~戦前~(『夢時代』より)
天川裕司
~戦前~(『夢時代』より)
~戦前~
「昔と今」と題して、「昔は人との繋がりが在ったんだ、語る内容だって把握された悪口憎音、農業耕作、古今東西、勉学クラシックに燃えた、人間学の路上の社で右往左往してたごまんの学生が居たものだった。〝生のノスタルジア〟に自分達の理想を打ち立てて発狂する事の無いパフォーマンスを各自が心得ながら、余裕を与えてくれるアトリエで野外ででも又各自が構築して居た。〝時代の所為だろう〟と言えば皆跡形も無く奇麗さっぱり片付けられる程に今の人間学や自然学は薄っ平で、変遷の風が吹けば飛ばされる位にひ弱で頼り無く、又軽い物だ。今位にCPが無かったから人はCPの魔力に埋没する事も無く、当り前の様(よう)にして人との繋がりも重要な事柄として、お蔵入りではなく〝蔵〟に大事な物は大切に日々撮って置いたのであろう。はっきり言って、テレビも無かった時代だぜ外へ出れば、見得るものは人間だったんだ。」、「体内リズム」と題して、「一つずつ自殺して行く。」、「女が世に出て浮び上り始めたのは男に原因が在るからだ。誰かが私に何故か、と問う。」、「簡単な話だよ。男が益荒男を失くしてるからだ。昔、戦地へ行った者は皆死線を越えて来て肉体の痛みのラインを越えた処で、自分の思想を追えた。この位置取りの差は殊の他大きい物だ。空威張りばかりが世を飛び交い、窶れ果てた苦渋の血が血を呼ぶのである。悲惨な地獄だ。これに打ち勝つ物が泥の砂川を徐に潜り抜けた自然の才能の塊である。俗に言う戦人魂だ。斯く言う俺も戦争を知らない者であり、偽の勇気を持って居るのだ。」、「或る会話」と題して、「新しい風とは、どんなものでしょうか?例えば、〝一行の文章を小説だ〟と他人に認めさせる事が出来れば、それは『新しい風』だと言えるでしょうか。(改行した上で)心の邪悪を消して欲しい。俺は、自分を暴力から護る為なら、親でも友人でも誰でも、発作的に、衝動的に責めて仕舞う。如何した事か。この命。湧いて来るのだ、赤い、もやもやした妖煙(ようえん)の様で、水に落した紅(あか)が塊を中心に外側へゆっくりと拡がる様に、極自然に拡がって行くのだ。それで居て心の中のもの故絵具よりも強い、誤魔化しが利かぬ。自分の内に閃く魔性の様な鼓動が在り、その正体を一度真面目に見て、初めて怖いと思った。如何にかしなければと、初めて真面目に思った。この儘では俺、道を踏み外して路頭に迷う事を知り、じんわりやんわりまるで何かの期日が迫って来るかの様(よう)でもあり、衝動が漏れ落ちるのを執拗に恐れた。その矢先に俺は、何か言葉を欲しがった。矢張り無意識の内にあの人とする会話を思うのだろうか。しかし尽きぬ思いが在る以上は未(ま)だ救われるかも知れぬと、少々心強くも成る。如何しても救って欲しいという思いで煩悩が薄れる為に。(改行した上で)悩み事は何時(いつ)も、外部からやって来る。」、ここ迄を連々(つらつら)と面白可笑しく、又、退引き成らぬ衝動に駆られた奮行(ふんこう)を、多大な孤独欲しさに執筆するその書斎の在り様(さま)を過去から未来へ繋がって行くこの広過ぎる大地と空間へと、自分が透き通って見得なく成る位に順応させ、赤の他人とは何も語らず潰さず、又、まるで呼吸する様相に落ち着けない位に惰情(だじょう)を殺した上で、自分の文学を口述して行く唯の自然を物にして見ようと、独り、奮闘して居たのである。当り前として見られる老兵、若い女に単純に捨てられて思想が構えた豪邸の軒先に干されて屍と化す狸の嫁入りを期待して仕舞う様な大人しい大人には成りたくはなかったのだ。円らな大人の思想観とは自分が追い求める〝人の源流〟へ辿り着ける余震を感じつつ自分が同様にして知る児の内実に於いて、面白可笑しい自然と手を繋いで見たかった。真っ白だ。この〝自然〟が与えた現実というキャンバスには無数の白点が取り残された様にして空気に同化して行き、形が透明を味方に付ける様にして形を失くして行く。意味という物がこの心中に取り残された様にして、唯、一切が過ぎて行く。そう、電車の窓から見る景色も、バスから見える景色も、同時に家内に漂う景色も、音を立てては密かに主と手を繋いだ儘で俺の見知らぬ大地の彼方へと移ろって行く。何もかもが、移ろって行く、と言って、誰がその衝動や身勝手という我が身から突き出た蛻の様な自由を答に結び付ける事が出来るのか。辺りを見廻して、黒と白のコントラストが自身のコントレーリーに当てが外れた様に一端(いっぱし)に見せて来る白い形相を変形させて、知らず内に世間で言われる〝詩〟、〝エッセイ〟、〝随筆〟、〝散文〟、〝乱文〟、〝下らない〟と見下される自分の意味を書き続けて行くのだ。大学で知り合った淋しいキャンパスに於いて建物の内からひょこっと、ぽこんと表情を覗かせる初老の国立出身者が或る程度の自由の体裁を伴って現れて来て、唐突な意見を述べながらにしてその一行を人生に於ける教訓の様に俺は掲げる事が出来ながらにそれでも共に歩いて行ける、或る程度猫好きの老人である。年は離れ過ぎては居るが、何処まで行けども足跡が抜け落ちた様な突拍子も付けられない白衣の天使が頭に持つ輪を聡明なセピアへとその身の影を落して行って、点々とした聡明を映す我が眼(まなこ)へと硝子ケースの向うから足を洗い終えた獣の魅力を凝縮させた、俊敏成る人間の能力を終得(しゅうとく)して来る。人は、人の思い付きにこそ、自身の屈強と独創が現れて居るのを見る訳であり、それ故に現実から得た常識の腕力に依って説き伏せられて、身も陰も失くした程に脆弱(よわ)く成って仕舞ったキャリアマン達は、スープの灰汁を啜り掬っただけで中味を呑めない等身に殺される訳であり、そうした者は〝詩〟に対峙する余力を瞬時にして持って居ないのだ。そう、唯、大声上げて笑って居るだけである。
俺はその老人と迷路の様に長いアスレチックを醸した様な白日の祭壇を一望して過ぎて来た体裁を持ちつつ、現実で変らない無気力な奮迅に化した居ない筈の学生の身の陰に夫々は透明の信念を隠して仕舞った様(よう)であり、ありとあらゆる空虚な茶色に就いて、恰も、物珍しく語りつつ明かしながら心のテーマに就いて自分達を仄めかせて居た。唯、二人は道を歩いて居り、互いの空虚が織り成せる影響の姿すら見る事が出来ず、互いの声を頼りに存在を確認し、その時形は密接する為のサインとは成らず唯我畔に鹿鳴を落した只成らぬ討論が連なって、まるで自分達が空から降って来る訳である。〝初めての声〟というのは人にとって何時(いつ)の声を言うのか、二人は漫ろ歩いて大学内の景色が連なって行くのを確認しながら何時(いつ)までも、何処までも黒く映って行く新緑の鼓動に対して又己(おの)が孤独を盾に掲げた儘で、透き通って、すっきりとした、今後の思想の究形を醸し成して居た。そう、人に分る様に一々説明する必要な無い、と自分達の〝作品〟を押して居る様な姿だった。ずっと歩いて行くと老人は俺に語り明かして来た。〝子供に対する評価〟に就いての問答が透明に化した戦前の空虚と内実を掲げた文学の空に何かしら自立を構築して行く人の儚さを尚更夢見た上で、又、鮮明な声で話し合って居た。俺はその際に目を見張る様にして我が身の没頭を真面目に解体してもう一度形成して見ようと試み始め、自分が跋の悪い不良達の勢いに依って虐め続けられた悲惨な経験に就いて多少誇大表現を以て滔々と伝え、この歩くべき道の大半をその話題で占めてやろう、と密かな企みを知った。自分の経験を織り交ぜた事に依り感情が目立ってしまった為か、しどろもどろな心中に置かれた我が身の体裁を整える為の棚が現実に於ける雑多な塵の所為で混紡して居る空間を織り成して居たようで、その内で我が身を翻そうとした際には、その国立大学出身者である老人は少し煙たい顔をした儘、既に次の話題へ飛び移ろうと自分の翼をゆっくり試動させて居た。気が付けば、自分の不良に虐められた際の情景・光景に就いて老人は分析した上で冷静に、もう一度仕切り直して俺に滔々と語って来たのだ。その二つの会話が一通りの結果を以て或る程度の前提を取り付けられた後その〝二つ〟は現実に於いて相応の形と成って据え置かれる事が出来、その内で俺は、やっとアスレチック途中のベンチで一服出来る場所を見付け、互いに喫煙者であった事から〝さぁ話そう〟と心構えをして居た矢先に、目が覚めて仕舞った。
続きの夢を見たく成り、その道を準(なぞ)る事だけを夢見ながら、若者が目前に何人か出て来た。皆、妙な鞄を携えて居り、誰でもして居る様ではあるが誰から見ても妙な格好をして居た。まるで他人の体裁をして在り密かなオブジェの様にして居り、白壁に滲み出て来た人の衝動をCPのマウスを動かしながら何処か別の世界へと演繹の手法を講じられて自身が消されて行くという様な、織り成された〝仕切り直し〟を迫られて居たのは俺である。俺は老人と交して行く〝自分達の会話〟をその若者達に聴かれても一向に構わない、と言う頼り無き強靭の姿勢を保ちつつ、未(ま)だ二人の話し声は見知らぬ柔らかい、懐かしい空間で響いた。しかし俺達はその〝若者広場〟へ辿り着く迄に幾つかの関所を通過して来た訳であり、この関所を俺は、否我々は、難関が講じた〝して遣られそうな柔い場所〟とも呼んで居た。目に見えてその内実は各々の心裏に隠れて行く訳であり、各々の思惑が放つ一糸の頭に一つずつ付されて夫々の思惑の主(あるじ)が持つで在ろう内実の形へ同化して行く訳である。白色の板に白いペンキを落す様な形容を採り、僅かに光が差せば又僅かに縁が出来、その陰の内に自分達の身を隠す、と言った様な人の狡さを構築して来た美術作家の理想に似て居り、その形象は強要にして人の生死が奏でる事実に定着させられて落ち着いた、人の理想に迄辿り着いた。その難関であり関所とされた柔い場所を通過する際には人の正義をまるで監督して居る主(あるじ)に対して金か券を渡さねば成らぬようであって、見知らぬ様で見知ったその駅構内の改札口では俺はその老人の様に上手く渡る事が出来なかった。人の巣に還って行く為の努力を講じて行こうとする時には自分の聡明が邪魔をして来るようで、何時(いつ)見ても様相を変えないでいる驚いた現実の様相を、俺は一つの騒音として捉える事が出来た上で、頃合いを見計らった流転のタイミングの到来を期待しながら別の心境を呼んで居たのであるが、老人は金もその場に於いて都合の好い券を携えて居り、俺はその何方(どちら)も僅かに条件を満たせない程度に携えて居て、二つの会話の行方は自ずと道を分けて行った。老人にはその券だけではなく、その場で使えそうで、又別の場所で効果を発揮出来そうな色々な煌めきの付いたカードでさえ懐内に在るようで、俺はその老人との格差を感じた上で道を分けた事が一つの正解だ、として居た。プラネタリウムで星座の輝きとその輝きから際限無く採り出されて行くロマンスへ投身して行く身勝手が老人を対極にした。その色々な煌めきの付いたカードや又金は、その老人が俺の見知らぬ場所で良い頭で工夫して作られて来た様な見知らぬ産物である様に感じられ、老人は俺のそんなベンチに尻を付け続ける様な蟠りを置き去った儘、すいすいと先へ歩いて行く。それ迄は俺も同様の現実に対する都合の好い傘を差した儘ですっすっと歩いて来れたのだが、その関所に差し掛かる直前で〝ぴろーんぴろーんぴろーんぴろーん〟と警戒音が鳴って、現実が悉く、又都合好く俺をその内に挟み込まない様に弾いたのである。俺が丁度好いとして携えて居た珈琲券はその関所に設けられて在った改札の性質とは水と油の様に弾き合う物であった様子で、俺は老人に、〝あーすいません!鳴っちゃいましたよ。〟とか何とか言って、まぁここまで喋って来たからもう今日はこの儘別れる形を採って帰って良いか、等考えて居たが、老人は文字通りに沢山の色々な通行券を携えて居た為、彼はポケットから古びれた少々くしゃくしゃに成ったその改札用の定期券の形を呈した一つの物を〝これ、使えば良いよ〟と俺に渡してくれて、如何(いか)にも関東人らしい別天地で知り合ったその知人を大切にしようとする健気な仲間意識を呈してくれ、俺はこの関係を壊したくない、という思惑の方を大きく捉え、一瞬エリートに成れずに居た自分の体たらくを隠す様にして俺はその老人と大切に付き合おうとして居た。
俺はその〝跋の悪さ〟を内向的に捉えて自己責任としてのみ捉えようとした姿勢をやがて持つ事に辿り着いた為に、他に幾らでも通過出来て居る自分と同様にして在る通行人に対する気遣いの方が又でかく成って来、私は自ら自分に課したテンパランスに他人の思考を見る事に依り、他人に対する不甲斐無さ、申し訳無さ、といった物を読み返す事と成って居た。理性を保った気違いの様な無気力を盾に翳した心境に移りつつ現実に於ける夕日の底に沈んで行く失望を同時に掲げつつ、俺は到底保ち続けられない身の上の理想の完遂を快楽としても醜態としても感じ取る事が出来ずに居た訳である。白目を剥いた快楽の内に身を翻し続ける自分の身をやがて預ける事に成る天使が、何時(いつ)か観た事が在る中々辿り着いても把握出来ない洋画の凡庸を手っ取り早く撃ち落として仕舞おうとする自分の天才には未だ、近付けない現実が把握する量が功を成し遂げて居る様であった。
俺に幾つかの券を渡してくれたその老人は渡した後又現実が構築した風(かぜ)に後押される様にすっすっと闊歩して行き、その背中と横顔と、太陽の反射光しか見せない存在と成りつつ気の遠く成る様な現実の快楽の内へと姿を消して仕舞えたようで、その老人の代わりに今度は、俺が心中で嫌いつつもその原型に対しては親しみを奏でられて仕舞う、白髪で短髪の訥(と)っぽい初老の男に成り果て、俺をエスコートする門番の様に成って行った。俺が未(ま)だ大阪に住んで居た頃に見た、俺の親父の友人の内に居た様な見知った男の様子が在ったが殆ど言葉を喋る事が出来ない様に俺とは喋らず、すっすっと俺の前方を歩きながら同じく俺の前方で人間模様を織り成して行く他人とは喋り続けて、俺の前方の木々達を掻き退けて恐らく理想の地迄への一本道を構築して行った。〝子供に対する評価〟に就いて話す場合には、それ迄に構築して居たあの老人と共有出来た空間へ我が物顏で侵入して来る訥(と)っぽい男であり、そこで交される話の内容もそれ程主旨を違えず儘で、俺達はまるで釘でも打たれたかの様にアスレチック内に在る白い木製のベンチに座り続け、腰を上げて次の行動に移れないで居た。あの老人と話す時には腹の底から次から次へと言葉が洪水の様にして浮び上って来て、訥(と)っぽい振りをして俺も瞬時毎に相応の現実に於いても通用しそうな意味を付して行けるのであるが、その老人から文字通りに訥(と)っぽい無口な男に成り代わり、元々居る筈の老人が消えて無くなっても、居なく成れば成ったで別に自分としては困らない、と言った冷たい常識を携えて、色々な場所へ俺は行く事が出来たのである。俺は何処(どこ)か、遠くの別天地へでも行こうか、と思って居た。
~戦前~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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