街で人気のレストランのコック、有名なパティシエなんかに……けれど、誰が作っても母の味にはなりませんでした」
「だから、このレシピには何か書き忘れがあると……」
先ほどレストランでエリーゼが言っていたことを振り返りながら、ルカが呟く。
「はい、もうそれしかないと思っています……それで、どうやって調べていただけるんでしょうか?」
説明を続けていたエリーゼが、そこで少し不安げに尋ねた。そういえば、まだ自分の能力について、何も詳しく話していなかった。ルカはそのことを思い出し、姿勢を正した。
「私の力を使います」
「力というのは?」
「文字から、それが書かれた時の記憶を覗くことができるんです。手書きで書かれたものだけとか、条件はいくつかあるんですけど……」
この国では、魔女の存在はわりと広く知られている。その力の良し悪しについては意見が分かれることはあるが、魔女と呼ばれずとも何かしらの魔力を使う人もいるくらいだ。
ルカの言う力もそのひとつなのだろうと、エリーゼも察したようだった。驚きを浮かべたものの、静かに次の言葉を待っていた。
ルカも安心して、話を続ける。
「その力を使えば、このレシピを書いた人の記憶を辿って、当時のことを見ることができます。どんな状況で書かれたのかわかりませんが、何かしらヒントが見つかるかもしれません」
それを聞いたエリーゼは、パッと表情を明るくした。
「それなら、ちょうどよかったです。母はお菓子を作りながら、このレシピを書き起こしたみたいですから。そうでしょう、クレハ」
エリーゼは、傍に控えていたメイドのクレハを振り返った。
「そうですね……」
クレハの答えには少し歯切れの悪さがあったが、エリーゼはあまり気にしていないようだった。期待の色を滲ませたまま、ルカに向き直る。
「きっと母の味を再現するのに、何が足りないのかわかるはずです。ぜひ、力をお貸しください」
「わかりました。そうしたら、このノートと……あとレシピが書かれたキッチンをお借りできますか?」
文字が書かれたものさえあればある程度の記憶は辿れるが、それが書かれた場所で力を使った方がより鮮明に見ることができる。できるなら、その場所で力を使いたかった。
「ええ、もちろんです」
快く頷いたエリーゼの後で、クレハが口を挟んだ。
「キッチンは今、夕餉の準備で忙しい時間でしょうから、夜になったら私がご案内しますよ」
すると、その言葉にソーニャがぴくりと反応する。
「少し……“赤い”……?」
呟かれた言葉に、エリーゼとクレハはなんのことだろうと不思議そうな顔になる。ルカだけはそれが何を意味しているのかわかっていたが、聞かなかったことにしてクレハに答えた。
「それじゃあ、また夜に」
わずかに胸がざわつくのを感じながら、ルカはノートをエリーゼに返した。
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