線恋花火

 

「ねぇ、花火しない?」


 夏休みも終わりに近づいた、ある日の昼下がり。僕は事務室に提出物を届けた帰り、美術室へと向かう廊下を歩いていた。するとそこに通りかかった彼女が、白い袋を両手いっぱいに抱えてそう言ったのだ。

「え、花火?」

 花火、なんて夏らしい言葉、久しぶりに聞いた。誰かと一緒に花火なんて、おそらく小学生以来じゃないだろうか。両親も季節毎の行事は無関心だし、人混みが嫌いなので夏祭りにも行かない。そもそも一緒にイベントを楽しむ友達がいなかった、という理由が九割な気がするけれど。

「うん、花火。もちろん手持ち花火ね」

 あぁ、なんというか、この夏はすごいな。今までずっと遠ざかっていた、眩しくて充実した夏休みというものを、怒涛の勢いで味わっている。彼女に出会ってから、「青春」の二文字を過ごしているのであろう自分自身に、なんだか頭が追いつかなかった。一生分のエネルギーを、ひと夏で使い切ってしまうんじゃないかと思ってしまうほどだ。

「なんかね、友達がいっぱいくれたの。すごい余ってて、この夏で使い切りそうにないからって」

 そんなことあるんだなぁと思いながらも、ふーん、と相槌を打つ。

「やらない?」

「別に、いいけど……。どこでやるの?流石に、学校でやったら怒られるでしょ」

「んー、あんまり考えてなかった。公園とかでいいんじゃない?近くにあるし」

「いや、公園とかも今は禁止されてるところばっかりだって聞くけど」

「えぇ、そうなの? えー……、じゃあもう家の庭とかしかないかな?」

「えっ」

 驚きを声にすると、彼女は小さく首を傾げた。

「ん?うち来なよ」

 当然のようにそう言われ、少し戸惑う。あまりに突然決まった予定だが、本当に大丈夫なのだろうか。

「あっごめん、ちょっといい?」

 念のため、母親に連絡をとることにする。これでストップがかかったら、彼女には合わせる顔がないけれど。

「ん、いいよ」


「友達の家で花火をするから、今日は遅く帰ってもいいか」と聞いたところ、意外にもあっさりとOKが出た。誰と花火をするのかについては言わなかったし、聞かれることもなかったので、ほっと胸を撫で下ろす。母親曰く、「あんた、やっと高校生らしいことする気になったのね」とのことだ。夏休みは毎年自室にこもって動かなかったので、随分驚かれてしまったようだ。

 まだ、夕暮れまでは時間がある。一回家に帰ってから駅に行き、そこから彼女の家に向かうことが決定した。



「お邪魔しまーす……」

 招かれるままに、彼女の家に足を踏み入れる。

 昔ながらの一軒家、という感じ。中には大きな庭があり、内装もシンプルで綺麗だ。

「あの、親とかは」

「あ、どっちも仕事だよー。お母さんは看護師だから夜勤、お父さんも今日は遅いと思う」

「あっ、そうなの」

「何も気にしなくていいからね。誰もいないし」

 そう言って、キッチンの方に消えていく彼女。普段から、料理や家事もひとりでこなしているのだろう。流石すぎる、僕も少しは見習わなければならない。

「はいこれ。冷蔵庫にあったから」

 彼女はラムネをふたつ手に取り、僕に渡してくれた。廊下の方へと誘われ、縁側と言われるのであろう場所に腰かける。マンションに住んでいる僕にとって、密かに憧れていた場所だ。

「喉渇いたでしょ?開けていいよ」

「あっ、うん」

 ひんやりと水滴がついた、浅葱色のラムネ瓶。上についていた部品を外し、キャップの部分を必死で動かしてみる。それなのに、振っても擦ってもなかなか開けることができない。

「あの、さ」

「んー?」

「ごめん、ラムネってどうやって開けるの?」

「えぇーっ! 知らないの?」

 今までで1番大きい、彼女の叫び声だった。目を丸くさせ、心底びっくりしているようだ。ラムネを開けられないなんて、彼女を前に情けない。風流な心がないと思われてしまったかもしれないな。

「あぁうん、ごめん……」

「えー、かして」

 彼女は僕から瓶を奪う。赤い部品を蓋に押し込み、逆さにして片手で叩く。へぇ、そうやって開けるんだ。小さな破裂音と共に炭酸が溢れあがり、音を立てて泡が立ち上る。

「あ、これ溢れちゃうから。最初のうちははやく飲まなきゃだめだよ」

 そう早口で言われたので、こくりと頷いて瓶に口をつける。染み渡っていく冷たさと爽やかな香りに、身体が喜ぶのが分かった。

「夏だね」

 こくりと頷く彼女のその仕草を見て、好きだ、と思う。手の瓶からは僅かに液体がこぼれていて、汗ばんだ手で慌てて拭った。



「言っとくけど、これ大きいので五パック、小さいので三パックあるから。ふたりで消費しちゃおう」

「え?」

 絶句。一瞬聞き間違えかと思ったが、どうやらそれは違うらしい。彼女の提げた巨大なビニール袋が、嘘ではないと物語っていた。ふたりでこの量を使い切るなんて、本当にできるのだろうか。

「夜なのにね、すごい暑いねー」

 縁側から部屋の中へと手を伸ばし、彼女がテレビの電源を入れる。神妙な表情をしたニュースキャスターが、大きな画面に映し出された。

「今年の夏は各地で最高気温を記録し、連日猛暑日が続いています」

 そういや、今年は快晴続きだった。美術室から見える空はいつも晴れていたし、梅雨なんて気が付かないうちに明けていた。雨が全然降らないから綺麗な星を眺め放題だと、彼女が喜んでいたことを思い出す。

「世界各国で、異常気象が叫ばれる今年————」

 そんなニュースを聞きながら、世界はいつだって異常だよ、なんて呆れたことを思う。この世は絶えずどこかおかしくて、きっと元から狂ってる。僕たちはそれに従うしかないんだ、なーんて。でも確かに、今年の夏の暑さは異常だ。



「うわぁっ」

 最初に手に取ったスパーク花火が、棒を軸にしてどんどん燃え進んでいく。花が開くように、四方八方に火花が飛び散っていった。色が次々に変わっていき、僕たちに様々な表情を見せる。

 その後も幾つもの種類の花火を楽しみ、夜が過ぎていく。ラムネと夏に汗ばむ心が、どうしようもなく溶け出していた。



 いつの間にか、もう最後の一本だ。

 線香花火を渡すと、彼女の滲ませる、どうしようもない切なさが伝わってきた。着火直後、火の玉が細かく揺れ出す。

「線香花火、ってさ。人生を例えて作られたらしいよね」

 ふたりの間を流れていた、夏特有の生暖かい空気。微笑を湛えながらのその言葉に、感傷の色に染まっていた体が、少しずつ起こされていくような感覚に陥る。

「牡丹、松葉、柳、散り菊」

 パチパチと音を立てて、枝分かれした火花が激しく噴き出し始める。

「火がついて、燃えて、明るく光ってさ。でも、いつかは燃え尽きて、虚しくこぼれて消えるんだよ。どんなに光ったって燃えたってさ、結局は消えるの。こんな人生に、意味なんてあるのかな」

 落ちる寸前の線香花火のように、彼女の声が橙色に染められてゆく。そう、なのかもしれない。火花は僕たちの目の前で、やわらかく長くなっていく。

 必死で生きる僕たちに、意味なんて————。

 でも、それでも。もしそうだとしても、今だけは。今くらいは、光を灯して。葉桜の季節、彼女にで会った時のことを思い出す。幾度も星を望み、プラネタリウムに浸り、ピアノの音色にも癒されて。数えきれないほどの思い出と宝物を、僕は彼女からもらった。


 僕は、彼女が好きなんだ。

 この時間が、ずっと終わらなければいい。

 彼女の瞳に透写した夜空の輝きに、僕はいつまでも恋をしていたい。


 そう祈ったとき、小さな灯火がぽとりと落ちた。


 彼女は虚しくこぼれた花火を見つめたまま、小刻みに震えていた。

「……っ」

 僕は何も言うことができず、気の抜けたラムネ越し、彼女の綺麗な横顔を見ていた。花火が終わる。夏が終わる。僕はその先で、何をすればいい?

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