剣と筆
yuraha
剣と筆_1
赤くぱちぱちと音を立てて燃える焚き火は、野営地にいる者を照らし、夜の帳に地明かりを灯す。
「な、なあ……あれが噂の”狂剣”か? 思ったよりも若いな……」
傷一つない革鎧に身を包んだ男が口を開く。
「おう、お前さんこの部隊は初めてか?」
「見てみな新入り、あの赤褐色の鎧、元は白銀色だったらしいぜ」
「ああ、魔族の返り血であんな色にって話だ」
「ひぇ~恐ろしいやつもいたもんだな」
「おいおい、あの人は今日からお前さんの上官になるんだぜ」
兵士たちが金髪の男を遠巻きに見て、酒を片手にひそひそ話を始める。彼らの目には好奇心や尊敬、畏れなど、さまざまな感情が宿っていた。
当の男は兵士たちに見向きもせず、野営地の喧騒を背に、ただ静かに剣の手入れをしていた。
「確か、領主様の親戚だって?」
「そうそう、王都の名門貴族のお坊ちゃんだそうだ」
「そんな貴族サマがどうして最前線のこんな部隊の隊長に……?」
「領主様に頼み込んだらしいぜ」
「そりゃまたどうして……」
「両親が魔族に殺されたって話だぜ」
「あぁ……それは気の毒に……」
男は一心不乱に剣を研ぐ。両親を奪った魔族に復讐できるよう、この世の全ての魔族を殺せるよう、狂剣のルークスは剣に誓いをこめる。そんな想いを知ってか知らずか、兵士たちは戦場に出る前のルークスに何か喋りかけるようなことはなかった。遠巻きに見るだけだ。
(俺は……魔族を殺す……!)
ぱちりと焚き火が爆ぜた。火の粉はルークスの目の前に飛び跳ね、彼の瞳に炎を写し出す。
やがて、夜が明ける。太陽が登り、戦場の幕が上がった。
「領主様! 兵の配置が完了しました」
テントがいくつも張られた野営地に伝令の声が響く。その声を受けて、領主と呼ばれた大柄の男はその豊かな髭を弄りながら小さく頷く。彼の前には大きな地図が開かれており、いくつも駒が置かれている。
「ああ、わかった。魔族め……性懲りもなく攻めてきおって」
「今回の襲撃は子鬼と大鬼の群れです。かなりの数がいるようです」
「狙いは我らの都市か……魔族共はそんなに食うのに困っているのか?」
領主はお供の兵士にではなく、天に向かって愚痴を漏らした。それもそのはず、ここしばらく魔族の活動が活発になっていたからだ。都市から離れた村が魔族に襲われた話は最近では珍しくもない。
そして、今回の襲撃は大群で都市を直接狙うという大胆極まりないものだった。予想される激戦に野営地の空気はいつもより緊張を孕んでいた。
「本体は敵の正面からぶつかる予定です……遊撃部隊は北東の森に配置しました。合図を出せばいつでも敵の側面に突撃が可能です」
「金床とハンマーか……よしわかった、合図は俺が出そう」
「……心配ですか?」
「……何がだ?」
「遊撃部隊の、隊長のことです」
「いや……あいつに剣を教えたのは俺だ。実力は十分知っている」
力強く断言する領主。しかし、その目にはかすかな不安が見え隠れしていた。
「さっさと終わらせねばな……」
戦場は山と森に囲まれた盆地である。魔族はただひたすら数にまかせて、最短距離で都市を目指していた。山の麓にある小さな関所を越えられたら領主が治める都市はすぐそこだ。
領主と兵士が戦場に並ぶ。白で統一された装束が太陽に反射し、キラキラと輝く。領主は眼前に広がる漆黒の魔族の群れを睨むと、大きく息を吸った。
「出陣!」
領主の兵士は盾と長槍を構え、密集陣形を組む。目の前には陣形に全力で向かってくる魔族の群れが見えた。兵士の表情は皆それぞれだったが一様に緊張し、額に汗をにじませていた。
逃げ出したいと思った兵士もいた。しかし、ここで逃げてしまえばあの魔族に家族や苦労して開墾した田畑が蹂躙されてしまう。逃げたいと思ったとしても、実際に逃げ出す兵士は誰一人いなかった。
「撃て!」
領主の号令で魔族に向かって一斉に矢が射掛けられる。しかし、ほとんどの魔族は倒れることなく、そのまま陣形に殺到する。
白と黒がぶつかった。
兵士に飛びかかり、そのまま槍衾の餌食となる魔族。魔族のもつ棍棒に殴打され、絶命する兵士。最前線で倒れ、そのまま味方に足蹴にされる魔族と兵士。そこには様々な死に方があった。
戦場のエントロピーは増大しつつあった。
やがて、領主の兵士が押され始める。魔族の数が多すぎるのだ。物量に任せた魔族の攻撃に、密集陣形にほころびが生まれ始めていた。
(そろそろか……)
領主は伝令に向かって合図する。すると、戦場に角笛の音が鳴り響く。
「おおおおお!」
一斉に鬨の声が上がり、森の中から現れた遊撃部隊が魔族の側面に突撃を始める。
その先頭にルークスはいた。魔族は完全に虚を突かれた形となり、抵抗する間もなくルークスに斬り伏せられていく。遊撃部隊のほかの兵士たちも彼につられ、魔族の真っ只中へと殺到する。
「おおおおおお!!」
いくつかの魔族がルークスの雄叫びに身をすくませる。ルークスはそんな魔族を手近なところから斬り伏せていく。
流麗で名を馳せた貴族の剣術も、今や魔族の首をはねるだけの技になっていた。またひとつ、またひとつ、魔族の首が戦場の地面へと転がり、土と同化する。
そんなルークスを見て、とある大鬼の魔族が捨て身の突進をした。ルークスは剣を振るい、大鬼の片腕を落とすがその勢いは止まらない。
めきり、と身体の中から歪な音が響くのをルークスは聞いた。さらに大鬼は追撃。ルークスの身長ほどもある巨大な棍棒を振り下ろす。
土煙が舞い上がり、大鬼の視界を覆う。
大鬼の手にルークスを仕留めた感触はなかった。土煙の中からルークスを見つけようと大鬼は目を凝らす。
すると、土煙の中から鈍い一筋の光が放たれる。それが大鬼の最後に見た光景になった。大鬼は首から血を吹き出し、膝から崩れ落ちる。
土煙の中から現れたルークスは、剣についた血を袖で拭った。戦場で息をつく暇はない。次の敵が来る。
(あ、あれが狂剣のルークス! あ、あんなの人の戦い方じゃない……)
新人の兵士であるアシモフは戦場のどこかでそう思った。
彼は四人兄弟で、上に二人の兄と下に妹が一人いる。数年前に一家六人で領主の治める都市に移り住んだ。父親は交易商をしていたが、腰を落ち着けるために店を開いた。
一番上の兄は店を継ぐために父親の手伝いをしている。二番目の兄はそれが気に入らないのか、都市に来てしばらくした後蒸発。妹は父親の取引相手の家へと嫁いでいった。三男のアシモフは働くこともなく、自堕落にのんびりと暮らしていた。生活するだけなら両親からの小遣いで事足りる。
転機は戦いが起きる少し前だった。父親に金をたかろうと経営する店へ行くと、ある人物と出会った。それがルークスだった。彼はちょうど装備を新調しようとするところで、気に入った剣があったのか、剣を軽く一振り。それを見たアシモフに衝撃が走る。ルークスの剣技に見惚れてしまったのだ。
アシモフはその日のうちに兵士になることを決めた。ルークスの剣技をもっと間近で見たい、その一心だった。アシモフの父親は息子がやっとまともな職につくことに感涙した。
領主の兵士は国内でも特に精鋭と呼ばれている。入隊試験は過酷で、素人であるアシモフが合格するのは不可能だった。しかし、なぜか合格。内実はアシモフの父親の持つ財力やコネクションに目をつけた領主の計らいだった。
そして、ついに念願の兵士になったアシモフは基礎訓練を終え、ルークスの部隊に配置された。この戦いはアシモフにとって初陣だった。
激戦の最中、アシモフの目線は常にルークスを追いかけていた。ルークスの剣技はまさに一撃必殺。的確に魔族の急所に吸い込まれる剣は、どう鍛錬を重ねればその域に到達できるのかアシモフには想像もつかなかった。
「おい! 新人! 集中しろ!」
「……は、はい!」
それは羨望であり、畏れだった。戦場での経験が少ないアシモフにとって、ルークスの死を厭わない戦い方は蠱惑的な毒だった。
アシモフはその毒によって集中を欠いてしまった。それはすなわち、戦場では死を意味する。
「うわっ!」
大きな力によってアシモフの身体が宙に持ち上げられる。戦場の土煙の中から現れた大きな手によって、アシモフは持ち上げられたのだ。
「あ、が、ががが……」
うめき声とともに、アシモフの身体の中で何かが砕ける音がする。戦場に緊張が走り、皆一様にうめき声の主へ目線を動かす。
一陣の風が吹き、土煙が晴れると、そこには新兵を握りつぶす一つ目の鬼がいた。当の新兵は絶命しているようで、鬼の手の中で力なくうなだれている。
「まずいぜ! こいつは退散だ!」
どこかの兵士がそう叫んだ。すると、引き潮のように遊撃部隊が後退していく。誰もが無駄死にはしたくなかった。一つ目の鬼を倒すためには入念な罠の設置や、専用の装備が必要なことは誰しもが知っていた。どちらもこの戦場にはない。
「……兵を後退させて弓で応戦せよ」
戦場を俯瞰する領主は伝令にそう伝えた。
角笛が数回鳴り、領主の兵士は矢を番えて一つ目の鬼に狙いを定める。
引き絞られた弓から今まさに矢が放たれようとしていた。しかし、いつまで経っても矢は放たれない。
領主の兵士は困惑していた。
ひとつだけ戦場の中心から、一つ目の鬼の前から去らない人影があったのだ。このまま矢を放てば、同士討ちになってしまう。しかも、その人影が領主の親戚であり、王都の貴族であり、遊撃部隊の隊長であるルークスなのだから尚更射つことができない。
「放て!」
困惑する兵士に再度命令が下される。
それを聞いて誰かがしぶしぶ矢を放った。その矢はまるで明後日の方向へ飛んでいったが、ほかの兵士に矢を射たせる言い訳としては十分だった。領主の兵による斉射が始まる。
「俺は父上と母上の敵を取るまでは……死ねない!」
戦場の中心にいるルークスは力強く呟いた。
後方から一斉に矢の雨が一人と一体に降り注ぐ。
ルークスは矢など眼中にないといった様子で、一つ目の鬼と相対する。一つ目の鬼もルークスの殺気を感じ取ったのか、一切視線を動かさなかった。不思議とルークスと一つ目の鬼には一本の矢も当たらない。
一つ目の鬼は雄叫びを上げると、腕を振りかぶりルークスに向かって拳を放つ。ルークスはそれを寸前の所で交わし、足元へ潜り込み脛を目掛けて剣を振るう。しかし、刃は深くまで通らない。一つ目の鬼の皮膚はほかの魔族のそれよりも遥かに分厚いのだ。剣撃はわずかに出血させるのみ。
一つ目の鬼の攻撃を避けながら、太い血管が通る箇所を重点的に斬りつけるルークス。狙いは一刀両断ではなく、失血死だった。
一つ目の鬼も一方的にやられているわけではなかった。大振りの攻撃が当たらないと判断するやいなや、地面から大きな石を拾い、それを握り砕く。そのまま大量の小石を手の中に収めると、腕を振りかぶりルークスに投擲した。
(なにっ!)
寸前のところでルークスは防御姿勢をとった。しかし、いくつかの小石は身体に突き刺ささる。一つ目の鬼の膂力で投げ出される小石は、人一人殺すには十分な殺傷力を持っていた。ルークスは膝から崩れ落ちてしまう。
(投石をさせないためには張り付いて戦う必要がある……しかし、近づけばあの拳が待っている……)
視界が赤に染まる中、投石を避けながら戦うか、危険を承知で相手の懐に潜り込むか、ルークスは考えていた。
受けた傷は致命傷にはならなかったものの、深い。長期戦になれば徐々に不利になっていくだろう。身体が気力についていける内に決着しなければならない。
ルークスはすぐに決断すると剣を構えて一つ目の鬼に向かって斬り掛かる。
拳が触れれば即座にあの世行き。そんな繊細で、薄氷を踏むような状況の中、ルークスは何度も、何度も何度も踊るように剣を振るった。
そんなルークスを見て、一つ目の鬼は生まれて初めて畏れを感じた。目の前にいる自分よりも遥かに小さい生き物は死に体であるにも関わらず、その刃を今まさに喉元まで届かせようとしているのだ。大きいものは強い、小さいものは弱い、一つ目の鬼の世界はそうできていた。しかし、その世界はまさに今崩れようとしていた。
やがて、一つ目の鬼は大きな音を立てて、地面に伏す。
ルークスはピクピクと震える一つ目の鬼の上に登る。そして、剣を高く掲げ、渾身の力を込めてうなじを目掛けて振り下ろした。まるで間欠泉のように血しぶきがあがり、ルークスの金色の髪と赤褐色の鎧を鮮血で染める。
肩で息をするルークス。やっとのことで一つ目の鬼を倒したとしても、ルークスの戦いは終わらない。周囲には数多もの小鬼と大鬼の魔族がいるのだ。鬼たちは血走った目でルークスを睨んでいる。
「来い……!」
ルークスに、魔族の群れが殺到した。
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