第44話 第一部完結まであと1話:大澤首相の憂鬱
44-1.「バブル」を超え「ビッグバン」へ
平和35年8月、日本経済は絶好調だった。この年、経済成長は8%に迫る勢いを見せていた。巨大な規模の日本経済にとってこの成長率は驚異の数字であった。
1ドル=100円になって久しい。
ユーロは、1ユーロ=110円付近で健闘していた。ようやくEU内の経済トラブルを克服して復調してきた。
世界は、ユーロ、ドル、元、インド・ルピー、円で支えられていた。
日本の外貨準備も、ユーロ、ドル、元、インド・ルピーにほぼ均等に分散していた。
日本企業の海外との取引も円建てが60%以上になっていた。
日本の企業は、1ドル=100円に十分に耐えていた。耐えうる企業しか残っていないとも言える。
変化に対応できる企業だけが残った。
それを支えていたものは、エネルギーが電気中心に移行し、エネルギー価格の画期的な減少であった。
そしてAI(人工知能)による、事務処理や生産効率の大幅な向上であった。
日本の輸出企業は、グローバル企業となり、「安くて良いもの」から、「高くても欲しいもの」に完全に体質が移行していた。
もはや円高を呪う言葉を吐く企業トップは存在していない。
経常収支も毎年、50兆円を超えている。
法定実効税率は、25%に低下していたが、この好況で国の税収入は大幅に増加していた。
それに、消費税は15%になって久しい。医療分野の改革で国民の医療費用の圧縮も進んだ。
国債の発行残高も減少に転じ、ついに1,000兆円を割り込んだ。
日本のGDPは1000兆円、ドル換算で10兆ドル。一人当たりGDPは10万ドル、日本円で1,000万円となった。
日本は、空前の好景気に沸いていた。
株価も、6万円を突破し、年内には7万円を超えるという予測がまことしやかにマスコミに流された。
誰もが自信満々だった。
主婦も、TVやインターネットを使い、株の売り買いに狂騒した。主婦の株の儲けが夫の給料より多いとの話題がTV画面に踊っていた。
人々は、株の値上がりに浮かれ、高価な買い物をした。
土地も大幅に値上がりした。
深夜、銀座や渋谷でタクシーを拾うのに、1時間待たねばならなかった。
まさに、バブルの再来だった。
しかし、「今度は間違いない!!」と人々は思っていた。
日本は「バブル」を超え「ビッグバン」がやって来たと思っていた。
人々は日本中の土地を買いあさった。最も値上がりしたのは、極楽市と天国市と宮崎市であり、その周辺地域であった。
そこは、まさに沸騰都市と呼べる地域になっていた。
地元の富、日本の富、世界の富がそこに集中していた。
さらに、日本人や日本企業は、強い円でアメリカをはじめ世界中の土地やビル、会社を、買い漁っていた。
貿易も空前の黒字だった。
経済学者の中には、将来、1ドル50円となり、アメリカのGDPを抜くと予想する者も出てきた。
まだ日本の国債発行残高は、一時は1000兆円近くあったが、既に大幅な減少に転じている。
経済学者は、十年以内に国債発行残高がゼロになると発言する者が増えた。
とにかく日本の企業も、政治家も日本人も好景気に浮かれていた。
44-2.大澤首相の憂鬱
ある日、大澤首相のところに、西田官房長官がやってきた。
「首相、お話ししたいことがあります」
「おう、西田君。どんな話だ」
「実は、アメリカの中田大使から妙な報告が入っています」
「どんな内容だ」
「最近、アメリカの国務省長官の反応がよそよそしいとのことです」
「具体的には、どういうことだ」
「日本に対し、貿易不均衡の問題で非常に神経をとがらせているそうです」
「いつもの事だろう。ほっておけよ」
「そのほかにも問題があります。来年夏に、ハワイ沖で各国合同の演習を企画しているらしいのですが、一切日本側に連絡してこないそうです」
「そうか、外交筋を通じて確認してくれ」
「さらに、極楽グループの経済活動について介入してくるという噂がさかんに流れているそうです」
「また、噂か。最近この手の話が多いな。アメちゃんも困っているんだろう。少し助けてやらんといかんだろう。あはははは」
大澤首相は、最近、政治上や経済・外交の大きな問題が出ず、内閣支持率も60%を超えていたので、毎日上機嫌だった。
1週間後、大澤首相は、思いつめた表情をしていた。
以前の底抜けのにこやかさは、もうなかった。
執務室のイスに持たれて、腕組みをしながら、中空を見つめている。
「欧米は、本気か」
大澤首相は、しばらく次の言葉を発しなかった。
「このまま行くと日本が危なくなる。あいつらを自由にさせ過ぎたか。そろそろ年貢を納めさせるしかないのか」
また、沈黙が始まった。
44-3.米国政府の怒り
平和35年8月30日、駐日米国大使が強い非難声明を出した。まったく異例の事態だった。
その内容は次のようだった。
「米国政府は、日本政府に対し以下の事を要求する。日本には、世界秩序を破壊する企業グループが存在している。
米国政府は、世界のエネルギーが1つの企業グループにより独占されている状況をこれ以上看過できない。これが速やかに改善されない場合は、米国政府は重大な決意をしなくてはならない」
駐日米国大使は、マスコミの質問に一切答えなかった。
その日から、待っていたかのようなマスコミの極楽グループへの強力な攻撃キャンペーンが開始された。
1週間後、米国政府は、平和36年8月にハワイ沖での海軍演習を行うとの発表をした。
米、仏、独、英、ロシア、中国、韓国、オーストラリア、カナダが参加することになっていた。
その中に日本の名前は無かった。
44-4.太田原とロマネ・コンティ
夏が過ぎた。東京はまだ夏の暑さが残っている。
空が暗くなりはじめ、ようやくネオンが光出した頃、太田原は、座るだけでも数万円はする銀座の高級クラブ「クラブ姫君」にいた。
時間が早いので、回りには客はいなかった。
太田原は、若い美しいホステスを左右にはべらせ、高級ワインのロマネ・コンティを飲んでいた。
太田原は、イタリア製のYシャツや光沢のあるスーツ、ネクタイをしていた。靴もイタリア製でピッカピカだ。
腕には、高級なスイス製の腕時計が黄金の光を放っている。
グラスを持つ手の指には、金の指輪に乗った大粒のダイヤモンドが光輝いている。
太田原の横に座った若いホステスは、その大粒のダイヤモンドを眩しそうに見つめながら、両手を太田原の膝にのせて語りかけた。
「太田原さん、最近よく来ていただきますが、すごく景気が良さそうですね。株でも買っているんですか」
「いや株はやらん。それよりもっと儲かることをやってる」
「ねー。どんな儲け話なのよ。教えてよ」
「俺の持ってる情報に価値があるんだ。今は引く手あまただ」
そういうと、太田原は、ワイングラスを一気に空けた。
「いらっしゃい」
一斉にホステス達がドア入り口の方向を見て声を出した。
アタッシュケースを持った黒い背広を着た男が入ってきた。
「まあ、ダニエル様、太田原様がお待ちですよ」
和服姿の店のママが、男に向かってにこやかにほほ笑んだ。
男は、無言で太田原のソファーの方に向かって行った。
男は、太田原の隣に座ると、アタッシュケースを太田原の傍に置いた。
44-5.高見沢一郎
極楽学園の卒園生は、学園にいる間に、自分の能力を大幅に伸ばしていた。
幼児の頃から、膨大な教育投資をされ最適の学習環境を与えられ、サンと学園の兄弟たちそして全人類に役立つと戦士になるとの目的を与えられた子供たちの能力は、通常の人達を遥かに凌駕していた。
まるで、ミツバチのように、愛情深く育てられ、蜜を集めることに熱中し、自分たちの巣を拡大し、外敵には全力で戦う戦士達であった。
世間の天才や秀才とは異なり、彼らは明確な大きな目標を持っていた。
それは、極楽グループと世界の為、全能力で戦い、自己を顧みないことを決心していたからである。
極楽学園の卒園生は、卒園後は、ほとんど極楽グループの会社に配属になった。
彼らは、半年から1年でその会社の仕事を片付け、他の部署に異動するか、極楽グループの他の会社に再び」派遣された。
子会社の経営は、外部の者に任せるのが通例だった。
しかし、いくつかの者たちは例外だった。
高見沢一郎は、平和25年卒園の第二期生であった。
極楽農園に入社すると、3年後に極楽農園の小さな子会社の極楽花宅配に兼務で派遣された。21歳で極楽花宅配の社長になったが、花の販売や観葉植物のレンタルが主な業務で、極楽農園の自動農園等の主流事業からはずれた分野であった。
後輩たちは、次々と1兆円以上の売り上げを誇るグループ会社の社長になって行ったが、高見沢一郎は、100億にも満たない売り上げの子会社の社長を何年も続けていた。
高見沢一郎は、しだいに目立たない性格に変わっていった。
昨年、24歳で、2期下のひろみと結婚し、今年の夏に長男の鯉太郎が生まれた。
妻のひろみは、極楽商事の課長として出産の直前までバリバリ働いていたが、出産後4カ月の産休を取っていた。これは義務であった。
10月になり、産休はもう残り1ヶ月もなくなった。
高見沢は、極楽市にある超高級マンションの20階の広い自宅にいた。
ソファーに座って窓の外の夜景をみていた一郎に、妻のひろみが話しかけてきた。
「ねー、貴方。いつまで、あんな花の宅配会社にいるの。私は恥ずかしいわ」
ひろみは、少し苛立っていた。
ひろみは、極楽商事の国内部門に従事し、目覚ましい活躍をしていた。産休で自宅にいたが、早く復帰したくて焦っていたのだ。
「そんなことはないよ。極楽グループの各企業や日本中に花を運ぶ大切な仕事だよ」
高見沢は、ゆっくりと答えた。
「それは大事なお仕事でしょう。でもあなたがやらなくてもいいのじゃないの。他の人はもっと重要な仕事をまかされているでしょう。どうして頑張らないの。お父様に申し訳ないと思わないの。それに極楽農園の松成部長だって冴えないというもっぱらの噂よ。あなたがその下の大木主任と合わせて、窓際三兄弟という風に言われているわ」
ここのところ、同じようなやり取りを繰り返していた。
「極楽企画の啓副会長やゲン副会長から時々、電話もいただき激励されているから、見守っていただけていると思うよ。お父様からもお電話をいただく時もある」
高見沢は、ゆっくりと答えた。
「私には、貴方が、焦(あせ)らないのが不思議だわ。他の人たちは、戦闘が終了すれば、休息をいただき2,3週間海外で休めるでしょう。あなたと松成部長は、ここ何年も休息をいただいていないでしょう。期待されていないのよ」
ひろみは、少し涙目で言った。
「仕事柄、連続した作業だから長期間の休息は無理だよ」
「私は、もっと華々しい場所で活躍して欲しいの。それだけよ」
「とにかく、着実に今の仕事をやっていこうよ。人並みには給料をもらっているんだし、君だって、仕事に復帰すれば、また活躍できるだろう」
ひとみは、その一郎の言葉に、落胆し会話を中断した。
この時、高見沢一郎は、25歳、妻ひろみは23歳であった。
二人の年収を合わせると、3億円を軽く超えていた。勿論その収入の10%を極楽学園に毎年寄付していた。卒園生の義務だ。
昨年、結婚を機に極楽不動産からマンションを購入した。価格は2億円だった。
椎葉の山の中なので、まだまだ土地の値段は安かった。マンションの部屋の広さは400平米もあり、緑あふれる山々も見え住むのには申し分ない超高級マンションであった。
マンションは、1年で30%も値上がりしていた。それでも東京都内の同規模の超高級億ションに比べれば10分の1以下の価格であった。
外から見れば、高収入で超高級マンションに住み恵まれていると思われただろう。
しかし、今年の夏に、子供が生まれ、ひろみが産休を取ると、一郎の不甲斐なさと、早く職場復帰したいという焦りから、一郎につらく当たることが多くなった。
翌日の日曜日、ひろみは、同期の関口 明日香に3D電話した。
画面に明日香の姿が表示された。
「ひろみ、お久しぶり」
「明日香、元気そうね。極楽電池の仕事の方はどう」
「もうてんてこ舞い。自動車用蓄電池の生産は自動化でなんとか受注をこなしているけど、配送システムに問題があるわね。リニアエッグに積み込めば後はスムーズなんだけど、その前で問題が起きるの。毎日、生産担当の一期生の宮平明日香専務と一緒に改善の健闘で頭が痛いわ。モンゴルのエリアG1とサウジアラビヤのエリアG2からも出荷しているけど、需要に供給が追い付かないのよ」
明日香の声には仕事の充実した張りが溢れたていた。
「でも、極楽電池って今すごいでしょう」
「うん、去年が売上3倍で、5兆円でしょう。今年はさらにその3倍になる予定です。豊畑自動車や木田技研、フォーク社、ゼネラル社も全面採用したでしょう。それに極楽自動車も当然使用しているし、電力会社の停電対策の蓄電システムや企業の蓄電施設も採用が進んでいるわ。eeggのように軽くて蓄電量が多ければ皆採用してくれるわね」
ひろみは、明日香が羨ましくて、相談をなかなか切り出せなかった。
「ところで、ひろみ、用事は何。鯉太郎ちゃんは、元気? お父様から命名していただいたんでしょう。羨ましいわ。きっとお父様のご期待が大きいんだと思うわ」
「最近、気分が重たいの。一郎さんにも当たってしまうし」
「それは、少しまずいわね。極楽病院の精神クリニックを受けるか、その前にアウルに相談しなさいよ」
「アウルには相談した。でも明日香にも聞いてほしいの」
「わかった。どうぞ話してよ」
「うちの高見沢のことだけど。極楽農園の子会社の社長になって5年程たつけど、今の状態に満足しているみたいなの。他の人達が活躍しているし、後輩にも抜かれているみたいで」
ひとみは、ハンカチで涙を拭いた。
「本当に不思議ね。高見沢先輩は、同期の中でも最も才気溢れる人だったのにどうされたんでしょうか。でも、鯉太郎ちゃんのお名前をいただいた時は、お父様が高見沢先輩と貴女を直接お呼びになり、命名式を行っていただいたのでしょう。そんなことやっていただいた人は少ないでしょう。きっとお父様は、高見沢先輩に期待していただいていると思うわ」
「高見沢が、お父様のご期待に応えていないのが悔しいの。あの人は、今の状態に満足しているんだわ」
「大丈夫よ、お父様は、高見沢先輩に試練を与えていらっしゃるのよ。それよりひろみ、早く戦線に戻って来なさいよ。極楽商事だって忙しいでしょう」
その時、赤ん坊の泣き声が遠くから聞こえた。
「明日香、私もう少し頑張ってみる。鯉太郎が泣き出したのでまた連絡するわ」
「じゃ、ひとみ頑張って、また連絡して」
3D電話の映像が消えた。
ひとみは、泣き出した鯉太郎を漸く寝かしつけると、TVの前のソファーに座った。
「TV! オン」
正面の壁が一瞬光り、3Dテレビが映った。といっても別にTVの箱があるわけではない。
小さな3D投影機が置いてあるだけだ。
「極楽マートのカタログ」
というと、空中に大きな極楽マートのカタログが出てきた。さすがにでか過ぎる。
「少し、小さくして」
カタログは小さくなった。これで、カタログの全面に手が届く。
ひとみは、人差し指と中指の二本指で、左にずらすとページが捲れていった。
「今日は、スパゲッティーにしよっと」
空中のスパゲッティー麺の写真を人差し指で、タッチすると、元の画像がグレイに変わり、選択した映像が、カタログの外の右上に移動した。
「それと、トマトとインゲン豆、...」
次々に選んでいった。
「それと、白ワインと」
最後にワインを選んだ。
右下の注文ボタンを人差し指で、タッチした。
画面が変わった。
若い女性が現れた。CGだが人間とほとんど区別がつかない。注文した品物と数量、価格が右側に表示された。
「高見沢 ひとみ 様、ご注文有難うございます。ご注文の通りに、ご配送いたします。よろしいでしょうか」
流ちょうな女性の声だった。映像で相手を高見沢ひとみと判断していた。
「それで、OKです。配送をお願いします」
「かしこまりました、直ぐに手配いたします」
画面が消えて、カタログの表紙が現れた。
「TV オフ」
3DTVの映像が消えた。
15分後、部屋の隅の『リニア配送システム』のランプが点灯した。
ランプを押すと、『リニア配送システム』が開き、立方体の隅を少しカットし、丸みをつけたようなカプセルが出て生きた。カプセルは長い方向でも1m程だ。
『リニア配送システム』は、リニアエレベータやリニアエッグと同様のシステムで小型の超伝導輸送システムだった。カプセルの表面のスイッチを触ると、カプセルが開いた。
注文したスパゲッティー麺やトマトやワイン等が送られてきた。
全てを取り出すと自動的にカプセルは閉じ、『リニア配送システム』も閉じ、カプセルは戻って行った。
「さて、頑張って夕食の準備をしましょう」
ひろみは、届いた物を台所へ持って行った。
『リニア配送システム』は、極楽市と天国市にある全てのマンションに設置されていた。
それに、オフィスや工場にも配置されていた。
極楽市内のマンションやビルをつなぎ、発送から到着まで1分程しかかからなかった。
リニアエッグやリニアエレベータに比較すると、豆粒みたいに小さいが、注文や宅急便に使用でき、非常に便利だった。それにゴミの回収にも使用された。
はるか昔に実用化されていたヨーロッパの郵便のチューブシステムのリニア方式版であった。それより遥かに高速で、大きさも大きかった。
この高速の物流システムが極楽市に立体の網の目模様に配置されていた。
極楽マートの注文システムの場合、注文と同時に、『リニア配送システム』のカプセルの出荷部門のルートが決定され、極楽マートの食料品や各種用品の出荷部門をカプセルが移動し自動的に格納され、最終的に注文者の所に到着する。
通常は、10分から30分で極楽市と天国市のお客のもとに、注文品が届くシステムだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます