夢をわたる

根耒芽我

夢をわたる

高校の時分から、親友とまでは言わないものの、つなぎの途切れない程度に付き合いの続いている友人がいる。


途切れない。とはいえ、

それは非常に危ういもので。


平常時でも年一回のメールか何かのやり取り。


ない時は二、三年は平気で連絡がない。



なのに、ヤツが連絡を取り付けてくるときは決まって、

まるで昨日も普通にやり取りをしていたかのような文面から始まる。



そんなヤツの調子に乗せられて、結局会う約束をしてしまう。



結果として。

人生のその時々で、親友として深い付き合いをしている人間が何人かいたとしても、時代やそれぞれの生活環境の変化によって次第に疎遠になってしまった者たちよりも、細く細くはあるものの長く長く続いているのはヤツ。ということになってしまっているのだ。



前段はそんなところなのだが

ヤツと自分の自宅の中間地点にある大きな駅で待ち合わせ

ネットで探して予約しておいた店に赴くことにする。

ヤツが好きそうな酒と料理を出す店を探すのはさほど苦労しなかった。

日本酒と焼き鳥、刺身がうまければ一番。という、至極わかりやすい日本人的な酒飲みの嗜好だからだ。


「寄りたい店があったから、早めに来ていた」というヤツは、本屋の紙袋を片手に待ち合わせ場所で携帯をいじっていた。最近ハマっているパズルゲームで時間を潰していたらしい。


そういうことなら待ち合わせ時間を早めたのに。というと。

自分の気まぐれで他人の時間を操作するのは失礼だろう?と至極真面目に答える。

「それに、人を待たせるのは好きじゃないが、人を待つ時間は嫌いじゃない。待つ時間は自分の時間にできるからね」

隙間の時間にするからいいんであって、無限に時間がある時にスマホゲーなんかやり始めたら、オレは社会から足を洗わなきゃいけなくなるからな。


ヤツは笑いながら、さぁ、店に行こう。という。


それから、他愛のない会話を交えながらお互いの近況を報告し合う。

何年ぶりにあったっけ?二年ほど前じゃなかったか?いいや。三年だ。

まさか、だって…アレ?オリンピックっていつだったっけ?


店の暖簾をくぐり、奥にあるこじんまりとした小上がりに通される。

最初のビールと、枝豆と…

などと注文をし、出されたおしぼりで手を拭く。


「いい店だな」

小上がりの広くもない部屋を見渡しながらヤツがいう。

「オレも初めて来た。ネットの評判はそこそこよかったからな」

「うん。そうか。ありがとう。」

にこやかにヤツがいう。

オレはそれには答えずに、日本酒のメニューを眺めて話題を変える。


ほどなくビールが届き、予約の時に注文しておいた刺身の盛り合わせがくると、これはさっさと日本酒に行かないと刺身がもったいない。などと言い始めてジョッキを煽り始める。

若くないんだからそんな飲み方をするもんじゃない。といいながらも、ヤツのペースにはめられて自分も急ぎ気味にビールを喉に流し込む。


そんなわけで、早々に酔いが回り始め、日本酒をゆっくり楽しみながら刺身を口に運ぶことになる。


お互いに赤ら顔になってきた頃に、ヤツが言い始めた。


「実は、そろそろちゃんと会っておこうと思って連絡をしたんだ」

どういうことかと聞き返す。


「…あ。いや。なんというかな。オレが夢を見る話をしたことがあるだろう?」

夢なんて誰でも見るだろう?…と言いかけて。

かなり記憶のかなたに行ってしまっていた出来事をふと思い出す。


「続きのある夢を見るんだ」といっていた、若かりし頃のヤツの顔を。


「…えっと。それって、まだ学生の頃の話だろう?」

「そうそう。それこそ、高校生のころにはもう見始めていた。その夢のことさ」

ヤツは、酔いに任せるかのように饒舌にその話を始めた。



オレは小さい頃からよく夢を見る性質たちでな。

色鮮やかでかなり現実味のある夢ばかりを見るから、夢と現実の境目もわからなくなるほどだったようだ。

…ようだ。というのは、母親から聞いた話でな。

オレは現実にある姉妹に会ったことがあるつもりでいたんだ。

でも、母親はそんな姉妹は知らない。という。

小さい頃、何度も遊んで、何度も家に来て、お風呂にだって一緒に入ったことのある姉妹で、名前は…といいかけて、オレは気がついたんだ。

その子たちの顔もはっきり覚えてなくて、名前に至っては覚えてもいなければその子たちの名を呼んだ覚えもないことに。


それに気がついた時、背筋が凍りつくというのはこのことなんだと思うほどに、身体が急にこわばったよ。オレは、現実にいない子供達との記憶を鮮明に持ってしまっているんだってね。


じゃあ、その姉妹はいったいどこで出会った誰だったんだろう?と思っても思い出せない。…でも子供だからな。現実の生活で、現実の友達やら兄弟やらと遊ぶのに忙しくてそのうちそんなことは忘れてしまった。


忘れてしまっていたかったんだな。正確には。


それを急に思い出したのが、高校のころに入院した病院でね。

オレ、気胸をやっただろう?そうそう、あの「イケメン病」ってやつだよ。

オレもとうとうその仲間入りか。って思って、イケメン病。って病名を聞かされた時はちょっとニヤけちまったけどね。

そのかわり、修学旅行は飛行機に乗るからお前はダメだって言われたときはホントマジでムカついたよ。気圧の関係で気胸が再発するといけないからってさぁ。なんだ?それって思って。修学旅行行かない代わりに学校で自習とか言われて、マジで本当に学校に火でもつけてやろうかと思ったけどな。


まぁ、それはいい。


とにかく入院したときなんだよ。

夢を見てな。


でも、オレは夢の中で病院にいるんだよ。

だから、夢なのか現実なのか、当時はわからなかった。


そこで、久しぶりにあの姉妹に会ったんだ。

うれしくなってオレから声をかけた。

姉妹に言われたんだ。一緒に遊ぼう。どこかいいところはある?って。


こっちにあるから一緒に行こう。といって、

オレは姉妹の先に立って病院内を歩き始めた。

総合受付のある一階に行って、自販機でジュースを買って二人にもあげて、それから小児科の病棟にだったらおもちゃのあるスペースがあったはずだから、そこに行こう。って。


何をどうやって一緒に遊んだのかはあまり詳しく覚えていない。

でも、目が覚めて部屋を見渡したら、

ベッドの脇の冷蔵庫の上に、飲みかけのペットボトルが置いてあった。

オレが夢の中で買ったジュースだったんだよ。


それから、いつもはそんな時間に来ない看護師が、オレのベッドに様子を見に来たんだ。朝、けっこう早い時間に。

「昨日、喉でも乾いていたの?」って


寝ていてよくは覚えていないけれどどうして?

と聞き返したら、

看護師が言ったんだ。


走って病院内の自販機に行ったでしょう?ちょっと様子が心配だったからあとを追いかけてみたら、あなたがジュースを三本も買うのを見たの。そんなに喉が渇いていたのかしら?って思って。…まぁ、夜だしそうそう人も出歩かない時間だけれど、走るのは控えてね。


看護師はそれだけ言って出ていったけど。

オレは残りの二本がどこに行ったのかが気になって仕方がなかった。


だから、まだ朝食も来ない時間であることを見計らって、トイレでも行くふりをして病室を抜け出して、小児科病棟に行ってみたんだ。


二本、飲みかけのペットボトルが置いてあったんだ。

いちごミルクと、オレンジジュースだったよ。


それから、毎晩。

オレのところに姉妹が来る夢を見た。


ジュースを買い与えたのはその日だけだった。

オレのベッドにやってきて、おしゃべりをしていたのか、何かで遊んでいたのか。

オレはその夢の中ではその姉妹が来ることがうれしくて、楽しく過ごしていた。

でも、目が覚めたときに悩むんだ。一体あの姉妹はなんなんだ?って。


でも、夢の中に入ってしまうとその疑念を持つことすらなくなってしまう。


入院期間自体はそんなに長くなかったんだ。

一週間もしないうちに退院でね。

最後の夜も、その姉妹と夢で会った。

オレは、たぶん夢の中で退院するということも忘れていたんだと思う。


明日も遊ぼうね。と言われて、うん。そうだね。と返していたような気がする。



それから、オレが妙な夢を見る頻度が増えたんだ。



オレは続きのある夢を見ることが増えた。

それまでも見ていたと思うんだ。

あの町に行くのは二回目だ。そこの角を曲がったら喫茶店があって…とかな?

全然別の町にいるはずなのに、その町の端まで行くと

あぁ。ここは以前に行った雑貨屋のある通りに出るんだ。って思い出すんだが

それは別の夢で見た町の通りだったりする。


こういう「続きの夢」であることは、目を覚ましてしばらくするとその夢のことすら忘れてしまう。


オレが眠りに吸い込まれる直前、オレは夢のことを思い出す。

あぁ。今朝見ていたあの夢は、あの時に見た夢の続きだったんだ。…とな。


オレは「夢のスイッチが入った」と思っている。

オレの脳内に、夢に入るスイッチがどこかにあるんだ。

そのスイッチが入ると、夢の世界のことを思い出す。


思い出しながら、眠りにつくんだ。



「まぁ。そういうこともあるんだろうな」

ヤツの話を聞いて、そんな感想を言って酒を口に運ぶ。


「うん。」

ヤツも酒を口に流し込んだ。


「オレはね。いつか、夢を見ながら死ぬと思うんだ」

それから、まだ残っていた刺身を箸でつまむヤツが、こちらを見もせずに言う。

「物騒なことを言うなよ」

「いやいや。ほんとうに。…怖い夢を見るようになってね。息が上がって、酷く寝汗をかいて、叫びながら夜中に目を覚ますことも増えた。」

「えぇ?」

「心臓が持たないよ。ほんとうに。…まぁ、年も年だしな。一応、どうにかなっちまう前に、会っておこうと思ってな」

そう言ってからようやく、ヤツがこちらを見た。


「あの姉妹の顔を見たんだ。」


その言葉が酷く冷たく、部屋に響いた。


「それを見たのに、オレは夢の中で、その姉妹とまだ一緒に遊んでいる」

おい。…といいかけて、言葉を飲みこむ。


「今度、オレの夢の中で鬼ごっこをしよう。と言っていた。なぜか、その夢は覚えている。…次にその姉妹と会う時が、おしまいなんだろうな」

「なぁ。…やめろよ」

「なぁに。酔っ払いの与太話だよ。本気にするな」


それから、その話題をかき消すように、またどうでもいい世間話をして。

終電の少し前に店を出た。


「なぁ。…悪いことは言わないから、病院に相談してみたらどうだ?…その様子じゃ、少なくとも安眠はできていないんだろう?」

駅に向かう夜道でヤツに言ってみる。


「そうだなぁ。…まぁ、若くないしなぁ。そうするか」

ヤツは本屋の紙袋を手に、駅の改札に消えていこうとする。

が、踵を返してこちらに戻ってきた。


「なぁ。オレにはこれが必要な気がしたんだが、やっぱりこれはいらなくなった。お前にやるから、売るなり捨てるなりしてくれないか」

その紙袋をこちらの手に勝手に押し付けて、それからヤツは本当に改札の向こうに走って消えていってしまった。



それが、ヤツと会った最後だった。




訃報を聞いたのは、それから一年ほど経ってからのことだった。

死因は心不全。就寝中のことだったらしい。

隣で寝ていた奥さんが異変に気付いて救急車を呼んだらしいが、救急隊が到着したときにはもう、息がなかったらしい。



ヤツに押し付けられたあの本屋の紙袋は、開けることも捨てることもできず。

そのまま押し入れに押し込んである。


葬式に持っていこうかとも思ったが、それもできなかった。

たぶん、それが最後のチャンスだったのに。



そして、

今日、

ヤツに会った。


夢の中で。


見知らぬ街のどこかの飲み屋で

ヤツと日本酒を酌み交わし、他愛のない会話を重ねて、楽しく過ごしていた。

なぜか傍らに、見たことのない女の子が二人いたような気がする。

顔は覚えていない。



顔は、覚えていない。









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