序章・ファンタジーの欠片が落ちた日   3

 再びヒメヅルが実験場から戻って来たばかりの現在――。

 先にヒメヅルが訪れた世界は第138実験場と呼ばれる名称であり、この世界では魔法を使える人間を実験することを目的にした世界であった。その実験場での実験結果は遺伝子の組み込みは概ね成功したが、例外的に『人間の遺伝子が優勢になる血統を生み、全く魔法を使えず、受け付けない個体』と『エルフの遺伝子が強く出て見た目が若い時と全く変わらない個体』が確認されている。

 クリーンルームを出たヒメヅルは実験場で起きたことを思い返し、強く両手を握っていた。

 既に他の実験場から必要なサンプルデータの収集は完了しており、ヒメヅルがこの実験場を訪れたのは実験場で起きた問題を解決するためであった。

「非人道的なことと分かっているからこそ、そこで生まれた生命には一切関わらず観察するだけのはずだったのに……。数百の実験場を創った中でこの世界だけが隔絶され、行ってはいけない非人道的なことが派遣した管理者の手で行われてしまっていた……」

 実験場を訪れてデータ解析をして分かったことは、次のことであった。


 ――遺伝子操作で実験場では存在しないはずのモンスターを生み出していた。

 ――接触しないはずの観察対象の人間と接触し、実験場の管理者は神を気取っていた。

 ――同じ世界に住んでいたエルフを差別の対象とし、平面世界の裏側では過酷な環境を与えて争いを誘発し、本来のエルフには存在しない凶暴性を植え付けて魔族という新しい種を生み出していた。


 管理者によって何千年も連絡が取れなくなってしまった実験場が、先日突然繋がったのは原住民が壊れた世界のモンスターを討ち倒して管理者によって閉じられていたゲートを開いてくれたからだった。

 いつ繋がらなくなるか分からないゲートを通り、本来接触してはいけない現地人と接触し、数日を掛けあるべきする姿へと実験場を戻すことは出来た。エルフに対する差別を消すことは出来なかったが……。

 そして、そこからの帰還がついさっきのことだった。ヒメヅルは虚空を見詰めながら、亜空間へ収納した双剣のレイピアを思い出しながら接触をした現地の三人の少女達を思い出していた。

 ヒメヅルが持ったいた双剣のレイピアは壊れた世界を元に戻した少女達が、最後に託してくれたものだった。この双剣のレイピアは普通の人間では倒せないはずのモンスターを倒すため、未知の金属で造られており、彼女達はその双剣のレイピアでモンスターを討ち倒したあと、壊れてしまった世界を直すために分からないながらも何とか管理者のシステムを起動し、ヒメヅルの世界にゲートをつなぎ直してくれたのだった。

 ヒメヅルはそこで出会った少女達に一時は強い言葉を浴びせられたが、最終的に少女達はヒメヅルを友として認めてくれて一緒に世界をあるべき姿に戻した。

(私を知る人は同年代の友達のように扱ったりはしないのに、あの三人は違いましたね……)

 何故か、彼女達を思い出すと笑みが隠し切れない。

 ヒメヅルが世界を創った神様のような存在だと分かっても態度を変えずに話せるのは、度胸が据わっているというのとは違く、気に入った相手ならありのままでいられるという彼女達の強さであり優しさのような気がした。

「だからこそ、倒すべき敵がいなくなって双剣のレイピアを託された時、断れずに受け取ってしまった」

 別れの際、少女達の一人が言った言葉が思い出された。


『大事なものだから目の前で壊すのも捨てるのも出来ない。だから、私達の見えないところで……』


 役目を果たした双剣のレイピアは大事な人が造ったもので、本当は手放したくないものであった。それでも手放したのは驚異のなくなった世界で双剣のレイピアが新たな脅威にならないため。そして、大事なものであるからこそ、彼女達は自分達で処分できずにヒメヅルへ託したのである。

「……だけど、彼女達を気に入ってしまった私も同じように処分することは出来そうにありません。このまま亜空間で封印しておくことにしましょう。そして――」

 ヒメヅルは踵を返して歩き始める。

「――彼女達の世界で何が起きていたのか……。しっかりと調べなければ」

 無のエネルギーを取り込んでヒメヅルの体内に僅かな魔力が生成されると、魔力を飛ばしてこの星の中央コンピューターへと接続する。接続が確認されるとヒメヅルの目の前に魔法科学のひとつであるウィンドウが宙に浮き上がる。

 思念操作でウィンドウの選択画面を操作して通話を選んで呼び出しを行う。

「アルクゥ、調べて欲しいことがあるのですが、会話する時間はありますか?」

 ヒメヅルの問い掛けにスピーカーからは驚いた若い男性の声が返って来た。

『ヒメヅル様⁉ 隔離されているはずではなかったのですか? この通信は隔離室からの通信ではありませんよ?』

 事前に第138実験場へ行くことを話していた部下のアルクゥの慌て具合にヒメヅルはクスクスと笑う。

「そのことについて話そうと思っていたのです。今、この星にはほとんど人は居ませんが、一応、規則通りにしておきましょうか。カンファレンスルームの予約をお願いできますか?」

『あ、はい、分かりました。B―30のカンファレンスルームを予約しておきます。十五分後に開催でよろしいでしょうか?』

「はい。それでお願いします。では、十五分後に」

 そう言って思念操作で通話を終えてウィンドウを閉じると、ヒメヅルは足を更衣室へと向ける。

「別世界へ行くにあたり身体情報を調査する服を着用するのが必須なのは分かるのですが、この体のラインが出るスーツは少々恥ずかしいのですよね」

 ヒメヅルは体を覆っているスーツを両手で摘まみながら頬を赤くすると更衣室へ歩き始めた。


 …


 十五分後――。

 B―30のカンファレンスルームにヒメヅルが入ると、そこには黒髪の青年が管理職員の制服に身を包んで会議の準備を始めていた。必要と思われる第138実験場の情報へのアクセス権限の申請を取り付け、モニターには実験場作成当時の情報とヒメヅルが現地で手に入れた情報が左右に二分割されて表示してある。

 同じように管理職員の制服に着替えたヒメヅルは備え付けの椅子に腰掛け、アルクゥへ話し掛ける。

「先に進めてくれて、ありがとうございます。アルクゥ」

「まだアクセス権限を通しただけですが、現地へ行かれたヒメヅル様には気になることがあったのですね?」

「はい。あなたの感じた違和感も、その一つです」

 滅びた世界と同じ構成の第138実験場へ行ったヒメヅルが隔離室に隔離されていなかったのをヒメヅルもアルクゥも疑問に思っていた。

 ヒメヅルが難しい顔になる。

「さて、どこから話せばいいか」

 管理者によって壊されてしまっていた第138実験場を救った少女達との出会いから話すべきか、病原菌に侵されて死滅するはずだった第138実験場が自分達の世界と変わらない空気の構成で存続していたことを話すべきか……。

 ヒメヅルは迷ったが、同じように疑問を持っているアルクゥに合わせて後者から話すことにした。

「アルクゥが先ほど驚いた通り、私は隔離対象になりませんでした。身体調査を終えた私の体は、この星を出た時とほとんど違いがなく、第138実験場が創られる前に同じ構成で創られて滅んでしまった五つの実験場と同じ病原菌の痕跡やその病原菌に適した環境にのみ発生する空気成分が、私の体からは検出されませんでした。これは確率的にいって、あり得ないことです」

「はい、承知しています。だから、僕も驚いたのです」

 ヒメヅルは頷く。

「そこで確認したかったのが、滅んでしまった五つの実験場は、本当に病原菌を発生する要因を持っていたのか……という既存のデータの信頼性です」

 アルクゥがガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。

「まさか、過去の記録を疑っておられるのですか?」

「…………」

 ヒメヅルは眉間に寄ってしまった皺を右手で揉みほぐしながら一拍開けて口を開く。

「……残念ながら、その必要が出てきたということです」

 科学と化学が進歩したからこそデータの信頼性というのは重視される。しかも、遺伝子に手を入れることに関するデータは何重にもチェックされて管理も厳重にされている。

 しかし、今回その信頼を崩しかねない事象が発見された。

「そこまで疑問に持たれるなんて……。一体、第138実験場で何を見てきたのですか?」

「言葉で話すよりも、私の記憶を見た方が早いでしょう」

 数多の専門職を統括し、多くの知識を管理するためにエルフと同じ寿命を持つことになったヒメヅルには多くの特権と専用の魔法を与えられていた。

 例えば……

・第138実験場で知り合った少女達から託された双剣のレイピアも収納した亜空間の提供。

・何千年と記憶を蓄えても記憶の許容範囲を超えずに記憶できる脳を持つからこそ許される、記憶の受け渡しができる魔法。

 などである。

 ヒメヅルは魔力を生成するとアルクゥの脳の記憶容量にほとんど負荷を掛けない程度の要領で第138実験場で起きたことをまとめ、アルクゥの右手を握って魔法を使用して記憶を送り込んだ。

 握ったアルクゥの右手から魔力に変換された情報がアルクゥの脳に伝わると、アルクゥは一筋の汗を滴らせた。

「なんてことを……! 管理者が意図的に文明を止めて神になろうなどと……!」

 第138実験場の管理者が行っていたのは倫理的に許されないことの数々だった。しかし、偽りの神を語った管理者は何かの突発的なアクシデントで死に、彼が最後に命令していた伝説の武器なるものを造らせるため、モンスターが第138実験場で管理者が死んだことを知らぬまま暗躍していた。そのせいで第138実験場の文明は停滞し、多くの人間が死に至ることになっていた。

 そのモンスターを倒すため、モンスターが造らせようとしていた伝説の武器を超える双剣のレイピアを造って少女達はモンスターを倒し、ヒメヅル達の世界へ繋がるゲートを開いてくれたお陰で、ヒメヅル達は第138実験場へと訪れることができたのである。

 アルクゥが過呼吸気味になった呼吸を整えながら左手で待ったを掛ける。

「少し整理する時間をください。余りにも大変なことが起き過ぎていて……」

 アルクゥの気持ちが分かるヒメヅルは静かに待った。今のアルクゥの動揺は現地へ赴いて事情を知った自分と同じだったからだ。あの時、ヒメヅルは現地の少女達の前で同じように言葉を発せなくなってしまっていた。

 十分ほどしてアルクゥは立ち直り、大きく息を吐き出した。

「ヒメヅル様……」

「はい」

「この第138実験場は、明らかにおかしいです。そもそも管理者と繋がらなくなっても重要視されなかったのは、同じ構成で創られた第27実験場、第56実験場、第71実験場、第98実験場、第121実験場で病原菌によるバイオハザードが発生したため、同じ構成で創られていた第138実験場の管理者が自らゲートを閉じたためだと予想していました。つまり、他の実験場の管理者は感染する前に戻って来られましたが、第138実験場の管理者は戻ってこれなくなった……と」

 ヒメヅルは頷く。

「ええ、その通りです。責務を全うし、病原菌を隔離するためにゲートを閉じたと思われていました。――ですが、そうではなかった。第138実験場はバイオハザードなど起きることなく存続し続けていた。そればかりか、私達すら知らない未知の金属が創られていた。第138実験場の現地の人には管理者が金属の分野に関わる専門家だから、現地人がその未知の金属を使ったことを許せなかったのが一因だろうと説明しましたが……今になると、どうにも引っ掛かるのです」

「それは病原菌の痕跡が見つからなかったという要因が新たに見つかったからですね?」

 ヒメヅルは頷く。

「第138実験場は、先にあげて貰った同じ構成の実験場よりも後に創られています。病原菌の発生の連絡も別の実験場で確認しされた時点で直ぐに入っていたはずです。第138実験場からは一方的に通信を送らないようにしていましたが、こっちからの受信は受け付ける設定になっていましたから。病原体についての危険性は知っていたはずなのに、管理者はゲートを閉じて好き勝手をしていたのです。いつ発生するか分からないバイオハザードの危険性をそのまま放置しておくことなど、普通するでしょうか?」

 アルクゥは顎の下に右手を持って行く。

「……確かに妙ですね? まるで病原体が発生しないのを分かっていながらモンスターを操って、現地の人に未知の金属の武器を造らせようとするなんて」

 ヒメヅルは自信なげに口を開く。

「もしかして……なのですが、実験場に未知の金属を創ったのも、現地の人にその未知の金属を使って武器を造らせたのも、そして、病原菌が発生しないのも、すべて予定通りで、予想外なのは突然管理者が急性の病気などで亡くなってしまったことだと考えられないでしょうか?」

「……すべてが繋がっているというのですか?」

 そうであって欲しくないと思いながら苦々しい顔でヒメヅルは頷いた。

(もしも、ヒメヅル様の言った通りにすべてが繋がっていたとするなら、それは実験場が創られる前から計画されていたことになる……。二千年前なんてことじゃない! もっともっと前から計画されていたことになる⁉)

 ゾッとアルクゥの背に悪寒が走った。


 ――もし、ヒメヅルの仮説通りなら同じ構成で創られた五つの実験場では何が行われていたのか?

 ――世界を創る構成に病原菌が発生する要素が元々なかったというなら、そこで発生した病原菌を持ち込んだのは誰か?


 本当に病原菌を持ち込んだ者が居たとしたら……。

 アルクゥの口から乾いた声が漏れる。

「い、五つの実験場を壊した大虐殺が行われていた……可能性がある」

 顔を強張らせたままヒメヅルはアルクゥへ頷き返した。

「……まだ結論は出ていませんが、その可能性を調べなくてはいけません。私のただの考え過ぎだといいのですが」

 ヒメヅルは膝の上で両手を強く握り、奥歯を噛み締めて何かに耐えているようだった。

(ヒメヅル様……)

 愁いを見せるヒメヅルを見て、アルクゥにはその意味が少しずつ分かってきた。

 アルクゥや他の人々と違い、ヒメヅルはこの星のすべての人が生まれる前から存在している。文明の進歩に寄り添ってきた彼女にとって、人々が正しい心のもとに生きるように導いてきたと信じていた。だから、彼女は同じエルフの遺伝子を持った二人とは違って自ら命は絶たず、この星の人々の喜びを糧に生き抜いてきた。そういう信念を持った彼女にとって、世界を滅ぼすことに携わった人間がこの星にいるということは、自分の子供が犯罪に手を染めたのと同じことだった。


 …


 大きい小さいにかかわらず、人間は罪を犯す。それを分かっているからこそ、ヒメヅル達は文明を進める過程で大きな罪を犯さないように道徳を整えてきたつもりであった。

 貧困による心の余裕がないことから犯罪が発生しないように生活水準は一定以上まで引き上げ、この星では生まれてから死ぬまで一度も働かなくても生活ができるだけの基準にまで生活保護を引き上げた。

 そして、寿命の制約で停滞してた文明の進歩はエルフ達を知ることで得た副産物――無から有を作り出すことを科学と化学へ組み込んだことで一足飛びに進むことになった。当初はエルフのみが持つ器官でしか無のエネルギーから魔力を生成することは出来なかったが、一度、無のエネルギーを機械を通して魔力へを抽出することが出来てからは、エネルギー問題と環境問題はすべて解決し、更には有から無のエネルギーへの変換方法の手段も手に入れることにも成功した。

 これらを手に入れることが出来たのは『魔法技術の発展』から『科学と化学の発展』という順序ではなく、『科学と化学の発展』から『魔法技術の発展』の順で文明が進歩したことも大きかった。順序が逆だった場合、人々は生きていくための生活の発展のために魔法を使用して、家庭で火を熾したり、水を汲む代わりに魔法で水を出したり、ということをして火を熾す時も水を出すときも文明の力を使うという発想をしなかっただろう。エルフが使える魔法は確かに素晴らしいが、地水火風雷のいずれかの属性変換を通して現象を発生させるため、都市全体の電力を常に生成する発電所の役割を果たさないのである。つまり、エルフ達ような魔法優先の生活基盤では人としての魔法技術の発展が優先されるため、動力機関というものが作られて起きる産業革命というものがなかなか起きないのである。

 事実、魔法が当たり前に使用できる実験場で実験場が出来てから千年以内に産業革命へと進んだ世界は数えるほどしかなかった。


 …


 他の実験場と違い、『科学と化学発展』から『魔法技術の発展』の順で文明を進歩さえたヒメヅル達は爆発的な勢いで文明を進歩させ、皆が豊かになった。

 豊かになったからこそ……。

「我々は罪を起こすことさえ克服したと思ったのは……傲りだったのでしょうね」

 文明を進め、皆が豊かに暮らせる理想の星を創ってきたはずだった。

 皆が幸せだと思える世界だと思っていた。

 だけど、ヒメヅルの想いを理解できない人もいた。もし、本当に五つの世界が壊されたとしたならば、彼らは何のためにこんな非人道的なことを行ったのか……。

「私達の考えている最悪の事態の方が何かの間違えで、病原菌の発生した原因が明確になればいいのですが……」

 希望的観測を口して苦笑いを浮かべたヒメヅルの顔を、アルクゥは悲しみを持ってしか受け止められなかった。

 アルクゥはヒメヅルの心が、これ以上傷つけないように同意を口にする。

「第138実験場との差異が病原菌だったので他実験場の破滅ということ連想してしまいましたが、調べてみると別の要因があったということは、よくあることです。まだ時間はありますから、他の実験場を含めて実験場を創った構成から照らし合わせてみましょう」

「……そうですね。まだ全体的な大きな差分しか分かっていません。確かに小さな積み重ねが原因を作っている可能性もあります」

「はい」

 アルクゥはカンファレンスルームの端末を操作して滅びた実験場の構成と現存する第138実験場の構成を並べた。

「では、始めます」

「お願いします」

 カンファレンスルームにいくつものウィンドウが浮き上がり、様々なデータが上から下に滝のように流れ始めた。各ウィンドウは実験場ごとのデータを照らし合わすもので差異があるとデータの流れを止め、その都度、ヒメヅルとアルクゥは差異について確認した。

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