アーサー王好き、推しになって成り上がる

雨宮 徹

いつのまにか、アーサー王になってました

 俺は分厚い本を閉じた。タイトルは『ブリタニア列王史』。何周目か分からない。読むといっても、ある物語だけだ。それは「アーサー王伝説」の箇所のみ。俺の部屋は彼のグッズで溢れている。



 アーサー王伝説のいいところは、歴史とは違ってあいまいな部分が多いからだ。そこにこそ、妄想の余地がある。そして、彼はほぼ無敵だから、爽快感がある。まあ、後半に妻の不倫などのトラブルがあるが。それによって人間味を増すという点ではありかもしれない。最後にアヴァロンに旅立ち、いつか復活するという設定も面白い。ああ、アーサー王に会ってみたいな。無理な願いなのは分かっている。あくまで伝説なのだから。



「フレッド、朝食の時間ですよ!」



 やばい、読書に夢中になりすぎて、大学へ行くことを忘れかけていた。今から朝食じゃあ、一限目の授業には出られないな。まあ、気にする必要はない。一限目は哲学の授業。西洋史の授業に間に合えば、それで十分。俺は朝食をかき込むと家を後にする。「授業中に読書はダメよ」というお母さんの言葉を忠告を聞き流しながら。





「よお、フレッド。一限目をすっぽかすのが当たり前になってきたな」



 肩を軽く叩きながら、友人が冗談を言う。大学生一年目にしてサボり魔なのは、自覚がある。それが良くないことも。



「そういうものだと諦めてくれ。そうだ、哲学の授業のノート貸してくれよ。もうすぐ小テストだろ?」



「おいおい、自分ですっぽかして、人頼みかよ……。じゃあ、逆に西洋史は俺にノートを貸してくれ。フレッドの得意分野だろう?」



 俺は首を縦に振る。これで交渉成立だ。友人同士で助け合う、なんと素晴らしいことだろうか。まあ、お互いに授業をまともに受けていないのが悪いのだが。



「おい、次の教室行こうぜ! フレッドの好きな西洋史の授業だぞ」



 そう、二限目は西洋史。だが、段々と時代が現代に近づくにつれて、面白みがなくなっていく。伝説や武勇伝ではなく、史実そのものを扱うから。夢やロマンがない。別にためにならないとは思わないが。





「さて、今日は第一次世界大戦についてです。えー、この戦争では……」



 教授はどの時代を扱っても教科書通りにしか話さない。間違いなく俺が教えた方が生徒のためになる。まあ、アーサー王伝説しか話さないかもしれないが。ダメだ、授業があまりにもつまらなすぎて睡魔が襲ってくる。たまには居眠りもいいだろう。このまま眠気に任せても……。



◆◇◆



 俺はいつの間にか新緑の森にいた。鳥のさえずり、小川のせせらぎ。都会の騒音から離れてゆっくりする。どうせ夢を見るのなら、こういう夢がいい。ライオンに襲われる夢なんて二度とごめんだ。



 次の瞬間、違和感に気づいた。やけに体が重い。もしかして太ったのか? 視線を下に向けると見えてきたのは――鎧を着た自分の姿だった。鎧? どういうことだ? 今回は戦争に巻き込まれて死ぬ夢、なんてことはないよな。最近、死ぬ瞬間に目が覚める夢が多い。辺りを見渡すが敵兵の姿はない。どうやら、この一帯は安全そうだ。人の気配も感じない。



 しかし、完全に無人かというと違う。森の出口に微かだが煙が昇っている。きっと民家があるに違いない。森でのんびりとするのもいいが、せっかくだから少しくらい冒険したい。夢なのだから、失敗を恐れる必要はない。





 ゆっくりと森を出ると、数軒の民家が建っていた。お世辞にも立派とは言えない。そんな風に考えていると、一軒の扉が開くと女性が勢いよく飛び出してくる。



「ちょっと、アーサー! どこで油を売っていたのよ」



 どうやらこの世界では俺の名前はアーサーらしい。あの大好きなアーサー王と同じ名前だ。夢でくらい、いい気分になっても問題なかろう。



「あなた、村の外れに行ったんじゃないの? ほら、岩に刺さっているという剣を抜きに。どうして森になんか行ったのさ」



 へえ、岩に刺さった剣ね。まるでアーサー王伝説そのものじゃないか。それなら、次はそこへ行こう。どうせ引き抜けないに違いないが。



「それで、どこに行けばその岩はあるんだい?」



 女性は怪訝な表情を浮かべると「あっちさ」と森と正反対の方向を指す。





 ゆったりと岩の方向へ歩くと、噴水や馬小屋などを通り過ぎる。牧歌的だな。視線の先に大きな岩が見えてくる。お、あれが噂の岩に違いない。その岩は粗削りでコケが生えていた。いかにも古めかしい。でも、剣そのものは刀身がキラキラしている。村人が神聖な剣として祀っているのか、それとも剣自体に不思議な力があるのか。そんな理屈はどうでもいい。



 俺は剣の前に立つと、柄を握って引き抜こうとしたが、びくともしない。こりゃ、引き抜くのは無理だな。さすがにアーサー王伝説の通りにはいかないか。でも、夢なんだから、都合よく引き抜けてもいいじゃないか! 怒りのままに岩を蹴る。痛い! 次の瞬間、岩と剣の間にわずかに隙間ができた。



 お、これなら抜けるんじゃないか? 再び剣の前に立つと、腰をかがめる。こうすれば、もっと力が入る。柄を握ると深呼吸をする。リラックス、リラックス。さあ、いくぞ! 勢いよく引き抜く――つもりだったが、尻もちをつく。これまた痛い。問題の剣はというと、いつのまにか岩からぽろりと抜け落ちていた。なるほど。あっさり抜けたから、勢いよく後ろに吹っ飛んだのか。それにしても、カッコよく引き抜けないのは残念だ。ひとまず剣が抜けたのだ。ひとまず、さっきの女性に知らせよう。





 のんびりと戻ろうとしたが、そうはいかない。正確には剣がそうさせてくれない。引き抜くのはうまくいったのに、剣はずっしりと重い。当たり前かもしれない。剣をカッコよく振りかざせるのは昔のように修行をした剣士だけだろう。あるいはゲームの世界か。すべて思い通りに進まないのは現実と一緒だ。はあ、夢なんだから思うがままに進んでくれ。現実ではストレスでいっぱいなのだから。





 なんとか村に帰ると――数時間かかったが――すでに夕方だった。鮮やかな夕日が噴水の水を薄い赤色に染める。



「あのー、さっきの剣を引き抜いたんですが」



 先ほどの女性があくびをしながら、ゆっくりと扉を開ける。「ちょっと、もう夕方よ。静かにしてよ」と言いながら。



「それで、剣を引き抜いたって本当? 今まで何人も挑戦して、失敗してばかりだったのに? え、もしかしてその手にあるのは、あの剣!? もしそうなら……」



「そうなら?」



「あなたは王としての将来を約束されたということよ。



 アーサー王!? さっきの剣は本物だったのか。つまり、一市民のアーサーではなく、あの伝説のアーサー王だったわけだ。なんて素晴らしい夢なんだ!



「ああ、この村から王が誕生するなんて、誇らしいわ」



 女性が思いっきり俺の体を揺さぶると、視界がぶれる。おいおい、いくら嬉しいからって、そこまでしなくてもいいだろ。うん? 何か遠くから声が聞こえる。



「……ッド。おい、フレッド。起きろってば!」



◆◇◆



 気づくと、隣の友人が俺を小突いていた。なんだ、全部夢だったのか。夢なら夢で目覚めなかった方が幸せだったかもしれない。



「おい、教授からの質問に答えないと、目をつけられるぞ」友人がささやく。



 なるほど。居眠りしている間に、質問されていたらしい。俺はガバっと席を立つとこう言った。「俺は岩から剣を引き抜いて、アーサー王になりました」と。



「おい、ふざけているのか?」と教授。



 ドッと笑い声が教室を包む。しまった、現実と夢が混ざってしまった。まったく、散々な一日だ。ふと手のひらを見ると、剣の柄の跡が残っている。あれは本当に夢だったのか?

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