剣と筆_8

 黒暗の都市の夜景は全てを包み込む。篝火の炎、人々の喧騒、生活の光。それらはやがて闇夜に抱擁され、ぽつりぽつりと順番に漆黒へ消える。しかし、再び朝になれば喧騒は波紋のように広がり、人々の生活の光はまたひとつ、またひとつ灯される。そのサイクルはまるで生命だった。


 ウィリデの小屋を後にしたルークスは都市へ帰還していた。運が良かったのは街道へ出てすぐに行商人の集団に出会ったことだ。旅の戦士として彼らの護衛をすることで、遠回りすることなく都市まで来ることができた。


(一年近く留守にしていたが、相変わらずここは変わらないな……)


 街を歩きながらそう思ったルークス。

 王国内有数の交易都市は夜になっても騒がしい。集まっているのは腕に覚えのある勇士ばかりなのだから尚更のことである。今夜もあちらこちらで飲み、歌い、踊り、そして喧嘩する音が耳を澄まさずとも聞こえてくる。一年近く空けていたが、まるで時が止まっていたかのように都市はいつもだった。その賑わいにルークスは思わず頬を綻ばせる。


(無くなった鎧を新調したいし、剣もメンテナンスが必要だ……やることは山積みだが、まずは叔父上の元に挨拶にいかないと……だけど……)


 ルークスは人の生み出す喧騒をもうしばらく味わっていたかった。



「いらっしゃい! 旦那、何にしやすか?」

「麦酒をひとつくれ」


 そういうとルークスはカウンターに銅貨を何枚か置く。帰り道を共にした商人から心付けとして貰った銅貨だった。「まいど!」という威勢の良い声が聞こえると、銅貨と入れ替わる形で麦酒が注がれた杯が出てくる。ルークスはそれに一口つける。鼻を抜ける久々の酒精に頭がくらくらするのを感じた。


 もう少し人の営みを感じたいと考えたルークスは酒場にいた。書き入れ時ということもあり酒場の中はごった返している。そこら中のテーブルで荒くれ者たちが手に持った杯を交わらせている。


 そんな店内の、カウンター席の端にルークスはいた。杯を傾けながらとあるテーブル席の男たちの話に耳を傾けていた。ルークスはその卓にいる者たちの何人かに見覚えがある。彼らはルークスが隊長を務めている遊撃部隊に所属する戦士たちだった。

 彼らが自らの上司であるルークスに気が付かないのは、ルークスが死んだことになっているという先入観があるからなのか、それとも目深に被ったフードがその美しい金髪を隠しているからなのかはわからない。


「グハハハ! 見ろ! この片腕を!」

「まーた始まったよ。ゲッツさんってば酔うといつもこれだからな」

「まあまあ、許してやれよ武勇伝を語るくらい。あの腕じゃあもう戦場には出れないでしょ」

「それもそうだな」


 そんな同席している者たちの小言は無視して、隻腕の戦士は語り始める。


「一年前の戦場で不運にも俺は孤立してしまった! 味方は目を凝らせど、どこにもいない! 目の前に広がるのは仲間の死体と子鬼と大鬼の大群。獰猛な目つきに鋭い爪、棍棒! だが、俺も負けちゃあいない。俺には領主様に頂いたこの名剣があるからな! バッタバッタと魔族共をなぎ倒してやった!」


 隻腕の戦士は腰に差した剣を輝かせながら酒を杯に口をつけると、さらに熱量を増してまくし立てる。


「しかし! 多勢に無勢! 流石の俺も魔族共に押し込まれ始めた。一瞬の隙を突かれて片腕を落とされたときはぁ、死を覚悟した! しかあし! そこで一迅の風が吹いて目の前の魔族共がバッタバッタとなぎ倒される! そこに現れたのが……!」

「いっよ! 待ってました!」

「我らが遊撃隊長のルークス様だ! あの、流れるように魔族共を倒していく姿は何度見ても痺れるね。一つ目の鬼との一騎打ちも凄かった。まるで神話の戦いのようだった! 領主様はあの戦いでルークス様は死んだと仰られるがぁ、俺は信じていないぜ。あの人のことだ、きっとどこかで今も魔族共を蹴散らしているぜ」


 そう言い終わるやいなや隻腕の戦士は揚々と国家を歌い出す。同じ卓を囲む者たちは、共に歌うものや、苦笑いするもの、他の卓を気にして恥ずかしがる者など様々だった。


 ルークスはそんな彼らを見て、少しむず痒く感じた。上司と部下、貴族と平民、大きな違いがあるにしろ、倍近く年齢が離れている相手に英雄のごとく崇められるのは流石に面映い。遊撃部隊に復隊したあと、どういう顔をして彼らと話せばいいかルークスにはわからなかった。




 そんなことを考えていると、酒場に一人の男が入ってくる。浅黒く焼けたいかにも労働者といった出で立ちで、店内を見渡すと屈託のない笑顔を浮かべながらカウンター近くのテーブル席までやってきた。その席には小綺麗な身なりをした商人風の男がひとり座っている。


 ルークスがそのテーブルを注視したのは、労働者風の男を遊撃部隊の戦士たちと同様に知っていたからだ。その男は領主の館に勤める庭師だった。


「よお、待たせたな、元気だったか!」

「久しぶり。こっちはぼちぼちだ」

「はっはっは! 相変わらずだな、お前は! あれ、最後に会ったのっていつだったか?」

「確か……ああ、そうだ、あの魔族との戦争の少し前だから……一年くらいか?」

「おお、そうだそうだ、そうだった」

「あの後、葬式や何やらで大変だったんだぜ?」

「葬式? 誰のだ?」

「女房の兄さんのだよ。例の戦争で戦死したそうだ」

「それはそれは……ご愁傷さまだな。お前の義兄って三人くらいいたよな?」

「ああ、戦死したのは三番目の義兄だ。長いことフラフラしてたんだが、ようやく職を見つけたと思ったらこれだ」

「そりゃあ大変だな……とりあえず今日はお前の義兄さんに乾杯だな」


 そういうと男たちは杯を掲げてそのまま飲み干す。


「お前の方は、最近どうだ? 領主様のところで働いているんだろ? 羽振りがいいって聞いたが」

「まあな確かに給金は、いい」

「なんだよ、何かあるのか?」

「……実はちょっと前に屋敷に大量の美術品が運び込まれたんだよ」

「貴族サマなんだから美術品を集めるのは普通のことだろ? それがどうかしたのか?」

「いやな、領主様ってかなり実用主義な方なんだよ。元々、美術品の類はほとんど置いていなかったんだ。それが急に美術品を増やしたんだ。なんか変だろ?」

「うーん」

「しかもだ。運び込まれた美術品を見た使用人の一人が真っ青な顔をして領主様のところへ行ったんだけどよ、そいつは次の日には家の事情だか何だかで退職したんだ、挨拶もなしに。何で真っ青な顔をしたのか聞きそびれちまったんだが、何か裏がありそうなんだよな……」

「気にしすぎじゃないかな」


 ルークスは二人の話を聞いて、怪しいと感じた。庭師のいう通り、叔父は美術品の類は好まなかった。それどころか嫌悪しているようにも見えた。その理由をあえて聞くことはなかったものの、急に手のひらを返して美術品を収集するとは考えられない。何か別に理由があるように思えた。


 美術品について叔父に直接聞いてみようと考えたそのとき、ルークスは酒場の中からヒリつくような殺気を感じた。それはルークスに向けられたものでなく、商人風の男と庭師の男がいる卓に向けられたものだった。

 殺気の主は酒場で一番隅の席に座る二人の男からだった。黒い外套を羽織っており、その表情を伺うことはできないが、明らかにカタギではない。

 

 背の高い方の男がもう片方の男に耳打ちをすると、そのまま一人で酒場から出ていった。残った男は商人風の男と庭師の男をじっと監視している。


(追うべきか……?)


 そう思ったのは、妙な胸騒ぎを感じたからだ。美術品嫌いの叔父の元に運び込まれた美術品、館勤めの庭師が吐露した美術品への不信、その庭師に殺意を向けるカタギでない男たち。どれもが一本の線で繋がっているような気がするのだ。

 ルークスの足は自ずと出口に向かった。



 夜は酒場や宿屋の書き入れ時である。大通り沿いはどの店も篝火や提灯を焚き、一人でも多く客を呼び込もうとしのぎを削っている。しかし、それとは対照に一本路地に入ってしまえば、そこは暗闇が支配する空間。光の元に入れず、光を嫌い、影の涼しさを好む者たちのいる世界である。つまり、治安が悪い。


 外套の男はそんな裏路地を慣れた足取りで歩く。ルークスは少し離れて男の後を追う。路地の端に座っている物乞いは一様に外套の男ではなく、ルークスばかりを注視している。


 そして、男が路地の角を曲がり、ルークスもそれに続いたとき、目の前に拳が現れる。


「おらああ!」


 既のところで拳を躱すルークス。そして、返す手で角から現れた外套の男に膝蹴りを叩き込む。呻く男はまるで許しを請うように膝をつき、ルークスに頭を垂れる。


「大層なご挨拶だな」

「お、お前こそ俺をつけ回して! 一体どういう了見してんだ? 俺のバックに何がついてるのか知ってんのか!? 俺に手を出すってことはな、この都市を敵に回すってことだぜ!?」

「そんなことはどうでもいい……俺が知りたいのは酒場でどうして殺気を飛ばしたのか、だ。どうしてあの庭師を狙う?」

「……何のことだ?」

「とぼけるのか?」


 ルークスの膝が動き、足先が男の鼻先を掠める。メキリ、という音とともにうめき声が路地裏に反響する。


「あだあ! は、鼻が……!」

「次は鼻だけでは済まないぞ」

「わ、わかった……! 喋るから! 喋るからこれ以上は……!」

「……お前は何者だ?」

「お、俺は獣の爪っていう傭兵団に所属してる傭兵だ」

「傭兵? 傭兵がどうして暗殺者のマネごとをする?」

「ウチの団はそういったことも商売にしてんだ。だから色々なやつに重宝されている」

「なるほど……雇用主に依頼されたから、あの庭師を狙うのか。どうして?」

「……理由なんざ知らねえよ、俺たちは依頼されたから、やる。それだけだ」

「では……お前たちの雇用主は誰だ? この都市で暗殺という非人道的な手段に出る者は」

「旦那……あんたが何者かは知らねえが……それだけは勘弁してくれ。それは傭兵団の最高機密だ……喋ったら俺もあんたもただじゃあ済まねえ……」

「……誰だ?」


 ルークスは腰に差した剣を外套の男の前にチラつかせる。それを見て男は観念したようで、うなだれながら力なく口を開く。


「……パトルス様だ」

「……何だと!?」

「俺たち獣の牙はな、十年前に領主であるパトルス様が作った傭兵団だ。暗殺や誘拐、その他諸々の表立ってはできない裏工作をするのが俺たちの仕事だ」

「そんなこと……ありえない……!」

「あんたは終わりだぜ。俺たちと領主様の関係を知って生き延びた者は誰一人いない……おい? あんた聞いてんのか?」


 外套の男の口から出てきた名前に思わず呆けてしまうルークス。確かに叔父は公明正大で正義の人ではなかったが、それでも無辜の民を害するような人ではない。この都市がこれほどまでに発展を遂げているのがその証左だ。何か理由があるはずだ。ルークスはそう自分にいい聞かせた。


(真実を確かめなければ……!)


 ルークスは身をかがめて走り出した。その勢いで被っていたローブのフードが外れ、裏路地に似つかわしくない美しい金色の髪があらわになる。それを見て外套の男は、まるで幽霊でも見たかのように青ざめた顔になる。実際、男にとってルークスは幽霊だった。


「あいつは狂剣の……? 何てこった……! マズいぜこりゃ! 一波乱どころの騒ぎじゃねえ! 一番知られてはいけない奴に知られてしまった……!」

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